1. 受信中BOX
  2. 中心と辺境
中心と辺境
2026-03-31 14:47

中心と辺境

spotify

ポイエティークRADIOゲスト出演/感想回嬉しい/地元長崎/場所わかります?/鎖国下の長崎/国道16号/均質化された街とアイデンティティ

 

ポイエティークRADIOゲスト出演させて頂きました。

第298回 受信論 ゲスト:本田受信料さん

 https://listen.style/p/poietique/abm9qbs5

 

第299回 病欠、新潟、ゲスト回 ※後日感想回

 https://listen.style/p/poietique/ekqx3nd4

 

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

語り手は、自身がゲスト出演したポッドキャストでの「中心と辺境」というテーマへの反響から、自身の出身地である長崎と東京を比較し、地形や歴史的背景が人々の認識や文化に与える影響について考察する。長崎の複雑な地形が外部からの情報を取り込みつつも、独自の文化を育んできた歴史に触れ、均質化が進む現代において、自身のアイデンティティやロマンを辺境ならではの視点に見出す。

ポッドキャスト出演と「中心と辺境」への気づき
中心と辺境の話ということで、最近結構いろんなポッドキャストにありがたいことに呼んでもらえてですね、
ゲスト回っていう感じで、いろんなところで喋らせてもらってるんですけれども、
直近ですね、ポイエティックラジオというですね、文筆家の柿内翔吾さんと奥様がやられているこのポッドキャストにゲストで出させていただいて、
僕もリスナーなので、どっちかというとね、いろいろ気持ちよく話させてもらった後に、
振り返り会っていうことで、翌週の配信でお二人がどうだったっていうのを触れていただいているのが、正直リスナー名利に尽きるなというか、
ありがたいなということで、感想線をしていただいてました。そこにちょっと応答するというわけじゃないんですけれども、
この中心と偏境の話っていうところを僕がざっくりして、お二人がというか、書けない作ですね、結構そこが新鮮だったというか、
面白かったっていうふうにお話をされていて、結構自分の中でめちゃめちゃ自明だった話だったので、ちょっとびっくりしたというか、
自分自身が九州から出てきて、どうしてもやっぱり中心と偏境みたいなのを相対的に考えざるを得ないところで、
かつその中心と偏境みたいなものは、日本で言えば東京が中心だってみたいなところって、やっぱりどうしてもカルチャーのシーンだったり経済だったり、
やっぱり一極集中型の国家なので、それはどうしても存在するなっていうところなんですけれども、
ヨーロッパだとあんまりその中心みたいなものがはっきりとはないという感じですね。あることにあるんですし、
その地域地域によって中心が乱立してるみたいな、そういうカオス状況というのが歴史的に見てもそういうことがあるので、
っていう話をちょっとざっくり言うとさせてもらいました。あの詳しい部分は是非ポイエティックラジオの方を聞いてもらえればと思うんですけれども、
とにかく自分が当たり前だと結構思っていたことだったので、そういうふうに言ってもらえて、新鮮だなって言ってもらえて、
そうなんだっていうのはちょっと今回新たな気づきでしたね。で、よくよく考えれば自分もそういうことを明確に考えるようになったので、
自分の出身とかそういう育ってきた環境っていうのはやっぱり結構大きいのかなっていうところもあるので、
そんな話をちょっとさらに深掘りという形で自分自身の話をしたいなと思います。
長崎出身者の視点:中心から見た辺境の認識
というのも自分は長崎出身なんですよね。長崎県長崎市というところで生まれ18歳まで育ったんですけれども、
皆さん長崎市の具体的な場所ってわかりますか?地図で指せますか?
なんとなく長崎県っていう感じで言えば九州の西の端っこだなっていうふうに覚えてもらってる人って、まあそれなりにいると思うんですけど、
いや、でもね意外とこれ東京とかに来てから長崎の場所言っても、長崎のことはすごいありがたいことに知ってくれていても、
具体的な場所をイメージしてる人ってそんなにいないんじゃないかなと思います。これが中心から見た偏向の認識なんですね。
まあそういう拗ねた発言はいいとして、長崎市というのは実はですね、本当にちょっとGoogleマップとかで検索してみてほしいんですけれども、
さっき言った通り九州の西の端っこに長崎県があって、そこからですね長崎の複雑な入り組んだ地形の端っこの端っこにあるんですよ。
そこが県庁所在地なんですよ。県の中では一番栄えている場所なんです。でも県の中で一番栄えている場所が一番本州というか陸地から離れてるんですよね。
海に一番近いというか、まあ海がいっぱいある、海に面しまくっている県ではあるんですけれども、その中でもさらに山を越えみたいな場所に長崎があると。
いわゆるその福岡に行くにも結構かかるんですよね。お隣の佐賀県を通って福岡まで行ってみたいな、そういう福岡博多みたいな大都市に行くにも2時間ぐらい車とかでかかっちゃうという感じですね。
つまりその県境をね、なかなか普段の生活で越えないんですよ。この辺りの県境を越えるって本当に場所によって全然違うと思っていて、自分もいろいろ移り住んだからこそすごいそれを自覚的になったというか。
ここまでは全然わかんないんですけど、まあまずね天気予報図ですよ。
あの別の地域に移り住んで天気予報を見たときに一番最初に思ったのは、なんかシンプルな図だなって思いました。
これつまり長崎の本当に地形というのは非常に入り組んでいて、その中でもさらに後藤とか行きとか津島とか離島があって、天気予報図見たらめちゃめちゃなんか入り組んでいて、
ちょっとその海の向こうには後藤があり、そこも天気がどうみたいな感じで、めちゃめちゃなんか複雑な地形の天気予報なんですよね。
ただこれが、その後自分は広島に移り住んだんですけど、広島の地図なんてドーンってでかくなって、ちょっと端に山口、上に鳥取島根があって、
また右に岡山みたいな中心の大型みたいな、ほぼ四角の地図にそれぞれの地域のその天気があるっていう感じで、すごいシンプルだなと思いました。
さらにその東海圏とかで言えば、より岐阜から名古屋に通勤したりとか、三重から名古屋に通勤したりとか、結構当たり前ですからね。
いわゆる東京小屋で、東京都を中心とした時に、このね、神奈川、埼玉、千葉、この辺りの隣接圏からこぞってね、皆さん毎日通勤してるわけなんですよね。
だからもうこの県境を越えるみたいなことのイメージがあまりにも場所によって違うというところが、やっぱり中心と辺境行き来するみたいなところの一つちょっと感覚としてあるんじゃないかなっていうのは、
自分がその長崎という土地をね、出てから気づくということはありましたね。
長崎の地形と歴史的役割:鎖国と開国
だから非常に入り組んでいて、だから歴史的に鎖国していても唯一海外に開かれてたわけなんですね。
つまりそこの長崎にいくら情報が集積しても、その管理しやすいというか、そこから一気に全国に広まるっていうことは、やっぱり当時の地形で考えるともうかなり適してるわけですよ。
長崎というのは、長崎市というのは本当に入り組んだ岬の中に、もう本当に天然の要塞湾みたいな形になっていて、そこから海を抜けていくと、まっすぐ進んでいくと上海があるっていうね、中国に着くわけなんですよ。
当時飛行機もない船だけが海外と行き来する可能性のある経路だったとした時に、もうその長崎で一度留め置くと。
で、それ以降そんな簡単にね、奉仕までやっぱり情報も人も物資も全部いかないことが確定してるので、まあ長崎だけ空き捨ててもいいだろうっていうのは非常に合理的でわかりやすい判断なんだなっていうのが、
まあこんなのね、別にその育ってる時に思うわけではないけれども、幼少期からなんとなく新地中華街であるとか出島とかそういうものを見ていくとこう感じていった部分がよりね、歴史とか勉強したり外に出ていくことでわかるようになったっていう感じでしたね。
だからこそその、そういうですね、その情報の拡散みたいなものとか、逆にその当時で言えばオランダであるとかその中国っていうところの最新の情報を返協だからこそ得られるみたいなね、ここにやっぱなんか結構ロマンをちょっと感じる部分はやっぱありましたね、自分の中で。
それがその東京の中心とか、まあ当時で言えば江戸みたいなものを中心でそれだけで世界が回っていくと、もう外のものは別に最先端ではないんですよね、なんかキーのものというか見知らぬものみたいな感覚だと思うんですけれども、長崎で言えばその日本という国の中では偏見でありつつ、ただし世界的に見れば最先端であったみたいな、なんかこういうところにやっぱ自分のアイデンティティやロマンを感じてるっていうのは、
多分なんか間違いないなっていうのは、本当に出れば出るほど気づくっていうかね、いう形が。これがね意外とやっぱり自分の地元を出てみないと、こういう感覚には全然なれないんじゃないかなというふうには思いますね。
国道16号線と均質化する社会への違和感
だからこそ、中心とそこから広がっていく円みたいなものっていうのに、自分自身は鈍感というか、そういうものだなというふうに思って育ってきて、そこから東京に暮らしたりとかして、ある意味中心の中に入って考えるっていうこともそれなりにあったわけなんですけど、
直近ね、私普段勝手にドキュメント72時間を喋るラジオというポッドキャストをやっているんですけれども、まだ全然公開されてないんですけど、この間収録したばっかりで、久々に過去のね、傑作戦回っていうのを相方の山口さんと2人で撮ったんですけれども、
そこで選んだのが16号というね、国道16号を、国道16号というのが東京のね、を囲むようにして、その横浜、横須賀から町田行って八王子行ってみたいな、で笠辺、埼玉、笠辺回って千葉、鹿島まで行くという、
いわゆるその東京の中心を、東京23号を一切通らずにして、こう、覆うような、いわゆるその中心の中心、円の部分ですね。円周の部分みたいなイメージの、その象徴的な16号という場所に密着した72時間の回をちょっと久々に、もう12年以上前の回を久々に見て2人で語るというポッドキャストを撮りましたので、またそれをね、聞いてもらえればと思うんですけど、
まあそこで話されていた話からさらにこう自分自身の話にやっぱりつなげていくと、そういうなんていうのかな、なんか中心があって、でその周辺でそれがいかにこう平均的な日本というものを表してみたいなことに対して、やっぱりその、それは自分ではないなっていうふうに思っちゃうというか、
まあ別にね、日本人なんて今その近代化されていて、その景色、例えばチェーン店のレストランがあってみたいな景色って、それは長崎市であろうと変わらない部分あるんですけど、やっぱりね、さっき言ったような、もう絶対に変わることのないその地形的条件みたいな、もうこれは別にもう100年スパンで一切変わることがない。
下手したら500年とか1000年スパンとかでもほぼ変わらないこの地形条件みたいなもの、科学技術はね、もうすっかり変わっちゃいましたけど、地形そのものっていうのは変わらない中で、それが規定するものってやっぱあるなーって思っているので、なんかこうねロードサイド店が広がってっていうものが、
まあいかにどんどんどんどんこの10年経てしても街が均質化していく形とかね、そういうことに関して、まあ意味はわかるけど、自分の実感にないし、これはよくも悪くもアイデンティティとしてそういった長崎のような特殊条件があるから、そこは変わんないんだよなーって思えるという、これはまあ強みでもあるし弱みでもあるし、
いや、というかそもそもそういう強み弱みの話じゃないですね。自分自身がこう捉えるっていうことの感覚の返りをちょっと本編でも話したんですけど、よりね、この中心と偏向のこの垣内さんの応答みたいなのを受けて自分自身も思うことがあったなあという感じですね。
で、ひるがえってやっぱりなんかその中心とその周辺みたいな外周みたいなもの、いわゆる今回で言えばその16号線みたいなもののやっぱり均質化とかって自分の中でそれにあまり興味がないからこそ、本当に今であればドイツに出てってとか、そういうこう外部的な、
あの、ものを欲してしまってるみたいなところは結構ありますね。どうしてもその東京にいた時にもなんとなく感じたんですけど、やっぱなんかこう差別化みたいなものがね、どんどんどんどんやっぱりこうみんな均質化してるので差別化しないといけないっていうなんかこう圧が強いような気もしていて、
でもこんだけ中心で効率よく固まってたら、そりゃ同質化するだろうみたいな感じなんですけど、それに対してなんかこうつまらないなと正直本音ベースでは思ってしまうという点はかなりあったかなあというふうに思います。
別にだからといって、その東京で生まれて育った方とか、それで暮らしてることを否定するってことはもう一切その気はなくて、単なるもう自分の出生と育った環境とか、これまでで考えてきたことがそれなのだなあというのが結論ですね。
まあそういった中心縁で生きるやっぱりその凄さというか、凄みみたいなものはやっぱり感じることもありますし、文化の面においてはね、やっぱり基本的に文化的な豊かさってどうしてもあるなっていうのは非常に感じるところもあるので、それはそれで羨ましいなあと思うんですけれども、
今更自分が身につけられるものでもないので、まあじゃあ自分はどういう戦い方をするんだろうなあというふうに今もずっと考え続けているという感じですね。
中心と辺境の話のまとめ
ということで中心と辺境の話、俗というか自分なりの補足、跡書きみたいなものでした。
はい、ありがとうございました。
14:47

コメント

スクロール