ね、よくお医者様、僕もいろんなお仕事する方が多いですけど、やっぱり学会って聞きますけど、今の話は本当にケースバイケースだと思うんですけど、どのくらい学会って言い方あれですけど、
自らある意味主体的に関われて、あと変な話ですけど、仕事として、だから当然、お金は誰が出すのかとか、どんな感じなのか、ケースバイケースに。
本当にケースバイケースになっちゃうんだけど、でもその、やっぱり、例えばアカデミアの大学とか大きな病院にいて研究をしているような医者っていうのは、やっぱり業績っていうものを出したいと申し出す義務もあるので、
いろんな研究をしなきゃならないですよね。しなきゃならないというかしてますよね。それで、やっぱりそこで誰かにちゃんときちんと評価をしてもらう。
それが正しい研究なのかとか、そういったことも含めて論文を書いたり、学会発表っていうのが。通常は、まずは学会発表をして、それはOKな内容ながら論文化するみたいな、昔はそうでした。
今はもうとっても単能場が早くなったので、学会発表をやる前にも論文が出ちゃうみたいな、そういう時代になりつつありますけども、そうすると、やっぱり個々がそれぞれ研究してて、それをいろんな人に伝えたい。
こんなことを発見しましたとか、こんなことを研究してみたらわかりましたって、やっぱり研究者として発表したいわけですよね。その場として学会はとっても重要で、でも例えば、わざわざじゃあヨーロッパまで行きましたと。
で、もう学会に集中して、すごいドキドキするわけじゃないですか。知らない人で英語で発表するなんていうと、だから他のこと考える余裕なんかずっとその数ヶ月はないんだけど、でも発表終わっちゃって、じゃあ終わった次の日、東京に帰りますかっていうと、
一泊か二日伸ばしてもいいんじゃね?って思うわけですよ。そうするとその時間というのは、普段ほぼほぼ丸一日というか、ずっと通じて病院に寝泊まりしているような、我々にとってみると超開放空間なんですよね。
いろんな意味でね。いろんな意味で。もう24時間48時間拘束されないで、もう病棟からの電話も絶対来ないし、で、教授の目も気にならないし。そこで、俺はフリーだみたいな。別にそこで羽目を外すわけじゃないけども、そしたらじゃあ、いろんなもん、そっかくだからここでしかないもん見ていこうよって言って、
特に若い頃は、無頓地が立ったこともあって、あえて決められたら惜しきせぬコースじゃなくて、普通に電車に飛び乗ってみたりとか、行き先も決めないで乗ってみたりとか、そういったことをしていろんなとこ行ったというのがあります。
だからもう20ヶ国、30ヶ国近く行ってる。
なんかイメージではやっぱり欧米が圧倒的に多いんですか?
欧米は多いけど、アメリカ?アメリカが一番多いですよね。
欧米でも例えば、欧米って言うけれども、ヨーロッパとアメリカって、他の世界はよくわからないけどインドの世界だと割と考え方違うんですよね。
全然、欧米って一つにまとまっている。
欧洋と西洋で別みたいに言っちゃいけないってことですね。
アメリカは、これ私の偏見かもしれないけど、アメリカは基本的にはやっぱりビジネスと同じで、もうお金と結果みたいなものしか重視されない。
だから、ビジネスとして成立するのかという点とか、あるいは医療の進歩にものすごいインパクトがあるのかみたいなところの議論が中心な学会ばっかりであるんだけど、
ヨーロッパの学会というともっと深くて、命ってどんなもんだろうかとか、緩和医療とか、そっちの思想をやっぱり訴えるようなことが多くて、
だから、例えばアメリカで緩和医療の話とかを聞きに行ったことは自分にはないんですよね。
でも、例えば北欧とか行くと、むしろそういうのがメジャーになったりする。
そういう中で、我々が当たり前と思っている議論が頭に前じゃない。
例えば、日本で当たり前に介護施設では、一生懸命寄り添って、介護する方がスプーンで口元まで運んでご飯を食べさせてますって、
これは綺麗な話みたいになるけれども、すごいリアルに目の当たりにしたのは、
そういう発表をした後に、その質問者の向こうの方が、もうズバッとあれは介護ではなくて虐待であるって言ったんだよね。
もうこの物の考え方は本当に違うんだと思ったこともある。そういう新しい発見もあるから、結構いろんな意味でワクワクで言ってたのは事実ですよね。
そうですね。今の話聞いててもね、その孫玄師とかでもね、結構オランダとかとそっちとまたアメリカ違ってたりとか。
そうそう。例えば今、北欧の国なんて言うと特に福祉大国みたいな、今だけです。もうここ10年20年ずっとそう思われてきてるけども、
北欧の国ですごく印象的だったのは、本当に飛び乗った電車で、ノルウェーで電車に飛び乗って、どこで降りるかも決めてなかったんだけど、
その当時まだインターネットとかなかったので、ガイドブックを買った時に夜行電車に乗ってる時に、ある駅に民族博物館があるっていうのがあって、
全く駅の名前は覚えてないんですけど、駅の歩いて10分くらいのところだったんで、そこで降りることに決めて、そこに行ってみたら、
立派な博物館だったんだけども、結構ノルウェーとかって言うと、割と質素なんですよね。
やっぱり漁業の国だったりするので、そんな豊かっていう感じよりは質素な感じで、屋根なんかも土がもったって草が生えてるみたいな、
そういう中で、博物館に生活の、それは原始の時代から最近までのいろんな展示があったりして見てたんだけども、
螺旋の階段があって、そこのところに長い棒の先に絵がついたみたいな、そういう道具が置いてあって、
高校生の頃にグラウンドを鳴らすのに使ったトンボってあるじゃないですかね。
これわかるかな、僕もわかります。
トンボ、私もラグビーブだったので、トンボを描けるっていうのが何か学級生の仕事だったみたいな時があったけど、
そのトンボの長いやつみたいのがあったんですよね。少し羽の部分長くて、絵はものすごい長いんですよ。
もう10メーター、15メーターぐらいある。何本か繋いであるんですよね。
それが階段の脇に陳列されていて、当初あんまり気にならなかったんだけども、
その階段登ってる間に説明する板があって、説明が書いてあって、そこを読んだ時に愕然として、
その道具の使い道が書いてあった。それは何なのかと読んでたら、
結局やっぱり日本と同じように、ノルウェーとか昔貧しかったんですよね。
だからしょっちゅう基金とかあればガシしてたみたいな、そういう時代に行われた儀式の道具だった。
どんな儀式かというと、今考えると本当にとっても切ない話ではあるけれども、
村人たちが年を取って動けなくなったようなお年寄りを崖の上まで連れて行くと。
そこに立ってもらって、早い話、みんなで一斉の背で長いトンボを全員で持って突き落とすという崖から。
それだけじゃなくて、その横には木のバットの太いのみたいなのが置いてあって、
それが何かと思ったら、それで死にきれなかったお年寄りは舌で引っ掻いている人が殴り殺すみたいな。
人べらし。日本で言うところならやばぶし子みたいな感じ。
年を取った人は若い人のために自ら死んでいくみたいな。
それはその死の苦しみを若い人も共有するみたいな。
それが当たり前に、20世紀の初めまで残ってましたみたいなことが書いてあって、
それが結構衝撃的だったですね。
その時は介護とか緩和とかの話を聞きに行ってた時なので、
そういう国でこういうことが起きるのかみたいな。
起きるのかとか、そういう国でもそうだったのかみたいな。
今のこの法職の時代になったのはほんの一瞬じゃないか、みたいな新たな発見があったりもした。
確かにその近くに、そのお宅の近くに公園があって、
そこを20メートルぐらい掘り下げてあるんでしょうね。
そこもやっぱり展示になってて、
そしたらその20メートルぐらい掘り下げた一番底のところから
もうすでに文明の遺跡があるわけですよ。
何千年にもあたっての遺跡が積み重なっていて、
いや、こういうのってすげえなと思って。
全く見たことのない。
特に日本みたく、大火事があれば全部焼けちゃうようなものと違って、
石だったりするから、何千年も前にこんな水路があったの。
こんな地下都市があったの。みたいなのがあるとびっくりですよね。
教えて!カミグルト
さあ、教えて!カミグルトということで。
これは伺いたかったですね。
カミグルト、ロゴありますよね。この素敵な瓶にもありますけど。
このロゴってどんな感じで生まれたんでしょう?
先生のことなんでこだわりもあるんですけど。
このネーミング自体は、もういろんなことで言ったり書いたりしてますけれども、
神楽坂の自分の自宅の実験室で生まれたんで神楽坂に漁業としました。
神楽坂の神という字を取ってカミグルトとしました。
あるいは、最初に食べてもらった親友の大学美容院の院長が
自分のアレルギーがすごく良くなったんで、これ神じゃんって言ってくれた。みたいなのもあって。
ともかくこれカミグルトにしようと思ったのがありますよね。
それでそのロゴ、いろいろ考えたんですよね。
最初自分でしょうがないから、デザインしたりとか。
最初しますよね。
どうしてもね。
だけど、なんかやっぱりそれじゃさすがにと思って、
やっぱりデザイナーさんにお願いするしかないと。
でも、もう本当企業を仕立て化するかしないかの頃って、
もちろんむちゃくちゃお金ないじゃないですか。今もないんだけど。
その時にどうしようかなと思ってた時に、
たまたま知り合いの人が、デザイナーさん紹介するって言ってくれて、
どんな人って言ったら、結構それなりの年代なんだけど、
昔から売れてる人で、
一時期はダノンとかポーションとかのヨーグルトとかアイスのデザインしてて、
日本でも有名なホニャララアイスのデザインとかしてた人なんて聞いて、
いやいや、そんな人無理だからってお願いするにしても絶対お金払えないし、
そしたらその人はとっても社会的なことに興味のある人なので、
先生の話ならば共有してくれて、共感してくれて、手伝ってくれそうな気がするって言って、
ともかく会うだけ会ってみたらって言われてお会いしたんですよね。
で、こういう思いで起業したんですとか、
こうしたいんですとか言ってまた熱く語ってたら、
すごい面白いじゃないって言ってくれて、ありがとうございますって。
で、何をして欲しいのって言うから、
まず会社のロゴもこの商品のロゴも全く作ってないので、
それを作りたいと思ってるんですよって言ったら、やるって言ってくれて、
でも本当にお金ないので依頼できないんですよって言ったら、
別に金はどうでもいいよって、いやどうでもいいって言っても、
モニャララさんのね、Sさんの言ってる、
逆に共通してますね。
押しとってるどうでもいいっていう金額すら払えないんですけどって言ったら、
いくらなら払えるのじゃって言って、
いや今本当に100万円もないんですって、
どんなに頑張っても50万円までで、
そこんな金額でSさんにお願いするわけにいかないですって言ったら、
いや全然50万円でいいよって言ってくれて、
後に出世払いねって言って、
ロゴも始め、それから会社のロゴも始め、
名刺からステーショナリーから全部作ってくれて、
今までにもう50万円払ってない。
すごい。
その人結構草分けの人で、
本当に東京オリンピック、その人今は亡きデザインスタジオに行くと、
まず入り口のところにバーンと、前の東京オリンピックのポスターがあったんですよ。
1964年か。
1964年。
そのデザインにかかって、
あの東京オリンピックってピクトグラムが生まれたオリンピックですね、世界で初めて。
そこになんかね、代々木の選手ボラのところにテントがあって、
テントだからプレハブだからね。
そこに日本中の若い新々のデザイナーが集められた時があったんです。
そこで何ヶ月か仕事をしたみたいな。
そのうちの一人だった人みたいなんですよね。
お話を聞くとね。
で、その後個人で独立されて、青山とパリに事務所を持っててみたいな。
そんな方が作ってくれた、思いのこもったロゴなんです。
すごい。これ僕も今改めて見てますけどね。
もうこのアルファベット、アミグルトって、やっぱGのところがね、スプーンでもありGでもありっていう。
言うとなんか僕、素人っぽくなっちゃいますけど。
これ、一発で出てきて、多少はやっぱりちょっと。
そういう方なんで、実はもう20種類ぐらい使ってくれて。
えー、1個でどうなんじゃないんだ。
相当時間かかってると思います。
もうそれ一つ一つ、どれを取っても構図付けがたいみたいな感じだったんですけども。
逆に我々は全く素人じゃないですか。
その中で、もう素人の感性で一番これと思ったのが今のデザインだったんですね。
素敵ですね。僕らはこの完成したものしか見てないんだけど、やっぱりこのビニーもぴったり合いますし。
本当にね、なんか今の話ばかり言うと、よりこの食べるのも楽しくなってきますけども。
はい、ということでこのカミグルトね、ロゴの誕生について伺いました。