2023-11-04 11:34

ポッドキャストと幸福について話してみる

ポッドキャストを配信して幸福になれるか、という話をしています。よろしかったら

サマリー

今回のポッドキャストでは、ポッドキャストをやっていて幸福になるのかどうかという話をしています。詩作と俳句を続けている方々や健康的に幸せになるためのポッドキャストが配信されています。

ポッドキャストの趣味
今回のポッドキャストでは、ポッドキャストをやっていて幸福になるのかどうかという風な話をしてみようと思います。
とりあえずこの話をするのはですね、私は今現在、ポッドキャストのイベントでジャケ劇とかってのがありますよね。
あれの運営メンバーの一人であるムシャムシャラジオの石川さんという風な方とちょっとお話をする機会がありまして、
それで近々、私が出演したゲスト回が配信されるかなぁとは思ってはいるんですけれども、それで話したことを踏まえてちょっとこちらの音源を取ってたりしております。
で、その時にですね、私はムシャムシャラジオという風なポッドキャストでは、人にお趣味を果てしなく聞いていくっていう風なことを目指しているポッドキャスト番組となっておりましてね、週に2回配信とかやってるんですよね。
ゲスト配信番組でよくそんな労力かけられるなぁというふうに一言ながら思ったりはしてたんですけどね、それでちょっとお話をさせていただいて、それでちょっとその時に話していた内容についてちょっと深掘りをして考えてみようかなと思っております。
で、私は趣味の話をしてくださいって言われてて、他にいろいろやってたりするけども、でもここ最近の趣味って全部ポッドキャストに紐づいちゃってるんだよなぁという風なところがありまして、
それで悩みに悩んだ末に、ポッドキャストを配信することが趣味ですっていう風な体でいろいろとお話をしてきました。
それで内容的にはですね、大変恥ずかしいものに仕上がってるだろうなって思っております。
石川さんの方の編集でちょっとどうなってるのかわかんないんですけども、話した実感としては話さない方が良かったんじゃねーのっていう風な内容をね、たくさん話してたなっていう風な気がするんですよね。
で、それでまぁどんなようなことを話してたのかざっくり話をすると、まぁ何でか知らないけど私はもうポッドキャストをやるようになってしまっているよっていう風な話をしてたんです。
そしてこうやってあのポッドキャストを配信ずっと続けてるんだけども、これは果たして趣味と言えるようなものなんだろうかっていう風な話をしてるんですよね。
だから私はポッドキャストを配信していて楽しいこととか嬉しいこともある一方で、割とそれよりもですね、嫌な気分になることとか、あとは楽しくポッドキャストが聞けなくなるようなことですとか、そういう風なことの方が多いなって配信をしながら思っていたりするんですよね。
このポッドキャストの方でもちょこちょこ楽しんで聞けるポッドキャスト番組がどんどん減るようになってくるとかね、そんなような話をしたりはしてたと思うんですけれども。
そうなんですよ。なかなかポッドキャストを配信するとポッドキャストが楽しく聞けなくなったり、あとは配信のためにいろんな準備をするんだけどそれが報われないという風なところで自分の中にヘイトを貯めるとかっていう、そんなようなことが度々あるんですよね。
なんですけれども、こういう風にポッドキャストを配信するのが当たり前のような状態になっているってことを考えると、実はポッドキャストをやめるとそれはそれで精神衛生が悪化するのではという風な気分になってたりするんですよね。
だから、私がやってたりすることって何ですかね、健康的にタイマーをやりたいなとかね、そんなような欲求に近しいことなんだろうなと思います。
なんせね、一応ポッドキャストもかなり程度が低いものではあるんですけれども、表現活動の一種といってもいいんじゃねえかなと思っております。
それこそね、文章を書いて小説を書いて評論書いてとかっていう風なことよりも明らかに程度が低いことだなって私自身は思ってたりしております。
漫画を書いたりイラストを書いたり、あとは音楽をやったりとか、その辺の労力と比べると明らかに労力はかかっていないですからね。
けれどもその割には、私はあのなんでしょうね、かなり身を削ってポッドキャストやら、何やらやってきたよなって風なのあったりはするんですよ。
ポッドキャストの健康への影響
それもあってなかなか辞められなくなってしまっているなとも感じたりはするんですよね。
で、こんな風にずっと一人で配信しながらも思うんですけどもね、本当はポッドキャストは人と喋るのが普通のものだなと思います。
リッスンではこうやって一人で喋ることを前提にサービスの方を組まれてたりするし、そしてあとは声に聞き界隈という風なものが生まれ始めていて、それでちょっと面白いなと思ってたりしております。
なんかここ最近のリッスンの動きとかそういう風なのを見てたりすると、やっぱりコミュニティのデザインを長屋方式にしたいという、なんか最近違うことも言ってたかな。
あのすいません、なんかあんまり詳しく聞けてなかったり読んでなかったりもするのでちょっとうろ覚えなんですけどね。
なんかそういう小さくて細かくまとまっているような集まりを作りたいみたいなイメージを持ってたりされるので、なんかそれは平穏なことかなって私自身は思ってたりは思うんですよね。
やっぱりあのポッドキャスト、多分私の健康を害している一番の理由って、あの一人で既往法変を浴び続けてしまったがためっていう風なのもでかいかなとは思うんですよね。
多分あのお金がかかるような状況だったら基本的にあのこんな大変なこと一人でやってるわけはないんですけどね。
お金がかからない趣味だからこそ、あの自分からの持ち出しでこんなような恐ろしいことをずっと一人で続けてしまってはいるんですよね。
それもね、こういう風なリッスンのこのポッドキャストの方ではほとんど誰も聞いていないような状態で配信をしてたりするんですよ。
ほとんど誰も聞いていないから喋れることを喋っているっていう風なのでもあるんですけれども、けれどもこれをやり続けることが果たして健康的かって言われると私は怪しいもんだなってのはね思ったりはするんですよね。
だからなんかあのそう、ポッドキャスト番組終わりが来る瞬間とかそういう風なのは当然のことあって、それであの複数人でやってたりする場合だとメンバーが集まらなくなったりメンバーがいなくなったりすると、それでその番組終わりになっちゃうという風なこともあるんですけども、一人の場合はですね、やめようと思うやめるタイミングがないんですよね。
だからなんかポッドキャストを配信する病気みたいな感じになってしたりするので、果たしてこれは幸福なことなんだろうかっていう風なのがなかなかわからなかったりはするんですよね。こんなことを言い始めると、あのそもそも表現をするという風なこと自体が幸福な行為なのかどうかっていう風なところに話が流れていくかなとは思うんです。
表現することの幸福
第1ね、例えば俳句とか詩作とか短歌とかあの世界ってそのまあ私はの詳しくは知らないですけれども、基本的にプロだとしても食べていけないぐらいの世界だったりするので、感覚的にポッドキャストにすごく近いんじゃないかなって私はの一方的な親近感を持ってたりしております。
それこそね、マス野さんとかもポッドキャストやられてたりしますし、あとはあのそうあの本村さんとかその辺の方とかぐらいにならないと食えるようにはならねえんだなあっていう風な感じがするんですけども、でも基本的にはあのあんまり食えてないような世界なんだろうなと思うんですよね。
それでもああいう風なところで雑誌が出されて買われる人がいてっていう風になると多分多かれ少なかれあの全く世にも出ないけれども詩作とか俳句とかを続けている人っていうのがいるんだろうなって気がするんですよね。
でそれをやることが豊かなのかどうかっていう風なのか、私はあのよくわからないんだけれども、あのけれども多分それをやらざるを得ないからやってるんじゃないかなって最近は思うようになってきているんですよね。
そうあのやらざるを得ないからやっているっていう感覚が近いかなと思います。じゃないとあの自分の中に溢れている何かがあのたまりに溜まってしまった結果何か余計なところで爆発をしてしまうかもしれないという風な気もしますしね。
だからね私の場合はの頭の中で溢れている言葉がこうやってあの話すことによってそれなりに消化しているような感じになったりするんですかね。
でこれを誰かに聞いていてもらいたいとかっていう欲求があるかって言われるとどうなんでしょうね。私はあの若干ありはするんですよ。
ただこれをあの基本的に聞いてくれる人がいないからこうやって配信を続けてるっていう風なのでそれなりに自分の普段の心の平行みたいなものを持っているのかなっていう風なそんな気もしてたりはするんですよね。
で、そういう風なことを考えるとあの多分私にとって一番精神衛生的にやられるなっていう風なのは人のポッドキャスト番組と自分を比べてしまうことだとは思うんですよね。
でどこのスターダムに乗る気もないしあとはあのポッドキャストをマネタイズしたいとも思っていないしっていう風なことを考えるとランキングとか数字とか実は見なくてもいいんだよなっていう。
どっちかというとあの精神衛生を害するだけであっていやー見るだけエネルギーを吸われることなんだよなーっていうのがちょっとここ最近は思うようになってきてるんです。
だからなんかこういう風なのを見えないようにしてであとあの見たよっていう風なのをただつけたりいいねとかそういう風なボタンをちょっと押すだけにするとかっていう風なことをしたら意外とあの幸福なあのなんかポッドキャストのポッドキャストというか
あの声のつながりみたいなものっていう風なのが作れるんじゃねえのかなっていうふうには思ってたりしております。
今現在このリッスンという風なので私は配信はしておりますけれどもリッスンの方でもダッシュボードと言って再生されたかどうかが見れるようになってたりするんですね。
実はあれいらないんじゃないかなって私は思うんですけどどうでしょうかね。
あの余計なことを言って恐縮できますけどね。けれどもどっちかというとその何々さんが聞きましたとか誰々さんが見ましたみたいなそういう風なのがポッと出たりするとすごく大変そうだなそれよりそうなのっていう風なのが意外とあの長屋的なコミュニケーションとかになったりしていいんじゃねえだろうかなというふうな気がしますねっていうふうなことを話し始めるとポッドキャストで一方的に配信をするっていう風なだけでもそれだけでも結局のところ人とコミュニケーション
を取ろうとするでそこの中から幸福感を得ようとする何かなんだろうなっていうふうな気もしてくるとですね なの方
なかなかねやっぱりはの言葉を発するというふうなこと自体が人とコミュニケーションをするためのもん なんだなっていうふうなところを明らかになったなっていう風な感じになりますね
あの相変わらず取り留めもない話をしておりますけれどもまあ ポッドキャストをして幸福でいられるというふうなのはそれなりに誰かが聞いているっていう
風なの数値 数値以外の形で理解できるようになると一番いいかな
短いコメントでもつけばとかねあとあのなんか何々さんが見ましたっていう風な名前が見れたと したらそれはそれでちょっと幸福なことかもしれないなっていう風なのはね
ちょっと思ってたりしておりますそんな感じで 地味なあの音源配信みたいなものをこれから続けるところがあのポッドキャストの幸福に繋がる
のではないでしょうかっていうふうなところであの 今回の話は締めさせていただきたいと思います
あとはあれかな富と名声を諦めるというふうなところが一番大事かな はいちゅーわけで今回はあのポッドキャストの幸福論についていろいろと話をしてみました
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