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さんこまラジオ、築95年の古民家で馬さんとともに暮らしながら、ホースセラピーの取り組みをしている、きびはらがお送りしています。
さて、今回のテーマは、ちょうど良く関わる、
過不足なく関わり、過不足のない関わり方、というテーマでお送りしたいと思います。
今は朝飼い、馬の朝食をあげて、
今日は放牧地にいるので、放牧地で馬に餌をあげるのを見ながら、
電柵が張ってあって、草が振れると漏電して電気が漏れていくというか、ちゃんと電気が流れなければならないので、
それを確認、ぐるっと一周回りながら収録しています。
最近雨が多くて、天気がすっきりしない日が続いているんですけども、
畑の作物とか大丈夫かな、みたいな感じをしています。
さて、今回のテーマは、ちょうど良く関わる、過不足のない関わり方、というようなテーマなんですけども、
普段子どもたちと関わるときに、こういうことを頭に置いて関わってますよ、というか、
こういうことを念頭に置いておくと、子どもたちの成長につながる、というような話をしていきたいと思っています。
関わり方、よく介入とは言いますけど、何か問題とか課題があったときに、
こういうふうに関わって、それでやり取りをするときに、
どうしても何かしてあげなくちゃとかなると、やりすぎちゃう問題があるんですよね。
難しいんですけども、よく待つとか言いますけど、待てないことがあります。
馬のセラピーの現場だと、物理的というか、身体的な能力みたいなものが足りないというか、育ちの途中でできないところですね。
そういうときに手伝ったりするときは、それは分かりやすいんですよ。
例えば、馬に乗りますというときに、またがろうというときに、馬は背が高いので、
踏み台みたいなのがあるんですけども、足をぐるっと回してまたがるという、できそうでできないみたいなときに、
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よいしょって持ち上げたり、お手伝いして足を支えてあげたりするんですけども、
そのときもその子ができるギリギリのラインぐらいまでしかお手伝いしない。
完全に簡単にできちゃうような感じじゃなくて、できそうでできないというか、できるギリギリのところだけお手伝いして、
あとは自分の力でやってもらうみたいなように、ちょっと下から足を支えてあげたりとか、
足にぐるっと回すのが難しいときは、足の方向を誘導したりとかいうことをします。
これなんか分かりやすいですよね、物理的というか身体的な部分って見て分かるので。
でもこれは親御さんとか見てると、思わず段差とかあると手を出しちゃうとか、
ゆっくり行けば、転んでもそんな大きい気がするって感じじゃないところでもやっぱり手を出しちゃうとかですね。
思わず手を引いてあげるとかありますよね。
そういうのを親御さんに説明というか、こういうふうに僕たちやってますよっていうふうにお伝えしたりすると、
また普段生活の中で、結構うちの来てる子で身体の不器用っていうか、体感弱かったりとか、身体使うの上手じゃない子たちがいて、
心配でどうしても手を出しちゃうんですけども、やっぱりそういうトライアンドエラーを繰り返すことで、
子どもたちってやれることって幅が広がっていくので、そういうことを実際僕たちがやってるのをお伝えしたりとか、
こういうポイントでやってますよっていうのをお話しするってこともあります。
だから目に見えるそういう心理的な部分っていうのは分かりやすいっていうか、結構いいんですよ。
もう一個がコミュニケーションの部分です。
子ども同士のやりとりの中で、喧嘩というかトラブルというかあった時にどう入るかみたいな。
これ難しいんですよね。
どうしても回ってないとかですね。
先日も土曜日だったかな。
土曜日は最後のグループで活動しているチーム7,8人ぐらい一緒にやってるんですけども、
そこで最初にみんなで動物の世話をして、それからそれぞれやりたい活動をするみたいな感じでやってるんですけども、
まず最初にみんなで集まって、何やるかっていうのを。
こういう仕事あります、今日はみたいな。
何だったかな、馬房の掃除だったかな。
チリ取り、一つ大きいのがあるんですよなぜか。
他のサイズとちょっと違う。
それ使いたいとかいうのを2人で行って、それをバーっと足して取りに行って、2人でひっこり合ってて。
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ひっこり過ぎ、前も物を壊れたことがあったんで、取り合うのはいいけど、物を引っ張り合うのやめてって言って物はちょっとどかさせていただいて、
あとは2人で話し合って決めてくださいみたいな感じで、そのまま続行みたいな、バトル続行みたいな感じだったんですけども。
その後、他の子が今のことをやりたいって言ったので、そっちの場所から離れて、他のスタッフが見てて。
うち別に喧嘩というかやり取りして、30分、帰るまで1時間以上やってもいいわけですよ、極端なことを言うと。
でもやっぱ大人は待てないんですよね、というか、ちょっとその場面見てなかったので、うちの中で手を出て相手を怪我させるとか、
そういうことがあればパッと手を介入してというか、そういう子たちが入って、今のやり過ぎじゃないとか、怪我させるのやめてほしいとかっていうことをお伝えする。
もちろんどうしても感情が高くなってくると、まずバッと手が出ちゃったりとか、物事になろうとしちゃうという子もいるので、
次はもちろん怪我させないとか、暴力はダメだよっていうのをお伝えしてますけども、その前の段階のところ、どこでどう私が入るかっていうのがすごく悩ましいというか、
僕も見てなかったので何ともあれだったんですけども、その後聞いたら、一人の弟がわーっと劇場してるというか、感情興奮しちゃって、大変だったからクールダウンさせたっていう話をしてたんですよ。
でも、僕は見てたらもしかしたらそういうふうにしてたかもしれないけども、一つは別にクールダウンって、よく学校現場とかで気持ちを落ち着かせるためにその場所がちょっと離れて、
ちょっと小さい落ち着くようなスペースみたいなところでやることで、気持ち落ち着いて、また授業に戻ったりとか何か活動に戻るみたいな取り組み、よくやる手なんですけども、
別に急いでないし、もしかしたらクールダウンしなくてもよかったかもね、みたいな。そういうふうにちょっと振り返りというかしてました。
大人はなんとかしてあげたいとか解決しなくちゃみたいな、というふうに思ってしまうんですけども、もしかしたら大人の介入によって自分自身がそういうふうにやることに気づいたりとか、自分自身でコントロールするっていう機会をもしかしたら終わってしまうかもしれないということがあります。
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難しいですけどね、どれが正解ってないので。
なので、もしかしたらそれをやったことで自分自身のやった行為を振り返って。
でも何をやるとしてもしょうもないというか、本人たちは大事な問題だったんですけども、大人から見るとチリトリ、うんちを入れる外側のチリトリのやつが取っ手がついてて、大きいか小さいかが同じでしょうみたいな感じなんですけど、本人たちは大問題だったので。
でもとことんやって、こんなことをしても遊ぶ時間なくなって、次にやることができなくなるしみたいな。
自分で気づいた方がもしかしたらそのことを学びになったかもしれないし、逆にワーってやりあって出すことでスッキリしたかもしれないし。
とか逆に、こんなことで感情がかぶってても何も問題解決しないようになって、自分で気づくことで次もしかしたら同じような場面になったときに感情を落ち着かせてってことを自分自身に気づく。
大人がやったことで、言われたからやったけど、それを自分自身の中で負に陥るというか、そういう機会をもしかしたら奪ったかもしれないなという話をしてました。
階段からダメだったとかする話じゃなくて、正解はありませんので。
いろいろいろんな子どもたちと掛かる中で、いろんな場面があって、この子の考え方が良かったのかなとか、振り返る機会があると思います。
その時に、これって本当にやって良かったのかなとか、足りなかったのかなとかですね。
過不足って、やりすぎ、足りなさすぎっていう、ちょうどいいみたいなところを狙うっていうところをちょっと視点に入れて振り返ってみると、別の道みたいな。
引き出しをうちら、そうやって用意するか、同じようにまたチリトリとりあって、そういう場面があるかないかわからないし、
同じような場面があっても、ちょっと気持ちが違ったりとかするので、全く同じではないと思うんですけども、
そういう時に、こういうのもあったかもしれないなというふうに振り返りしておくと、
次また違う展開だったりとか、より子どもたちの成長につながるような関わりができるかもしれないなということで、
いつもそういうふうに気になった場面に対して、みんなであだこうだと、アイディアというかを出してやっています。
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だから別になかない、直ちに何もやらないってわけじゃなくて、見届けるって言うと正しいですかね、正しいっていうか、イメージ近いかな。
そこで喧嘩っていうか、チリトリでバトルしてるなっていうのを横目で見ながら、他の方たちもまたやってるなみたいな感じなんですよ。
僕ちょうど他の子と馬のバスをくらつけたりとかしてて、最初は気になって、わーってやってたんですよ、すごい。
俺はこれ何とか使いたいんだよーみたいな感じでやってたので、他の子がやってるみたいな。
でも他のスタッフと取り合わないというか、普通にそのままの状態で放置してるので、別にいいんだなみたいな感じで気にせず準備してましたけど。
でもその時にちゃんと近くにいるスタッフは見てますというか、様子はちゃんと確認してます。
でもその時にもちろん感情高ぶってきて、手がガーッと出たりとか、掴んだりとか噛みついたりとかあるので、
そのままなる前に、あそこちょっとやりすぎじゃない?って止められるように見届けてはいる状態ですかね。
あとはどうしても言葉がうまく使えないとか、そういう子もいるので、
その時にその子の気持ちを代弁したりとか、橋渡し。
どっちかが悪かったんでしょうみたいな。じゃあなんとかさん、謝りなさいみたいな。
決着をつけるみたいなことは別にしないですね、喧嘩とかそういう場合もね。
お互いに言い分を聞き合って、そういうことはするかな。
あとは本当はどうしたかったかっていうこともよくしますかね。
なんかモヤモヤしてる感じがするなってすれば、どうだったの?とかって。
本当はどうしたかったの?って。本当はなんとかするふうにしたかったんだみたいな。そっかーみたいな。
じゃあどうしたらいい?って謝ってみたいなって。
そういうふうにあれば、じゃあ謝ってみようかみたいな。
一緒にね、一人で言えれば。一人で言えそうなかったら一緒についてきてほしいって言えば一緒に行ったりとかするし。
っていうような感じで、その子はできるところは自分で、自分自身の力でやってっていうような感じで関わっております。
なかなか正解はないので、毎回毎回僕らも悩みながら、悩みながらっていうか、
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よかったのかな、もうちょっとこういうやり方あったかなってことを話しながらやっておりました。
でもポイントは過不足のない関わりっていうことで、やりすぎず、やらなさすぎずというか、そういうところを目指していると。
なんかさっき最初に出てきた、前半は身体的な物理的な現れてるもの、身体的なアプローチはわかりやすいので、そことも一緒というか。
環境、その場面に対してその子はやりたいけどできないみたいなね、にちょっとお手伝いするとか。
コミュニケーションの部分でも、互いに二人誰かとやり合ってるときに、目に見えないというか、言葉とかで応酬はしてますけども、
ちょっとうまく、こうしたいんだけどできないんだみたいなときにちょっとお手伝い、こういうやり方あるかもよとかですね。
もうちょっとこういう言い方をしたら伝わるんじゃないとかですね。
あと聞いてて言葉すごい、そこまで喧嘩にはなってないけど、一緒に仕事してると結構あるんですよ。
言葉きついとかですね。
そうやって何とかやってほしいなみたいに頼んだら、もうちょっと気持ちよく受け取ってもらえるかもよとかですね。
なんか違うね、代替案みたいなね、こういうやり方あるよっていうアイディアとしてお伝えしたりすることもあります。
でもそうやって言いなさいっていうふうには言わないですよね。こんな感じで。
一つコミュニケーションのところもやっていくと、さっきのチキトリ争奪戦の天末をお話しすると、
そのときはすごいわーってやってるんですよ。周りから他の子供たちは弾いてましたけど。
終わった後は何とかしようとか、一緒にトランポリン飛ぼうよとか。
終わった後はカラッとしてて。
本人たちは別にそんなに、どっちも劇場型というか。
なので、やってるときはわーってなってますけど、終わったらサラッとしてるっていう。
すごい褒めましい日だったなというふうに思います。
だから大人があまり心配するよりも、子供自身が持っているものを信じるっていうのは大事かなと思います。
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脳性麻痺の子が来てたとき。
最近ちょっとお休み。学校が変わってしまって、最近来てないんですけども。
以前来てたときに、うち入り口のとこは坂で上り坂になってるんですよね。
石垣が組まれてて、その段の上におもやがあるので。
その坂が最初上がってくるときは、なかなか自分だけで上がれなくて、
横にスタッフがついてて、人だったら手を貸すからねって話をしてたんですけども。
最初はちょっと手を貸しながら一緒に上がってくるような感じだったんですが。
半年くらいしたら自分でダーッと上ってくるようになってきて、そのうち走って上がった人が走って下りてくるようになって。
環境で自分自身で遊びたいと思って遊んでると、勝手に勝手にって言い方なんですけども。
そういうちゃんと適切な環境を用意してあげると、子供って成長して変化していくんだなと思った次第です。
ということで、ちょっと長くなりましたね。
ということで、今日はちょうどいい関わり方が不足なく関わるというテーマでお送りしてきました。
相変わらず馬たちは朝のご飯の時間でむしゃむしゃと草を食べております。
という早朝、放牧地からお送りしました。
今日も良い一日を過ごしください。それではまた。