地域ボランティアの経験
こんにちは、遠藤克喜です。秋山ジョー賢司の経営者のマインドサプリ、秋山先生、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
さあ、ということでね、今日も行きたいと思います。
どうですか、最近は。
最近ですね、先日、この間の日曜日に、地域ボランティアにやってきたんです。
ボランティアとか絶対しなそうなイメージですけど。
どういうイメージですか。
確かに、どういうイメージなんだろう。
私が東京のある区に住んでるんですが、
その区が主催しているスポーツフェスティバルというのがあって、
そこで区民の方が参加すると、スキーとか空手とか、
それから剣道とかね、あとはバスケットボールとか、
いろんなスポーツをちょっとずつ体験できるみたいなイベントがあったんですね。
はいはいはい、よくありますよね、お祭りとかで。
空手の演武を見たりとか、ああいう系に近いんですかね。
スポーツ全般ね、バスケットもあるだろうし。
その中で、私は合気道をやってるんです。
合気道の団体と一緒に合気道の体験をさせてあげるという、
ボランティアを今、引きかけてやってきた。
なるほどね、区民の方々がご家族とかで来て、
これやってみるみたいな。
そうなんですよ。去年もやったんですが、
去年と比較するとですね、
最近の流れなんでしょうかね、
格闘技なのか武道なのか、
そういうものへの意識が高まってたるんじゃないかなと思いますね。
前より関心寄せて集まってくる人が多いってことですか。
うんうんうん。
でもあるでしょうね、やっぱり世の中ね、結構、
今までじゃありえないような事件がね、頻繁ですもんね。
特留の事件から始まり、
どうなっちゃってるんだろう、いつ我が身何があるかみたいなのがあるんで、
その感覚はありそうですよね。
そうすると、子どももやってみたいって子もいれば、
お父さんとかお母さんが武道をさせたいんですよね、
みたいな方もすごく多かったですね。
なるほど。
受け入れることの意味
その中で一つ面白かったのが、
子どもに一緒に教えるっていうか、体験してもらうんですよ、合気道って。
そうすると2つで結構きれいにパッと分かれるんですよ。
楽しそうに、面白いとか言いながら興味持つ子と、
どっちかっていうと、
打撃系っていうかね、パンチ打ちたいみたいな男の子がいる。
合気道ってね、殴らせてくれないですからね。
そういうイメージありますよね。
殴ってきた人たちに対してどう対応するかっていうことなんですけども、
その個性というか、その子の持っている何かなんだなと思って。
なるほど。あるでしょうね。
私父が合気道がっつりやってたので、
それこそ植芝さんの学弟みたいな形のところに
小さい頃行ったこと何回もあるんですよ。
へー、すごい。
なので、子どもだからなんか暴れたいのになって思って、
パンチしたいなって思った気持ちすごい分かりますね。
なので、それもはっきりやらせたほうがいいですかねって親御さんが言うから、
私は武道はやったほうがいいと思いますけども、
その子の好きなものがいいんじゃないですかねみたいなお話を
一日中何回も話してますね。
一日中言いながら、一人でも多くの合気道の方が増えるといいですね。
そんな秋山先生にですね、今日のご質問なんですが、
とにかくポッドキャストでも、インナーダイビング内でも、
個別でも、どんな形でもいいので、どうかご回答いただけませんかという
熱量の高いご質問をいただいておりますので、早速いきたいと思います。
ということでポッドキャストで答えさせていただきたいと思っております。
受け入れるについて秋山先生的な見解を教えてほしいですということでいただきました。
受け入れるとは自分の中でどういう変化を起こすことなのでしょうか。
難しく考えすぎかもしれませんが、
よく自分を受け入れるとか、自分の弱みを受け入れるとか、
他者の考えを受け入れるなど、様々なシーンで使われ方をすると思います。
私の感覚的な受け止めは、その事象を現実として受け入れて頭で理解できたら良い。
そんな感じかなと思っていますが、どうもしっくりきません。
これってしっかり受け止められているのか、受け入れたつもりだったけども
同じことを繰り返しているような部下に受け止めてほしいと熱心に伝えたが、
何にも変化していない、などなど。
この受け入れるを簡単に取り扱いたくないと、
合気道の教え
庄さん的なアドバイスをぜひ聞かせていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
ということですね。受け入れる。
とても深い質問ですよね。
深いんですかね。
本当にいろんな解釈ができそうな。
おっしゃる通りで、この言葉ってたくさんの捉え方があると思うので、
今日はその中の一つをお伝えできたらいいなと思っています。
受け入れるという言葉が持っているニュアンスとかイメージ。
一般的にね。
例えば、相手の考えを受け入れるとかね。
現実を受け入れるって否定せずにそのまま認めるみたいなのがあるじゃないですか。
はい、そうですね。
これはどちらかというと、
受動的に大きいを出すというニュアンスが強くないですかね。
ある事実、実態をそのままそうなんだとして受け入れる。
受動的か能動的かというと受動的感がありますね。
まさに受け入れるという受け入れるというのは受動の字ですからね。
ただ実際どうなのかなーって私結構能動的なコミュニケーションだなと思っていて。
受け入れる。
まず受け入れるためにはこの方がおっしゃるように知ることが重要じゃないですか。
知りに行くということはめちゃめちゃ能動的なアクションだと思うんですよ。
例えば自分の系の現実を受け入れるために数字を見に行くとかってあるじゃないですか。
ですから飛んできたボールとかミサイルをどんどん受け入れていくというよりも、
自分が能動的に知りに行ってるんだよっていう感覚から入ることがすごい重要だなと思って。
さっきの系の数字の話で言えば、目を瞑る、見ないフリをするっていう形にすれば受け入れないが選べますもんね。
そういう意味では確かに能動的なというのはわかる気がしますね。
次に感覚的なお話になるんですけども、
感覚的には見た現実を自分の一部として引き取るというのが私の中の感覚としてあるんです。
自分の一部として引き取る。
例えば先ほど合気道の話が出たので、合気道的にお話しさせてもらうと。
その前に私ごとき合気道を語っちゃいけない部分もあるんですけども、私の捉え方ね。
少なくとも苦労美ではありますかね。
素人からしたら完全に超すごい人ですよね。
本当に入り口なんですけども、
例えば相手が突きを打ってきたと。バーンて。
そこに対して合気道は打ってきたものをガチとか受け止めたりはしないんですよね。
あんまりよく受け流すみたいな言い方をしません?攻撃を。
合気道って確かにガードするとかかわすっていうよりもさーって流すみたいなイメージがありますね。
私もそう思ってたんですけど実はそうじゃなくて、
相手が打ってきたって言うとですね、相手に近寄って同じ方向を向くんですよ。
つまり同じ方向を向いて相手と一体にならなくちゃいけないんです。
相手と一体に攻撃した人に対して突っ込んでいく。
そして向きを判定させて同じ方向を向いて相手と一体になって相手を動かしていくっていう基本的な動作があるんですね。
伏せがないんですね、まず当たり前にして。
そうですね。
で、あの流すってこっちからすると見えてるのは流してるんじゃないんですか?
流してるよりも相手と一体になって動かしてるって感じなんです。
合うとかいうのは何?一体になるってことですか?
受け入れることの理解
一体になって動かして最後が制するっていうのは相手の戦うって気持ちをゼロにするみたいな感じなんですけども。
やっつけるんじゃないんですね。
そうですね、基本的には。
ですから一体となっちゃったら相手と自分が分離しないので戦うっていうことが必要なくなっちゃうんですけど。
なるほど、なるほど。考え方的には理解できます。
今のプロセスでいうと受け入れるの部分はどこが受け入れるになるんですかね?
相手が攻撃してきたら相手と同じ気持ちになるために相手と同じところに入って同じ方向を向くんです。
向いた瞬間一体となるので。
相手が一部となるって言ったらこの辺が繋がるんですね。
相手がついた場合同じ方向を向いてるのでもう同じ方向を向いてる。
あ、そっちに行きたいんだ、僕も一緒に行くよって。
もう一個になっちゃった。
そして動かしていく。
ですからこれが私の師匠のジェフが何で合気道やれって言ったかっていうとそこと似てて、
つまりそのペーシングしてからリーディングするっていうのと受け入れるってすごい似てるんですよね。
ところがですね一般的なその受け入れ、私もね受け入れなくちゃ受け入れなくちゃっていう時にですね、
なんかこうボコボコボコボコと殴られても耐えてく耐えてく耐えてくっていう感じでいたんですよ。
やっぱりそれがその自動的になってしまうことによってボコられる感じになっちゃうんです。
ちょっと合気道じゃなくてこのコミュニケーションにシーンを映すと、
要は何か言われたい放題言われてそれを聞く聞く。
そうかそうかそう思ってるんだなってあるタイミングでいい加減にしろこの野郎ってなってしまうボコボコ感ですね。
確かに受け入れるって我慢しなきゃいけない、そこの差なんかあるかもしれないですね。
ここの違いがわかんなくなって苦しくなる。
じゃあそもそも受け入れるの合うとかも何なんだって話ですよね。
ですからその先の合気道的な話また戻ると、
結局相手のことを自分の一部として一体化して、
そして次の自分の決断をしていくためのプロセスだと思ってるんです。
はいはいはい。
ですから合気道で言ったらですよ、相手と一体になって相手のことを制していくっていうのがアウトカムなんですけども、
コミュニケーションにおいては、
例えば数字が落ちたという現実と自分が一体となって、
次にどういう経営判断をしていくかという主体的な決断をしていくために受け入れていくので、
めちゃめちゃこれって能動的な作業というか営みなんですね。
懐に入らなきゃいけないし、相手の同じ方向を向かなきゃいけないし。
そして最後はそれを受け入れたその前提でどういう次のアクションを起こすかという決断をしていくために私たちは受け入れていくので、
何もボコられて耐え忍んでいくために受け入れているわけではないんですね。
なるほど。
ですから受け入れるとは現実にただただ従ってボコられるのではなくて、
現実を前提に次の決断をしていくためのプロセスというふうに捉えていくとまた感じ方が変わるのではないかと思うんですね。
そのプロセスである中身というのは一体となる?一部となる?
そうです。飛び込んで、これって自分のことだったんだなとか、
自分がした決断の結果こうなっているんだなということでここでジャッジせずに、言い悪いなしに、
自分の体の一部だとなるので動かせるんですよ、不思議なことも。
なるほどね。
非常に感覚的なところではありますけど、まさに合気道が受け入れるということを訓練するような傾向というか、武道な感じがしますね、お聞きしていると。
そうなんです。ですから私本当最近になってその師匠であるジェフが何で合気道やれって言ったのが最近ってちょっとずつわかりかけてきたという感じですね。
まさに受け入れるを知ることなんですね。
どういうことですかね。非常に感覚的に理解できたんじゃないかなという気もしますので、ぜひこのお話を聞いていただきまして、
もしこれで聞きたい、足りない、わからないところもありましたら、ぜひそこを補足できるかなと思いますので、
まずは今日のお話に行かせていただきまして、感想お待ちしております。
ぜひぜひお待ちしています。
今日は受け入れるについてやってまいりました。
ぜひまた感想待っています。
終わりましょう。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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