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こんにちは、絵奈です。 今日はですね、私のキャリア、まあ
結婚してからのキャリアですかね、のお話をしていきたいと思います。 このチャンネルでは、6歳と3歳の子供たちと過ごすママとしての目線や
自己理解・他者理解についての学び、助産師としての視点から、日々の気づきや子育てのことをありのままにお話ししています。
この話をね、しようと思ったのはですね、 スタイフでも人気の配信者であるかいほさんとゆずちゃさんが、それぞれね、
ボイシーで2016年の私っていうハッシュタグだったかな、があったみたいで、 そのことについてかいほさんが自分の10年前からっていうのをね、
キャリアとして振り返ってお話をされてました。 で、またそれを受けてゆずちゃさんがね、
2016年からのご自身のキャリアのことについてお話しされてたんですよね。 全く2人のように上手にお話しできる気はしないんですけれども、
そして私は看護師と助産師の免許を持っているので、よく免許を持っているし、
キャリアが途絶えてもいいやん、どこでも働けるやんって言われることもあるんですが、 そのことについても、
まあ自分自身でも思うこともあったりするので、 そこについてもお話ししたいなぁと思って、
2人の配信を受けて、今日は私のキャリアの話をお話ししていきたいと思います。 このお話のきっかけになった、
看護さんとゆずちゃさんのキャリアのお話については概要欄に貼らせていただきますので、 とてもねその時のリアルな気持ちだったり、
夫婦関係のことだったり、 とても
グッとくる2つの配信だったので、 ぜひ聞いてみてください。
私自身はですね、2017年に結婚しました。 夫はその時も滋賀県で働いていて、
私は大阪の病院で助産師をしていた時だったので、 私の実家である京都、
そして大阪と滋賀の真ん中である京都に、 2人で暮らし始めたんですよね。
で、お互いにそれぞれ、私は1時間弱ぐらい、 夫は1時間半ぐらいですかね。
ちなみに片道ね。 それぞれ
通勤をしながら、電車通勤をしながら、 2人での生活が始まったわけです。
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で、夫はサラリーマンなので、 カレンダー通り月曜日から金曜日まで働いて、
土日、あとお盆、お正月、 祝日、休みっていう形なんですけれども、
結婚した当初、私は助産師の正職員だったので、 夜勤はあるし、
シフト制で、お盆、お正月、 カレンダー全く関係なく働いてましたね。
で、結婚した年は、なんかその部署で、 まあ、あの
お正月は、その帰省にね、 まあ初めての、結婚して初めての帰省だからっていうことで、
私は年末年始働き始めて、そんなにまとめて、 休みを取ったことがなかったんですが、
4日間ぐらいでしたかね、4日間ぐらいお休みをもらって、 夫と一緒に神奈川の義理の実家に帰省していました。
という感じで、本当にね、あのリズムがバラバラな 新婚生活だったんですよね。
で、私は結婚するまで実家暮らしだったんですよね、 っていうこともあり、
まあ言い訳になりますが、 仕事が大好きだったこともあり、
家事はほとんどせず、本当に仕事遊ぶっていうことを メインに生きて、20代生きていたので、
まああまり家事はできませんでした。 その中で結婚して、まあ不慣れな中、
家事を始めたんですよね。 夫は一人暮らしの期間も長かったし、
以前もお話ししたことがあるかもしれないですけれども、 食にこだわりがある人なので、
自分で出汁をとったりとか、料理もね、 結構こだわって料理するタイプです。
で、義理の実家は、あの中華料理屋さんをやっていた、 飲食店だったこともあって、
かなり料理もうまいですね。 なので、まあ結構料理は夫が作ることも多かったですね。
で、まあ私はそのまま働いていたんですけれども、 まあ妊活をしたいなって思った時に、
なかなかできなかったんですよね。 で、原因を調べても原因不明だと言われ、
で、まあ私一応ね、このお仕事をしてますから、 まあ絶対夜勤とかこの生活習慣が良くないんだろう。
で、ご経験された方だったらわかるかもしれないですけれども、 まだ検査したてだったとしても、
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なんかなかなか子供ができない、不妊かもしれないって思った時に、
すごい先のことまで考えてしまったり、 どういう未来になるか思い描けなくなったり、
やっぱり周りの人の妊娠報告だったりとか、 出産報告がね、見るのが辛い時期もありました。
で、まあ私はこの絶対仕事が良くないんだと思って、
私は妊活に力を入れたいので、 辞めさせてほしいですって言ったんですよね。
それがね、夜勤を辞めたいですとかじゃなくて、 もう飛躍して辞めたいですって言ったんです。
でね、まあ家庭のね話にはなってしまうんですが、
まあその当時の主任、市長、あと看護部長も、 犬をもらったことで親しいこともあって、
私は将来的には主任とか市長とか管理職になってほしいっていうことも言われてたんですよね。
で、まあ一応そんな風に言われてた私だったので、
まあ辞めることは避けてくれっていう風に止められて、
その時は産婦人科病棟にいたんですけれども、
やっぱり産婦人科病棟っていうのは、まあストレスが強いし、
私はNICUが大好きで、その私の尊敬している上司もNICUにいたこともあって、
産婦人科じゃなくて、一回NICUにもう一度戻って勤務しないかって言われたんですよね。
で、私としてはなんかそこでNICUに戻っていいんだって。
私は産婦人科で頑張るんだって思ってたけど、
自分が妊活とか家族とかそっちを重視したいってなった時に、
自分の助産師としてのキャリア、助産師と言っても広いですけれども、
お産の会場をしたりとか、
皆さんが助産師っていう言葉を聞いて思いつくような仕事をしてたと思うんですが、
その仕事を一旦置いておいて、NICUに戻れるってなった時に純粋に嬉しかったし、
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私はNICUでもう一度やっていこうって思ったんですよね。
で、そこでね、本当に私の気持ちが軽くなったからか、
まあ、妊活をしていて少し不妊治療のステップアップをしたタイミングだったこともあって、
そのタイミングでNICUに戻って1ヶ月ぐらいだったかな。
1ヶ月ぐらいで今の娘、6歳の娘の妊娠がわかったんですよね。
いまだにね、上司によっぽど産婦人科がストレスやったんやなって冗談でも言われてるんですけれども、
私はNICUに移動して、結局産休に入るまでNICU中心にお仕事をしながら、
産婦人科病棟で人が足りないとか、お産が多くて産婦人科病棟が忙しいっていう時に借り出されたりとか。
それでね、妊娠していた期間がちょうど2020年なので、
皆さんご想像の通り、もうコロナ禍で大阪の病院は本当に大変だった時に、
私は妊婦として産婦人科病棟とNICUを行ったり来たりしながら、コロナに怯え、妊婦生活を過ごしておりました。
その時もね、上司に泣きながらやめさせてください。
私はこの状況で働くのは怖いですって言ったこともあるし、
あとね、おそらく娘の産休育休を終えて病院に戻って来れることはないなって、
夫の転勤の話がすでに出始めてたんですよね。
で、医療の世界は狭いので、
その時ね、本当やっぱり産休育休をもらって、復帰されない看護師さんとか助産師さんがすごい病院で多かったんですよね。
で、私はその医療業界が狭いから、立つ鳥跡を濁さずじゃないんですけれども、
またどこかで働きたいって思った時に、繋がってて働きにくくなることは嫌だから、
その産休育休手当をもらわずに、夫の転勤があるかもしれないので、産休に入るタイミングで退職にしてくださいとも言っていました。
なんですけれども、その時も看護部長からじきじきに、
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まだ旦那さんの転勤が確実でないなら、席は置いといていいよ。
もし辞めることになっても、それでもいいからって言われてたんですよね。
で、娘が2020年の8月に生まれて、結局夫の転勤が2021年、その次の年の4月からっていうことが決定したので、
育休の途中で退職するっていうことになりました。
そしてその時、コロナ禍2021年の生後7ヶ月の娘を連れて、縁もゆかりもない岡山県に引っ越しすることになります。
なので、一旦私の病院でのキャリアは、その夫の転勤によって病院で助産師をするっていう10年で途絶えました。
で、その後は専業主婦をしてました。
でもね、本当にコロナ禍で縁もゆかりもない岡山だったので、知り合いもいないし、
コロナ禍でなかなか支援センターとかも空いてたり空いてなかったり、いろんなイベントもあったりなかったりで、
友達もなかなかできないし、仕事もつながりもいないっていうことで、
もう本当に仕事がしたかったんですよね。
私と娘っていうこの2人の生活に、私は子育てに頑張りたいって思ったけど、
この24時間、基本的にこの2人っていう生活から抜け出したくて、
土日だけコロナのコールセンターのバイトがあったんですよね。
なので土日、月1回2回とかそれぐらいですけれども、
夫に娘を1日預けてコロナのコールセンターのバイトをしていました。
本当にね月数回のことだったんですけど、
やっぱり私にはこの社会に必要とされているというか、
ママじゃない私っていう時間が少しでもあるからこそ、
子供たちに向き合える、新たなリフレッシュした気持ちで向き合えてたんですよね。
なのでもうお金とかではなくて、これは私のリフレッシュのため。
そして私がいない中で夫に一人で娘を見て欲しかった。
その堂々とした理由が仕事だったっていうこともあって、
私はそういう形で仕事をしてました。
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そんなこんなしているうちに息子を次妊娠しまして、
コロナのコールセンターのバイトも妊婦で本当に34週ぐらいまで、
ギリギリまで細々と続けながら、
そのコールセンターでね知り合ったバイトの人たちに
サンキューに入りますって言って、
パートナーでサンキューとかないんですけど、
そんな感じで自分でサンキューとして、
手当ても何も出ないままね。
コールセンターのバイトを置いておいて、
息子を里帰り出産で出産しました。
それで1ヶ月ぐらい実家にいながら、
1ヶ月後、岡山にまた戻ってきて、
4人での生活が始まるんですけれども、
またねやっぱりね、娘2歳がややこしくて、
2歳ってやっぱりいややきって言われますけれども、
難しいですよね。
急にお姉ちゃんになったので、
赤ちゃん帰りのようなものがあったり、
やっぱり2歳0歳の育児は大変でした。
私はやっぱり助産師なので、
赤ちゃんの扱いは他の方に比べて慣れてると思うので、
正直娘1人、
0歳の時の娘の育児っていうのは、
まあまだ楽だったんですよね。
でも2人育児っていうのは、
もうその新生児とかそういう云々の問題じゃなくて、
上の子のフォローがね、やっぱり大切になってくるので、
もう私はその2人育児が想像してた以上に大変で、
で私はその夫の転勤で病院を辞めているからこそ、
娘をね、保育園どこかに預けたいって思っても、
岡山ってその地区ね、待機児童がすっごい多い。
ワースト1位ぐらいなんですよね、岡山市ってその当時。
まあだから入れるわけもなく、
で専業主婦なのに無人家の保育園に入れてまで、
どこかで働こうっていう気にもなれず、
もう積んだって感じでしたね。
2人を家で見て、
友達もそんなにいない中、
本当になんか辛くって、
本当にね正直子供たちと離れる時間が欲しくて、
息子が生後2ヶ月になった時に、
本当にね近所のデイサービスで、
土曜日のね4時間だけ働けるっていうバイトを見つけて、
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派遣だったんですけど、そこに行って、
そしたらそのデイサービスの管理者の方が、
派遣じゃなくて同じ条件でいいから、
直接契約しないかっていう風に声をかけてくださって、
直接契約でそのデイサービスに、
週1回土曜日の4時間だけ働かせてもらえることになったんですよね。
なんかねそこでね、やっぱり私は働くそのたった4時間、
たった週1回があったことで、
平日がね子供との時間が、
本当になんか新たな気持ちで子供たちと関われるような、
その土曜日があるから平日頑張れて、
普通に考えてね、産後2ヶ月で、
それもなんか入浴解除とかね、デイサービスでやってたので、
そんな重労働ね普通、
まあ助産師的にもゆっくりしといたらっていう時期なんですけれども、
それがあるからこそ、
私はその岡山での2人育児を乗り切れたなって思うんですよね。
なんでキャリアっていうか、
私としてはその少しでも、
社会として母ではなくて、
社会としてつながっている時間があるからこそ、
体はもちろん睡眠不足だし、
疲れてた部分もあったけど、
それで私はすごく精神が保たれてたなって思うんですよね。
あれがなかったら私本当になんか産後2、
みたいな感じになってたと思います。
それでね、まあ細々と社会とのつながりを持ちながら、
変色改善アドバイザーの勉強をして、
昨年2025年の3月に助産師として開業することになります。
ここでね、開業したからこそ、
上の娘は普通に幼稚園として入園していて、
息子は2歳児クラスから、
私が開業したことで保育園に入園できるようになったんですよね。
これもね、一時保育で名前を残しながら、
娘の兄弟家庭で何とかかんとか入園できたっていうところです。
でもね、やっぱり助産師として開業しても、
またね、もう少しで夫の岡山の転勤が終わって、
また関西に戻ってくるっていう話は、
行く時にもう3から5年って言われてたので、
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そろそろだなっていうこともあったし、
やっぱりね、地域で助産師として活動していくには、
やっぱり人のつながりだったりとかがすごく大事になってくるので、
私は本当に細々と始めたっていう感じでした。
なので、相談のメインもオンラインにしていたりとか、
私自身は夫が車を乗っていくと車もなかったので、
車での産後ケアとか訪問もするっていう手段もなかったので、
そういう事業もできるわけもなく、
本当にモヤモヤしてた2025年でしたね。
夫が働かないと私たち家族全員生きていけないですけれども、
その転勤がやっぱりあることによって、
私のキャリアっていうのはほぼないに等しいというか、
私はそこでできることをやっていくっていうことしか無理で、
その場しのぎというか、
私の心の安定のためだけに少し働くっていうことしかできなかったんですよね。
やっぱり自分の中でももっと地域に腰を据えてやりたいっていう気持ちもあったし、
なんか本当にね中途半端だなって自分のことを思ってました。
それでまた岡山で縁があって、
今の看護師の在宅ワークに巡り合って、
今年の1月から働くことになって今に至るんですけれども、
今もキャリアを積み上げているっていうよりかは、
スタートアップの企業として、
パートとしてやらせてもらってるっていう感じだし、
これからどうなっていくかっていうのは正直未定です。
今ね滋賀県に住んでいますけれども、
当分は滋賀県にいるっていう予定で、
滋賀県でマンションを購入することにもなりましたし、
当分は滋賀で頑張っていこうかなって思ってるんですけれども、
またこれも私は市から地域で人脈を作っていかないといけないんだなっていう風に思う自分もいる。
地域に根差した活動がしたい私なのに、
全く地域に根差せなかった。
これからね滋賀県で根差していけばいいかもしれないですけれども、
なかなかやっぱり女性のキャリアって思い通りにいかないんだなって思うんですよね。
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本当にね仕方ないし、単身赴任とかっていう選択もありながら、
私は岡山についていくって自分で決めたし、
家族で一緒にいたいって思う。
それでね、もし夫の転勤がなくて、
あのまま病院で大阪の病院で助産師として産休育休復帰してたらどうなってたかなって思うと、
それはそれですごく恐ろしいと思うんですよね。
育児しながら家のこともしながら総合病院で、
フルで働くってやっぱり相当大変なことだと思うので、
今はキャリアは途絶えたけれども、
どんな自分でも自分の描き方次第でどんな方向にでも行ける、
自由の身ではあるなって思うんですよね。
やっとなんとかここの境地にたどり着いたっていう感じなんですが、
これからはそんな私のキャリアのもがきとか、
これからの活動についても配信でお話ししたいなと思います。
やっぱり長くなっちゃった。全然まとまらなかったし、
自分語りになりましたが、最後まで聞いてくださった方がいたらありがとうございました。
ではまた次の配信でお会いしましょう。バイバイ。