サマリー
このエピソードでは、ポッドキャスト番組「チリヌル」の終了について語り、リスナーが求める深夜ラジオの特性やポッドキャストの現状を考察しています。また、パーソナリティの個性的な声やトークの多様性についても反省が含まれています。ポッドキャスト制作過程での苦悩や忙しさに対するリスナーの反応についても考察しており、特にコンテンツの内容や視聴者の需要の変化が創作活動に与える影響について深く掘り下げています。
ポッドキャスト番組の終了
この声日記は、普段、営農とサブカル、スペキュレイティブフィクションポッドキャスト、ポッドキャストを聞く人よ、の3番組を配信している私が、ポッドキャストを制作しながら、ポッドキャストについて気づいたことを話をしていく声日記となっております。
で、ちょっと喋りたいことはたくさんあるんですけども、とりあえず1本にまとめて話をしていこうと思います。
で、今回ちょっと話をしたくなったのが、ここ最近、ポッドキャスト番組のチリヌルという風な番組が終わってしまいましたので、それに合わせてちょっとのポッドキャストをやめるきっかけになり得る、
なんていうかな、ちゃんと聞かれてないよねっていう風な話を少し話をしていこうかなと思っております。
で、こちらのチリヌルという風なポッドキャスト番組なんですけども、どんなような番組だったかというと、大ベテランのポッドキャスト配信者の方がですね、タッグを組んで、ちょっとここ2年前ぐらいに始められて、ずっとやられておりました。
男性2人喋りによる、ジャンルはコメディに分類されてるんですけど、本当にザックバランに種々多様な話題について話をしていくという風なトーク番組だったりしてたんです。
で、やってたのが鳥籠放送という、それこそ2000年代からやってるようなポッドキャスト番組を配信されております山本さんと、あと同じくかなり昔からポッドキャスト番組をやられておりますジャスさんという方が2人でやられてるポッドキャスト番組になったりしております。
ジャスさんに関しては、私は自分の番組にもゲストに来ていただいたり、お邪魔して話をさせてもらったりという風なことがあったぐらいに、ちょっと関係はあるようなポッドキャスト番組だったりしてたんですけどね。
その縁もあってずっと聞いてたんですけどね、本当に私の数少ない講読番組が終わってしまって困ったもんだなぁという風に思っております。
今現在、私のポッドキャストの講読入料っていう風なの、全部で多分、両手の指で数えられるぐらいしかないんですよね。
そのうちの1本が終わってしまったんで、もう次から何聞きゃいいのかなっていう風なところで、悩むぐらいには大きな穴が開くような、他に買いのないような番組だったかなと思っております。
やっぱり、ちょうちょハッシュのやり取りをうまくやれているような2人喋りのポッドキャスト番組となってたんでね。
あんまり、そうそう、すごいなっていう風に思うのが、お二人とも専門領域が全然点でバラバラで、それで話している内容という風なのも多岐に渡るという風な番組だったんですよね。
だから本当に雑談系の番組で、そして話している内容が年代によった話題をすることが多かったりするので、多分聞いている層という風なのはある一定以上上の層が多くなるかなっていう。
でもそれでも多分わからないなりにもちゃんと聞いて楽しく話せるような、そんなような番組だったかなとは思うんです。
そんな感じで、私は楽しく聞けていた番組だったりはしてたんですけども、番組の配信をされているお二人のポッドキャスト性の違いによる解散という風な説明をされておりましてね。
まあね、そういう風な色々あったんだろうなという風なのは思うんですけども、ポッドキャスト性の違いによる解散という風なことになってしまってて。
山本さん自身は、自身ではまだポッドキャスト番組、別の番組がありますし、ポッドキャスト管理とかそういう風なのがやられているそうなんですけどね。
ジャスさんに関しては、本当に今やられてたのはチリヌルだけだったので、これで終わってしまうんだなという風なところを思ってたりはするんですよ。
それで、次の活躍も期待したいなとかね、そういう風な部分はリスナーとしては思う部分ではあるんですけども、それを案に進めてしまってもいいのかなとか、そういう風な部分という風なのがですね、ポッドキャストを配信する部分としては何となくあったりはするんですよね。
という風なのも、昔からポッドキャストをやってる人間がポッドキャストをやりたくなっていた理由という風なのが、今ポッドキャストを配信するようになったりとか、今現在の状況に合わせたポッドキャストをやるようになって、それが望むような形が得られるかどうかという風なのが、
なんかここ最近の状況とかポッドキャストを配信してても思うことなんですけども、随分状況が変わってきてしまってるなっていう風に思いながらポッドキャストをやってたりするんですよね。
特にジャスさんに関しては、北野真琴のラジオ番組が好きだったり、あとは井上ひかるさんのラジオが好きだったりとかっていう風なところで、北野真琴とのサイキック青年なんだ。私は全く聞いたことがないような番組なので、ちょっとどんなような内容だったのかとかっていうのは分からないですけども、それをやりたくてやってたっていう風な話をされてたりするんですね。
で、こういうような自分が憧れてた、夜にやられていたトークラジオプログラムみたいなものをやるために必要なものっていうのは何かっていうと、まず技術力とかそういう風なものっていう風なのは当然必要なんだけども、それについてくれるリスナーの方っていう風なのがとっても重要になってきてたりするなって思うんです。
で、そういう風なリスナーっていう、要は我々が多分欲していたっていう風に思ってしまう。我々?俺も含めていいのかな?なんかちょっと悩む部分なんですけども。そういう風な深夜ラジオ憧れというか、そういう喋りで聞かせるトークラジオ番組をやりたいとかっていう風に思っている人間にとって一番重要だなっていう風に感じているのはあれなんですよ。
深夜ラジオのリスナーが多分とにかく欲していたんだなっていう風に思うんですよ。で、深夜ラジオ的なリスナーっていう風な人ってどういう風なものっていう、なんかなんとなくイメージするとあの、なんかあの属性的な部分とかっていう風なものがいっぱい頭に浮かんじゃうと思うんですけども、もっと原理的に他のラジオリスナーと大きく違うっていう風なのが、他にやることがない、ラジオを聞く以外にやることがないような時間帯でラジオに集中して聞いているっていう風なのが、
深夜ラジオリスナーの一番の特性かなって私自身は思うんですよ。だから、集中してそれの話だけを聞くような環境にいる人が聞いているっていう前提で、これがあのまあ今現在のポッドキャストとかラジオを取り巻く状態とかっていう風なのでは、ほとんどあの得られなくなっているリスナー像というかリスナー層だなって思うんですよね。
現代のポッドキャストの課題
という風なのも、やっぱりあの現代基本的に忙しいじゃないですか。で、ポッドキャストとかその辺の部分が受けているのって、ながら劇需要なんですよね。だから本当にあのなんかしながらボーッと適当に流していて、で、その適当に流している感じのBGM的に使えるような、えーと、嫌な気分にもならなければ不快な音とかノイズとかが気にならないようなトーク。
で、これが多分今現在ポッドキャストに最も求められているような資質だったりするんです。言ってしまうと、面白い話をしているかどうかっていう風なのは二の次になっている状態なんですよね。だからそこに向かってコミットして頑張ってやっていて、で、それが報われづらいような世の中に今現在はなってしまっているなって思うんです。
で、そもそもコンテンツ自体がアホほど溢れてしまっておりまして、で、多分というかなんていうかな、もう長々発信のやり取りだったらもうお笑い芸人さんとかの方が面白かったりするんですよ。で、その長々発信のやり取りのあのなんかなんていうかね、面白さ、例えば話している内容の濃さとか面白さという風な部分ではまだ戦いようがあるっていう風に私も考えるし、多分ジャスターも考えると思うんですけれども。
でもそういう風な部分で戦って勝ったとしても得られるものがないっていう風なのが今の状況に近いんじゃないかなって私は思うんですよね。全然違ってたら申し訳ねえなあという風に思うので、ジャスターには聞かせられねえなこの音源という風なのはね、思っちゃいるんですけども。
でもそういう風な感じで自分が面白いと信じてやってきたもの、そういう風なものっていう風なのが受け入れられたとしても何にも伝わっていないとかそういう風な感じに受け取られるような世の中に今現在はなってしまっているなって思うんです。
これはなんか本当に長く聞いていたり付き合ってくれていたリスナーたちに対するがっかり感、がっかり感でもないな。なんかでも本当に付き合ってくれて本当にありがとうという風なのは当然のことながら思うんだけれども、でもみんな揃ってやっぱり忙しくなっちゃってるなって思うんです。
それこそ私だって仕事中しか、深夜のバカ時からはという井上ひかるさんがやっているラジオは本当に好きで仕事中ずっと聞いてたりするんですけども、でも確かに聞き流すようになってしまっている。
トラクターとかコンバインとかそういう農業機械を運転しながら好き好んで聞いてはいるんだけれども、けれども例えばそれを集中して聞くような状況で昔のように以前のように聞いてるかという風に言われるともうそんなような状況とかそんなようなことができるような年齢でもなくなってきてしまっているなって思うんですよね。
それもあってそのポッドキャストに対してがっかりしてしまったっていう風なのもジャスターの中にはあるんじゃないかなっていう風なのチリヌルの最終回を聞きながら思っていたところなんですよね。本人はどのようにお考えなのかはさっぱりわからないけれども私はそうじゃないかなって思ってるっていう風なぐらいだったりしております。
でねこの感覚っていう風なのはまあそういうふうに思うのは私がそう思ってるからだよねっていう風な部分なんですよ。あのそれこそ私はずっとポッドキャストに行礼していろいろとやってきたんですけども全部無駄だったなっていう風なことがですねまあここ1年ばかり思っていることなんですよね。
やれどもやれども無駄だなっていうね。だから頑張る努力が間違っていたんだなっていう風な感じがするんですよ。それこそ自分があの抱きすべきとかつまんねえっていう風に言っていた人たちの努力がやっぱり正解だったんだなっていう風なところがねわかるんですよ。正解だったからといってそれが面白いかどうかっていう風に言われると俺の方が5倍ぐらい面白いけどなっていう風なのは相変わらず思うんですけどね。
でも世の中はそういう集中して聞いてられないような人そしてなおかつ普段からあんまり面白くないような人とかつまんない人がたくさんいるわけですから。でそのつまんない人が聞くようなつまんない番組でどうつまらないかっていう風なところがあのポッドキャストとか配信とかそういう風なものとかで最も求められているような状況になってきてて。
創作の試行錯誤と新たなアプローチ
それでそれに合わせたポッドキャストとかそういう風なもので頑張っていくって風になるとどんどんつまんねえものになるようなって思ったりはするんです。
でもこういう風なことで自分が面白いものを突き詰めてやっていってそこから先に何にも行かないという風なのは単純なところ自分の腕の無さとかそういう風な部分でもあるかなとは思うんですよね。
合わせね1回聞いて引き付けられなかったっていう風なところでまあ腕の悪さとかその辺の部分は当然のことながらあらねーっていうのはあるんですけどね。
であとはあれかな結局のところあのポッドキャストとか内容とか詰める努力とかそういう風なものよりもですねどこかでかい番組にフックアップをされるですとかあとはSEO的な努力ですとかそっちの方が需要になってくるんですよね。
だから全然中身とか全く面白くもないしパッチワークみたいな内容だなっていう風に思ってても人気の番組ってあるじゃないですか。
でもそれがやられてるのは多分そういう風な側の努力だったりするんですよね。
なんで本当にあのやればやるほどというかあの俺がやってきたことは無駄だったなあっていう風なことをね最近いろいろと考えるようになってきておりまして。
なんかねあの本当にポッドキャストを始めた当初はこういう風に喋れるようになれたらいいなという風に思っててそれで思っている通りに喋れるようにはなってきたなって思うんですけども。
けれどもその先が何にもないんだよなーっていうところでね。
まあ最近はあの絶望したりしなかったりという風な状況だったりしております。
なんでここ最近ちょっとポジティブな話をしておくと、
自分の喋ってる内容とかこれをですね文字にするっていう風なので、
人が読めやすいような面白いような文字っていう風なのを追求する方向に研究とかそっちの考えの方をシフトしていこうかなって最近は思っているんですよね。
ただこれがチャットGPTとかその辺を使いつつガチャのようにいろいろやってるんですけどね。
まあうまくいかないねという風に思いながら最近はやっているところでございます。
そんなようなことをですねいずれちょっと話せたらと思っております。
正直喋れることはいくらでもあるんですけども、いくらでも喋れる時間だけがないという風な状況になっておりますので、
こんなところで締めさせていただきたいと思っております。
こちらの声日記不定期に配信をしておりますんでね。
またあの忘れた頃に配信しますのでご高読だけでもしていただけるとありがたいです。
てなところでまた次回。
13:44
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