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神戸金史 のBrush Up 雲仙普賢岳大火砕流から33年
2024-06-04 08:05

神戸金史 のBrush Up 雲仙普賢岳大火砕流から33年

RKB解説委員長 神戸金史
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00:26
三菱電機、毎週火曜日のこの時間 は、神戸金史のBrush Upです。
今日も長官を見ていまして、いろいろな ニュースが満載でしたね。
雲仙普賢岳大火砕流から33年。
1991年の長崎県雲仙普賢岳災害で、
大火砕流が起きて43人が犠牲になった というのが6月3日。
日付で言えば昨日だったということですね。
長官には、普賢岳災害の33年を記録する 記事が結構出ていまして、
何度か私もここで話していますが、
私が社会人になったのが24歳で、
初めて九州で暮らすことになったわけですね。
毎日新聞に当時入って、
西武本社に配属されて長崎市局に赴任した、
1ヶ月半後がこの大災害でした。
たまたま私も何も取材も何もできないので、
現場入って張り板して山が動いて、
赤い火砕流が落ちてくるのをカメラマンに
落ちてきましたよって教えたり、
徹夜で夜赤いのが見えるななんて感じてたんですけど、
たまたま6月3日を後退していまして、
私は助かりましたが、先輩3人も亡くなりましたし、
全員で43人、うち20人がメディアの人間というですね、
タクシーの運転手さんも含まれています。
大変な災害になってしまいました。
これが33年前のこと。
橋本さん生まれる前。
そうですね、今23歳なので。
僕が24歳でしたね。
その後災害に占順して、
4年間島原でずっと仕事をしてから、
毎日新聞の福岡に転勤してきたんですけど、
災害が終わるまで、火山災害が終わるまで
全部見続けたという珍しいケースですね。
当時、私が見て聞いて体験したことは、
一冊の本にしています。
運善記者日記という本で、
95年に出したんですね。
28歳でした。
今見ると、痛いんですよ。
若すぎて文章が。
熱心すぎて、前のめりすぎて。
痛いです。
でも、今書けないでしょ。
書けないでしょ。
振り返って書くことはできないんですよ。
03:00
当時のものがそのままなので。
僕よく言うんですけど、
20代の私、24歳から28歳までの私が
冷凍保存されている。
運善の30年を機に。
3年前ですね。
絶版になっていたので、
全文をインターネット上に公開しました。
運善記者日記で検索すれば出てくると思います。
当時の24歳の私の写真なんかも出てきてですね、
痛いです。
髪の毛ありますよ。
災害の当時のリアルな現場で私が見聞きしたことは、
書いてあることは全部本当で、
非常に当時の勤めていた毎日新聞にとっては
まずいことも書いています。
今だったら出版とかコンプライアンスとかの問題で
できるのかなと。
全部書きました。
もちろん知らなかったこととか、
ここは遺族のプライバシーのことだから書かないでおこうと
伏せた部分はあるんですけど、
書いたことに嘘は一つもないですね。
今だから言えるとその時書いちゃった
法律違反のしたこととかですね。
いろいろ書いています。
よくこんなの書いて出したなと思いますので、
ぜひちょっと運善のことを知りたい方は見ていただければ。
ネット上に出ていることって、
一部のことが真相膨大に書かれているケースがかなりあるんで、
メディアのあり方が問われたのは確かなんですけど、
私もそう思ってこの仕事をしてきました。
その後もずっと30年以上ですね。
この時の記憶っていうのは非常に強いんですよね。
しかしネット上に出ていることは、
僕の知らないことがすごく多いです。
つまりなかったんですよ。
そんなことはなかったなって思うことが多いです。
もちろん僕らが非常に反省しなきゃいけない点があって、
そこは本にも書いていってますんで、
33年を機に見ていただけたらなと思いますね。
6月3日にやっぱりそういうことを考えるってことが大事ですよね。
考えてほしいし、僕らもメディアは常に視聴者、読者とともにある、
その人たちの代わりに取材しているわけだから、
その気持ちを絶対に忘れずにやらなければいけないと強く思っています。
それからもう一つの記事が、天安門事件35年が今日ですね。
4日ですね。
知らないよね、橋本さん。
知ってはいるんですけれども。
歴史上の出来事としてもね。
歴史上の出来事として知っています。
この事件が大学生だった私に大きく影響していて、
こういうことは許されないと強く思いました。
ミャンマーで起きたようなことが中国で起きたみたいな感じですかね。
それで初めて私が路上デモに参加したのは、
この中国を避難する天安門事件についてのデモでした。
06:02
東京で私どうしても許せなかったので街を歩いたですね。
記者になろうと思ったきっかけの大きい一つがこの天安門です。
民主化運動の弾圧とされているわけですけれども。
権力者による弾圧・武力行使がこんなことが許されてはいけないと強く思ったんですよね。
だからネクタイしたくないとかね、そういうところになっていったわけですけど。
でも天安門事件は本当に今も中国に引きずっている喉元に刺さったようなものですから、
絶対に忘れさせない。
僕はもう本当に思っています。
このことは何年経っても政権、今の体制が変わるまでは僕は言い続けようと思っています。
さて、8時40分過ぎのキャッチアップではどんなお話を。
先週に引き続きパレスというのに関係するデモのお話をしようかなと思っています。
08:05

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