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  2. v.97LocalLife&Culture代表・..
2024-05-16 40:02

v.97LocalLife&Culture代表・荒垣由以子さん「生き返った感じ」

今回は、LocalLife & Culture 代表、荒垣由以子さんにお話を伺いました。
千葉県館山市の地域おこし協力隊のお仕事を最近までされており、そのお仕事を経て、ご自身の旅行会社を立ち上げられた荒垣さん。そちらでこれからは、旅行のガイドや手配のお仕事をされていくとのことです。
まずは現在に至った経緯についてから、お聞きしました。
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。今回はローカルライフ&カルチャー代表、荒垣由以子さんにお話を伺いました。
千葉県立山市の地域おこし協力隊のお仕事を最近までされており、そのお仕事を経てご自身の旅行会社を立ち上げられた荒垣さん。
そちらでこれからは旅行のガイドや手配のお仕事をされていくとのこと。まずはそのお仕事、現在に至った経緯についてからお聞きしました。
普段皆さんに聞くのは、お仕事か好きなことの2つで聞くんですけど、今ってお仕事っていうと何してるとかってなるんですか?
旅行会社を立ち上げたんですけども。旅行代理店としてと言いますか、自分自身がガイドをするのをガイドとして、プラスアルファ手配をできる会社。
それは立山?
立山をベースに南豊洲とか、あと私のこぎり山の認定ガイドにも入りまして。
佐章さんとか?
はい。佐章さんも出られてます。
そうなんですね。
そうなんですよ。
なんかでそれ見たな。最近でしたっけ?
最近、2年間のプログラムを経て、3月に修了式をして認定ガイドになりまして。
プラス事務局とかあとは、私インバウンドの担当としてガイド協会を立ち上げるところなんですけども。
そこの中でも事務局員としてもサポートしていくということで、携わらせていただくので。
結構いろいろというか、その旅行代理店ご自身のやつもやりながら、そっちもやりながらということで。
そうですね。
やっぱりこのこぎり山ってすごいゲートウェイ的な立ち位置でもあって、東京からもアクセスがいいので。
そこから南房総に下ろしてきて、一泊二泊してもらって。
このコミカテレワーク拠点とかも地域お越し中にやったりしていて、ここで田植え体験もアメリカの大学生としたりとか。
面白い。
そういうことをしていたので。
あと味噌仕込み体験とか。
会社名をローカルライフ&カルチャーっていうふうにしたんです。
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やっぱり地域体験とか観光体験というよりかは、本当に人が今までどういうふうに生活してきていて、
ここの文化が日本文化ってできてるんだよっていうところ。
自分自身もそういったことにあまり触れずに育ってきたので。
本当に郊外都市で育ってきて。
もともとはどちらかというと。
2歳まで東京で、2歳から9歳までが市川市、千葉県の市川市。
そこから10歳から高校卒業まで愛知県。
高校卒業してからテキサス州に行って、大学4年間テキサスで過ごして。
東京で就職をして。
戻ってきて東京に就職して。
結局東京が一番長く、人生で言うと長くなったんですけど。
コロナのタイミングまでサラリーマンをしていまして。
移住に至ってるっていう感じで。
そうなんですね。結構いろいろといえばいろいろ。
今のお仕事は旅行っていうことで、その前も旅行とかそういうお仕事されてた?
その前は広告とかマーケティング関係で。
そうなんですね。東京で。
東京で。最初は広告代理店で2社。
国内の代理店と外資のメディアエージェンシーにいまして。
ちょっと働きすぎて体調を壊して。
マーケティングとして、企業側のマーケティング部で2社。
その経験とかも活かしながら?
そうですね。その時結構特に外資のマーケティングだったんですけど。
本社から来る人を案内したりとか。
あと日本のメディアさんを本社の主催するイベントで海外とかに長期プレストリップとかプレスツアーに案内するっていう企画だったりとか。
アレンジすることが多かったんですよね。いろいろと。
そうかそうか。そういうのはもう慣れてるっていう。
そこで結構慣れてたのかなと思いました。
そうですよね。やっぱりそういう体験ってしない人全くしないでしょ。
急にあれって言われたらどうしようみたいになっちゃいますけど。
その経験があって今その旅行代理店を立ち上げて、それも近しいことにはなってくる。
そうなんですよね。旅行代理店の時も思い返せばクライアントさんが外資だったんですけど。
シドニーマラソンのプロモーションをするのに、ニューサウスウェルズ州政府観光局さんっていうシドニーがある街の政府観光局さんが一応メインの。
パートナーさんだったんですけど、日本で市民ランナーを募集して、高橋直子さんと一緒にシドニーマラソンを目指そうっていうスタッフをして。
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すごい長いプロジェクトだったんですよ。半年ぐらいかけて。
本当に観走を目指すんで。
結構大変ですよね。メンバーを集めて。
メンバーを市民の方集めて。
何人ぐらい?
10人。
10人。じゃあその方集まって一緒に何か定期的に。
定期的に、高橋の周りの走る練習会とかを定期的にやって。
マラソン関係のそういった企業さんのスポンサーもとって。
そういうのをいろいろと全部アレンジをして、本番はシドニーに一緒に行って。
それなかなか壮大なというか、ちゃんとクライマックスがあるという。
それはすごいですね。
旅行代理人さんもいましたし、私が一応プロジェクトのリーダーとして、
皆さんをお連れして切なくこなしていくみたいな。
クライアントさんの対応もとか。
そういうのがかなり最初に鍛えられたんだなと思いました。
やったことないこといっぱいありますよね。
そこに飛び込んでいかないといけないですよね。
やったことないけどないなりに調べたりとか、こうしよう、ああしようってなるわけですよね。
やっぱり困ったこともある。
ありますね。
良かったことも当然あるし。
それどうだったんですか、全体を通して、そのプロジェクト自体は。
もうすごい大成功だったと思います。
皆さん、真剣に取り組んでた方全員感想できましたし。
一緒に走ったりしないんですか。
私は走らなかったんですけど、いろいろ走ろうかなとは思った時期だったんですけど。
参加された方はみんな感想とかさ、いっぱい満足して、そのプロジェクトは成功。
それはコロナの。
それは社会人2年目の頃。
その後もいろいろな仕事もしていきながら、コロナのタイミングで。
そこでどうしたんですか。
そこで夫婦、うち2人なんですけど、2人ともリモートワークになって。
あまり東京に住んでる意味も見出せなくなり、すごい窮屈な感じで。
私の仕事自体もかなりあまり合わない環境だったので、その際に仕事を辞めて。
サーフィン主人がするので、和田の方によく来てたんですよね。
なんですけど、まだ移住を決める前は仕事を続けると思ってたので、
小田原とか藤送りの方とか、いろいろ見てもらって、東京にアクセスが良さそうなところをいっぱい見てもらったんですけど、
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やっぱりこっちに南坊さんはよく来ていたので、
すごいこっちがいいんですけど、なんか遠いイメージがあったんです。
立山はサーフィンとしてはあまり行ったことがなかったので、
いつも機密で降りて鴨川輸流道路とか通って、和田とか鴨川の方に抜けてしまっていたので、
2時間半から3時間くらいかかる印象。
それがいろいろ探しているうちに、立山行ったことないから行ってみようかってなりまして、
行ってみたら立山堂で初めて行ったときに、え、地下?って思って。
知らなかっただけで、いざ来てみたら、あれ?って。
そうなんですよ。
この近くすぐ着くの?みたいな。
着くのっていう。
そうなんだ。それでちょっと印象がちょっと。
本当に夕日が綺麗な日だったんですよね。
それはまるで準備されてたから、おいでおいでって言われてるような。
知らなくて、景色もいいし、都市部の部分はすごく生活しやすくて、
お店もたくさんありますし、バイパス沿いにもたくさんお店があって、
イオンもなんかオシャレだし、みたいな。
山の人に言うと、なんかあんまりピントが来なかったりするんですけど。
ちょっと今ピントが来てなかったですけど、でもそんな感じなんですね。
なんかちょっとハワイのモールのように私には見えてしまって、
平屋建てで、オレンジ屋根で、ヤシの木があって。
海岸沿いずっと綺麗に整備されてますし、
南に行けば沖縄のような綺麗な風景で、
ちょっと自然豊かな感じになってくんで、
なんか表情も全然違うし。
和田にも横断すると20分で横断できるっていう。
そうですね、一応。
これだったら全然和田にもよく行けるしってなって、
東京に行くときは高速で行けば近いってことが分かったんで、
なんか色々迷って見ていた中で、何も迷わずに。
出浜だったらもうトントントンって話が。
そうか、そうなんですね。
進みました。
じゃあもうそれで移住しようってなって、移住するんですか?
するんです。もう家も建てました。
家も建てて移住したっていうことですね。
仕事自体はもう辞めて?
そうなんですよ、もう相互しているうちに私は自分の仕事は辞めたので、
知人は在宅勤務で仕事を続けてということで、
地域おこし協力隊の募集も見つけて。
来てから見つけたみたいな?
計画しているときに見つけたので。
こういうのがあるぞみたいな。
ちょうどいいタイミングで。
それをじゃあやろうみたいな。やりたい。
12:00
ワーケーション推進だったんですよね。
今までのご自身の経験等も活かしてやれるみたいなところで、いいなみたいな。
リモートワークとか何かをプロモーションしていくっていう。
なるほど。
それを実際にやられて、2年?3年?
実質ですね、本当にコロナの緊急事態宣言のときの移植だったので、
年度の8月に移植があって、そのときが緊急事態宣言で、
私が移住したのが11月の末だったので、その間は申し訳ない感じで通いつつ。
陰性ですって言いながら通いつつで。
考えると本当に2年とちょっとぐらいの感じですね。
その間は地域おこし協力、それ自体も何するって決まってないじゃないですか。
自分で作り上げていくというか、さっきおっしゃってたマラソンの話みたいな、
未知のところを自分で作っていくみたいなことを結構されていた感じですね。
これは地域おこし協力隊の方々が皆さん抱えていらっしゃる悩みだと思うんですけど、
新参者が結構な課題に取り組むっていうところ、大きなテーマに取り組むっていうことと、
地域に溶け込んでいくために何から始めたらいいかとか、
あとまた行政の方のお仕事の進め方とか、予算の進め方とか、
全てが初めてだったので、ちょっと最初息荒く行き過ぎたかなみたいなところはちょっと反省してるんですけど。
会社のプロジェクトのような感じで、聞こう!みたいな感じで行っちゃったんで。
ちょっとそうじゃないの?みたいな。
そうじゃないんだなって、ちょっとずつ気づき。
ちょっとずつ気づき。あれ?って感じ?
でももうなってるわけですよね。始まったらもうなってますもんね。一応退院になってますもんね。
それで振る舞っていかなきゃいけない。
それよりはもっと個人で取り組めることをやっていってくださいみたいなことだったんですよね。
なんとなく気づいたんですけど。
それが後になって分かったことですね。
実際やってみて、もう一応忍者じゃ終えられたっていうことで、やってみてどうでした?
やってみて、やっぱりやってなかった場合にこんなに人脈作れなかったなってすごく思いました。
そうか。例えば同じ2年間といっても、やってるやってないで、いろんな方と当然出会うわけですから、やってるとか。
それが作ることが。
就任直後にいろいろ関係ありそうな施設とか、ご挨拶行ったりっていう中で、その後何かのご縁で再会したりとか。
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そういうこともあるんですね。
やっぱり何か同じ方向で取り組んでた時に出会ったりとか。
そういう感じで過ごしてるうちに、さっきちょっと言ったアメリカの大学生が、20人ぐらい去年の5月に立山で日本の歴史の勉強するために短期留学というか、大学の授業なんですけど、それで来てくれたんですね。
それが私がテキサスの時行ってた大学の先生が。
すごい。
何年ぶりなんですけど、連絡があって。
その大学の教授の先生、歴史の先生が日本人の方だということで、つなげてくださったんですね。
本当に実現まで至ったんですよ。
すごい、それ。それもまた一つの大きなご縁が回ってきて、みんながいらっしゃって。
これはバーケーションと、企業というよりか教育旅行ですけど、実質いろいろ取り組んでるのがロングステイだったりとか、そういう地域に長く滞在をして、観光だけじゃない側面をコンテンツ化して提供して体験していただいてっていうことだったり、滞在中いろんな宿とか食事だけじゃなくて何か仕掛けを用意したり。
イベントを用意したりっていう、そういうのを組み立てるのにものすごい良い経験になりまして。
そういうことか。そうですよね。こういった場合はこうしなきゃとか、いろいろそこはやっぱりやっていくことを通して勉強になりますもんね。
そうなんですよ。
そっか、じゃあ結構、その2年間の間いろんなそういうことを取り組まれて、まあ一つじゃないでしょうか、いろんなことをやって。
それがあったおかげで、実際に人が来るっていう、実践になると協力していただきたい方とか、頼めるというか。
そっかそっか、そうですよね。このちょっと問題案件というか、この課題だったらこの方に来て聞くとかっていうのって、やっぱりそれは地域お越し協力がやったことによって繋がった。
あとずっと手招きして、こういう立山にぜひお越しくださいって言ってるだけだと、特に何もないというか、この人何やってるんだろうって思っちゃうんですけど。
実際来るんですっていうところから、そういうときにお弁当が30個いります。
そっか、そこも具体的にやらなきゃいけないんですね。
そうなんです。
じゃあどこのお弁当にしに行ったとか。
またそこでいっぱい出会いが生まれて、
ノコギリ山も実はノコギリ山で切り出された石が東京湾の要塞とかで使われたり、日本の近代化に役に立っているっていうのが授業の側面であったんで、
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ノコギリ山のツアー1日入れたいっていうリクエストがあって、そのタイミングでガイド育成授業が始まってたんです。
そこも繋がってくるんですか。
そうなんです。
面白い。
そこに申し込んで、そしたら佐々木さんと再会して。
へー、そうなんですね。
そっかそっかそっか。
ヘグリハブの瀬戸川さんっていう方が、ヘグリにあるサイクルツーリズムの拠点でヘグリの保育園を改修して、
コーワーキングとサイクリングのやる方の拠点になって宿泊もできるんですけど、
そこをやられてた、南某総市で地域おこし協力団やられてた瀬戸川さんって方がいて、
そこコーワーキングもあったんで、最初そこワーケーション推進の時に、
ちょっと1回お話したんです。
アメリカの大学行ってたって話をした時に、瀬戸川さんもアメリカの大学行かれてて、佐々木さんもそうで、
1回じゃあヘグリハブで会いましょうかって。そこで面識があったんですよね。
その後の再会だったんで。
面白い。
誰かと誰か繋がってたりとか、再会したりとかで、やっぱりこっちに移住されてからそういうことが起こってきた。
地域おこし協力団やることでまたそれが。面白いですね。
今またノコギリ山を日本遺産登録に向けて動いている中で、やっぱりインバウンドは外せないので、
ここで佐々木さんとまた一緒にそっちに向けて取り組んでいくということで。
そう思うと、今まで荒垣さんがやってきたことが、その時はその時で、
例えばお仕事とかも一生懸命やっているけど、それがだんだん繋がってきて、繋がってきて、
今はまたお仕事立ち上げられてやるっていうのも、何かその経験を生かしてってことになってきましたね。
そうですね。また今年も同じ大学から来てくれるので、その受け入れのためにまず会社が必要っていうのもあり、
そういうことか。
はい。ちょっと急いで立ち上げたんですけど。
もともと起業しようみたいな思いはあったんですか?
全く思っていなくて。
それは退院に入るときとかもなく?
あ、なくって。
本当に地域貢献にもなるかなと思って応募しただけって言っちゃいけないんですけど、
企業とか裏テーマにあったりとか、定住、そして事業立ち上げてくれたらっていうのまで全然意識してなかったんですよ。
もともともう移住決めてたんで。
なんですけど、本当に何かいいタイミングでと言いますか。
企業するってなると、それはそれなりにいろいろやることあるじゃないですか。
21:02
それも、じゃあ後から勉強してというか。
そうです。やりながらでした。この4月でしたけど。
最近じゃないですか。
めっちゃ最近。そうなんだ。
それに向けて手続きしたりとか勉強したりとかで、いろいろやって立ち上げて。
本当に立ち上げるのばっかりですよね。
今年の3月に地域おこし卒業したので。
つい最近にそれがスタート。
地域おこしやりながら企業のことも作り上げていく感じには?最後の方は。
最後の方はすごい意識してやってましたけど、
実際に取り掛かるのは大年後だったので、4月になってから取り組んで。
旅行業のために、旅行業務取扱責任者、国家試験があったので、去年それは受けて合格できたので。
そうなんですね。それも勉強しないといけないですよね。
そうです。去年も夏、受験生みたいな感じで。
そうなんですね。
勉強して。
じゃあ今新たに立ち上げて、これからこうしたいとか、そういうのってあったりします?
これからやっとですね、体験ツアーとかを、3、4時間、2、3時間とかでも回れるものとかをいくつか用意して。
OTAって呼ばれる、いろいろオンラインアクティビティー?
オンラインのベルトラとか、トリップアドバイザーとか、ブッキングドットコムとか、いろいろオンライン上の代理店、旅行代理店のことを言うんですけど、
宿と交通手段とアクティビティーもそこで全部予約できちゃうんで、
私も自分が海外行くときは、それで自分でスケジュール組んじゃうんですよ。
ホテルはここで、オプションツアーは一日ここ行って、ここ行って、みたいなのも、事前に全部予約しちゃって、行くっていう感じにしてるんです。
そういうところに、例えばノコギリ山半日ツアーと南豊洲に泊まるとか、
そういうプログラムを作って、なるほど。
カナマリの古民家のところ、今、おせっかいさんがやってる六郎江門の田んぼを借りして、
そこで田植え体験やってるんで、そういうのもちょっと体験にしつつ、
特にお米と味噌汁っていう、そういうのを自分で作って食べてもらうっていう体験をしてもらいたい。
これは留学生にやってるんですけど、やっぱり本当の姿の、こういう風に作られてできて、
味噌もそこで仕込んでるやつ使うんですけど、
24:03
だしとか、そういうのも作ってるときに見れるじゃないですか。
立山吉田商店さんっていう、いまだに昔ながらの製法で、手作業で鰹節作られてるところがあるので、
そこを見学に行ったりとかも、今後開発したいなと思ってて。
なるほど。やっぱり地域保育大臣としてやってるときに、
いろんなところにあったりとかっていう皆さんに、また今もつながっていることですよね。
そうなんですよ。
めちゃめちゃ活かしてますね。
丸井鮮魚店さんっていう、新生の鮮魚店屋さんがありますけど、
丸井鮮魚店の鈴木社長とかとも、地域おこしのときに面識があって、
実際に留学生を案内するときに、船方の街と漁港の漁業についてと、
今の魚の状況、すごい環境面で温暖化によって魚が獲れなくなってくるとか、
それで冷凍技術がすごく必要になってきて、
アニキサスとかいろいろと、そういった問題が温暖化になると出てくるんで、
本当にいち早く取り組まれている方なので、冷凍して安全に管理して、
出荷してっていう、地魚も含めてやってらっしゃるっていう話を、
これも2,3時間のツアーにして、
お昼ご飯は丸井さんが経営されているサスケ丼で食べるという。
うまいですね。上手にそれが。なるほどね。
それを今度は朝一で崖観音に行って、丸井さんはお店まで歩いてきて、
漁港はちょうど10時とかに水揚げされるらしいんですよ。
船が着くんですよ。
なのでそこに間に合うように行って、
また歩いてお店まで戻る中で、
昔はすごい栄えてた話とか、いろいろと工場の話とか、
お店でしていただいて、お昼食べて終わりっていう。
すごいよくできてるな、そうなんですね。
一旦お客さんがそれでこの地域を知っていただこう。
面白いな。
それを退院なられた時は、そうしようみたいなことはそこまでは思ってはなかったですか?
すごく思っていて、いろんな地域がそういうことに取り組んでるじゃないですか。
一緒に退院やってる方とも何個かそういったアイディアを出しながら、
開発しようということで、リストアップしたりしてたんですけど、
やはり実際に案内する対象がいないと、
協力いただく方にも当たったので、
27:00
あまりうまくいかなかったんですよね、2年間の間だと。
今ようやくその辺がつながってきて。
もともとはやろうとしてたけど、ちょっとここはどうかなって言ってるのを踏まえて、
今の形を作っていくんですか?
そうですね。
あと案内するお客さんがいるからできることって感じで。
もう何回かというかされてるんですか?
いえ、まだです。今度やる予定で、打ち合わせで今詰めてるところなんですけど。
それはそれでも楽しみですよね、実際どうなるか。
その時になってみないとわからないこともきっと出てくるんでしょうね。
今回いきなりアメリカの大学生が対象なので、
英語でそれができるように準備するので、インバウンド向けにもできるし、
日本語でももちろん展開できるということで。
準備することもいっぱいきっとありますよね。
具体的にとかも当然あるでしょう。さっき言ってた弁当30個みたいな、
そういう本当に具体的なこととか。
そんなのばっかりです。朝ごはんは教育旅行なので予算が限られていて、
毎回毎回サンドイッチとか届けられたらいいんですけど、
わりとコンパクトに自分たちで手配して毎日前日にお届けするみたいな感じなんで。
来てくれてる2,3週間はべったりっていう感じがありますね。
大変は大変な感じはしますけど、楽しいですか?
楽しいですね。去年来てくれた生徒さんとかとは、何人かはインスタで連絡があって、
その子たちが初めての回だったので、タウリしてくれたんですけど、
収穫したお米を届けられなくて。
そこまでありますもんね。収穫はしますもんね。届けられなかった。
今年来た子に去年収穫したお米をちくちく真空パックにしたのを用意しているので、
お土産として渡そうと思っているんですけど。
いいですね。それがすごくちゃんとカラオケさんが美味しいのを今までを組み合わせて今があるんですか。
そうですね。やっている最中はあまりちゃんとできているのかとか、ずっと空回りしている感覚でしたけど、
時間と他のご縁によって、やっとちょっとずつ形になってきたかなっていう。
立山に移住し地域おこし協力隊として、それまでの経験を生かしての活動をされてきたこと、
そしてこれからご自身の会社でやっていきたいことなどをお伺いしました。
そしてお話は好きなことについて伺っていきます。
30:10
好きなことっていう質問だったとしたら、どういうものが好きなこと?
好きなこと。食べて飲むことと、あと最近はガーデニング。
ガーデニングってお家でやられてるんですか。
バレの庭が。ずっとマンションとかアパート暮らしだったんで、何をやっても。
そうか、こっちお家を建てられて、庭はできたと。
それでガーデニングやろうと思って。
で、もう始められてるんです。
もともとやりたかった。
やりたかったんです。
何でやりたかったのですか。
まあ植物が好きだったんですね。
あー。ほんまね。
ずっとベランダとかで、ローズマリーとかネギとかの大きさは丈夫なので、
長いことは大丈夫だったんですけど。
大丈夫だったんですけど
ミニトマトとか挑戦しても
全然実がならない
そういうこともありますよね
はいはいはい
じゃあ今は
新しいお家で
広いところを
庭を作るために
無理やり駐車場を
縦中に設置したので
2台が充実なんですよ
ちょっとそれは大変かもしれないですけど
大変なんですよ
そうですよね、こうしなきゃいけない
でも庭のために
重きを置いて
じゃあ庭をそれで始めて
ガーデニングといっても
いろいろあるじゃないですか
方向性とか何やるとか
例えば花なのか野菜とかなのか
半分
半分半分
半分半分な感じです
何やってるんですか
ずっといろいろやいざくら植えたかったり
やいざくらとか
あとフェイジョワ
あとブラシの木っていう
キンポジュっていうのを一応垣根にしたりとか
バラとか
今バラですよね
シャクヤクとか
なんか出根草
メインにしたくて
出根草っていう
毎年咲いてくれるやつ
はいはいはい
もう四季折々で
冬はすごい寂しくなるんですけど
そこはしょうがないですけどね
そこは凍りしてきて
それはそれでまた忙しくなってきますよね
手入れというか
楽しいですよね
でも咲いてくれたとか
あんなに冬品種の状態っぽく見えたけど
実際とかそうじゃないですか
どうなっちゃうんだろうみたいな感じがありますよね
枝だけだったのに出てきたとか
それが嬉しくって
それはめっちゃいいですね
ずっとやりたかったことを今やれてるってことですね
それは素晴らしい
やっぱりガーデニングも
イメージをして
こんな感じにしたいな
そうなるところもあれば
ならないところもあるというか
なんでこうなっちゃうのみたいな
ここだけすごい成長しちゃうとか
ありますよね
33:01
蟲が、蟻がすごい大量発生してたりとか
そうそう
僕も実家で
母がやるので
結構長いこと
いろいろやってて
たまに帰省すると
帰省して帰って
やるんですけど
でもすごく楽しくやってはいるな
ずっとできるじゃないですか
いろんなやり方で
それは面白いですね
すごい楽しいです
やろうと思ったことが
やれることの
どんな感じがしますか
印象というか
なんか
東京にいた頃には
何が窮屈だったか
わからなかったですけど
一日がすごい充実して
いろんなことができる
こっちに来てからのほうが
いろんなことができる
いろんなことができる感じがして
ちょっと庭に出れば
なんか目についた作業をしたりとか
お昼も家でちゃちゃっと作ったりとか
それによって体調も
やっぱりよくなりますし
そうですよね
それがやっぱり東京とかにいるときは
あまりできていない
ずっと働いてたので
制限がとにかく
寝るだけの生活みたいな家が
通勤とかも当然あるし
それで週末に
洗濯とジムが用意して
どっちかに南坊主来て
野菜買って帰ってくる
みたいな感じだったんですけど
すごい空が広いし
生き返った感じがしますね
生き返った感じ
なるほど
それって東京に住んだら気づかないじゃないですか
生活して
たまに来るともちろん楽しいですけど
生活をあっちに置いて
東京の生活するのが当たり前になっていると
実際こっちで生活する感じって
わかんない
今は常に
立山に移住して生活していると
東京の生活をすると客観視できる
という感じですよね
また東京に住もうとか思いますか
思わないです
多分それまで東京でも
何箇所か住んでいたんですけど
最後住んだところが渋谷で
ちょっと特殊な環境があった
深泉というところ
なんですけど
居酒屋通りを抜けて
たどり着く家で
窓を開けると
煙草の匂いとか
救急車同士とか
ありますよね
それまでは小木窪とか
緑堂沿いの
民宿とか山茶のほうとか
商店街があるほうとか
に住んでいたときは
そんなに感じなかったんですけど
多分渋谷がすごい
つらかったと思うんですよ
つらかった
36:01
たとえば一人のスペースも
限られていると言えば限られているし
人が近いし
近いですよね
地域に比べたら全然違いますよね
食事するにも
すごい近さじゃないですか
そうだと思います
なるほどね
週末どこか行こうとしても
最近ほんと混んでませんか
どこ行っても
コロナも明けて
観光の方も多くなって
ちょっと浅草行こうと
言ったらすごい人だったりとか
渋谷なんかも
すごいことになっているし
天丼食べようと言ったら
予約とか
一個一個が全部予約で
美容院も
食べるところも
マッサージも
そうですよね
そういう感じが
たまに旅に出ると
地方いいなぁ
みたいなのはすごいあって
本当に
移住して
良かった感じですかね
すごく良かったですし
最近の流れでやっぱり
仕事がオンラインでできるので
そうですよね
あまり仕事は変わらないんですけど
環境がすごい変わったなぁ
と思って
それはやっぱり
Aってやんなかったらできなかったですよね
そこのAっていう
一歩みたいなのって
やりたい人もいっぱいいるんでしょうけど
一歩勇気がいるじゃないですか
それは何がさせたんですか
もともとはやっぱり
いつかはっていう風に
思ってたんですよね
でも主人の定年の
タイミングまで
待とうかと思ってたんですけど
来年60歳なんですよ
なので
コロナのタイミングの時は
57歳くらいだったんですけど
意外に
もう行っちゃってもいいんじゃないか
みたいなところはあって
一人じゃできないので
あとは
人生の楽園っていうテレビ番組を
いつも録画して
見せてたんです
それはどんな番組ですか
移住した方を
特集する番組なんです
見せてました
ちょっとずつ洗脳して
タイミングがいい感じで来たのと
都内のマンションもすごい上がっちゃって
1LDKだったんで
ちょっと広くしたいってなって
探そうにも
なんかすごい無理じゃない
みたいな感じで
そういう意味でも
こちらだったら
3000万円くらいで
家が建てれて
定年も考えて
いろいろありなんじゃないか
39:03
それで起きて
夢の生活をしている
なるほど
いいですね
現実的な部分もいい
面白い
移住によって
生き返った感じがするとおっしゃる荒垣さん
ずっとやりたかった
ガーデニングをやり
1日が充実している
移住してすごく良かったと
生き生きとおっしゃる姿が
印象的でした
荒垣さんありがとうございました
それではまた次回
ユイナワさんの聞く人ラジオで
お会いしましょう
40:02

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