パチパチパチ。ありがとうございます。なんか私と北野さん、多分半年ぐらい前でしたかね、私のもう一つの仕事の京都市のソーシャルイノベーション研究所という、SILKというのがありますが、そのねオープンデーみたいな時間の時に北野さん実は来てくださって、
はいそこから、私はもちろんその前から存じ上げてたんですけど、あのキャリアブレイクの北野さんだ、みたいな感じで、はいそこから、今日もご快諾いただきましてありがとうございます。
ゆるゆるとですね、トークする番組なんですけど、先ほどから何度も言っている、キャリアブレイクって何なの、みたいなところで今日お伺いできればと思っていますが、まずは簡単にちょっと北野さんの自己紹介からお伺いしたいなと思っておりますので、よろしいでしょうか。
はい、よろしくお願いします。
高博と言います。
ラジオでは伝わりにくいかもしれないですけど、髪が長くて、いつも話題に出るんですけどね、ラジオの時なかなか伝わらないので、
そうですね。
最初にご了承いただいておかないと、話題に挙げてもらうこともあって、
はいはい。
今はキャリアブレイクというヨーロッパ発祥の文化なんですけど、それの研究と実践をしております。
よろしくお願いします。
そうですね、ちょっとトレードマークというような感じのね、
すみません、誇張しちゃったんですけど、さっき、ごめんなさい、大丈夫ですよ。
はいはい、ノートを拝見してたら、ちょっと前の投稿に同じ髪型をしてる人と、最近は写真を撮るのにハマってますっていうのを言いましたけどね、
ぜひちょっと気になる方は、ノートに写真も載っておりますので、見ていただきたいと思います。
しょうさんは初めましてですね、この番組って。
初めましてなんですけど、アズマックスさん、東さんとFacebookでつながっておりまして、何度かお仕事させていただいたことあるんですけど、
彼がよく話題に出していて、きてのさんのことをですね、あとキャリアブレイク研究所のことを話題に挙げられてて、
実際私も会社を辞めた後に、いわゆるキャリアブレイクみたいな期間があったりとかして、でもその当時はキャリアブレイクって言葉がなかったんで、
あんまりそれをうまく表現できなくて、今となってはふらふらしてますとか、キャリアブレイクしてた時期がありますって言えるんですけど、
あんまり表だって言えなかった時期があるなと思ってて、なんか改めてそういう文化がしっかりと日本にも根付いて、これから来るのかなっていうのをすごくちょっと今日はお話を聞かせていただくのにワクワクしておりますので、よろしくお願いいたします。
あれですか、それこそしょうさんは会社を辞めて、次を決めずに会社を辞めたことがある?
あります。
当てはまりますね。
ちょうど10年前なんですけど、会社を辞めて、ミャンマーに行くっていうことだけを決めて会社を辞めたんですね。
その後1年半ぐらい海外いろんな国を回ったりとかしてて、まさに今思うとキャリアブレイクの期間だったんですけど、あんまりそれを表だって言えなくて、
かっこいいんじゃないですか。
今だとなんでそんなだったのかと思ってた。
10年前ですもんね。
なので、海外をほぼブラブラしてたようなもんなんですけど、一応ボランティア的に現地のNPOでちょっと活動してたりとか、
いろんな知り合い付でにいろんな活動をしてたっていうのもあるので、一応そっちを誇張して言ってる自分がいましたね。
だからちゃんと積極的に休んでるとか自分のことを考えるっていうことをあんまり言えなかった時期があるんですよ。
だからそこらへんがキャリアブレイクって言葉だったりとか、概念みたいなものを発信してくださることで、
そういう時間をもっと大切にできたりとか、積極的にそういう機会を取るっていうことが文化になったらいいなっていうのを自分が経験者としては思いますね。
そもそもリスナーの方も聞いたことあるよって方も、もしかしたら初めて聞いたよって方もいらっしゃるかなと思うので、
北野さんよろしければ改めてそのキャリアブレイクという考え方がどんなところから来ているのかっていうところを教えていただけたら嬉しいです。
本当にショウさんみたいな感じで、いわゆるキャリアにブレイク期間を入れる。
それこそ離職期間だったりとか、会社の制度で長期休暇とか給食なんていうのも含みますし、何らかキャリアを中断して立ち止まる時間。
その時に人生とか社会とかを見つめ直す、そういう時間を持つことをキャリアブレイクと言いますね。
なかなかね、日本だとブレイク期間というより、ブランクが生じてしまう。空白で例えば子育てで一旦ちょっと給食する方とかは、もうブランクができちゃったみたいな、マイナスのイメージが日本は。
まだ強いのかなっていう感じですけど、そのあたりは、もともとあれですよね、ヨーロッパ発祥のアイディアっていうことがありますよね。
そうですね。
イギリスなんかは、キャリアブレイクの学生版でギャップイヤー。
高校を卒業してから大学入るまでは1年ぐらい旅してたりとか、そういう節目節目に1年とか半年とか間を空けるギャップイヤーっていうのも強くて。
でも大人になっても普通みたいな感じで。
そんな言ってるんですけど、私も高校卒業して大学入って大学卒業して社会になったので、
間が開かない方がいいと思ってたし、間を開ける人ってブランクになってしまうとか、
ない方がいい人生だと思って過ごしてきたので、
そういう社会通年になっているのは、ごくごくわかるなという気持ちですね。
そうなんですね。北沢さんご自身も、例えばおかないですけど10年前とか20年前とか、
当時の自分からすると、そういうキャリアブレイクなんてことをまさか広める立場になるとは思ってもなかったような感じなんですね。
そうですね。いいじゃないですか、別に立ち止まる必要なんて。
会社をわざわざ辞めるってリスクしかないですし、辞めるとしても次決めてから辞めたほうが良くないですか。
いやいや、それが一般的というかね、思いますよね。
この時代、コロナもあったりだとか、
だいぶ私たちを含め働くっていうことの価値観を捉え直そうみたいな機運はね、
少し出てきているのかなという気はしますけどね。
なので、しょうさんみたいに次を決めずに海外行くとか、
なんか信じられないって大変な言い方ですけど、
突拍子もない人だなーみたいな感じで。
そんな北野さんがキャリアブレイクっていうものを研究されてるっていうのは、
ご自身自身もキャリアブレイクを経験されたとか、
それの良い面だったりとか、そういったものを見つけられたっていうことがあったんですかね。
私が初めてそういう文化を知ったのは、妻がきっかけで。
妻も新卒から商社で働いてて、一回転職したんですけどもずっと商社で働いてて、
入社7年目とかですかね、27、8歳ぐらいの時に、
ほんとしょうさんみたいな感じで、
ちょっと1年無職してみようと思うって相談を受けたんです。
すごい。
そう、なんかすごいっていう気持ちと、なんでそんなことするのみたいな気持ちと、
そんなのしたら次就職できないかもしれないよとか、
その間給与が止まるの怖くないのとか、
なんか最初受け止めれないみたいな。
パートナーの方の、まさに選択に戸惑ったところから。
そうですね。戸惑った。
私の方が一般的な考えで、妻の突拍子もないアクティビティみたいな感じで。
全然あれですか、前からちょっとそういう前触れがあったとかなく、
割と突然言われた感じだと思います。
前触れというか、3社目に向けて結構転職活動してたんですよ。
商社なのか、今あるスキルとか経歴を使って次の仕事を探していて、
内定も出たりしてたんですけど、
なんかそれでも違和感があったんでしょうね。
全く腹落ちしない何かがあって、
重ねて多分すごい疲れてたんだと思います。
新卒から7年ぐらい一生懸命働いてきて、
転職もいいけど、ちょっと落ち着いて人生のこと考えてみようかなみたいな感じで、
1年無職をするっていうのが彼女の中で選択肢として上がってきて、相談を受けたっていう。
ここがきっかけだったんですね。
当時はまだキャリアブレイクって言葉も知らないんで、
何するんだろうなみたいな。
そんな感じでした。
でも実際その1年間奥様がキャリアブレイクを経験されて、
彼女が変わったのか、それともどんなふうに変化していったのかとか、
あとそれを北野さんがどう見られてたとかっていうのは何かありますか?
そうですね。それで最初1年無職するっていうのを合意というかね、やってみようっていう感じで、
最初に何かしてほしいことあるか聞いたんですよね。
お金のサポートなのか、メンタルケアなのか、
わかんないんですけど、何かしてほしいって聞いたら、
ほっといてくれって言われたんですよね。
やっぱその時に職業がない、所属がない人をケアする気持ちが自分にあったんだなって思ったんです。
ほっといてくれって言われて、ケアの対象、弱者と思ってた自分がいて、職業がない、無業状といって、
でもやっぱよく妻の話を聞けば別に弱者なんじゃなくて、人生の天気を作ろうとしてただけであって、
そっか、ごめんごめん、ほっとくわみたいな感じで、
なんかついついやっと弱者、ケアが必要みたいな。
そういう手を差し伸べた瞬間に、ケアする人とケアされる人っていうのは主体と客体ができる。
そんなことを感じたスタートでしたね。
私でも同じことを言った気がします。自分のパートナーが。
無意識にやっぱりそういう職がないということの、本人じゃなくて周りのその捉え方にね、
それこまれてる部分があるんだなっていうのは確かにハッとさせられますね。気づきとして。
なんか面白いなと思ったのが、ご自身の経験じゃないんだなっていうところがきっかけはね。
きっかけはご自身の経験じゃないところで、でもその近くにいる方の事例というか、
実際のそれを経験された方を見てて、それの可能性っていうところに気づかれたってことなんですかね。
そうですね。
とはいえ最初は半信半疑で1年過ごす。
でも、家の片付けしたりとか、断捨離してましたよね、最初は。
で、オフィスカジュアルしかないわけですよ、家には。好きな服なんて意外とないとか言い出して。
本当に身の回りのものがどんどん変わっていって、旅に出て、
親に会ったり、昔尊敬してた大学の前半に会ったりとか、
行きたかった場所に行ったり、読みたい本を読んでみたい映画を見てみたいな。
本当に楽しそう。本人はね、楽しむ裏側にやっぱ他の人は働いてるのにとか、
この先どうなるんだろうとか、すごい楽しい気持ちと苦しい気持ちとないまぜだったとは言ってたんですけど、
なんかやりたいことやってる間に、結局途中からITの2教員を持って、
後ろの半年ぐらいはITの学校に通ってたんですよね。
結局ITの会社に、化粧品系の会社なんですけど、
ITのエンジニアとして正社員で再就職して、
やっぱ面白いなと思ったんですよね。1年という時間を自分に投資して、
もちろんいろいろありましたけど、やっぱ人生を再構築したんだなと思うと、
面白い選択肢だなと思って、もちろん妻がたまたまうまくいっただけかもしれませんけど、
私は1年無職して人生を再構築するっていう選択肢を考えたこともなかったので、
なんかすごいかっこいい、自分で天気を作るってかっこいいなと思って、
そういうブログを書いたんですよ、私の妻が。
それを今共同研究することになった法政大の先生がご覧になられて、
連絡が来て、千山くん、それってキャリアブレイクって言ってさ、みたいな。
そういうキャリアにブレイクを入れて、人生を再構築するっていう文化が世界にはあってねって教えてもらって、
そこで言葉を知ったんですよね。
その後ぐらいに、じゃあ初めてキャリアブレイクという考え方、ヨーロッパでは文化になってるっていうのを知って、
そこから何かどういう、北野さん自身はどういう変化があったというか、
ネクストアクション的にはどんなことから動かれたんですか。
文化なんだって感動。
私は当時会社員で働くのすごい楽しかったので、
別に働くことも全然素晴らしい、バーとギリギリまで頑張る、今の首相の話も。
ここで触れるのは危ないかもしれないですけど。
本当にちょっと言葉を選ばずに言うと、私はいいと思うんですよ、働きたい人がバリバリ働いたって。
変にワークライフバランスだってそれに縛るよりも。
かつ転職もいいと思うんですよね。
3つ目の選択肢に、いろいろうまくいかない時とか納得できない時あると思うんですよね。
3つ目の選択肢として立ち止まって考えるっていうのが、世界では3つ目の選択肢としてある。
それが社会認知もあって、そうやって人生を再構築する人は普通に文化に包摂されてるって、めちゃくちゃ面白いなって思って。
でも当時会社員でしたから、ブログというかね、ちょっとこういう文化があるみたいな発信とかして初めて。
でもすごい反響があって。
この先の大学の先生以外からもいろいろ反響があったんですね。
そうですね。
なんか面白くなって、家が当時、妻のキャリアブレイクに合わせて大阪市内に住んでたんですけど、神戸のね、結構西の方の海沿いに引っ越してたね。
結構家も大きいの借りてて、なので部屋も余ってたんで、宿、民泊で遊びで宿を始めて。
キャリアブレイク中の人のための宿。
遊びですよ、まだ私も会社員してましたけど。
でももう人がすごい来るんですよね。
最初は隣駅の女の子でした。
新卒で1,2年働いて、でも私の人生こんなもんじゃない気がして。
でもすごい私は知ってる世界が狭くて、次の人生もまだ見つけきれないから1年無職してましたっていう女の子が隣に来て。
いるんだなと思って。
ほんとですね。しかも隣町すぐ近くに。
そういうすごいポジティブな人もいれば、たまたま人間関係合わなくて人生見つめ直すために給食しててとか、
なんか頑張りすぎてバーウトでメンタル不調になっちゃってとか、
育休産休中でとか、介護のために会社を辞めないといけないことになったんだけど、
やっぱここで人生を再構築する。
これをただの介護のせいにするんじゃなくて、見つめ直したいんだとか。
立ち止まりたい人って当たり前ですけど、めちゃくちゃいっぱいいたんだなって思って。
ヤドを始めて実感しましたね。
なるほど。しかも本当に事情はね、さまざまですよね。立ち止まる理由というか、その方にとって。
人の数だけ理由があるんだなっていうことですよね。
メンタル不調とかって病院、精神科に通ったりすると、そういう人ばっかりで集まることもあると思うんですけど、
うちって別に放浪中の人もいれば、弁護士の資格取るために会社を辞めた人とか、
もちろんメンタル給食の人もいるし、介護離職の人もいるし、立ち止まるっていうキーワードが共通なだけで、
いろんな人がいて、
ちょうど適応障害の女の子が、適応障害ってうまく適応できなくて心身の不調になる、
適応障害の女の子がいて、
もう一人、別の女の子が、旅してる女の子が泊まってて、
その女の子が、私適応障害になっちゃって、すごい残念そうに言ったら、その旅してる女の子が、
あなた適応しなかったのねって、すごい目キラキラさって言ってたんですよ。
その子からしたら、社会に適応しないことがかっこよかったんですよ。
そういう受け止め方を。
そうしたら、適応障害になっちゃってって言ってた女の子も、
そうだよね、私は私を守ったんだねって言って、急に元気になって帰ったりして。
転換できたんですね。
最初はそういう宿を運営するとこから始まりました。
思いのほか、そういった、
社会に見えなかっただけで、
あるいはそういう人と、自分がバリバリ働いてる時とか特に、
やっぱり出会いにくいですもんね。
ちょっとその場を開いてみたら、それだけやっぱり、
見えにくいところで、いろんな思いで立ち止まっている人が、
潜在的にたくさんいたということに、
気づいた時間になったってことですね。
言葉って、言葉があるってことは、私以外にもいるっていうことで、
この活動を始めて、
なんか、妊活っていう言葉を作った人に出会うことがあって、
妊活とかも、言葉ができるまでは不妊なわけじゃないですか。
妊活するってことは不妊状態で。
不妊治療とかいう言い方とかですよね。
ちょっと前までは、やっぱり女性は子どもを作って一妊前、
不妊っていうのは恥ずべきことで、罪で悪いことみたいな、
そんな状況があって、言えなかったわけですよね。
不妊だっていうことも。
だから言えないと、周りにいないように見えるし、
自分だけが困っているように見える、
すごく孤独なものだったのが、
妊活っていう言葉が普通に言える。
芸能人も最近ね、妊活してますとか。
妊活のためにアイドル活動休業しますとか。
女性の雑誌とかにも特集とか組まれたりしてますもん。
あの言葉を作った人も、言葉ができてから、
私以外にも不妊状態で、
でも子どもを作ろうとして、前を向いている人がいるんだっていうのが、
分かって、ちょっとした連帯ですよね。
私以外にもいる。
名前がつくことで。
しかもそれが単なる言葉というより、
含まれている意味が転換されるわけですよね。
今までだったら、不妊とか無職とか、
マイナスの意味だったものが、
ポジティブに転換したコンセプトとして名付けられる。
そこが大きいですよね。
ここに名前がつくっていうのが、確かに。
そうですね。
なるほどな。
私は本当に妻のキャリアブレイクが、
なんかかっこいいなーみたいな、
いう気持ちで文化をピックアップしただけだったんですけど、
社会の連帯の柱になるような動きになってきて、
これはちょっと本腰入れて、この文化について、
関わってもいいなー。
社会の要請でもあるかなーみたいな気持ちで、
会社を辞めて起業したっていう感じですね。
それが何年前ぐらいになるんですか?
ちょうど3年前ですね。
ちょうど3年ぐらい。
3年なんですね。
もっと長いようなイメージでした。
すごくいろんなとこで、私の場合は結構聞いてたりしたので、
3年なんですね、日本に来て。
2022年の10月末に起業してるので、ちょうど3年なんです。
ちょうどですね、10月末は3周年。
コロナが開けてってぐらいですよね。
そうですね。
確かにコロナ開けて、2022年とか3年ぐらいって、
ちょうど社会の自覚変動というか、
それまで毎日週5で働く、
満員電車に揺られて、
組織に勤めてっていうのが当たり前だと思っていた日本社会が、
結構大きな揺らぎを経て、
じゃあこれからどうするみたいな、
それこそさっき選択肢とおっしゃってたように、
自分にとってちゃんと主体的に選び取るっていう意識が、
少なからずそういう意識の人が増えてた時期な気もしますね。
今思えば。
これもコロナがね、ちょっと強制的に立ち止まる機会。
みんな考えちゃったんでしょうね。
考えましたよね。
最初だって、私もちょうど2000、実は私は、
コロナが始まった2020年に京都に移ってきたんですが、
その直前まではちょっと3年ぐらい東京で働いていて、
それこそ私も、東京時代含め10年ちょっと、
割ともう本当に息継ぎしないような、
息を止めたまま50メートルプール泳ぐみたいな働き方をしてたので、
まさにですね、2019年の年末ぐらいが、
なんかふと私もちょっと糸が切れたみたいになって、
前ちょっとね、北野さんと個人的にお話した時にお伝えしたかもしれないんですけど、
それで実はちょっと京都に来たというのがあって、
最初はあれでしたもんね、
リモートで仕事をしましょうみたいなことになって、
果たしてリモートで仕事なんてできるのかなみたいな時期でしたけど、
もうすっかり定着してというか浸透しましたよね、この2、3年でね。
キャリアブレイクっていうことに関してはどうですか?
私の意味では、この3年ぐらいで立ち上げられた頃と、
だいぶ浸透度合いが違ってきたなとか、感じるところあります?
この3年での変化。
はい、3年での感じてらっしゃる変化。
そうですね。
最初はね、妻の気候ぐらいに思ってたんですけど、
やっぱ今回のショウさんとかもそうだし、
なんかすっごいいるんだなって。
新しい文化を輸入してきたというよりは、
ある実態に名前がついたっていう感じで、
老人時代そうだったかもな、いろんなこと考えたしなとか、
定年退職してからいろんなこと考えたなとか、
逆に定年退職に向けて、実は3ヶ月給食とって人生のことを考えたんだよねとか、
育休、産休がそれだったかもとか、
実態ってあって、既に日本国内でもあって、
名前がついたからみんなが語り始めた。
人活と一緒で、語ると存在するし、
誰かの勇気になって、
なかったことにされてた。
そうですね、確かに。
やっぱり履歴書にそういうブランクがあっても、
すごい評価できなかった、それがなかったこともはや、
ないどころかマイナスだった。
なのでこの3年は人活と一緒で、言葉ができて語る人が増えて、
少しずつ、そうだよね、
立ち止まるって人生を再構築するのが許されないなんて、
なんて窮屈だったんだろう、みたいな。
そんなのが実感として、少し広まったかなっていう感じですね。
なるほど、確かにそうですね。
輸入されて新たに生まれたものではなく、
元々見えないところで潜在してたところに名前がついたことで、
潜在化して語り始めたんですね、確かに。
ちょっと古い話になっちゃいますけど、
禅宗ってね、座禅の禅の禅宗とかにも、
生きるリズムっていう記載があるんですよね。
簡単に言うと、6年働いて毎年、
キャリアブレイク的な、そういう7年の周期で生きましょうって書いてある。
そうなんですか。
実はこれ同じことが聖書にも書いてるんですよ。
聖書にもシュミッターっていうページがあって、
それこそ6年働いて毎年、
そういう間を分ける7年の周期で生きましょうって、
聖書にも同じリズムで書いてあって、
そうやって人生に節目を作っていくと幸せに生きれる。
節のない竹はすぐ折れちゃう。
長くしなやかに育つために、竹は定期的に一定のリズムで節を入れるんですけど、
それが宗教のレベルでいくと、
7年ぐらいで人は存在意義を見失い、また見つける旅に出るんだっていう。
へー、面白い。
人間の知恵としてもあったんですね。
そういった宗教の人たちの提唱して。
へー、面白い。
ちなみに私は8年働いてやめて、
その後海外行ったりとか東北行ったりとか京都来て、
多分7年で独立したかな。
だいたい今おっしゃったペースで何かキャリア転換というか何か節目があったんで、
面白いなと思って。
ねー、ぴったり。
ぴったりだと。
そうですね、節をちゃんと作っていくっていうことなんですね。
むしろ何というか、ぼっかりなんか空いちゃうとかじゃなくて、
主体的に作っていくというか、そういう選択肢がちゃんとあるっていう。
ここが文化になっていくかどうかっていうところですね、日本で。
面白い。結局あれですね、時間が前半というか、
まだまだ話したいことあるけどいい時間になっちゃったんで、
一回ここで切って後半に行ってもよろしいでしょうか。
そうしましょうか。
私また聞きたいことあるんですよ。