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異色獣をクリエイトする道草屋の秀がお送りする道草ラジオです。今回も一人バージョンです。
ゲストの方をお呼びしております大城フランコさん。今回の富田リンピアとブエナムシカというチャリティーイベントをコラボでやろうということになりまして
ブエナムシカのステージ、ミュージシャンを集めてくれる方を担当してくれた大城フランコさんをゲストにお呼びしております。こんばんは。
こんばんは、よろしくお願いします。よろしくお願いします。今回、僕らが毎月やっているオーガニックマーケットコミーダリンピアにコラボという形で
チャリティー.半島大震災2024年1月1日に起きた震災のチャリティーをフランコの方からしたいという話を聞いて
コラボで一緒にやろうということになったんですけども、どんな思いというか何がきっかけでこのチャリティーをやろうと思い立ったのかから、ちょっと聞いてもいいかな。
この大震災が起きたときに、単純に何か自分にも何かできる支援とか何かないかなってパッと思ったときに
いろいろ考えてみて、自分ができることとか得意なことで考えたときに普段音楽をしているので、その音楽を使ってそれを通して
できないかなっていうので、そうしたら音楽イベントがいいんじゃないかなって思って。なんで音楽イベントにしようと思ったかというと、音楽が
自分がその一番ストレートに心に物だと思っていて、そういう良い音楽とか良い食べ物って心が豊かになるじゃないですか。そういう豊かさを感じたときに
そういう思いとかそういうエネルギーが波紋みたいに広がって、そういう思いが聞いた人の心に届きやすいって僕は思っていて。だからすごく音楽の力というか可能性を僕はすごく信じていて、音楽イベントにしようと思ったんですよ。
音楽でもいろんな形があると思うんですけど、それをCD売ったりとかそういうのもいいと思ったんですけど、やっぱり人が集まって聞いて楽しくなって気持ちよくなって
そういったときにやっぱりそういう良い思いが良い気持ちが重なったら、その力って強くなるじゃないですか。そういう力が強くなって広がると思っているので、みんなの心に届いて
じゃあその聞いた人がじゃあ私たちも何かしてみたいとか、なんか自分なりにもできることとか応援しよう支援しようって思ってもらえる人が増えたらいいなと思って音楽イベントにしました。
今回初めてだよね、こういうことを企画してやってみようと思ったのって。
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そうなんですよ。
今まで言えばどこかしら毎年あるけど、急に今回やろうというか今までもやろうとは思ってたの?それか何かきっかけというか心の変化があって今回始めたのか。
そんな大きな理由があるわけではないんですけど、自分は震災が起きる前、去年の後半ぐらいから音楽イベントを企画するっていうことをしてみたいなって思い始めてたんですよ。
今まではイベントに呼んでいただいて演奏しに行くっていうスタイルだったんですけど、自分の力でそういうイベントを企画したり取材してみたいなってぼんやりと思っていて、来年からぼちぼちそういうことをしてみようかなってなんとなく去年の後半ぐらいから思ってたんですよ。
で、正月にいきなり大震災が起きて、そういえば音楽イベントしたいって思ってたし、チャリティーっていう形、そんなのもいいなと思ってたんですけど、今やなって直感で思えたんですよね。
自分がやろうと思っていたことを背中を押されるような感じなのかな?
今やったらみんなのためになるやんけみたいなタイミングやったっていう感じ。
そうだし、必要とされてるのかなって。
今までは自分の活動のためにとか、自分の活動の中で音楽の良さとか豊かさを伝えるためにって思っていたのがメインだったんですけど、
困ってるところに何かできることでっていう、必要とされてるタイミングだと思ったんですよね。
だから今回そういうイベントをしたら、どれくらい集まるかわかんないけども、お金が少しでも集まって、それを届けられたら、必要としているところに届けたらなと思って。
今やなって、早いほうがいいなってなんとなく思って、年明けにヒデさんに会う機会があって、相談してみた感じだったんですけど。
じゃあ、いろんな思ってたことがタイミングとエンドで、ちょうどいい瞬間やったっていう感じよね。
そうですね。
今までもいろいろチャリティーって多分あったと思うんだけど、そういう関心はあったんですか?興味というか。
そういうタイミングが過去にあって、自分はインド音楽をメインでやってるんですけど、そのインド音楽のサントゥールという楽器をしていて、そのサントゥールの師匠がいるんですよ。
自分がまだ修行中というか、勉強したての頃に、自分の先生のライブについてお手伝いしたりとかすることがあったんですけど、
ちょうど自分がその師匠に弟子入りしたタイミングが福島の地震の災害の時で、日本大震災の直後ぐらいだったのかな。
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それで自分の先生が福島に現地に行ってライブツアーをするということで、ついてくるかみたいな感じで手伝いに来てくれるかって声かけてくださって、ついていくことになって、
実際に僕はまだその頃音楽も覚えたてでまだ演奏できない状態だったので、本当に音響のサポートとか楽器持ちだったり、そういう簡単なお手伝いだったんですけど、
実際に現地に行って仮設住宅にも行って、普段そういうところで生活して疲れ果てている方々にちょっとでもリラックスしてもらえるような、希望は小さいけども生の演奏を聴いていただいて、ちょっと心を和んでもらうっていうライブだったり、
他の団体さんが主催して僕の先生を呼んで、大きなホテルみたいなところでというショーをしてやってたんですけども、その時に自分もいつかライブ活動がする時に、いつか自分もこういうことをしてみたいなって、その時初めて思ったんですね。
福島にお付きで行ったわけだけど、その時に被災地でお客さんと師匠が演奏している場面を見ているわけや、何かしら届くものがあるって感じはするんですか。
僕もその時だけなんですが、やっぱりすごく喜んでくださっているのが目に見えるんですよ。結構年配の方が多かったんですけど、なかなか普段音楽を生で聴く機会もないのに、ましてこんな時にはるはる来てくれて、本当にありがとうって言ってるのを横で見て、本当にいい活動だなってその時に思って。
みんな、いろんな家族が亡くなったりとか、家がなくなったりとか、本当に大変な時にそういう音楽って、そういう心を癒やせる力を目の当たりにしたというか、本当にみんな顔とその声を聞いて、そう思いましたね。
力になるというか、何か届くものがあるんやな。
はい、あると思います。
はい、そんなフランコが企画した今回のブエナムシカですけども、チャリティーで支援金を集めさせてもらって、いくつかの支援団体さんに送らせてもらいたいんですが、そのうちの一つ、災害NGOユイさんに支援金を送る予定にしております。
なので、NGOユイさんからインタビューというかお話を伺ってきたんよね、2人で。
それで現地の生の情報、現場最前線でやっている人の声を皆さんにもお届けしようと思って、トムさんの話を流させてもらいたいと思っています。
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その前に、僕の方から簡単にNGOユイさんがどんな団体でどんなことをしているのかということを簡単にちょっと説明させてもらおうかと思います。
災害NGOユイさんは、日本全国の災害が起こったらすぐに駆けつけて支援を行う団体です。
東日本大震災をきっかけに始まった災害支援のスペシャリスト団体になると、今回もそうなんですけれども、いつも大きな災害、小さな災害問わず、災害直後の生きるか死ぬかのタイミングから支援を開始して、
ボランティアを集めて、情報を集めて、その場その時に必要な支援を計画して実行されています。
その活動は長期にも渡る時もあり、復旧していく、復興していく、そういう長期的な支援活動とか発信など、幅広く網羅的に活動しておられます。
それでは2人で聞いてきた、NGOユイ代表前原純さんへのインタビューをどうぞ。
今回震災が起こったのが1月1日で、2日にはもう現地に入られてたっていうのが言っているんですけど、それから1ヶ月半ぐらい経って、
今の現地の現状とか被災された人がどれぐらい日常が取り戻せているのか、もしくは取り戻せてないのか、現在の状況みたいなものを簡単に聞きたいんですけど。
まだまだインフラである水というところでは、まだまだ復旧はめどができないところがあったり、一番遅いところで4月ぐらいになるんじゃないかなっていう話とかはあります。
それは七尾市のですね、野戸島という島だったりとか、半島の端っこになるとやっぱり遅くなったりとか、いろいろな条件がやっぱり違うので、難しい状況ではあります。
水と並行して下水がですね、今回地震で揺れたことによって土の中の下水がだいぶ割れたり折れたりしているというのがあるので、なかなか水が出たからといって流せない状況が今現地ではあるというのが今の現状です。
電気はですね、他のインフラ、ガスとかそういったものはだいぶ整ってきてはいるんですが、やはり水と下水と、あと道ですね。道もだいぶ当初よりは良くなったんですが、まだ半島なので主流のですね、真ん中の大きな道路とかは全然大丈夫なんですけど、やっぱり脇にそれていくようなところと、ちょっと山の中に入っていくような、ただ効率じゃないですけど行けないというか。
そういったものはヘリコプターで避難をされたという方々が多くて、地域に帰っていけないというような方々もまだいるというのがインフラの状態では今起きているというような感じです。
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水道と下水が止まっているから、家に帰っても外から排球がないと暮らせないという感じですか?
そうですね。水自体がなかなか出ないのと、出たとしてもまだ水質検査がチェックが終わらないので、なかなか多分すぐには飲める状態にはならないというのが多分現状だと思います。
いろんな、なんかあちこちで分断されているか、寸断されて、今現在ってどんなニーズが必要とされているって把握されているんですか?
私たちユイとして、様々な団体のご協力と連携の中で活動させてもらっていて、5つの柱を持って今活動しているんですね。
まず1つが、今私がいるこの場所は拠点にしているんですけど、行政の方からのご協力で小学校の廃校になった体育館やグラウンド、校舎を使わせてもらって、
そこに様々な物資等を企業や様々な関係機関からいただき、それを保管して管理し、現地に届けるというようなことを行っています。
このベースファンというのは基本的に宿泊場所であったり、あとは在宅と呼ばれる地域の方で、小さな避難所だったり自宅でテントを張って生活している人たちがいるので、
そういった方々がお風呂に入りに来たりとか、あとは洗濯が使えるように作ったので、お風呂、洗濯、あと物資を取りに行くようなことで、私たちは在宅の方々の支援というのをこの拠点周りの方々をやっているというのがまずベースファンです。
もう1つは物資ファン、物流ファンとも言っていますが、基本的に物を届けるチームを作っています。
それこそペットボトルの水というのもあれば食材ですね。最初の方はインスタント系の食べ物もありましたが、今では例えばひじきみたいなものとかちょっとレトロだけど健康に良さそうなものというものを届けたり、レンジでチンしたり湯煎で温めたら食べれるように。
最初の頃はカレーも大丈夫だったんですけど、今はもうやっぱりカレーは人気がないというか食べ飽きたというか、アルファ米もやっぱりちょっとねっていうような形になってきているというような現状があるんですけど、そういった物資を届けるのと、
もう1つ最近やっているのがお風呂を届けています。簡単に言うと温泉ですね。長野から2トンの温泉を運んできて、障害者施設とか高齢者施設に入れたり、
あとニューヨークサービスという支援がニューヨーク車という車両がありますが、それがあればタンクとセットするとお湯を作ることができるので、
それで施設の中や在宅の方々のお風呂に、お風呂をセットしてお湯を入れるという形で、多い時に40名ぐらいの方お風呂を入れたりですね。
先日は自衛隊のお風呂を使っていない時間のお昼の2時間を仮にして、
脳性麻痺の方とか高齢者でまだ1回もお風呂入ってない方々をタクシーというか車で自衛隊風呂まで来てもらって、そして40日ぶりにお風呂を入れるというのを解除をするというのは、
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それはやっぱり介護職の方々のご協力がなくてはできないので、そういったお風呂を届けるというような形を支援しているという物流班というのがまずあります。
もう一つは炊き出し班というのがあって、それは食ですね。住民さんが、かたがたが、住民が自ら自分たちで炊き出しをしている地域とかもあります。
食べ物とか作ってたりもするので、そういった補助をしたりとか、一緒に炊き出しする時もありますし、あとはですね、食べ物、カット野菜を届けるということをしたり、
少しでも炊き出ししている方々の疲れが、やっぱり1ヶ月半も1日300食を朝昼晩やってたりするとやっぱ疲労が起きるので、
そこで1日私たちがやってサポートするというような形が行ったりとか、最近はそこにコーヒーとかですね、
マッサージというようなサロン活動というのを行って、少しでもリラックスできるような空間を作るというような炊き出しチームが。
あとはですね、もう一つががてんチームというのを作ってて、そのがてん班は車の取り出しとか貴重品の取り出しですね。
重機を使って倒壊している家屋をちょっと持ち上げたり、あとはですね、ちょっと上からばらして車を取ってあげたりとか、
お祝いとか貴重品、金庫ですね。そういったものを行うというがてん系ですね。道路警戒もそれを行う。
最後にものづくり班というのを作ってて、それはお風呂作ったり荒野作ったり、生活環境の改善をしたりですね。
最近ではやっぱりあの蔵の中で生活している方とか、傾いているけどブルーシートどうにか貼って生活している人たちがいたりもするので、
そういったところに断熱効果をちょっとつけるような形の大工チームを入れて、そういったものでものづくりチームというものを作るような班を作って、
多い時に30名近くのボランティアの仲間たちが集まるので、それで今、穴押し、和島、野戸、穴水、鈴といった市町村ですね。
3、4、5つぐらいの市町村にみんなでチリチリバラバラで分かれて、半平成をして現場に行くというようなことを行っているというのが、私たちがやっている活動です。
今、伺っていると6週間か7週間経ちますけど、ずっともう活動の内容というかニーズってあまり変わってなくて、その5つの柱がいまだにずっと続いているって感じですか?
基本的に今もまだ続いている状態で、逆に被害が広がっていることもあります。災害直後は被害が大変な状態だったんですが、少しずつ避難生活で多様化というか、様々なところに避難していったんですね。
最初は避難所だけで焚き出しだったり支援していればよかったんですが、それが在宅に戻ったり、避難生活が厳しくなった人たちは家に帰っていっちゃうので、
でも家の中では水が出なかったり雨漏りがしてたりっていうので見えづらくなったり、あとは二次避難所というのを金沢の方で用意した後によって、金沢に被災者が集まってしまって、
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そこへの支援が難しくなるという形とか、地域から離れてしまったので次は移動支援が必要になったりとかいうような形で、ごてごてになってるっていうのが今現状で、
やはりこの寒い中で関連して呼ばれる、寒い中で生活をしないといけない方々が今もいるっていうのがやっぱり難しく変化しているところかなとは思います。
いろんなところに最初は避難所に集まってくれてた方が分散してしまっているということですよね。
そうですね。避難所の状況がすごい環境が良くなかったのがあって最初。
避難所もですね、今回お弁当が出たのは1月の後半ぐらいなんですよ。
それまでは弁当が出ずに、皆さん地域の中から野菜、大根、白菜を自分たちで土がついてるのを取ってきて、
さわ水で洗って、どうにかして自分たちで、とか倒れて倒壊しそうな家の中から、
物を持ってきたりとか、お米を持ってきたりとか、ガスがですね、LPガスが繋がっているものを引っこ抜いてきて、
どうにか自分たちの集会所とかで作って、どうにか食を繋いできたっていうのがあったんですが、
やはりその中でも高齢者の方とか、やっぱり障害を持っている方とか、ちっちゃなお子さんがいるっていう方々は、
やはりなかなか長くはいれないので、車中泊になったり、蔵の中で生活していたりとか、
今日もですね、この近所のテントの中、今私小学校の運動会テントの中にいますが、
テントの中にまたテントを建てて、実際8ヶ月の放課後、丸々といった子どもとか、
子どもが3人ぐらいいるようなテント生活している人たちもいる。
あとビニールハウスで生活している人たちも今もいるというのが現状です。
今現在、僕らみたいにちょっと離れたところにいていて、でも何かしたいという気持ちはあるんですけど、
なかなか現地にパッと飛んでいけないっていう現状もあって、
そういう人が届けてもらいたいものって、
例えばそれはお金が助かるのか、人はやっぱり来てくれということなのか、物資なのか、
今現在ってどんな感じなんですか?
どこの災害でも同じなんですが、簡単に3つだけ挙げると、
まず1つは支援金とかですね、お金ですね。
資金がないと私たちの活動もやっぱり潰れていくというか、
実際私も今回お金すごい計算していなくて、
すごい金額多分使っていて、後でどうなるかというか、
それはついてくると思っています。
でも目の前の人たちの命とか、目の前のやらないといけないことに集中しないといけないので、
今回私たち助成金も1本積まったので、
日の車なんですけど、でもそれは後でもいいというか、
まずはやること、日々目の前でやれることをやっていくことが大事だと思っていますし、
ありがたいことにたくさんの方々がお協力してくれたり、
企業でいうとパタゴニアさんみたいなところが支援いただいたりとかですね、
あとは味の素さんというところから食べ物とかですね、
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インスタントじゃないけどとか、あとセイキョウさんからお水いただいたり、
あとはサダマサシさんの基金があって、風立つライオン基金というのがあるんですが、
そういうところから野菜を届けてもらったりとか、
あとミュージシャンの方ですね、とかが、
狼をかぶった仮面の方がいろんな支援をしてくれたりとか、
あと千葉のちょっと突っ張り的なミュージックをやっている方が、
タワーブースをちょっと支援して、これをまた被災者につなげるというような形で、
様々な方々が支援いただいてくれているんですが、
そういった方々のお力をお借りして、まず基本的に資金というか、
私たち団体に寄付してくれている方々もいたりします。
というような基本的にお金。
お金のいいところは、必要なものをここで買えるということなんですよ。
というのも、こんだけインフラが整っていない状態ですけど、
スーパーはもう空いてます。コンビニも空いてるんですよ。
なので私たちは必要な場合は肉も買います。
ホームセンターが空いてるので、産業を回さないと、
次そのスーパーが潰れてしまうと、地域の産業が壊れてしまうので、
買い占めは良くないとは思ってますが、
もう半額になってしまった肉とかは、買ってそのまま避難所に持って行って、
それで焚き出しをするとか、
地産地消で地域のものを買えばいいと思っていて、
あと漁師町で、漁師から魚も買えるんですよ。
そうすると漁師の人たちはお金を手に入れたりもできるので、
お金があればそういった地域の人たちを支えられることがあると思っていて、
なので資金を支援してくれる方がすごくありがたいです。
もう一つもの、今回ですけど、
私たちは個人の人たちからの物資は集めてないです。
というのも、個人の方々がいろんな思いを届けてしまうと、
混乱してしまって、私たちが手を取られてしまうことが多々あります。
良かれと思って送ったものが、やっぱり今必要じゃなかった。
実際に東京から洗濯機が10台から30台来るって話になってるんですけど、
それをオーダーしたのは1月の終盤なんですよ。
でも来るのは3月の頭なんですね。
避難所にはもうその頃には洗濯機も届いてるんです。
なので、今必要なものを今届けてもらえるのはありがたいんですけど、
時間差で問題になってしまうので、
そういった意味で私は必要なものを事前に言ってます。
これから必要になるもの。
冬服は基本的にストップしてます。
なぜかというと、冬はもう終わるんですよ。
次は春になるんですね。
そうすると夏服が欲しいんです。
水が出ると次は下着がいらなくなる。
今は下着が必要だったりするんです。
なぜかというと、洗濯ができないからなんです。
でも水が出るようになって洗濯の機能を作れば、
基本的にその下着とかはゴミになってしまうので、
必要なくなってしまう。
というもので、その状況に合わせるというものが必要なんですけど、
やはり遠くにいると現状が見えないので、
思いを送られても困るっていう。
助かるんですけど、
こちら側が必要なものを届けてもらえればいいんですけど、
そうじゃないものを送ってしまうということがある。
実際に今日もですね、
知り合いの知り合いから送ってもらったものの中を見たら、
あのズボンなんですけど、
ズボンのポケットには使い苦しのマスクが入ってたりとか、
洗ってないものを送ってるっていう、
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ちょっとやっぱりマナーがない人もいたりする。
でもそれは気づかないだけなんですけど、
この送った側が。
そういったものを私たちがそれをコントロールしてる余裕がないんですよ。
なので基本的には物資というものは送らないようにしてます。
でもそれでも物資を送りたいという方がいるので、
欲しいものリストっていうものを作ってます。
それはAmazonからポチッと押せば、
それがこちらに届くっていう仕組みになってるので、
基本的にはここの情報、
住所をお伝えしてません。
住所を伝えると、
思いを送ってしまう人たちが出てくるので、
基本的にはAmazonの欲しいものリストから送ってください、
っていうようなものをやってます。
なのでお金と物資、
あとは人ですね。
それでも私は人として生きたいんだっていう方は、
基本的に拒んではいません。
ただ今回の災害はすごいインフラが整わない、
難しい災害になってるので、
誰でもいいというわけではなくて、
自己完結ができつつも、
人と共存し、
コミュニケーションが取れる方であることを条件にしてます。
というのも今集団生活で20名の方が体育館近くにいたり、
私たちは一緒にやってるんですけど、
一人自分のやりたいことを押し付けるような方々が行くと、
この輪が乱れてしまう可能性があるんですね。
そういった意味では、人とちゃんとコミュニケーションを取って、
自分の正義という拳を掲げられない、掲げなくてですね、
ちゃんと協調性ができる人間ではなくては、
私たちは受け入れるのが厳しいということで、
来る時は面接ではないんですけど、
お話をしてどういった方なのかっていうお話を結構します。
なので私たちはこういったミッションをやってますよ、
というような形で、それで賛同できる方は是非協力してきてもらいます。
その時は3日なのかとか1週間なのか、
いろんなことを聞きながら調整して入ってもらうというのがあります。
実際に今回の災害で、私も災害直後から走り回り、
やっぱり被害が大きくて何度も涙を流し、
どうしたらいいかが悩んだ災害なんですけど、
その中で私たちはブレてはいけないなと思ったので、
私の中で一つ大きなミッションを作りました。
それは何かというと、
助かったものを救うという一つのミッションを掲げました。
助かった命、助かった財産、助かった暮らし、助かったコミュニティ、
そういったものを私たちはどう救っていけるのかということを
私はミッションとして掲げて、
なので申し訳ないですけど、車取り出ししてるんですけど、
ペチャンコになっているものはもう諦めて、私たちは触りません。
でも助かったものだったらというような形で、いつか触れないように。
要するに住民さんは何ができるか分からないので、
いろんなお願いをするんです。
でも申し訳ないけど取り味をしないと
私たちはこの大きな災害には向き合っていられないので、
申し訳ないけど支援の取り味として、
助かったものを救うんだよということを私たちは掲げてやっています。
その中でキーワードとしては3つ。
まず1つ、連携が重要。
関係機関との連携と団体との連携というのが、
もう必要不可欠の災害になっているのと、
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もう1つはお祭りです。
この国の都と呼ばれるの都はお祭りがすごい盛んで、
どこに行っても出汁があったり、
自分たちの地域への誇りというものをお祭りである。
基本的に高校を卒業して大学がないのでみんな外に出るんです。
でも戻ってくるんですけど、
みんな会話の中でお祭りの話を結構するんです。
やっぱり地域のプライドというものを持っていたりする。
このお祭りを再建させていくことが、
きっと多分この地域にとってはすごい大切なミッションだと私は思っています。
もう1つが町づくり。
津谷和島は被害がめちゃくちゃ大きくて、
申し訳ないですけど東日本大震災のように、
陸前高田とか長居のように全ての建物を一度きれいにさらちにして、
新しい町を作っていく。
コンパクトシティを作っていくような話になっていくというぐらい大きな災害になっています。
和島の町中とか、鈴の町中ですね。
そういったときに町をどうやって作っていくのかというのを、
行政指導ではなくて地域の声をちゃんと組み上げて、
お祭りも考えながら地域を作っていくということを、
この10年やっていかないといけないような災害だと私は思っているので、
その3つのキーワードをしっかりいろんなところで伝えています。
そして、そのためにも私たちは大切にしないといけないのは、
今ですね、水が出ないので様々な人たちがお風呂を作ったり、
洗濯機を入れたりしている。
でも海面活性剤を使うような洗剤を使ってしまったり、
そこら辺の石鹸を使ってしまうと助かった海が使えなくなるんですよ。ゆくゆく。
何だろう、柿の棚とか漁業は生きているわけですよ。助かった産業なんですよね。
なので私が今みんなにいろいろ言ってるのが、今も未来も考えながら、
被災者へ、支援者へ、地球へ、思いやりと責任を持って活動しましょうということを、
一つテーマに掲げています。
目先の今を考えるのも大切だけど、3年後、10年後のこともちょっと考えませんか。
被災者のために支援することで、支援者同士がぶつかり合っていることもあるんですよ。
その正義というのが様々なので、その人にとっては海面活性剤の入っている洗剤というのは、
正義だと思って入れてるんですよ。
でもそこに気づかせてあげる優しさとか思いやりもすごい大事だと私は思っているし、
自分たちの活動もしっかり責任が取れてるかなということを自分にも
隠さないといけないことだと私は思っています。
そういった意味ではさっき言った、思いやりと責任をしっかりみんなが持っていく、
そういったミッションを掲げて活動するということを、
私はいろんな関わっている団体や人たちに伝えるとか、思いというものを賛同できて、
共にコミュニケーションが取れる方であれば、私はぜひ来てほしいということをお伝えしています。
ただそういったことを言わないで、ボランティアセンターに行けないから行きたいんだというような形で来られても、
重機に乗りたいから重機に乗せてくれとか、自分は炊き出しをしたいからラーメンを作りたいから行きたいんだ、
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ではなくて、求めている住民さんの声に合わせるべきだと思うんですよ。
ラーメンが欲しいのであればラーメンを作ればいいですけど、そんなのもう食べ飽きたからお粥がいいって言うんだったらお粥を作ってあげるって、
自分たちの正義を被災者に押し付けるのではなくて、被災者をファーストに考え、
被災地域のことをファーストに考え、どう連携していくかということをやっぱり考えながら支援をしないといけない、
ということがすごい大事なので、そういったコミュニケーションが取れる方であれば、
ぜひ、もちろん和歌山の方々も過去の被災地、経験している、私もずっと和歌山でお世話になったので、
批判等だったり、昨年の夏もですね、海南とか卑弥野の方でも水害が起きてます。
そういった中で何かできないかと思っている方々結構いると思います。
実際に梅干しを送ってくれる和歌山の仲間とか、みかんを届けてくれたりとかですね、
和歌山の人たちが何か思いを送ろうと思っているので、ぜひまずは相談ベースでやってもらってですね、
皆さんのお気持ちを預けてもらえれば、私なりにできる範囲で被災者に届けていけたらなと思っております。
今おっしゃってた10年後とか5年後とか、長期的な視点で今の時点からものを考えていたら、
他の自分のところに来ているボランティアさんとかはある程度意識が共有できそうですけど、
違う支援団体とバッティングというか、そういうトラブルってあんまないもんですか?
めっちゃあります。
でもそれは仕方のないことだなと思っていて、
それはやっぱり地球から戦争がないように、
全ての人たちが愛と自分の正義というものを持っているんですけど、
それを拳に変えた瞬間にやっぱり憎しみや怒りになるので、
私はそれはやっぱり違うと思っているんですね。
ただでもそれを私たちが押し付けることもまた違うと思うので、
やっぱり対話だなと思って私はいつもいます。
なので気づくまでというか、お互いの妥協点というか、
そういったところも考えながらいくことが大事なので、
私はできる限り現場を走り回りながら、様々な団体とコミュニケーションを取りながら、
その方々が困っていることをサポートしてあげるということがきっと大事かなと思っているので、
対話をし続けることかなと思っていつも活動をしています。
今のところ先ほど聞いた感じでは、やっぱりお金も人も物資は、
今現在欲しいものがリアルタイムに届くように、
3つとも必要なんだというお話でしたけど、
これから今は1ヶ月半ですけど、その震災というか影響って半年後も1年後も2年後も、
それこそ10年後も続くわけで、
そんなに長期な視点に立った時に、現地ではない外からサポートできることって、
ここが重要なんだよっていうことがあったらちょっと伺いたいんですけど。
はい、抽象的なお話になると思うんですが、やっぱり今思っている熱い気持ちとか、
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関心というのを持ち続けるということがまず一番大事だと思っています。
被災地にとって一番苦しいのは、世の中から切り離されていく疎外観とか、
なんで自分たちだけがそういう悪いことしてないのにっていうことだと思うんですよ。
ボランティアの存在って片付けるための要因ではなくて、寄り添い行為だと思ってるんですね。
様々な方々が気にかけてくれている私たちのことを、
集団を通して伝えている行為が、私はボランティア活動だと思っています。
例えば、沖縄から届いたサータンダギーだよとか、沖縄のトウモロコシが送られてきたよとか、
和歌山から何が送ってきたよとかっていうことを伝えることで、
やっぱり外からの人たちが私たちのことまで気にかけてくれてるんだね、
遠い青森から送ってくれたんだねとか、
やっぱり様々な人たちが気にかけていることを伝えることがまず大事ですが、
残念なことにこの日本は情報が多すぎてですね、
アップデートが早すぎてどうしても情報が埋もれてしまって、
なかなか被災地の状況というのが伝わりにくくなっていくというのが現状だと私は思っています。
なので私たち有為はですね、今回も早い段階から情報を発信していくと、
いつもよりも意識し、多めに上げています。
あとは、その情報をセンサするのは受け手側だと思っているので、
こっち側はどんどん送り続けることしかできないので、
やっぱり金は打ち続けなければならないと思っています。
なので私は発信をし続けると言うので、若者たちに動画版を作って、
スコップ持つとか作業するんじゃなくて、
君は動画が作れるんだったら動画で発信してくれって、
今その声、状況をぜひ個人のSNSや動画でYouTubeで、
今はそういったことができる時代になったんだから、
ぜひやってくれって言うので、各若い子とかいろんな人たちには伝えています。
そういったところのいろんな目線をやっぱり発信することで、
さまざまな人に届くのかなと思っているのは、
私ができることだと思っていますので、
ぜひ関心を持ち続けてもらいたい。
この熱い思い、今気にかけていることを長く持ち続けてほしいと思っています。
1月は命と向き合った時でした。
2月は復旧が始まった時期で、
3月が本格的な復旧のスタートなんです。
4月になると春が来るんですね。
その時に、この2月にどれだけの環境を整えられるかが、
4月にたくさんの人たちを受け入れられるかなんです。
なので私は今、学校の校舎を使って、
今私たちの仲間たちは30人くらいいますが、
100人か150人くらい受け入れられる環境を整えようとしています。
それは小学校の廃校のグラウンドにキャンプ村を作ったり、
さまざまな人たちを受け入れる環境を整えれば、
今は私たちのスタッフの数も足りていないんですけど、
中核的な人間がいて、
36:00
ゲストハウスじゃないけど、50人100人の人間を
ちゃんと管理できるような環境が整えれば、
被災地に送ることができるわけですよね。
そういった意味では私たちは、2月3月でどれだけの環境を整えていけるか、
被災地にたくさんのボランティアを送れるかだと思っているので、
この小学校をまずは環境整備しながら、
家の目の前で困っている方、命と向き合っている方々がいるので、
食や物を届けながら、
そういった支援をしているというのが現状なので、
春になればきっともう少しパードルが下がり、
被災地に来れるようになります。
ぜひ今持っている気持ちとか、
そういったものを暖かく持ち続けて、
熱い気持ちを持ち続けて、何かあった時にアクションが起こせる。
私は沖縄の人間なので、
沖縄の反対運動をしている先輩たちに言われました。
怒りや悲しみは使われる。
パッションとしてエネルギーは生まれるけど、
長続きしないよ、トム。
人は喜びや楽しみ、歌、さまざまなハッピーの力の方が長く続くよって言われました。
アクションを起こして、自分も何か得る。
自分も世の中のためになったんだっていう、
募金一つでもいいと思います。
物でもいいと思います。
何かできるアクションをまず小さいけどやってみて、
喜びとかちょっとした自信というものを
暖かく持ち続けて、次のアクションを育ててほしいと思います。
どうしてもアクションじゃなくて考えるだけで終わると、
人は思いというものはちっちゃくしりぼんでしまうと思ってますので、
ぜひ今思っていることをちっちゃくてもいいのでアクションをしてください。
実際に先日、年末年始のお正月のお年玉を集めて
届けてくれたお母さんズっていう方々がいました。
3円のお金を握りしめてその母ちゃんズに持ってきてくれて、
それをかき集めて何万円になりましたが、
そのお金で私はホットケーキミックスを買ったり、
夜間を買って届けたんですよ。
その写真をしっかり母ちゃんズに届けたんです。
そうするとその子供はきっとその思いというもので、
私の3円で何か救えることができるんだっていう自信が出てくると思います。
被災者のためのだけの被災地ではなくて、
様々な気持ちとか人が何かを思うということを育てる場でも
私は被災地ではあると思っているので、
今思っているその温かい気持ちをぜひですね、
難しいとは思いますが考えてアクションにつなげてもらえれば、
きっと皆さんにも何かが返ってくることもありますし、
被災者にも何かが届くかなと思っています。
そういったものを私はつなぎコーディネートし、
お届けするということをこの13年、東日本からやってきたので、
不安だと思いますが、もしあれだったら託してもらえる。
もう一つ、選挙と一緒です。
支援した人はしっかり見届けてください。チェックし続けてください。
39:03
自分たちが支援した団体がちゃんとやってるかなっていうこと。
団体を育てるもの、政治家を育てるもの、
この国を育てるのも皆さん国民の力。
そういった意味では支援金を送った、
物資を届けた方々がちゃんと活動してるかなっていうのを
しっかりチェックして団体を育てていくような国民になれば、
もっと災害支援で活動できる団体を育つと思っていますので、
ぜひ厳しい目で温かい気持ちを託してもらえる。
さまざまな団体に託してもらって、
みんなで一緒に災害に強い助け合いの多い、
それができる国にしていきたいと私は思っているので、
ぜひそういったお気持ちを届けてもらえるかと思います。
フラグは何か特にないですか?
いろいろとあるんですけど、
支援している側の団体さんの皆さんの精神状態ですとか、
ストレスとかたくさん抱えながら、
頑張ってくださってると思うんですけど、
そういった方々のためにも、
支援している側に対しても何かできることがあれば、
教えていただきたいなと。
支援する人を支えてくれるという方々がいて、
私たちも活動できているので、
例えばマッサージができるよとかですね、
それこそ野菜、それこそ今回元気になるような野菜を送ってもらって、
私たちが食べるようなものも支援してもらえると、
そうすると少数のロットでも私たちは助かるので、
今日初めて揚げ物を私は食べましたけど、
仲間たちが作ってくれた野菜、
そういったものを送ってくれるだけでも本当に助かります。
ぜひぜひ、そういったことを応援してもらえれば助かります。
その団体の方々もより元気になっていただいて、
被災者の方に回れば、ありがとうございます。
はい、ぜひぜひ。
これからは助かった産業で作ったもの、
今日も酒造さんから酒を救出したんですけど、
そういったもの、助かったものを売って、
買って応援、飲んで応援、食べて応援で、
みたいなこともどんどんやっていきたいので、
和島塗りも助かっているものがいっぱいあります。
そういったものを私たち集めて、
そういったバザーとか何かしたいっていうのであれば、
和歌山に送ることも多分できると思うので、
ぜひですね、いろんな形で被災地に思いを託してもらえれば
ありがたいなと思いますので、よろしくお願いいたします。
はい、わかりました。
では、今回ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、失礼します。
お疲れ様でした。よかったですね。
よかったね。
話聞けて本当によかったです。
やっぱりね、改めて現地で活動している方々の声を聞いて、
ピンポイントでどういったことがやっぱり一番必要とされていて重要かっていうのが
はっきり伝えてもらえたので、
その中でやっぱり物だったり来てくれる人だったりする中で、
42:00
僕らが思っていた以上に何でもいいってわけじゃなくて、
もうその時その時で必要なものって変わってくるから、
そこに気を付けないといけないなっていうのをやっぱりみんなに知ってもらいたいなっていうのを
知れたのがよかったし、やっぱりそのお金っていうのは
もういくらあっても足りないし、何でも買えれるから
その現地で物を買ったりとかそれを使ってもらえるっていうのは
すごく貴重とされてるんだなっていうのが、
あとそうですね、そのあと想像してたよりも
そんな1年後とか2年後っていう話を前回一緒にしてたんですけど、
なんか10年かでもまだまだその続くでっていうのが
まさかみんなの時点で5年後10年後の視点で動いてるって思ってなかったからさ。
思ったよりもやっぱ長いんだなっていうのがはっきりと知れましたね。
びっくりしたな。
そうですよね。改めてそういう今持ってるこういう思いを持ち続けたいなって。
この情報型の社会で次々とニュースなり災害なり、災害じゃなくても
政治的なとかいろんな環境的な問題が起こる中、
本当に忘れないで同じぐらいの熱量を持ち続けるって
俺らに突きつけられた課題よね。
ほんまっすね。やっぱりその言う通り、
次のトピックに結構みんな注目しちゃうから原発のことがあって
でもちょっとしたら落ち着いてきたと思って
次のやっぱ話題にみんなシフトしちゃうから
コロナがすごい流行ってそういうことばっかりみんな考えて
落ち着いてきたと思ったら次の問題にこう
次々と行っちゃうんで
行っちゃうよね。
でもやっぱり現地の人たちはそんだけ長い年月経っても
すごくいろんなことを必要とされていて
っていうのを忘れとったらあかんなって
そういう思いを持ち続けたいってすごく思えたし
小さいことでもできることを考えていく気持ちというか
背中をすごく押された感じがしましたよね。
やっぱり言ってたように
忘れないようにしようって思ってるだけじゃ多分ダメで
全然いいから何かアクションしろって言ってたよ
だからまあそれよね。
本当にいい機会でしたね。
いい機会でしたね。
これは本当にみんなに聞いてもらいたいですね。
NGOユイさんの前原トングさんからお話を伺いました。
もしよろしければあちこちに募金箱置いてるので
ぜひよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はいありがとうございました。
ありがとうございました。