対談と研究の概要
おはようございます。心理学者のじんぺーです。
このチャンネルでは、心理学の論文紹介を中心に、心理学のお話をさせていただいております。
今日もまた心理学の論文を紹介していこうと思うんですが、
昨日放送アーカイブを流した安齋悠希さんとの対談、まだ聞いてないよという方は、ぜひ聞いていただきたいなというふうに思うんですが、
そこで挙がっていたことを、ちょっと自分なりにいろいろと考えて、これから検証、実験、検証していきたいなというふうに思っています。
何を言っていたかを簡単におさらいすると、自分の研究とか興味のあることを発信してきたと同時に、
いろんな人が興味を持つかなというような論文を紹介してきたわけです。
自分のテーマで言えば、芸術の鑑賞のこととか、美しいという感性、感情のことであったりとか、
特に俳句の話は博論でやっていたので、それがこれまで多かったんですけど、自分の研究で言えばそうなんですけど、
一方で、リスナーさんが興味のあることは何かなと考えたときに、例えば教育のことであるとか、子育てのこと、発達障害のこと、
メルビリングのこととか、そういったテーマを扱ってきたりしました。他にもゲームの話とか、最近だったらボードゲームの研究をたくさん紹介していたりとかしていたし、
本当に様々ですね。脳科学もそういう方法論で、博論も書いていたこともあって、そういった研究も多かったかなと思います。
安西さんとの話は、それらの真ん中あたりに自分の、例えば書籍を書くとか、次は発球していくためのヒントがあるのかなというふうなところでアドバイスをいただいておりまして、
それを探っていきたいというところでございます。同じようなテーマであってもキーワードを変えたりとか、伝え方を変えたりとかすることによって、
どういう人が聞いてくださるのかとか、いい反応をくれるのかとか、面白がってもらえるのかということを検証していきたいなと思っています。
そう思ったときに、今700回くらい放送を撮っていて、そのほとんどが論文の紹介で、どうでしょうね、500本くらいは論文の紹介をしているんじゃないかなと。
この生放送とかで対談とかもあるので、500は行っていないかな。でも数百は絶対撮っていて、その中でどういう放送が再生数が多いのかなとか、
ちょっと見てみたんですよね。そこで気づいたことがちょこちょこあって、
まずは、これ前置き長いですね。近況の話もするのでちょっと待ってください。まずは、
曖昧さが自分のキーワードだっていうのを安西さんと話していたんですけど、思ったより曖昧さって言葉は言ってないなっていうことが一番に気づきましたね。
曖昧さと美しさの関係
特に題名についているので言ったら、2つとか3つとかしかなくて、700本あるのかね。
思ったより前に出していっていないなということに気づきました。ネガティブ・ケイパビリティっていう言葉も自分の研究テーマの一つなんですけど、
2回くらいかな、それもタイトルになっていたのが。なので、
これは、まずはちょっとこの自分に一番近いところから試していくのがいいのかなというふうに思った次第です。
あとは、
アートとか美しいっていう言葉の回も結構聞かれているなという印象です。
少し意外というか、自分がニッチな研究をやっているという自負があるので、さっきも言ったように教育の話とか子育ての話とか絡めながらやっていた部分もあるんですけど、
意外と並んでみると、アートとか美しいみたいな時に再生数がちょっと多いなみたいなのが気づきました。気づきです。
というところなので、今日はそんなタイトルで改めてちょっとこう、
新たなスタートぐらいの気持ちでいますが、今日から音声配信頑張っていきたいなというふうに思っております。
というわけで今日はですね、曖昧さは美しさに繋がるのかというド直球の2つ入れた、ここからスタートしたいなというふうに思っております。
これで全然聞かれないということもあり得るかなと思うんですが、これが自分の意地は根っこにあるところかなと思いまして、論文紹介の
チャンネルというスタンスをとっておりますので、自分の論文を今日は紹介していきたいなと思います。 その中でも論文、これまで15本ぐらいかな、佐渡くん通ったのは。
通ってないのも含めると20本超ぐらい書いてきたんですけど、 その中でもう博士論文ですね。
なんでこれ博士論文かというと、
すごい今日は曖昧さが美しさに繋がるかという大きなテーマで話すので、一つの研究だけで 言えることってほとんどないので、僕の博士論文の
研究は10個ぐらいかな、ちっちゃい研究が集まってできた博士論文なんですけど、 それを外観して見たいなというふうに思っています。
概要欄に博論のリンクを貼っておりますので、これね、
初めての博論を貼ったっけかな? 博論を書いたとき。
ぜひ読んでみてください。いつも英語の論文ばっかり貼るんですけど、 博士論文は日本語です。
そんなに長くないんですよ、自分の博論。 文章をそんなに長く書かない
タイプで書けないと言ってもいいのかな? 書こうと思ったら書けるのかな?
割とロジックを短めに、研究数を多くみたいな方が 賞に合ってるなというふうに思っていて、
187ページですね。 長いのかな?
最後40ページぐらい、多分、引用文献とかだから、 実質は、
そうですね、130ページとかだと思います。
言われるからね。京都大学で博論を書いたんですけど、 京都大学の
ページに飛んでダウンロードできますので、 読んでみてください。興味あるところだけ大丈夫です。
テーマは、曖昧さは美に繋がるか、美しさに繋がるかというところですが、 これを俳句という題材を元に研究、一連の研究を行いました。
やった理由としては、曖昧さ、これは安西さんとの対談の時もお話ししたんですけど、 曖昧さということが好きで、かつ、
芸術を鑑賞するときに曖昧さというのが 鍵になってるんじゃないかというところを思ったわけです。
面白いと思ったわけです。 それは別に自分だけじゃなくて、
俳句をやっている俳人の方であったりとか、 俳句を評論している方とかがそういうふうに曖昧さを
絡んでるよねと。 これがいろんな解釈に繋がって、読み手にその最後の解釈を任せるみたいなことが
俳句の特徴であり、面白さであるということを書いている。
一人じゃなくていろんな人が書いているというところで注目をし始めたわけなんですけど、
結論から言うと、これも言ってたと思うんですが、 あんまり
曖昧さが美しさに繋がってなかったんですよね。 曖昧さを感じるほどに人は美しさの評価を下げるというのが
割と一貫して出てきた傾向性になります。 これは
研究の方法論とかを話していないので、やや乱暴ではあるんですけど、 俳句を評価して曖昧さをどれぐらい感じましたかということを点数つけてもらって、
美しさをどれぐらい感じましたかというのを点数つけてもらうと、 曖昧さが高いと美しさの評価が下がる。逆に曖昧さが低いときに美しさの評価が上がりやすいという傾向ですね。
乱暴ですね、依然乱暴なんですけど、 一応データを取るとそういうふうになってしまうと。
自分の研究上はと言った方がいいかもしれません。 いくつか言い訳というか、
法則でつけていくんですけど、例えば 修士の時にやった研究、これは日本語の俳句をドイツ語に訳した俳句があって、
それをドイツの人にも評価してもらった。 僕は修士の時からドイツの人と研究一緒にしていたという、なかなかご縁だなと。
実験結果と文化の違い
あの時は別にドイツがいいというわけじゃなくて、 ドイツの留学生の方が京大に来られていて、協力してくれると言ったらいいよと言ってくれたので、
ドイツのデータを取ったんですけど、 まさかドイツに来ていることをその時は思いもしなかったんですけど、
ドイツと比較したと。 基本的にどっちの国、文化であっても、
曖昧さが高いほど美しさが下がる。 曖昧さがないほうが美しいという結果になったんですけど、
日本人の方がその下がり度合いが低い、 緩やかであるというような研究結果を追加で示しました。
というのは、日本人の方がまだその曖昧さというものを楽しんでいるんじゃないかということです。
楽しんでいると言っても右肩下がりになることは変わりないので、楽しいんじゃないか。
まだドイツと比べると相対的に楽しんでいるかなということは言えるのかなと思います。
あとは熟達者の方ですね、熟達者の方と素人の方、俳句をやったことのない方に同じような実験をしてもらう。
そうすると素人の人は曖昧さが低い方が評価を高くする。 これさっき言った話と全く一緒なんですけど、
熟達者の人、ここでは俳句を10年以上やっている人たちに同じようにアンケートを取ると、
この人たちは曖昧さが高くても低くてもあまり評価が変わらないという結果です。
上がるわけではないですね。
だけど別に曖昧であったとしても評価を下げるみたいなことはなかったというのが、この熟達者に対する追加の研究であったり。
あとは曖昧さの種類を分けたりもしました。
これはインタビューを取ったりとか自由記述とかで、
俳句の曖昧さというのはどういうものがあると思いますかということを、
俳句をある程度経験したことのある方にインタビューしたり、アンケートを取ってそれを分類すると、
4つぐらいの曖昧さに分かれた。
イメージの曖昧さ、関連、取り合わせの曖昧さですね。
解釈の曖昧さ、最後感情の曖昧さという4つに分かれたんですけど、
細かくはちょっと今日は割愛しますが、
解釈の曖昧さ、いろんな解釈ができるよねと。
最初に言ったその、俳句の面白さの結構根幹のところかなと思うんですけど、
その曖昧さ、解釈の曖昧さに関しては特に美しさを下げるということはなかった。
他の曖昧さは上がるほどに美しさが下がるという、これまで言ってた結果と一緒なんですけど、
解釈の曖昧さのみはそんなに悪いわけではなさそうだというのが、
この曖昧さを分けるという研究であったりしました。
いろいろあれやこれやってるんですけど、
結局右肩下がり、おおむね右肩下がりというのはあまり変わらないんですけど、
その中でもグラデーションあるよねということを言いたいということです。
他にも10個やったとか言ったんですけど、
最後にすると、
俳句の構造を分ける。
上語、中詞、下語というふうに分かれてるんですけど、俳句って。
これを段階的に評価をさせるということをしました。
上語を見せた段階で曖昧さを評価してもらい、
今度中詞まで情報量増えた時点で曖昧さを評価してもらい、
最後下語を見せた時点でまた評価してもらうという、
この3段階で曖昧さを評価してもらうということをやりました。
そうすると曖昧さが最初は高い。
上語を見せられたとか中詞まで見せた段階で曖昧さが高くても、
最後の下語を見せた段階で曖昧さが下がることによって、
美しいという俳句につながるというような研究結果になりました。
曖昧さの解消とか言ったりするんですけど、
曖昧さが最初高い、それがなくなるという解消の過程で、
この減少量に美しさが潜んでいるんじゃないかというような研究結果を示したりしました。
これも言っていることは一緒で似てて、
最後やっぱり曖昧さない方がいいんかいという話では、
最初から言っている話とあまり変わらないので、
自分の見たかった結果ではないですね。
僕は曖昧さを保持したままでも美しいと思ってほしいというタイプだったので、
そうはなっていないという点では残念ではあるんですけど、
でも最初あった方がいいということですよね。
あって最後一つの自分の解釈ができるというところに美があるというのは、
まあまあありうる落とし所かなというふうに思って、
そんな研究をやったりもしました。
4つ言いましたね。
同一人との比較、熟達者・非熟達者の比較、曖昧さを分けるという話、
最後は曖昧さを段階的に評価するという話でした。
曖昧さいいよねと美しさにつながるよねということは、
実はそんなに言えてないんですけど、
これは色々とやり方の問題とかもあるよなというところで思っていたりするので、
例えばちょっと題名が長くなってきてますが、
一つだけ言うと曖昧さが全くない俳句というか、
ほぼ曖昧さに欠けた俳句というのがあるわけですよね。
俳句の曖昧さの探求
今までの話というと曖昧さない方が美しいよねという話になるわけじゃないですか。
ただ本当に自分が使っていた、実験で使っていたプロの方が作るような俳句というのは、
曖昧さが少なかったのかという話ですね。
自分が用意した、例えば1個の実験で100個ぐらい用意するんですけど、
その100個の中で一番曖昧さが少ない俳句とはいえ、結構曖昧なわけですよ。
そもそも俳句って曖昧だからね。
もう存在しているうちに曖昧だからと思うんですよ。
なので、自分が右肩下がりだと思っていたやつは、
実際はこの山なり、山型のグラフの右側を捉えてきただけなんじゃないかという説を割と唱えているわけです、自分は。
例えば、小学生が作った俳句。
今、小学生が作った、多分全国なのかな?ネットで調べられる。
馬賞の全国俳句大会みたいなのに入選している俳句がネットで今すぐ見れるので見てるんですけど、
例えば、さくらんぼ2人で食べて仲直りとかで俳句があるわけですよ。
夏服が今年の出番を待っているとか。
全国で賞を取るぐらいなのでいい俳句なんですけど、曖昧さはほぼないじゃないですか。
夏服が今年の出番を待っているんですよ。
夏服にストーリーを込めることはできると思うんですが、曖昧さはすごく低いわけです。
プロの方が作る俳句。
何かいい例あるかな。
自分が好きな俳句とかで言うと、
星野達子さんの、今ちょっと何も見てないのでこれあってなかったら恥ずかしいんですけど、
ラジオつと消され、秋風残りけり。
ラジオつと消され、秋風残りけり。
こうやって俳句があるわけですよ。
ラジオがつと消される。これ誰に消されてんの?とかね。
秋風残りけり。なんでこれ秋風なの?とか、秋風残るってどういうこと?みたいなね。
もう、曖昧なわけですよ。
夏服が今年の出番を待っている。
この何か、違い分かりますか?
例えば小学生が作った俳句とかを、自分の実験で使う。
今100句ぐらい使うって言いましたけど、その中の50句が小学生が作った俳句だとすると、
おそらくその曖昧さが低すぎて、評価そんなに高くならないっていうことがあり得るわけですよね。
そうなると、自分がある種見たかった山形のグラフが作れるんじゃないかっていうことを思っているということです。
どうでしょうね。これを聞いてそれいけるの?って思った人はだいぶ苦労とかだと思うんですけど、
すごく懸念していることは、懸念しているというか、そこが今やっていない理由なんですけど、
小学生の俳句とプロの方が作った俳句を並べて、それで本当に同じものを比べているんだろうかっていう気になるっていうのが自分の中であり、
まだできていないんですけど、まあ一回やってみてもいいかもしれないですね。
そういう懸念みたいなのは後から考えたらいいので、やってみたらいいなというふうに思っていたりはします。
俳句の研究ね、ドイツに来てからあんまりやってないんですよ。
科学とか行き場のとか、書道の研究とかこっちしてて、
ビジュアルですよね。ビジュアルのアートの方が文化比較がしやすいっていうこともあるので、
あんまりやってなくて、でもやるとしたらこれだね。
小学生の俳句を大人が評価するとどうなるかっていう。
小学生の俳句だけ使ったらいいのか、まずは。
ちょっと考えてみます。一緒にやりたい人はぜひ声をかけていただければというふうに思います。
自分の研究の話だと、わりとずっと喋ってしまいますね。
白論もまだまだやったことがいろいろありまして、
ドイツでの出来事
そろそろ伝えたい気持ちもあるんですが、1点今日はこれぐらいにしておこうと思います。
これが全く再生されないとかってなると、もう曖昧さの話をしないということで。
そんなことは極端ではないですが、ちょっといろいろと試してみたいなというふうに思っております。
フィードバック、研究に関するフィードバックでも、
自分のポッドキャストに関するフィードバックでも構いませんので、
コメントを気軽にいただけるととても嬉しいなと思っています。
でも今日あれか、土曜日か、土曜日なので、再生少なくてもしょうがないかなと思います。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今日もいいチェンジにしていきましょう。
陣平でした。心を込めて。
雑談をします。
昨日ね、アンザイさんとの放送を流させていただいてから、
ありがたいことにね、たくさんフォローいただいて、
アンザイさんのボイシーを聞いてくださっていた方なのかなというふうに思うんですけども、
本当に来ていただいてありがとうございます。
雑談を最後にしているので、いつも通り雑談をしたいと思うんですけども、
今ドイツにおりまして、1年ちょっとぐらい経っているんですけど、
ドイツに来てから2回目のパートナーの誕生日がありました。つい先日。
子供も小さいし、なかなか外でゆっくりということもできないんですけど、
ご飯を食べに行きました。
予約するときに、ネットで予約できるところがいいなと思って予約したんですけど、
予約するときに子供、何人みたいなのは書かなかったんですけど、ちっちゃいから。
ただ、ベビーカー持ってますか?みたいなことをチェックする欄があって、
いや、このレストランめちゃくちゃ連れて行きやすいんだって思ったっていうね。
それついてるだけで、なんかこれは行ってもいいやつなんだっていうね、
その証になってたので、とても行きやすかったなというふうに思って、
ありがたくそこに行かせてもらいました。
あと、イタリアンかな?
すごく良かったです。
もう、パートナーを喜ばせたいなと思って一緒に行ったんですけど、
なんかね、自分の方がテンション上がってたんじゃないかな?
もう感動してしまって、パスタが美味しすぎて。
僕も4月に30歳になったんですけど、この30年間食べたパスタの中で、
一番美味しかったんじゃないかな?昨日食べたパスタが。
ってくらい。美味しかったです。
多分一番じゃないかな?
なんかイタリアでも食べたんですけど、イタリアで食べたパスタよりも美味しかった。
ドイツで食べたイタリア料理屋さんのパスタの方が美味しいなって思いました。
ちょっとね、トリュフが入ってんのかな?
トリュフですよ、トリュフ。
なんかね、やっぱりキノコだけあって、旨味がすごかったんですよね。
あとはパスタのコシみたいなのがすごく良かった。
イタリアで食べたパスタね、ちょっとすぐ噛みちぎれる感じがそんなに好きじゃなかったんですよね。
ただ昨日のやつは、まるで足で踏んで腰をつけたうどんかのようにね、
じゃあうどんでいいんじゃないかって思うけど、美味しかったですね。
パスタ好きでハンブルク来られる方は是非行きたいなと。
僕もう一回食べたいな、あれ。
感動しちゃった、本当に。
忘れられない味というのはこのことだなと思います。
是非僕のパートナーをお祝いしてください。
別にコメントでお祝いしたくても大丈夫なんですけど、心の中でおめでとうと言ってください。
ありがとうございました。