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いちです。おはようございます。 前回からまた少し間が空いてしまったんですが、それは何をしてたかというとですね、
ちょうどこの一月、一ヶ月をかけて TEDx再開というイベントを実施していたんですね。
これは何かというと、広めるべきアイディアを共有しようという、
アメリカのテッドカンファレンスの地域版なんですけれども、それを長崎で実施していました。
こちらの成果はまたYouTubeで見ていただけるので、ご興味のある方はですね、リンクを貼っておくので見ていただければと思います。
さて、前回までこちらのポッドキャスト、YouTubeではガリレオ・ガリレイの前後の話をさせていただいていたんですが、
今日はその総集編という形で、ガリレオが生きた時代に人々はどんなことを踏まえていたのか、どういうことを信じていたのか、
そしてガリレオ自身がどういうふうに生涯を送ったのか、彼が後世に何を残したのか、そういったことを一気にお話をして、
次回からはまたその次の時代、あるいは現代から見た過去がどういうふうに見えるのかといった話題に戻していこうかなと思っています。
さてそのガリレオ・ガリレイが生まれたのはイタリアなんですが、イタリアの中心に現在ではバチカンという独立した国になっている場所があります。
そのバチカンの中央にあるのがサン・ピエトロ広場という広場でして、これはベルニーによる大傑作ですね。
残念ながら、このサン・ピエトロ広場ができた時にはガリレオはもう亡くなっていたので、この広場を見ることはなかったんですが、
それでもその広場の中央にあるオベリスクですね、塔ですね、これはガリレオも見ていたかもしれないというのは、このオベリスクはその昔からここに建てられていたそうなんですね。
このオベリスク、石で作った塔なんですけれども、これはイタリア人たちが作ったのかというとそうではなくて、エジプトから持ち込まれたもののようです。
エジプトのどこかというのはいくつか説があるようなんですが、エジプトのどこかであることは間違いない。
この塔なんですけれども、もともとエジプトでは日時計としての機能もあったのではないか、確かにそのサン・ピエトロ広場でもこれは日時計として見ることもできるような位置に建てられています。
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この巨大な石の建築というと古代エジプト人たちなんですけれども、その古代エジプト人たちが既に紀元前2500年頃ですね、サン・ピエトロ広場ができるのがもちろん7世紀なので、
もうそこから考えるとずいぶん昔になりますね。紀元前2500年頃にはエジプト人たちはピラミッドを作り始めています。
例えばそのギザの三大ピラミッドなんか有名ですけれども、非常に正確に東西南北に面しています。それぞれの面が東西南北に面しています。
当時はまだ磁石がないので、これは太陽の昇る位置、沈む位置から東西南北を割り出しているんですけれども、なぜ彼らがそんなことをしたのか。
これはピラミッドだけではなくて、例えばイギリスに残っているストーンヘンジなんかもそうですね。
これも石と石の隙間から太陽が昇ってくるんですけれども、これが
例えば春分の日とか秋分の日とかに昇ってくるところにスリットがあるんですね。
太陽というのは1年を通して昇る位置が少しずつ変わっていくんですが、それでもエジプトのピラミッドでありイギリスのストーンヘンジでありというのは、ちゃんと1年の中で正確に昇る位置というのを指し示すことができるようになっています。
先ほどのオベリスクが非時計というふうに申し上げたんですが、こういった石の巨大な建築というのはそういう意味ではカレンダーにもなっているわけですね。
ある日にここから太陽が昇ると1年の間のここら辺だということを知ることができる。つまり日付を知ることができたわけです。
1年の中で一体今何日目だということを知ることができたわけです。
なぜ古代の人たちはそういうふうな日付を知る必要があったのかというと、エジプトに関して言えばこれは農業のためですね。
ナイル川が1年に1回氾濫するということは、いつ氾濫するのか、あと何日で氾濫するのかというのを知っておく必要があるわけですね。
でないと、せっかく種を蒔いたのにナイル川が氾濫して流されてしまうとか、収穫を待っていたら氾濫して収穫できなかったとかで困るわけですね。
だからどうしてもその1年の中で基準になる日があって、そこから何日目というのを毎日知る必要があるということになります。
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現在の日本だと1年の始まりというのはお正月、1月1日というのがありますけれども、お正月というのは天文学的には特に意味のない日なんですね。
1月1日に何か天体現象があるかというと、そんなことはないんですけれども、
ただ日本の祝日には春分の日と秋分の日というのがあるのをご存知ですよね。
春分の日というのが春3月にあって、秋分の日というのが10月ですかね、ありますよね。
で、あれ、9月だったかな。あれ、ちょっとほど忘れしちゃった。
まあいいや、なんで春分と秋分が祝日なのかってよくわかんない。何がめでたいのかよくわかんないんですけど、天文学的にはめでたい日ですよね。
というのは春分の日と秋分の日というのは、1年の中で2日間だけ、昼の長さと夜の長さが同じになる日なんですね。
春分の日というのは1日の中で昼の長さと夜の長さが一緒で、春分の日を過ぎると昼の長さが伸びていく。
秋分の日も1日の中の昼の長さと夜の長さが同じで、秋分の日を過ぎると1日の中の昼の長さが短くなって、夜の長さが長くなっていく。
昼の長さが一番短い日はいつかというと冬時ですね。そして1日の中で昼の長さが一番長いのがいつかというと月日にあたります。
なぜか日本の法律では冬時と月日は祝日になっていないんですけども、冬時が12月で月日が6月ですよね。
特に6月は祝日がないので、月の日祝日にしてくれたらいいのになぁと思うんですけどね。
どうなんでしょうかね。
そういう意味でこの天文現象、天体現象、天文現象の方がいいかな。
天文現象で1年の基準をどこかに求めるとしたら、
冬時か旬文化、月日か秋文化、この4つの中のどれかになると思います。
確かにストーンヘンジなんか、すごく偶然、
秋分の日だったかな、ストーンヘンジに行ったことがあるんですけれども、
ちょうどね、隙間から太陽が昇る日でした。
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周りに宇宙人と交信しようとしている人たちもいたりして、
なんかちょっと不思議な雰囲気になっていたんですが、
先ほどの冬時、旬文、月日、秋文の中で、
どの日が一番大事か、古代の人にとっては冬時が一番大事な日だったんですね。
というのは、冬時を過ぎるとその日から1日がどんどん長くなっていくわけですから、
これはめでたいわけですよ。もう冬終わるぞと。
確かに寒い日はもう少し続くかもしれないけれども、日は長くなっていく。
だから冬時が1年のスタートという考え方は、非常に素直な考え方になろうかと思います。
なぜ冬時が今1年のスタートじゃないの?と思われるかもしれませんが、
実は冬時のお祭りというのは、その名残が現在にも残っていると言われています。
一つはクリスマスですね。
クリスマス、カソリック系は12月の25日ですね。
それからオーソドックスの方だと1月の6日ですか7日というところもあるのかもしれないんですが、
それはカレンダーが時代とともにずれていったせいで一致してないんですけれども、
クリスマスはもともと土着の当時のお祭りが変形したものじゃないかというふうに言われています。
なので冬にあるわけですね。
それからお正月ですね。日本のお正月なんかも。
これも実はそのもともとは当時のお祭りがこんなタイミングになったんじゃないか。
日本の正月というかですね、1月1日というのがもともとは当時に由来しているんじゃないかということが言われているわけです。
このような1年の太陽の運行ですね。
これは当然地球の周りに太陽が回っているというふうに考えるのは自然だったわけです。
ですからみんな天動節ですね。
地球を中心として星々が回っている。
太陽、月、それから残り5つの惑星たちは少し特殊な動きをするというふうに考えていたわけです。
例えば夜、星がよく見える地域にお住まいの方は見て、夜見上げていただければわかると思うんですが、
一番明るいの、見えているときは木星です。
木星の位置というのがあるときはこの星座にいるんだけども、別の季節だと違う星座にいる。
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毎日その星座の場所のどこにいるかっていうのを記録していくと少しずつ星座の中を動いていっている。
ふわふわと動いていくんですね。だから窓越し惑星なんだと思うんですけれども、
月なんかは形も変わるし場所も変わる。
だけれどもそれはあくまでも地球を中心に回っているというふうに考えられていたわけです。
地球から見れば当然地球を中心に回っているように見えますから、
それは合理的な考え方の一つではあったわけなんですけれども、
それを疑った人たちがちょうどこのガリレオガリレーの丸田時期に現れるわけです。
コペルニクスなんかがまさにその代表的な人物だと思います。
ガリレオガリレーはですね、
1592年、物体落下の実験というものをしたと言われています。
伝説によるとこのピサの斜塔をですね、少し傾いた塔からですね、
重い物体と軽い物体を落として同時に着くのか、重いものが先に落ちるのかというのを比べたと言われているんですが、
実際には落としてないんじゃないかと言われています。
ピサの斜塔って日本人から見ると、
建てた建物を傾いているのにそのまま使うのって驚かれるかもしれないですが、
日本って傾いた建物ってまずないですからね。
ところがイタリアでは傾いた塔っていうのはピサだけじゃなくて、割とあるんですね。
あんまりそこは気にしないんでしょうね。多少傾いていても。
イタリアに限らず、例えばイギリスなんかでもその床が平らじゃないとかいうのは割とある話です。
日本人がね多分一番敏感なんじゃないかな、傾きには。
地震がね多い国ですからね、少しでも傾きがあると地震来るかもってね、察知する能力がないといけないのかな、でもイタリアも地震多いですからね。
なんかどっかで分岐したんでしょうね、この発想が傾いてもいいやっていうふうに言ったのか、傾いたらもうすぐその土地から避難しようと思うのか、
なんか分岐点があったんでしょうね。で、その物体を落とす実験と言われたんですけども、実際には転がしたそうです。
重い物体と軽い物体と、当時はアリストテレスという当時信じられていた大哲学者の言葉で、
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重いものは早く落ちるというふうに言われていたので、みんなそう信じていたんですけれども、それが直感にもあったんでしょうね。
ところがガリレオは重いものも軽いものも同時に落ちるということを発見します。
そしてそのピザの斜塔で、実は別の発見をしてるんですね。それが
振り子です。天井から吊るしたシャンデリアですね、植材が揺れていたのを見て、
その揺れ幅というのは大きく揺れる時もあれば、それが収まって小さく揺れるようになってくることもあるんだけども、
その振れ幅は変わっても揺れる周期というのが同じだということに気づいたわけです。
当時時計がないですから、日時計しかないですから、その揺れ幅を測るのに彼自身は自分の脈拍を使ったそうです。
どうもその振り子の揺れ幅というか揺れの周期ですね。周期が一定であるというところから、前回も申し上げた通りガリレオは
時間を測るという概念を発明するわけです。これが世紀の大発見になるわけです。
その後1597年、彼は地動説を支持することになります。この時すでにコペルニクスによって地動説というのは発表されていたんですが、その証拠がなかった。
ところが彼は地動説の証拠というのをこの後次々と見つけていくわけですね。
ガリレオもその初期には天動説を当然信じていたようなんですが、後に数学的な証拠を積み上げて
どうも地動説が正しいらしいということがわかってきて、ただその数学的な証拠だけではなくて観察によって地動説を裏付けるものを次々と発見していきます。
1609年に、これは彼自身が発明したわけではないんですが望遠鏡を自作しています。望遠鏡を発明したのは多分オランダ人だと思うんですけども
メガネ職人だったかな。ただガリレオは独自の工夫も加えているようです。現在ではガリレオ式望遠鏡と呼ばれているんですが
Oレンズとトツレンズをですね、組み合わせるんですね。トツレンズを前方に置いて手前にOレンズを置いて
ものを大きく見るというもの、ガリレオ式望遠鏡ですね。その後大きく変わるのはケプラーが発明したケプラー式望遠鏡、それからニュートンが発明したニュートン式望遠鏡
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残念ながらもガリレオ式というのは現在ではまず使われていないんですが、それでも当時としては画期的な発明品でした。
望遠鏡を自作して、これが1609年ですね。何をしたのか、この頃ですね、バチカンの教皇にこの望遠鏡を披露していて、遠くのものが近くに見えますよっていうのを
披露している絵なんかも残されているんですが、彼はそれを地上ではなくて天体に向けます。
1609年のことなんですけれども、月を望遠鏡で見るんですね。月。
月は肉眼で見ても多少模様があるのがお分かりいただけるかと思うんですが、望遠鏡で見ると
ガリレオの時代の望遠鏡でもかなりはっきり見えたと思うんですね。何が見えたか。
暗い部分と明るい部分、そして大きなクレーター。 何に見えたと思いますか。
暗い部分は海に見えたんですね。 クレーターは山に見えた。つまり月には
地球と同じような地形があるように見えたわけです。これはもう とんでもないことですよ。地球以外に
地形があって、地球と同じような海があって山があってっていうと、 地球が唯一の世界だと思ってたのに、違うぞと。
この海という名前は現在でも月の地名として使われています。 何々の海というような呼び方がされています。
ガリレオはとんでもないものを見てしまったんですね。 さらに決定的なのが1610年。
彼が木星を見た時なんですけども、 木星の周りに
木星の月があったんですね。 これはもう大発見も大発見で、
だって当時は地球を中心に全ての星が回っていると思っていたのに、 木星を中心に回っている星がいたわけですよ。
これはもうものすごい衝撃で、ガリレオは当時のスケッチも残しています。 4つ星を見つけたというスケッチを残しています。
これは現在ではガリレオ衛星というふうに呼ばれています。 イオ、ガニメ、デカリスト、エウロパというふうに名前がついていますが、
4つまとめてガリレオ衛星というふうに呼んでいます。 いやこれはもう衝撃だったと思います。
これも望遠鏡を使えば都会でも木星を見れば、当然木星の月なので、
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木星の裏側に回っている時もあるので見えない時もあります。 明るさ的には十分な明るさがあるので、都会でも見ることができると思います。
僕は長崎の後藤列島に、福江島という後藤列島で一番大きな島に天文台がありまして、そこで
くっきり見たことがあるんですけれども、最近ですね、子供の頃から
ガリレオ衛星というのは天文学のアマチュアがまず最初に月の次に見るのがガリレオ衛星なので、見てはいたんですけれども、やはり空が綺麗なところで、割と大きな望遠鏡で見ると本当に綺麗なんですよ。
もちろん遠いので点にしか見えないんですけども、その色がついててすごく綺麗に見えるんですね。
そのガリレオの四大衛星、これはもう大発見ですね。科学史に残る大発見ですね。 そして1613年に彼は太陽を見て、太陽に黒い点々があるというのを
発見します。これ黒点って呼ぶんですけども、太陽の表面、これは
残念ながら周期があって、見えないシーズンっていうのもあります。 で見えるシーズンになるとたくさん見えます。
僕が中学生の時に
天文部という部活動をやってまして、 ちょうどその時が太陽活動が一番
ないシーズンで、 黒点が本当に1個あるかないかぐらいしか見つからなかったんですけども、その時は
20センチのミュートン式望遠鏡、反射式望遠鏡なんですけども、それで太陽を
見ていたんですけども、 その時はあんまり面白くなかったんですね。ちょうど太陽の活動が停滞している時期で。
ただ、13年ぐらいで周期があって、黒点というのが非常に増える時期もあります。
黒点というのが太陽の表面にこの
ごま塩のような、塩じゃないですね、ごまですね、ごま粒のような点々が現れて、これが日によって動いていくんですね。
太陽って完全な球体だと思っていたら、全然違うぞというのもガリレオが発見しています。
現在の望遠鏡で、太陽を見るためのコロナ望遠鏡とか、いくつか探査用も出てますし、
太陽を見る専門の望遠鏡もあるんですが、そういったもので見ると太陽からガスがいっぱい吹き出しているというのが
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現在では見ることができるんですが、当時ガリレオが発見した当時というのはガリレオしか見たことがない点々で、
ごま粒で、これも衝撃だったわけですね。そんなことをガリレオは発表していくわけです。
そうすると前回お話ししたような事情で、1633年ですね、終身刑を言い渡されてしまいます。
終身刑といっても刑務所ではなくて、どうやら自宅に軟禁というような形ではあったようなんですが、
出歩いてはいけません、人と会ってはいけませんというような刑だったそうです。
今考えると、その後何度も同じような悲劇が繰り返されているんですけれども、
人類に多大なる貢献をした科学者というのが、
時の政府から逮捕され終身刑を言い渡されるというようなことが、この時既にあったわけです。
さらに残念なことに1637年に失明をしています。これはやはり太陽望遠鏡で見たからではないかと言われています。
当時はね、まだ望遠鏡そのものがないから太陽を見て失明するという知識もないわけです。
現在でも絶対に太陽は望遠鏡で見てはいけないと。見るときは太陽観測用の望遠鏡ですね。
望遠鏡にサングラスをかけるんですね。目の側ではなくて望遠鏡の側にサングラスをかける必要があるんですけども、
当時その知識がなかったために、おそらく彼は目を非常に痛めていて1637年には失明をしています。
またそれに前後して娘も亡くしているんですね。非常にこの晩年、
悲劇をガイレオが襲うわけです。それでも1638年に彼が見つけた振子の当時性ですね、振子の揺れの周期が一緒だよ
ということを利用して振子時計を発明しています。
彼自身はその振子時計を作ることはできなかったようなんですが、後にホイヘンスという人がその振子時計を製作しています。
この振子時計というのは現在でも壁掛けというのはもうなかなか見かけなくなりましたが、機械式の腕時計なんかを持ちの方いらっしゃれば中に振子が入っています。
上力を使った上から吊るすタイプではなくて前回り揺らすタイプなんですけども、振子が入っています。
これは振子の当時性というものを利用した時計になります。
1642年、ガイレオは亡くなるんですが、ただその時まだ終身刑を受けた身であったためにお葬式というのをあげることができませんでした。
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家族が何度も教会に願い出るんですが、お葬式が許されたのは1737年、世紀が変わって1737年なんです。
そこまで葬式のお許しが出なかった。
そして1992年に初めてローマのバチカンですね、サンピエトロ広場のあるバチカンのローマ教皇が公式にガイレオが正しかったと非難を撤回をしました。
謝罪はさらに8年、この2000年だったと思うんですが、ガイレオに対しての非難というのは不当であったということを92年に認めました。
これはアメリカのNASAなんですけれども、木星探査機、ガイレオという名の木星探査機が打ち上げられまして
96年ですかね、ガイレオ衛星に到着しています。
ついにですね、ガイレオの名を冠した船がガイレオ衛星に到着したという印象的な瞬間が来たわけです。
現在ガイレオの名を冠したものは他にもう一つあってですね、皆さんGPS使ってらっしゃいますよね、全地球測位システムですね。
GPSというのはアメリカ版なんですが、それのヨーロッパ版の方の名前がガイレオという名前です。
ガイレオというシステムは今地球を周回する衛星、人工衛星、つまり人工の月になって地球を回っているということになります。
ガイレオ、晩年は必ずしも幸福な終わり方ではなかったですが、彼の名を冠した人工衛星たちが一つはアメリカから木星に到達し、一つは地球の周りを回っているという、一つではなくたくさんですね、
たくさんのガイレオたちが地球の周りを回っているということになります。
こういったことでガイレオというのは現在でも非常に多大なる貢献をして、それに見合った称えられ方を現在ようやくされているということになろうかと思います。
以上でガイレオの話をざっと一通りさせていただきました。
また次回、動画、それから録音でお会いできればと思います。
今日は聞いてくださってありがとうございました。
では。