2025-09-29 13:52

ポッドキャストとナラティブの話

ナラティブ、ナラティブ言いすぎて嫌になってしまう。

サマリー

ポッドキャスト制作におけるナラティブの重要性について考察し、ナラティブの多様な文脈と影響力を探ります。個人の体験や語り口がナラティブに与える影響を中心に、特定のイベントを通じてさらに深掘りします。また、ポッドキャストにおけるナラティブの重要性と共感の概念についても深く掘り下げています。フィクションを通じて語ることの意義や、それによって人生の葛藤を表現する方法についても考察しています。

ナラティブの概要
この声日記は、普段、営農とサブカル、スペキュレイティブフィクションポッドキャスト、ポッドキャストを聞く人よ、という3番組を配信している私が、ポッドキャストを作りながら、ポッドキャストについて考えたことを話をしていく声日記となっております。
今回は、ちょっとナラティブについて、ふわっと思っていることを話をしようかなと思っております。
そんなようなことを、ここ最近なんで話をしているのかという風なところを話す前に、そもそもナラティブってどういう文脈で今言っているの?という話からしておこうかなと思っています。
ナラティブって、ここ最近は流行りの言葉じゃないですか。 ビジネスの段階において、ストーリーが大事ですとかっていう風に言われている。
そういう風な、何かの商品を売る時にどういう風な文脈を持って語られているものなのかっていう風なのがナラティブと呼ばれていたり。
あと、もともとゲーム業界でゲームのストーリーテリングを、ユーザーが、例えば、いろんな方針を通って一本道のストーリーではあるんだけれども、ユーザーごとの体験が異なるよねっていう、
その異なる体験のことをナラティブと呼んでみたり。
あとは、心理学の用語とかだと、その人がそういうように語っているという風な語り口のことをナラティブという風に言ったりするそうなんですよね。
だから、心理学の用語だとナラティブセラピーとかって言いまして、その人の言葉とかそういう風な語り口を変えていくことによって、過去の意味付けとかそういう風なものを変えていくっていう風なセラピー手段があったりするよとかっていう風なことが言われてたりするんですけれども、
ナラティブという一語で言ってしまうと、どこの文脈でどういう用語なのかっていうのが全然用と知れない、なんかヌエみたいな言葉だなって私自身は思っております。
言ってしまうと、その人がその物事についてどう語るかっていう風なこと、その語り口っていう風なのをふわっとナラティブっていう風なことだと私は考えておりますので、
そんなようなことをちょっと話をしようかなと思っております。これは話をしようとしている理由の一つっていう風なのが、まず11月29日にイベントをやるので、そのイベントの一番最後のテーマをナラティブにして、
ポッドキャストにおけるナラティブとはどういう風なものなのか、どういう利点があるのか、ナラティブを磨くとか使うとかっていう風なことについて考えてみようかねっていう風なのをちょっと書いたり考えたりしてたりはしてたんですよ。
そういう風なことをやろうかなというふうに思ってたのと、ここ最近私がよく聞いておりますTBSラジオのポッドキャスト兼ラジオ番組、ポッドキャストではなくラジオ番組ですね。
TBSラジオライフ、文化系トークラジオライフの方で特集として、君たちはこの夏をどう語るかっていうね、ナラティブの2025っていう風なのをやっておりましたので、そういう風なのを聞いて、
ぼんやりとナラティブとかそういう風なものについて考えたり考えなかったりという風なことがあったんでね、それについてちょこちょこポッドキャストを中心に話をしていこうかなと思っております。
ポッドキャストで今回ちょっと話をしようと思うと、結構それぞれテーマを細分化すると、すげー話すことあるなこれっていう風なやつだったりするんですよね。
それもあって、今回は概略的にこんな風なことを考えてるよって話をしていこうと思います。
まず、ことポッドキャストを、例えばラジオパーソナリティとして配信する限りにおいて、ナラティブっていう風なのは、その人が元々持っている固有の独自性だったりするっていうか、固有の独自性って同じ言葉を2回繋げてるんですけども、
まあそんなような、その人の語り口っていう風なのが、それだけで本来ユニークであるはずのものだよねってものが、ナラティブに起因しているものかなと思っております。
例えば、こんな仕事をしておりましてとか、こんな人生を送ってきまして、こんな病気がありましてっていう風なものを前提にした語り口っていう風なのは、その人固有のナラティブになり得ると私は考えています。
なので、そういう風なナラティブに思って、同じ、例えばそうだな、恋愛について話をしましょうか。
恋愛について話したとしたら、例えばこの職業だったら、年収がすごくあるから入れ食いで同行とかっていう風な話。
あとは年収があるからこそ取れる手段でこういう風な手段があってねとかね、お金ばっかりで群がってきて大変だよとかっていう風な話もできるかなとは思いますし、
あとは病気がある人にとってみたら、例えばこういう風な病気があるからそれを理解してもらえるのが大変とか、その人固有の語り口で、その一つのテーマに対してもいろいろと語り口があるだろうなっていう風なものだったりしております。
だからその人がどう受け取るかっていう風なのは、その人固有の生育歴というか経験というか人生というか、そういう風なものをひっくるめてナラティブって私は考えてるんですけども、合ってるかな、なんかこの辺の部分から怪しいなと思うんですけどね。
とりあえずそういう風な語り口で、語り口のことをナラティブっていう風に話をしておこうかなと思っております。
この時点で違和感があるよっていう風に言われたので、ちょっとはいろいろと考えないといけないなと思うんですけども、まあまあそんなようなもんかなと思っております。
で、このナラティブっていう風なのは、ポッドキャストをやる上で基本になる、使える、一番最初に使える唯一の武器だったりするかなと思うので、
ここを磨いていったり特徴付けていったりすると、それが元で跳ねたり興味を持たれたり、面白くなったりするってことがあるかなと思っております。
ナラティブの変化
だからなんか特定の職業に就いていて、その職業に就いている人だから話すっていう風なのは、そのナラティブなろうなぁと思っております。
ただこれを語り続けていくっていう風なのは、結構怖いことだったり危険なことでもあるかなと思っております。
わかりやすく言うと、矢沢栄吉が矢沢になるというか、矢沢役をやるというか、あれもナラティブ、おのれを矢沢という風なキャラクターだという風なのを演じてるっていう風なナラティブでやっているからこそ、あんな風になってしまうんじゃないのっていう風なのがあるので。
同じことを語れば語るほど、セルフフィルターバブルというかですね、そんなような感じで、自分がそういう風なキャラクターの人であるっていう風な形で、自分のナラティブみたいなものを固めてしまうっていう風なことがあるかなと思うんです。
その固めてしまった結果、例えば人生においての選択肢とかそういう風なものでつまづいたりトラブルがあったりっていう風なところがあるので、厄介なもぶんだなーっていう風なのがあるんですよ。
で、あと同時にナラティブっていう風なのは変わることもあったりする。
だから大きな出来事、家族が亡くなってしまったり家族が増えたり恋人ができたり恋人と別れたり、あとは仕事を始めたり仕事を辞めたり、こういうような大きなことがあったりすると、その途端に何か物語というか語り口がいろんな影響で変わってしまうことっていうのがあるかなと思います。
で、変わってしまった場合の厄介なことっていう風なのは、例えば変わっちゃったねこの人とかね、昔は面白かったのにねっていう風に言われることが発生するのはこのナラティブの違いだったりするだろうなぁとは思っております。
本人にとってみたらずっと変わらないつもりでやってきたはずなのだけれども、気づかないうちにナラティブが変わっていたというか、話をしているうちに先鋭化していったものが受け入れられなくなっていったっていう風なこともあるんじゃないかなと思っております。
あと、コトナラティブにおいて問題になりそうなことっていう風なのは、話をしている側のナラティブと聞いている側のナラティブの受け取り方が全然違うという。
これナラティブでまとめて話をしているけれども、ナラティブじゃなくてもいいんじゃないのっていう風な気もする話題だな。
コトナラティブとか、よくポッドキャストとかそういう風なのをやっていてよく言われることなんですけれども、共感が大事だよねっていう風なことが言われてたりするんですよ。
で、その共感っていう風なものって何っていう風な部分なんですけども、人によったらあるあるネタみたいなことを言われたりするんですけども、それは全然理解が違っていて、実際のところこの共感っていう風なものの正体って私はナラティブが共通しているかどうかっていう風なところだったりするんですよ。
で、場合によったら何か共通しているように感じさせる全く別のナラティブっていう風なものも割合存在していることがあるかなと思ってるんですよ。
自分の例で話をすると、そうだな、僕は長らくポッドキャスト番組をやっていて、そして自分のポッドキャスト番組のタイトルに営農のという農業を示す単語を入れてしまったがばっかりに農系ポッドキャストという風に言われることが多かったりしております。
内容を聞いてもらえれば、農業について大した話をしてないというのはわかるはずなんだけれども、けれども農家の人がやっている、だから同じような境遇、同じような考えを持っているはずだという風なナラティブの人に誤認をさせるような配信というの。
一時期は意図してやっていた部分があるけれども、今現在は重荷になっているのが、この辺の偽装したナラティブの慣れの果てという風な部分もあるかなと思います。
自分でも嫌になってくるな。そんなようなことをちょっと考えているよっていう風な話ですね。
フィクションの役割
であとなぁ、こと、ナラティブとかこの辺の部分を話してをしていて思うことなんですけども、例えばの嘘の話とかフィクションとか、私は自分のポッドキャストでスペキュレイティブフィクションポッドキャストという風なのをやっております。
どんなモチベーションでやっているのか全く理解できないっていう風に、割合言われることが多かったりするんですけどね。ただ私はこれをやりたくてやっているし、やらざるを得なくてやっているっていう風なのもナラティブが関係している部分だったりするんですよ。
平たく言ってしまうと、自分の人生の出来事とかそういう風なものっていう風なので、私は人に語ることができないものっていう風なものがたくさん今現在増えているんです。
別な犯罪をしているとか不倫をしているとか、道義的に間違っているとかっていう風なのは大してっていうかしてないんですけども、してなくても、でも例えばあんまり褒められるべきじゃないとか、話したところで中年なのにみっともないっていう風に思われることですとか、そういうようなことっていう風なのがすごく積み重なっていて、それを語る言葉を持てないものっていうのがあったりするんですよ。
で、それを話すために必要なことは何かというと、嘘を噛ませることだったりするんですよね。
それもあって、そういう風なものを通して話すことができるのがフィクションだったりするので、スペキュレイティブフィクションポッドキャストはそんなようなやつが内側に籠っていて作られてはいるんだけれども、
けれどもそういう風なものだとは多分誰も認識ができないだろうなぁと思いながら作っています。
だからね、そういう風な感じで話ができるものっていう風なのがどんどん減ってきてるっていう風なのがあるので、なかなか人生がうまくいかないなという風なことが最近は多かったりするんですよね。
そんなような、今現在は話がごちゃごちゃになってたりはするので、このナラティブっていう風な用語を使った方がいいのかどうかっていう風なこと。
この辺の部分という風なのは少し当日まで悩もうかなとは思ってますけれども。
その人固有の話し口というか考え方というかそういう風なものの基礎になるようなものっていう風なものをひっくるめて人生の物語としてのナラティブっていう風な形で扱って、
ポッドキャスト運営とかポッドキャストの中身を面白くするためになぜ必要なのかっていう風な話を11月29日のイベントとかでしようかなって思っておりますんでね。
ちょっとでも引っかかりがあるようでしたら遊びに来ていただけると嬉しいです。
というわけで長々とお付き合いをいただきましてありがとうございました。
こちらの恋日記は不定期でやっておりますんで何かありましたらコメント等をお寄せいただけるとありがたいです。
ではまた。
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