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はいどうも、tabi-fm、たびかずです。この放送は、旅と旅にまつわるニュース、雑談などを広く、浅く喋っていこうという番組になります。
本日も最後までよろしくお願いいたします。本日は、完全に旅から、tabi-fmと題してますが、旅から外れた雑談会になるかなと思っています。
この放送一部の回は、youtubeの方でも流しているんですが、今回は雑談会なので、サンドFMだけになるかなと思いますが、
その他の放送を聞きたい方、もしいらっしゃいましたら、過去の放送、サンドFM上でも聞けますし、youtube上でも聞けますので、どちらか好きな方で聞いていただければなと思います。
さて、雑談会と申しましたが、昨日は1月17日ですね。本日が1月18日です。1月17日といえば、阪神淡路大震災の起きた日ですね。
昨日は僕も、朝早く起きたというより、夜寝るのが遅くて、でも朝早朝に起きて、黙祷をして、思いを捧げて、それから二度寝したんですけれどもね。
30年ですか。阪神淡路大震災から30年。早いのか、遅いのか、長かったのか、短かったのか、ちょっとそれぞれの感想があるでしょうけども、30年となるともう、生まれてないという世代がかなり多く、
社会人なりご家庭もでき、子供が生まれている世代になってきてますからね、30年たつとね。さすがに長い月日だったかなと思いつつも、先日、いつだろう、この冬ですね、2024年だったかな、の冬かな。
新永田の再開発がようやく、震災以降の復興を兼ねた再開発ですね。授業がようやく完成をしたというニュースを見ました。
30年かけてようやく最後の大きな再開発授業が終わったということで。
まあいろんなね、ごめんなさい、いろんな知見者等といるんで、時間がかかるのはわかるんですけどね、30年と聞くと、さすがに長いよねという気はしますね。
ちょうど去年ね、1月1日には野党の方で地震があったけれども、こっから30年復興に時間がかかるとしたら、30年後の野党はどうなってるんだろうなと、ちょっと思ったりもします。
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昨日ね、朝目通して、1月17日当時のことを思い出してたんですけどね、こういうと僕の年がかなりのおじさんだなというのがわかっていただけるかと思うんですけれども、
その日はちょうどすごい朝早い段階でしたけど、起きてたんですね。
僕が住んでたところは大阪ではあったんですけど、兵庫都の県境で。
大阪府内としては一番被害があったかなという場所だったんですけど、それでも神戸と比べると全然被害、そこまでの大きな被害ではなかったんですけど。
揺れはやっぱり大きかったですよね。立ってられない、椅子にも座ってられない、そんなぐらいの大きな揺れ。
もう本当に今まで経験したことがない揺れで、頭の中では逃げなきゃいけないってわかっているのに、もうそもそも立ってられないから、逃げるにも逃げれない、隠れるにも隠れない、隠れられない。
そんなぐらいの大きな揺れで、もうその時のことは本当にすごい印象に、イメージ、記憶にある。
でもね、その後の記憶が全くもうすっ飛んでるんですよね。
こう、外に出なさいって母親に言われた、窓を開けてって言われた記憶はすごいあるんだけど。
外に出て、その後記憶がもうぷっつりと途絶えてる。
大阪府内だったことが幸いしたのかよくわかんないですけど、
幸い電気と電話は朝若干途切れただけですぐに復旧をしたんですね。
次に僕が記憶があるのはもう、テレビが復旧して、親父が単身赴任をしてたので親父に連絡を取って、
その後テレビをつけたときの記憶まで間がぷっつりとなくなってて。
テレビをつけるとニュースがやっていて、
新永田、あれは奈良なのか新永田なのかよくわかんないですけど、
一面燃えている煙の映像が流れてて、西宮の阪神高速は倒れてて。
いやこれは言い方、例えがよくないかもしれないけど、
なんか戦争でも起きたのかなというような、そんな光景がテレビブラウン管の向こうにあって、
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でもそのブラウン管の向こうの世界は本当に15キロ20キロ行けばあるような、
そんな距離感のところで、何をどうしていいかが全くわからないような光景がそこに広がっていて、
今みたいにインターネットもない時代、スマホもない時代、むしろ携帯すらない時代、
ポケベルトピッチっていうような世界の時代でしたから、
何が起きてるのかが、もう本当にテレビでしかわからない。
何をどうしていいのかもわからないっていうのが正直なところで、
それまで生きてた中で一番強烈だった光景ですよね。
それが30年前の1月17日だったかなという気がします。
それまでそれを思い返しながら、
時間を今年は過ごしてたんですけれど、
これだけ日本が発達してて、たった30年前にあの光景が広がっていて、
思いつつも今神戸に行くと震災の爪痕、傷痕を探すのは非常に困難で、
やっぱり人間はすごいなと思うし、
あれだけの災害の中から立ち直る、
どんだけ月日が流れても心の傷が癒えることはないと思うし、
言えたとしても1月17日を迎えた瞬間にまた戻ってくる気持ちだと思うんだけれども、
どれだけ日本が復興しても、どれだけ日本が成長しても豊かになっても、
自然災害っていうのは防げないもので、
でももうちょっとどうにかならないのかなと、
もやもやっとした気持ちになりました。
あれから30年、僕個人としてはその後、東日本の時は東京にいましたし、
野党の時は石川と福井の県境にいて、それぞれ震度5、6、5強6弱の揺れを経験しましたけれども、
まさか生きてる間に3回も大きな地震を体験するとは思わなかったな、30年前はっていう感じですよね。
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だからこそ今頑張って生きなきゃいけないでしょうし、
明日でいいやとか、そういうことをどうしても日々思うわけじゃないですか。
何かしらのトラブルがあった時も、明日でいいや。
何かしら人とすれ違った時、また今度どうにかすればいいやって思っちゃう日々が続きますけど、
やっぱり1月17日毎年迎えるとそうじゃないんだよねっていうのを、
毎年ですけどね、心に刻んでいます。
毎年思うってことは全然改善されてないっていう話なのかもしれないけど、
本当は1月17日だけじゃなくて毎日毎日そう思って過ごさなきゃいけないんだろうなとは思うんですけどね。
なかなかうまくいかない日々もありますので。
でも1月17日を迎えるといつもそういう気持ちになります。
朝早くて、その後外が朝焼けになってくると、30年前の1月17日の朝もこんなに凛とした空気だったのかなとちょっと思ったりして、
いろいろ経験を積み重ねていくけれども、この経験だけはもうしたくないなと思いつつ、
先日もヒルガナダで震源とする地震がありました。
未だに多分余震が宮崎の方は続いているかと思いますけれども、どこで何があるかわからない。
それは肝に銘じて日々過ごしていこうかなと。
やっぱり改めて1月17日迎えるとそんな気持ちになります。
皆さんは生まれてなかったのかな、このスタンドFM聞いてる世代の人は。
どうなんだろう。
生まれてる人も大阪にいた人も兵庫にいた人もいらっしゃるでしょう。
いろんな思いがあって1月17日を迎えてると思いますけれども、もしくは全く知らないっていう世代ももちろんいるでしょうし。
でもね、会ったことをいつまでもちゃんと記憶に残しておく。
体験を記憶に残し、体験を残しておくっていうのはやっぱり必要だなと思います。
っていうのはね、先ほども言いましたように、起きていて地震があって揺れがあって、すぐに外に出なさいと母親に言われたんですね。
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僕にはその感覚が全くなくてですね。
母親は母親で、関東大震災を経験していた祖母にそういうふうに仕付けられたみたいなんですね。
なのでやっぱり、部屋の中に家の中にいるんじゃなくて、さっさと安全な外に出なさいという。
まあやっぱりね、記憶を伝えていくっていうのは大切だなと改めて思いました。
みなさんは1月17日今年はどういう1日だったでしょう。
次は3月11日ですか。
なんかそういうね、記念日でもなんでもない日ですけど、
心に刻まなきゃいけない日が増えるってのは辛いことですねと。
なんか思ったりはします。
ちょっとしんみりになった回でしたが、最後までご視聴ありがとうございました。
また次回。
次回はね、もうちょっと楽しい話、旅にまつわるような話をしたいなと思ってますが、
次回の放送もどうぞお楽しみいただければなと思います。
たびかずでした。
ちゃお。