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こんにちは、遠藤嘉杉です。 秋山ジョー賢司の経営者のマインドサプリ、秋山先生よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ということで、今日も行きたいと思いますが、 今日はね、アカデミアでも6月かな、定語となりました。
共感力ということでね、 改めてちょっと1本、言いきたいなと思っておりまして。
はい。やっぱ最近、この共感力が重要だとか、 また最近言われ始めてますね。
ですか。
はい、来ますね。やっぱりAIが出てきたとか、 ちゃんとGPTが出てきたので。
人間には唯一できるとこ的な話でか。
そうそう、必ず私たちは探してるわけですよ。
確かに。なるほど。
だから改めていい動きでありますよね。 それってAIでできちゃうのかな、みたいな。
その議論ね。
そこに対して何度も不安がって、必死になって、 どこだどこだって探していくということよりも、
改めてどこだろうな、みたいなところを見ていくときに、 共感力っていうのはテーマとして上がってると思うんですね。
はいはいはい。
なので今日はそのコーチングにおける共感力って どういうことなのかなということを、
ちょっと一度整理したいなと思って。
改めてお願いいたします。
アカデミアで1時間以上喋ってる内容なんで、 ちょっとギュギュギュギュッとなりますけども。
そうですね。
まずそのコーチングの背景を簡単に整理しなくちゃいけなくて、
コーチングってある領域だけ特定して使える技術なんですね。
ある領域以外のところを見るといいんですけども、 まずカウンセリングとコーチングが違うと。
これは明確な違いがある。
カウンセリングっていうのは医学的にというか病的な状態にある人を健常状態にするという治療ということ。
コーチングというのはその人のパフォーマンスを向上させるというのはコーチング。
引き上げるというかね。
コンサルティングっていうのは解決方法を伝えていくという この大きな3つ枠組みがあって、
そのコーチングにおける共感力って何ですかっていうところを捉えなくちゃいけない。
ところがこのコーチングの共感力というものの中に カウンセリングの共感の要素が入ってきてしまってるので、
そこの部分を整理して理解しないとよく分かんなくなっちゃうんですね。
一方でコンサルティングの共感力もまた別なんですか?
そうですね。コンサルティングの共感力はもっと違う。
どっちかというとAIが得意な方。
じゃあ今日はあえてドメインとしては、
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カウンセリングのまず共感力、それとコーチングの違いという観点で 喋っていくということですかね。
そうですね。ただし似たところがあるんだけども 違いがあるというところを捉えなくちゃいけない。
重なりと違いを捉える。
というのはもともとコーチングというのも いろんな分野の方がコーチングを開発してきたので、
混ざってしまってるんですね。
その中でカウンセリングというのは心理治療ですね。
心理的な治療をやってきた有名なカール・ロジャースという方がいて、
このカール・ロジャースはコーチングじゃなく心理治療家だったんですけども、
その人がコーチングにさらなる影響を与えているという流れが一方です。
カール・ロジャースという有名な多くの方はコーチングをやっている人が カール・ロジャースの三元素を知ってるんですよ。
それはカウンセリングのほうのものなんですね。
だけどコーチングを学んでる人は知っている。
なるほど。
その中に事故一致というのと、無条件の肯定的配慮というのと、
三つ目の共感的理解というのがそもそも心理療法の中にあって、
それがコーチングの中でも取り入れられているということなんです。
今三つの中の最後におっしゃってくださった共感的理解。
ということはコーチングを扱うときも、
カウンセリングでいうところの共感的理解というのはどういうものかということを知らないといけないわけです。
なるほど。
知った上で、でも目的は治療の人は心理治療家の人は治療であるけども、
コーチングの方はパフォーマンス向上という目的のために共感的理解を使うだけであって、
共感的理解というものを知らないといけない。
じゃあまず今日は共感的理解が何度やという話になるんですか。
そうですね。
その共感的理解というのは日本語で言うと、
共に感じるという言葉をどういうふうに捉えるか。
だから私もよく言う、
あなたの気持ちがわかりますというのは同情なので共感とは違うということの理解をしておかなきゃ。
私も英語が苦手だし、専門の方にもお任せしますが、
よく言うのは、
シンパシーが同情に近いらしくて、
エンパシーが共感に近いなんて話があったりするわけですよ。
あとはコンパッションというのも、
同情とか哀れみとかいうのに近いというふうに言うんです。
じゃあ共感って何か。
コーチングにおける共感、心理治療における共感というのは、
私はあなたの気持ちがわかるは同情になっちゃうんで。
私はあなたの気持ちがわかるということに対して、
慎重になるというスタンスが共感的理解につながると。
めちゃくちゃ難しい。もう一度いいですか日本語。
私はあなたの気持ちがわかるというふうに言っちゃいけませんと。
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そこに慎重になる心が、スタンスが共感的理解につながる。
だからロジャースがすごいなと思うのは、
共感的でないといけないと言ってるわけです。
つまり共感的理解というのは、
相手の基準に至って、相手の言葉を理解しようという態度で聞くことを
共感的理解と言って、同情ではないというふうに言ってるんですね。
それを少し平たく言うと、
相手がそうであるということをいかに知っていくかという言葉として私は使っています。
相手がそうであることをいかに知っていくかという姿勢みたいな。
そっか、君はそうだったんだ。
たとえばその人がつらいんだったら、君はつらかったんだねー。
わかったじゃなくて、そっか、今君はつらいという状態にいるんだねということを
知っていくために質問を投げかけていく。
これ理屈で言っちゃうと、共感できない相手はいないって話になってくるんですね。
こっちのあり方だからですか。姿勢だからですか。
私たちは共感というのは同情と混乱してるので、
相手の気持ちにはなりたくないってあるじゃないですか。
相手の気持ち、部下の気持ちは絶対分かんないんですよ。
相手に共感できませんっていうのは、
これは共感というものが相手の気持ちと一緒になることが共感だというふうに認識しちゃってるので、
それは難しいですよね。
部下がすぐ無理って言うんですよ。
秋山さん、共感って言うけど、俺はあいつに共感できませんっていう人には、
丁寧に私は共感というのは、あなたが相手と同じ気持ちになるというのを共感じゃないんですよっていう話をさせていただいて。
なるほどなるほど。
同意する必要もないんです。
そうじゃなくて、相手がなぜすぐ無理に言うかという。
その背景を知っていくということが共感だというふうに捉えてるんですっていう話をさせてもらうんです。
なるほどなるほど。
だからそういった意味で理屈上は共感はできるってことになっちゃう。
なるほど。
日本語はだいぶ理解してるつもりなんですけど、難しいですね、共感的理解。
なるほど。
ちょっと私の師匠が言っていただいた例を頑張って使いたいんですが、分かるかな。
分かりたいって言ってください。
いいですね、具体的に。
共感の中で重要なのは観察だ。観察というのはペイアテンションだと。
観察し続けなくちゃいけないと。
すぐ分かったと言うと観察なくなっちゃうので、だめですよというふうに。
共感的に理解しようとする姿勢を取り続けるペイアテンション。
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ですから分かったってお前が言った瞬間に共感が切れたということです、みたいなことを言われたんです。
なぜかというと分かったということはそこの後は自分の話になるでしょって。
終わっちゃってますもんね。
終わっちゃってるんですよ。
ですから終わらないように終わらないようにずっと共感していく。
共感して引いてって観察し続ける後はどうすればいいんですかって私が聞いたら、
観察した後は観察ですって言うんですよ。
分かりました。観察してまた分かったと。
その後どうですか。観察ですって。ずっと観察をし続けていくんですって言うんです。
それ今なら分かってるのかもしれないですけど、当時お茶を濁されたと思ったぐらいに訳をわからなかったんじゃないですか。
思いました。
じゃあ結局これ何にすればいいんだ。
し続けろってことですか。
そうです。し続けたときに結果として相手と同じ気持ちになることはあるけども、そこをゴールにしてるわけじゃないんだ。
これはジェフから言っていただいた話の例え話を私なりに変形にアレンジしちゃったんですけども、
アナログとデジタルの話をしてくれて、パソコンでアという文字を打つのはデジタルだって言うんですね。
ソドはアナログだって言うんです。アナログというのは連続してるんですって。
ですからアという字を書いたときに、筆と紙が触れたときにアという文字が現れてるだけで、
アって書くときにずっと繋がってるじゃないですか。指の動きって。
そういうことは、あなたはアを見て、このアはアイウェオのアだとかね、秋山のアだしか考えないでしょっていう話をされて。
デジタル的に見方ってことですかね。今の話だと。
じゃああなたは相手がアと言ったときに、筆が途切れたこの線のものを感じようと思ってアを言ってるんですか?みたいな話をされた。
もっと言っちゃうと、そもそもこの人はなぜアという文字を書きたかったのかっていうところを聞けてるのかとか、
そもそもどうやって綴りを、どんな気持ちでね、墨を吸ったのかとか、どうやって筆を選んだのかとか、そういうところも聞こうとしてますか?みたいな。
心が聞こえたアの文字、見えた文字を見て、勝手に解釈していくでしょって。
アが上手いとかね、俺より上手いとか、いやこの人がアを書きたかったのはことの始まりだ、何事もアから始まるからアと書いたんだってやっちゃうでしょと。
それは共感でも何でもないみたいな、ちょっと私がアレンジしちゃったんですが、言いたいことは多分そういうことだった。
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なるほど。今の話聞いて、一緒にちょっとお勉強したところの話を思い出したんですけど、
橋を知らない人がいて、ある若者にこれは何って聞いたら、これはこういう構造でできてる構造物ですっていう説明を橋というものに対してする若者と、
いろんな世界を知って、いろんな人に心を寄せられる老人に聞いたら、あれは川渡るものだよという話を相手にして、そっちの方がよっぽど本質的で、
最近の奴らはそういった前者の説明しかできるみたいな話を聞いたじゃないですか。
あの話と今の話ってすごくアナログデジタルっていう話でしたけど、すごい通ずるものがありそうですね。
ですから、私もコーチングでできないながらも頑張ってるのは、相手と共感しよう共感しようって意図があって、そこが繋がってるときはいいんだけども、
分かったって瞬間にピキッと言ってるぞっていうふうに教わって。
なるほどね。確かに。だってこれは何ですかって聞かれたのに対して、
ピチッて切ってるから、これは何とこでできたコンクリートの構造物っていう説明って、まさに同じ話ですね。
それが分かった、分かる、私もっていうのが、入ってきちゃったときに初めてそれが滲んでたものはそうでしょう。
そこがやっぱり違うっていう。ここまで考えたら、コンサルイコールAIとの話もできるんですけども、
コンサルが悪いわけじゃないですよ、全然。じゃあAIでいきましょう。
AIも共感力があるわけですよ。
でもそこの背景とか思いを感じようとするものじゃないので、そこは違いますよねって話ができてくるので、
それぐらい共感力ってのは本当に重要だなと思っていたのと、それぐらい繊細であったり重要であったり。
でもさっきの書道の話で言うと、あしか見えないんですよ。考えても文字しか。
そうか。だから共感しようと思っても、人がつらいって言ったら、つらいって文字が見えちゃうに近い。
そうすると分かるよって言ってみたり、逆にそんなことはないよって言ってみたり。
なるほどね。
つらいという、ひらがなで書いたときのつらいのつのこのつの先と、らに行くこのまを感じようと私はしたのかっていうと、全然してなくて。
それを分断されてるとか分離してるって話になってきてしまうんでしょうね。
なのでここではちょっとぜひその共感というところを考えるときに、ぜひこの書道のあというものをイメージしていただいて、
私はそのこの人がなぜあという書きたかったのかとか、一本一本の筆の間の部分を感じようとしているのかっていうところをちょっとイメージしていただくと、
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なんとなくなんとなくですけど、感じ取ってくるのではないかななんて思ってます。
共感的理解ですね。
ちょっと今回はいろんな角度でツンツンしながらお伝えいただきましたので、
伝わる部分と伝わらない部分もしありましたら、ぜひ質問いただけたらなと思います。
終わりましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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