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下田文代 リーダーズストーリー
こんにちは、RKBアナウンサーの下田文代です。この番組では、毎週お一人の福岡、そして日本の経済を支えるリーダーたちのこれまでの人生、そしてこれから開く未来のストーリーを語っていただきます。
2025年、今年最初のお客様です。株式会社 西日本新聞社 取締役会長 柴田建哉 さんです。明けましておめでとうございます。おめでとうございます。毎年抱負などは立てられますか?いやー、ほとんどないですね。ないですか。特になかなかないけど、逆に年末に我が家の重大ニュースというのを作るのが私の仕事になります。
そうですか。記者職も長く勤めていらっしゃって、会長となられてもやっぱりその重大ニュースっていうのはやっぱり敏感でいらっしゃいますか?
プライベートの重大ニュースなんで、家族でしか共有してないんですけど、やっぱりね、子ができて、孫ができて、いろんなことがあるし、我々も夫婦もいろんなことがあるし、一年間振り返るのはいいかなと思って、そうじゃないとやっぱりね、正直言ってかなり忙しい毎日なんで、なんとなくあっという間の一年になっちゃうから、ちょっと節目感を出そうと。
そうですか。そして柴田さんは、西日本新聞社の入社が何年ですか?
1984年、昭和59年ですね。今年で丸40年。
そうですか。その80年代、昭和50年代の記者の仕事ってどんなお仕事でした?
入社して最初に配属されたのが、社会部というとこで、検証終わった後ですね。その後、いわゆる警察回りと言われる警察担当だったんで、ただ忙しいだけの、朝から晩まで24時間以上働くのが普通みたいなことを言われた時代だったから、そういう印象ですよね。ずっとなんか怒られたし。
そういう毎日だったという記憶が鮮明にあります。
なぜ新聞記者を志されたんでしょうか?
たぶん一番大きいのは、私なんか性格的にも、机に座ってじっと落ち着いて仕事するよりも、外で動き回るのが多分向いてるなと思ってるのがまずなんとなくあって。
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もう一つは、大学時代にアルバイトしてたのが新聞社で、これが一番多かったんですけど、その新聞社の報道の職場だったんで、そこで接する新聞社の皆さんが、なんか面白そうだなというか、生き生きしてるような感じがしたんで、こんなところだったら働けるんじゃないかなと。
働きたいなみたいなのがあったのがやっぱり大きかったですね。
記者時代に一番痺れた取材とか出来事って何か思いでありますか?
そうですね、いろいろあるんだけど、やっぱりそう言われてパッと思い出すのは、運善不厳だけの災害っていうのがあったのはご存知ですよね。
その時私、伊勢林区に行ったのか社会部からか、いずれにしても現場に応援に、6.3の時はたくさんの方が犠牲になられて、その後にそこに取材に何回か行ったんですけど、
やっぱりいろんな思いがあったけど、一つ覚えてるのは、災害現場に行って、その頃まだ火災量とか土石量がよく来てたんですよね。
自分が行った取材現場が翌日になると、災害に巻き込まれたみたいなところがあって、一日違うと結構危なかったのかなみたいなのを、災害の取材っていうのは相当ね、安全管理をきちんとしないとまずいなというふうに思いましたけどね、その時は。
逆に楽しかった、嬉しかったことってありますか。
40年間のうち30年ぐらい新聞記者、新聞っていうか編集の仕事をやってるんで、例えばやっぱりその自分が書いた記事を読んでくれた読者の方とか、取材に応じてくださった方からのやっぱり声ですよね。
例えばインタビューさせてもらって、その人のインタビューの記事を出した時に、なんか私の本音を言いたいことをうまくすくい取ってくれて文章にしてくれるというのは非常にありがたいと。
実は私は本当はこういうことが言いたかったんだっていうようなことを表現してくれましたとかですね。
あと、これは時々あるんですけど、ある町でトラブルみたいな、住民の人がとても困ってるみたいな話があって、それを取材して何回か取り上げて、その結果、例えば行政が動いたとか、地元の方が動いたとかで、その課題が解決された、解決の方向に動き出したという時に、やっぱりすごい感謝されて。
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なるほど、新聞の力ってね、いろんなことを動かす力があるんだなと思った時は、やりがいみたいなものを感じましたよね。きちっと仕事しないとダメだなというふうに思ったのは何度かありますね。
地域、個人の生活、生命を左右するような、それを本当にギリギリのところに立って取材するっていう経験をずっとされてきたと思うんです。それは今も変わらないんですけど、例えば紙媒体がだんだんと減っていったりとか、SNSの発達で新聞社のあり方や使命っていうのはどうですか?変わったように感じられますか?
劇的に変わったと思います。正直言って、昭和59年、1984年に私に入社したんですけど、その時には私の周りの人は、やっぱり新聞を読んでいる。新聞をご家庭で撮っていただけるということが当たり前でしたし、
それが1990年代の後半くらい、1997年とか2000年前後くらいから、新聞の部数が数字としては下がってきているということなんで、やっぱり入社した時にまさか新聞読まない人が増えるとは思わなかったというか、新聞読まない人が、今で言うと若い人なんか新聞読まない人の方が非常に多いんで、
メディア、特に新聞を取り巻く環境は劇的に変わっているなと思います。ただ、ちょっと真面目に言うと、やっぱり新聞が果たす役割っていうのは、一番大きな報道というのを軸にして、きちっとした情報を皆さんにお伝えして、それが地域の課題の解決につながるようなことがあればいいなとか、
地域にいろんな人がいる、その人の喜怒哀楽を作り上げて届けるというような、そこの基本的な機能は変わってないと思うんですよね。全く変わってないと思うんだけど、それをどうやって皆さんにお届けするか。紙の新聞で届けられなくなったら、じゃあデジタル媒体で届けるのかとか、映像で届けるのかとか、いろんなことがあるんですけど、もともとの本質的な機能は変わってない。
指名は変わってないなと思っています。
じゃあ、その指名をどうやって果たし続けるのか、それはまた来週伺うことにします。
今日、2025年最初のお客様は、株式会社西日本新聞社取締役会長、柴田健也さんでした。ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
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お相手は下田文夫でした。
それではまた。
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