はい、というわけで、今回もMoさんに、ゲストに来ていただいて、今日はですね、僕がずっとやりたかった、温めてた企画がありまして、
人生年表インタビューっていうのをずっとやりたいなと思ってたのを、今日初めて、Moさんとやっていこうと思ってます。Moさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、前回と同じで、今回も一緒にタイトルコールいきたいと思うんで、お願いします。
はい。
【Make Friends 実験Radio】
【Space Volcano!】
【S2-029】
というわけで、今回もですね、Moさんをゲストに迎えて、Space Volcano!初の2回連続ゲストということで、
今年はいろんな人を本当にゲストに招いて、いろんなお話を聞いていきたいなと思っててですね、
その第1弾にMoさん来ていただいて、前回は友達についてとか、青春についてとか、いろいろお話できてすごい楽しかったんですけど、
今日はですね、これが僕の中でメインディッシュだったんですけど、人生年表インタビューというのをやらせていただこうと思ってまして、
この年表インタビュー、僕何がやりたいかっていうと、
生まれた年から遡って、その人の何歳の時に世の中ではどんな動きがあって、
その時僕は何歳で、こうこうこんなことがあったなとかいう話をしながら、
同世代の人だったら、Moさんが何歳でこうこうこういうことがあったってこういうふうに思ってて、
僕はその時何歳で同じくこうこうこういうことがあったな、
僕はその時そう思ってたなみたいな話ができたら面白いなと思ったりとか、
単純にその人のことを生まれた時から順々に聞いていくことで、
知っていけることが楽しいっていうのと、もう一つ大きなテーマがあって、
僕がMoさんに対してインタビューをさせていただく、Moさんに対して思ってる印象がいくつかあるんですよね。
その思ってる印象が何でそういうふうな印象を持つ人になったのかっていうのを、
その人の歴史を紐解いていく中で知っていけたら面白いなって。
こうこうこういうことがあってから、この人にこういう印象があるんだなって思ったりできたら面白いなと思って。
事前に僕がMoさんに対して印象を3つあげるつもりだったんですけど、
4つ目ができちゃったから4つ分送らせてもらったんですね。
最初にインタビューする前に、僕がMoさんに抱いている印象をちょっとあげていきたいなと思うんですけど、
1個目が海外生活。
2個目がふっかる。ふっかるっていうのはフットワークが軽いっていう意味のふっかるなんですけど、
このふっかるっていうのは物理的にも精神的にもすごいふっかるな人だなっていう印象がある。
3つ目が好奇心・旺盛。
4つ目が反骨精神。
反骨精神っていう言葉が僕が思っているニュアンスに一番相応しいかどうかがちょっとはてなマークなところはあるんですけど、
とりあえず反骨精神という言葉にしておこうかなっていうのが僕のMoさんに抱いている印象。
海外生活・ふっかる・好奇心・旺盛・反骨精神。
この4つの印象がなんでそうなってるのかなっていうのがMoさんの歴史を紐解いていって、
分かっていったら楽しいなっていう、そういう企画です。
またいいかな。
今回人生年表インタビューという企画を始められるということで、
第1回に私を出させていただいて、本当にありがとうございます。嬉しいです。
とんでもない。
長く生きていた甲斐がありましたって感じですね。年表とかでね。
やっぱり話しがいがあるんでね。
なるほど。確かに。
やっぱりポッドキャスト界隈とかね、結構たくさんの方と知り合いができたんですけど、
結構年上なんですよ、私。
それを考えたら、こんぐらいですよ、みたいな感じでね。
一番初めでよかったなって思います。
なんでもいい方に考えてしまうんですが、ありがとうございますということと、
私もポッドキャストとか音声配信とかYouTubeとかなんでもそうですけど、
やっぱり話していらっしゃる方の年とか関係なくて、
どの年を生き抜いてきた人なのかということをいつも気にしてるなっていうのを今、
いつもそうなのね、誰にも言わないけど、
それでこの人がこういう時代を生き抜いてきて、今こういうことを言ってるということを、
お若い方でも同じね、だからどの頃に生まれてきてとかいうのを、
いつもそういうのを考えながら、どの方の話を聞くのかっていうのを結構センサーに、
センサーに引っかかるみたいなことがあって、
その引っかかった人たちの話をすごくめちゃくちゃ聞いてるんだけど、
聞いたりとか見たりとかするんだけど、
そういうのってやっぱり私なんか本当に、
その辺のおばちゃんなんだけど、もし残させてもらえるならきちんと、
いつ生まれてどういう時代を生き抜いてきたかと、生き抜いてきたってことではないけど、
生きてきた人で今こういうことを言ってるっていうことを残すことってすごく意味があるなって、
今本当ケイジ君がおっしゃってくださったことで思いました。
嬉しいです。ありがとうございます。
Make Friends 実験レディオ、スペースボルケーの
ちんちん
じゃあ早速始めさせてもらってもいいでしょうか。
お願いします。
モウさんがですね、生まれた年が1970年ということで、
僕が1975年なので5つ上ということなんですけど、
僕自分より年上とか年下とかを考えるときに、
自分が中学1年生の時に、
年上の人を考えるときはよくやるのは自分が中学1年生の時にその方が何年生かっていう風なので、
なんとなくイメージできるんですよね。
年齢の差が。
そうか。
そうすると、モウさんは5つ上になるので、僕が中1の時の高3になると思います。
だからそうやって考えると、親戚のお姉さんみたいなイメージですね、僕の中では。
で、もっと言うとちょっと分かりにくくなるかもしれないですけど、
僕大学演劇部だったんですけど、大学の演劇部って結構留年してる人が多くて、
関西は1年生2年生って言わず1回生2回生3回生とか言うんですけど、
自分が1回生の時に普通にその演劇部の先輩で留年して卒業できてない人で、
5回生とか6回生とか普通にいて、
クラブ活動はもうやってないんですけど、よくそのOBとして部室に遊びに来てたりとかしてたんで、
自分が1回生の時の5回生の先輩とかめちゃくちゃ仲良くさせてもらってたりしたんですよ。
だから5回生の先輩とか6回生の先輩とか普通になんかちょっとお兄さんみたいな、
そういう印象が自分の中である。
もうさんも自分が1回生の時の5回生の先輩かとか、
自分が中1の時の高3の先輩かと思ったら、
なんか同世代な印象があります。
自分の中で。
留年してるタイプです。
僕もまあ留年キャプテンと言われてたんで。
3回生4回やったんで。
そうなの?
そんな感じのもうさんが生まれたのは1970年で、
ちょうど大阪万博があった年ですね。
初回のその太陽の塔とかあった年で。
もうさん、生まれて最初の記憶とかって覚えてます?
ない。
え?
自分の一番その一番古い記憶っていくつぐらいの時の記憶ですか?
幼稚園の時とかの記憶?
3歳ぐらいで、うちの妹が生まれた時かな。
一番今思い出そうとすると。
妹さんが生まれた時の記憶ぐらいがある?
そうだね。
3歳ぐらい。
すごい無塾児だったから。
3歳ぐらい。
3歳だね。
ってことは1973年?
うん、そうですか。
その頃の記憶は結構あります?
妹さんが生まれて、病院に行った時の記憶とかそんな感じですか?
そうだね、違うな、誰かが。
行っちゃいけなかったから、写真家なんかで妹を見せてもらったか、
行ったのかもしれないとかわかんないね、全然そういうのも。
だから、今だったらみんなね、ブログに書いたり写真を残したりしてるんだろうけど。
すぐ写真撮りますもんね、携帯で。
そうだけど、行ったの、めっちゃちっちゃい赤ちゃんだなーみたいなことを思ったのだけ覚えてる。
じゃあ、保育機かなんかにまだ入っててみたいな。
そうそう、入ってる時に。
そんな感じかな。
それが最初の記憶。
面白くもなんともないけど、大丈夫?これ。
全然大丈夫ですよ、僕が聞きたくて聞いてるんで。
本当?
でも僕も、生まれて最初の記憶は、じゃないですけど、
次の記憶は弟が生まれて、三婦人家にお父さんとおばあちゃんと3人で弟に初めて会いに行く時の記憶が生まれてから2番目の記憶です。
え、1番目は?
1番目の記憶は、1歳の冬に、こたつに入ってて、
急に僕がこたつ、まだ1歳だからハイハイしてるっていうか、ちゃんと歩いてるかどうかも記憶ないんですけど、
とにかくストーブに向かって、ダーって急に。
走って行った時に、うちのお母さんとおばあちゃんが同時に、ダメって言って、
それでピタって止まって、こっち戻ってって言われて、そのままハイハイの形でバックしていった。
そしたら、お母さんかおばあちゃんかが、ケイジ君えらいね、もうすぐお兄ちゃんだもんねって褒めてくれたのをめっちゃ覚えてる。
弟が生まれる年の冬だったんですよね。
それがだから僕は2歳になる年の冬。
で、それから半月後ぐらいに弟が生まれて、その生まれた弟の三婦人化に、
父親とおばあちゃんと3人で手をつないで、歩いていった記憶が次の記憶です。
えー、ちょっとこれいろんな人の聞いてもらいたい。
なんかやっぱり他人ができるって。
他人ができる時を覚えてるのかもしれないな、ちょっとデータ貸してください。
だから兄弟が生まれるってやっぱりすごくインパクトのある出来事なんじゃないかなと思って。
その兄弟がいる人にとっては。
っていう気が、今サンプル2ですけど。
本当だね。これさ、今度からやってもらう人、これ1回目聞いてさ、
これケイジくんのやつ何回もケイジくんが話さなきゃいけなくなっちゃうから、
一応過去のやつは聞いてもらってからの方がいいかもね。
まあまあまあ、そうかもしれない。
でもまあまあ全然、僕もこう話す中でだんだんこう短くいい感じで喋れるようになってるかもしれない。
なるほど、じゃあもうその最初の記憶が妹さんが生まれた時で、
その次、例えば保育園とか幼稚園とか通ってた、
その小学校に入る手前の記憶とかで。
あのね、池袋に住んでたのよ。
4歳くらいまで。
それでね、すごく覚えてるのが、なんか可愛らしいクッキーがね、売ってたの。
こう瓶に入ってる。
それが欲しくて欲しくてしょうがなかったんだけど、
それは普通になんか子供が食べるようなお菓子じゃなくて、
なんていうのかな、御曹灯用というか、お友達にこうあげるような感じで、
その頃の当時の人たちは思うような感じで置かれてたものだったかもしれないんだけど、
本当にカラフルで、本当にお砂糖がちょっとついてるの。
このクッキーみたいのの上に。
それがいっぱい入ってるの。いろんな色の。
欲しくて欲しくてギャーギャー言って、
池袋の今で言うと多分西口なんだけど、
道でずっと泣いてて、親にすっごい怒られてた。
それは百貨店みたいな、駅ビル的なとこですか?
駅の中の、
路面店だね。
路面店でお土産みたいなのを売ってるような。
カフェみたいになってるところで、そこに置いてあったの。
親が多分友達と会ってたかなんかで連れて行かれたところで、
そこで何を買ってたのかも覚えてないんだけど、親がね。
だけどそこに目に入ったそれがもう欲しくて欲しくて欲しくて、
でも買ってくれなかったの、結局。
すごい、欲しかったことと買ってもらえなかったことをめっちゃ覚えてるってことですね。
でもその後、家まで帰ったでしょ。
それも大変だったはずなの。
すごいそれも覚えてるの。
帰ったからもすごいずっと言ってて、
それでなんかすごくなんか、
なんていうのかな、話をずっとされて、
そういうものは買えないのよとか、あれは違うのよ、
何をそれは飾って、みんなで提出して。
なんか綺麗で作ったね。
鉱石?
鉱石みたいので、私はその頃にもらった油性のさ、
6色ぐらいの油性のペンとかもらうじゃん、幼稚園の時って。
それこうやって塗っちゃって、すっごい上手にできたなと思ってたの。
そしたら私だけ色が付いてて、めっちゃ怒られたの、先生。
別に怒らんでもいいのにって思いますけど、やっぱあれですか。
みんなと同じことしないといけないのにしてなくて怒られたみたいなことですかね、それは。
そうじゃない。
みんなと違うことしたから怒られた。
そう。
だからそういう感じがあったから。
学級委員とかなんかあんまり向いてないなと思ったんだけど。
でも小学校に入ったらしっかりしてるからって言われたっていうことですよね。
しっかりって何だろうなと思って。
もうさんが小学校入学した時は7歳の歳だと思うんで、1977年ですね。
そうですね。
ちなみに世の中の出来事で言うと、1977年、昭和52年、僕が見てる年表には、
王選手756号ホームラン、世界記録を達成って書いてあります。
そうだね、朝の番組でやってたんだろうね、きっと。
覚えてます?
そういうので覚えてるのは千代の富士のいつも優勝してるのぐらい。
ありましたね。
ずっと勝ってるから、なんか全然面白くないなみたいな。
面白くなかった、私は結構ずっと勝ってて欲しかったけど。
ちなみに1977年は、昭和52年は、僕が生まれたのは昭和50年なんで、
僕がちょうど2歳の時で、毛さんが小学校入学した時に、年に僕の弟生まれてたんで、
ちょうど毛さんが小学校入学した4月の数ヶ月前に、僕がさっき言ってた最初の記憶、
ストーブに向かってハイハイしていったのが、毛さんが小学校に入る2、3ヶ月前の出来事ですね。
すごいね、面白いね。それでバックワーズいったってことね。
ハイハイでね。
すごいわ。
で褒められた。
面白い。
数ヶ月後に毛さんが小学校に入学して、あなたはしっかりしてるからって言われたってことです。
しっかりって何だろうなって思ったってことだね。
なるほど。
例えば1年生から6年生まで小学校あるんですけど、他人の先生のこととかって覚えてる先生とかいたりします?
いるね。毎年いろんな先生、面白い先生で、面白いっていうのは変わった先生もいたりとかして、いろいろあったけど、
どういう話がいいのかな。結構覚えてるけど。
この先生がこんなこと言ってたの覚えてるとか、学校の先生と何か、学校の先生とのやり取りで覚えてることとかあったりします?
そうだね。面白い変な先生がいっぱいいたんだよね。
一番よかった先生は4年生の時の先生で、その年にその先生が初めて小学校の先生になったんで、
それでめちゃくちゃ優しいっていうか、すごい気にかけてくれてね、私たちのことを。
すごい楽しくて先生のお家に行ったりとかして、楽しかったことあって、
言ったこととかちょっと覚えてないけど、4年生が一番楽しいなーって中学の時とかずっと思ってたの。
4年生ちょうど10歳ですね。1980年。なんか初めて買ったレコードとかカセットテープとかCDとか覚えてます?
覚えてるレコードはね、シュガーっていうののウェディングベルっていうやつ。知ってるかな。
もちろん知ってます。あれって、それ小学生の時ですか?中学生になってました?
たぶんまだ小学生だったんじゃないかな。
綺麗なコーラスから始まる曲ですよね。
ウェディングベルって。
ウェーディングベルってね。あれちょっと調べてみます。シュガー。
どうしてるんだろう、あのお姉さんって。もうおばあちゃんになっちゃってる。
まあそうですね。
結構大好きだった。
1981年ですね。だからモースさんは11歳。小学5年生。
5年生ですね。
じゃあ5年生の時に出た曲。たぶんその出た年に買ってますよね。
昭和56年11月21日発売って書いてあります。
へえ。
だから11歳の冬に、たぶん手に入れた最初のレコード。買ってもらったか。
買ったのかな。
小遣いで買ったか。
分かんない。買ったんじゃないかな。やっとお友達と一緒に近所のレコード屋さんに会ったよって聞いて、
もう視野が狭いんだけど、お客さんは私とその子しかいないみたいな感じで、
じゃあちょっと同じ時間に学校からスタートして、早く着いた方がそれ買うことにしようみたいな。
それ別に、2人とも欲しかったんですよね。
もう1個しかなかったから。
1個しかないのか。
じゃあ絶対もう2人で同時にスタートしていこうとか言って、結局行ってみたらもうなかったみたいな。
人気で売り切れてたってことですね。
もちろん、もちろんね。
で、その後変えたんですか?どっかで別の所。
それでなんか違う、それはもう本当に町のレコード屋さんみたいな、昔あったじゃん。
ちっちゃい町のレコード屋さん、本屋さんみたいなレコード屋さんみたいな。
そこだったんで、ちゃんとあのなんかちょっとしたデパートみたいなところに行って帰ったのを覚えてます。
ちなみに小学校は公立の小学校でした?普通にそのまま地元の。
で、中学校もそのまま地元の公立の中学校に住む感じですか?
そうです。
13歳の時だと思うんで、1983年に中学校に入学して、中学校の時とかはちょうどあれですかね、ヤンキーとかがブームになってた頃ですか?
なんか、
積木崩しとかのテレビが流行ってた。
なんかヤンキー、今見てる出来事年表ってやつ見てるんですけど、ヤンキー族とかギリチョコとか書いてありまして。
えー、あの頃からなんだ、ギリチョコって。
あと東京ディズニーランドがオープン。
それは私行ったんですよ、開演前に。
開演前ってことは。その時はもう千葉でしたっけ?
千葉。だから6年生の中学始まる前の春休みだったんじゃないかな。それはまだ開演前だったはずなの。
83年の4月に開演なので、確かに中学生になる年の春休みはまだ開演前、プレオープンみたいなやつに地元の子どもたちが招待されたみたいなやつですかね。
あのね、なんか京成線沿線とかの会社とかの関係の人は結構そういう招待券持ってて、それで連れてってもらったの。
なんか覚えてます?そのディズニーランドに行った時のこと。
めっちゃ覚えてる。やばいこれと思った。
で、一番初めに乗ったのはカリブの海賊。
へーすごい。
左に曲がってすぐのところにあります。
これやばいと思った。本当にやばいっていう言葉は知らなかったけど、もう本当になんか全身でドキドキした。
へー面白い。
それは友達と行ったんですか?家族で行ったんですか?
うちの母親のお姉さんの旦那さんがなんかの関係でもらってきたチケットで4枚あって、そのおばちゃんだからおばちゃんとおばちゃんのうちのだから娘ちゃん、いとこと、私と私の妹で行った4人で。
いとこさんはいくつぐらいの方だったんですか?
いとこはうちの妹と同い年のいとこで。
じゃあもうさんは中1で、妹さんは2つ下?
4年生になろうとしてた。
4年生か。はいはいはい。
そっかそっか。
で、おばちゃんと3人で行って、4人で行って。
いや今でも覚えてる。入った時のミッキーマウスのカダンみたいなところに結構何がいたか忘れちゃったけど、ミッキーマウスとかそういうメインキャラはいなくて。
もうあの時にもう、やばいここって思って、やばいって違う言葉はわかんないけども、全身が震えたのを覚えてる。
すごい素敵すぎる、やばい来ちゃったみたいな。
すごいもうお客さんとして100点満点ですね多分ね。
あ、そうなの?
ディズニーランド側からしたらそうやって、そうやって思ってもらえるのが一番嬉しいでしょうでも多分。
あーそうか。
中学生の女の子ぐらいの感性が一番あれだったんじゃないですかね。妹さんとかより感激してたんじゃないですか、モンさんのほうが。そんなことないですか?
そうね、妹たちはなんかポケットしてた感じがするけど、なんかカリブの海賊とかの、なんかこう目の動き、目は動いてなかったのかもしれないけど、体が動く人形がいて、
あとフォンテッドマンションとかの、なんであんなお化けが動いてるの?とか、わかんないじゃないどうしてそういうのができるのかとか、なんか投影してるみたいなのかな、そういうのって動いてるのは。
動いてるしやばい、音楽やばいとか、そういう感じだった。やばいはだから使ってなかったけど、これすごいもう、ってもう下心臓ずっとドキドキしてた。
えー面白い。
すごいすごいですね。
そんなの初めて話したわ、こんなの。
それはなんかアメリカに対する、アメリカとかのカルチャーとか文化に対する憧れとかもあったんですか?なんかそのファンタジー的なものに対する憧れとかそういうことですか?なんか分析するとその喜びは何だったのかっていう。
テレビでやってたわけよ、こういうのができますよって、私ミキマス全然好きじゃなくて、だけどそのなんかメカニズムみたいなのが好きなのかな、なんかこう、なんか本物っぽいものを、だからロボットみたいなのとかがすごい多分結構好きで、だからそれが今思えば、なんかそんなの、なんかの機械でうまくやってんだろうな、だけどそういうのが最先端すぎて、
あとお掃除のこととかももうすでにこの頃知ってたから、そのお掃除の人見たりとかして、いたいたいた、掃除の人すっごいもうめちゃくちゃ掃除してるとか、そういうのを見て感動してて、ずっと感動してドキドキしてずっと、結構半年ぐらいずっとドキドキしてたんじゃないかな。
へーすご。
いったねーとか言って何回も話してた気がする。
ディズニーランドは最初からそういうところのクオリティがすごい高かったんですね、やっぱりね。
そうなんだろうね、分かんないよ、だけど中学生の、小学校の生の言ってることだから分かんないけど。
へーすごい。それがじゃあ中学もう入る直前のすごいインパクトのでかい半年も引きずる。
それ、えっと中学に入って部活とか始めるんですよね、たぶん。
あ、そうだね、テニス部に入りました。
あ、じゃあそこからテニス人生スタートですか?
中学1年生。
1983年だ、1983年ね。
に、じゃあテニス人生スタート。
なんかあります?中学校の時のすごく強烈な思い出とか。
1983年入学で、84、85と。
いや、テニスばっかりやってたのは覚えてて、あと学校で、
そうだね、学校で、そうだね、なんだろうね、あ、林間学校とかそういうの大好きだから、あとバレーボール大会とかさ、そういうの大好きだったから。
あのね、そういう学校のアクティビティーとか好きじゃなかったですっていう人多いけどさ、
あの、ホットキャストのこのご近所。
真逆ですね、そういう人たちがめちゃくちゃ。
文化祭とかもあったんですか?合唱コンクールとか?
合唱コンクール、中学は文化祭はなくて、まあでも体育祭とかね、そういうのが、じゃないの体育祭?体育祭あるよね。
運動会みたいなやつありましたね、僕らも中学の時。
ね、あるよね。
やっぱでもバレーボール大会とか、やっぱり合唱部とか、合唱コンクールとか、結構そういうのになんか力を入れてた方だよね。
でもみんなそうだったよね、その頃って結構。
まあそうかもしれないですね、みんなでやってましたね、確かに。僕らの時も合唱コンクールありましたね、中学の時。
そうでしょ、それでね、勝ち進むと、なんかこう、学校の中で結構上手な人とかが選ばれて、他のところ行ったりとかさ、そういうのもあったよね。
多分小学校もあったけど、そういうのね。
そうか、じゃあ中学校の時の一番、そのなんか中心にある思い出は、そういうテニス部とか学校の行事。
そうだね、挫折をね、一個挫折を味わったのは、私そんな強い学校じゃなかったんだけど、テニス部のテニスで、でも自分の中ではさ、やっぱり学校で一番とかなりたいじゃん。
まあその頃だから、ちっちゃい頃だからさ。でさ、なんか一応さ、なんかいつもさ、一応、なんか一番手、二番手、三番手みたいな感じでさ、決められて試合に行くわけよ。
でさ、なんか多分結構二年生ぐらいの時、二年生、結構一年生ぐらいの時から一応一番か二番目ぐらいだったわけよ。
でさ、ある日、それが県大会とかに、市で勝つと県大会につながるわけだから、みんなベストの人たちを送りたいわけなんだけど、その中で、私はいつも一番ぐらいだから必ず試合に出れると思ってたわけ。出れない子もいるわけ。
そしたらさ、テストするってわけ、先生が急に。そしたら、テスト受けたら、もうめっちゃ緊張しすぎちゃって、全然出れるようなところに終わらなくて、そのテストで。
え、テストは試合とかですか?
じゃなくて、この資格の中にコンショットを入れなさいとか、サーブを。
技術的なテスト?
そうそうそう。で、そんなことしないけど、いつも練習してる時にはなんとなく他の人よりは強いというか、上手いというか、だから先生がいつも選んでくれて、で、市の大会行けばちょっと勝ったりとかしてたから、なんかすごい怒ってたじゃんね、たぶん。
だけど、そのテストをした時にどうやって入れるかわかんなくなっちゃって、あれが挫折だった。それがなかったら結構なんか違う人生だったかなとか思うぐらいすっごい悔しくて、それで試合の日とかまでさ、ずっともうさ、なんで私は試合に出れないんだろうと思ってすごい涙、泣いてて。
それ何年生の時ですか?
2年生の秋ぐらいじゃないのかな。だって3年生の最後の試合とかでそういうことはしないじゃん、たぶん先生も。あの倦怠につながってるからやっぱり、そういうちょっとしたの思い出します。挫折ですね。
それはどういうふうにその自分のその後の人生に影響があったと思ったんですか?悔しい思いをしたのが良かったってこと?
そう、バカにしちゃいけないなって、いつも真剣にやらなきゃいけないなって。でもテニスめちゃくちゃ好きだったから、絶対人よりは練習してたの。朝とかも全然なんか自主練みたいな、なんか影練みたいなのしてたし、だからそういうのをなんかもっと自信につなげておけば、他の人に絶対負けないぐらい練習はしてたのはあるから、だけどなんかびっくりしちゃったんだよね。なんか普段そういう緊張感なくやってたから。
なるほど、なるほど。なんかそういうあれですね、真剣勝負的なものがいつあるかわからないみたいな感じなんですかね。
ねー、無我夢中でやってるとそういうなんか急に、やっぱりそういう辛い経験をしないとわからないことってあるよなとかいろいろ思ってたね、あの頃は。なんかバカにしてたんだろうなとかって。
すごいですね、それがいまだにそういうふうに思えるっていうのは相当、人生の中でも。でも僕も思い返すと自分の中学校の時の部活とか、そういうクラブ活動が一番やっぱ思い出されますね。僕も。
でしょ、だからやっぱ一生懸命やってたから、結局良かったことも、良かったこともいっぱいあるんだけど、悪かったことがやっぱりね深く刻まれてるんだろうね、今言っちゃってるってことは。
なるほど。じゃあ高校、普通にじゃあ高校受験もすると思うんですけど、受験勉強とかってめちゃくちゃやったなとかって覚えてます?あんまり記憶にないですか?
大学の時は、塾にめちゃくちゃ安い塾があって、なんかそこに行ってやってたけど、なんかその後ずっと後に東大に行った子がうちのその塾の中にいて、今でも覚えてるのは、この返還、英語の返還の表を覚えてきなさいって先生が言ったの、私2個しか覚えていかなかったら、その東大行った子は全部もう本当に素で次の日言えててすごいなと思った。
返還っていうのは英語から日本語とか日本語から英語のその翻訳表みたいなやつですか?
違う、過去、過去分詞とかさあったじゃん。
その
write, written, write, write, writtenとかのさ
過去形のさ
過去分詞とかそういうやつですか?
そう、あのえっと
変化形だ
普通に変化形
動詞の変化形
そう、過去形、過去分詞の表があって
規則変換のレースってあって、それ全部覚えてこいって言ったらその子は次の日全部すっごい覚えてて、私は2個しか覚えてなくて、私は受験に向いてないなって思った。
なるほどな、そういうすごいできる人いて、その人が将来的には東大に入って、やっぱ東大に入る人は中学校の時からすごいなって思ったっていう
そう、やっぱあそこで全部頑張って覚えればよかったけど、テレビ見てたんだよなって今でも覚えてる
じゃあ高校に入ったのがえっと、16歳の年なので、1986年だと思うんですけど
1986年何が起こったかっていうと、世界ではスペースシャトルチャレンジャー号が空中爆発って書いてありますね、一番最初に
確かに覚えてます、僕も、僕この時11歳なんで
びっくりしたよね
昭和のね、終わり頃ですかね、昭和で言うと昭和61年とかですね
もう60年代になってるね
何か覚えてることあります?高校生の時そういうカルチャー的なことで夢中になったものとか
おにゃんこクラブはすごい好きだったから、みんなでなんか踊ったりとかしてたよね
高校で?驚愕ですか?高校は
そう、驚愕で女の子たち、踊ってたのかな、あれなんかの出し物とかでやらされてたのかもしれないんだけど
そういう時期だろうかな
文化祭とか、出し物、何かあったんですか?クラスでお楽しみ会、でも高校生ではやらないか、お楽しみ会的なやつ
中学、私中学校の時じゃない?これ
おにゃんクラブですか?もしかしたら中学校の時かな
3年生、だから受験なんかしないで、こういうのなんかセーラーズの、セーラーズっていうなんかさ
お店ですよね
幸福原宿にお店があって
有名な
行きたくて行きたくてしょうがなくて、行ってめっちゃ並んで買ったりとかした覚えもあるし
それ中学校の時じゃない?受験の時じゃない?
それが、もしかしたら
おにゃんこクラブ、1985年、本当だ、1985年って書いてありますね
だから、多分部活だから見れないの、いつもは、おにゃんこクラブは
だけど部活終わっちゃうじゃん、3年生になると
で、それで見始めて、こんなのばっか見ていて、全然勉強しなかったってことだね
だから、おにゃんこクラブって意外と活動期間短くて、85年から87年ですね
だから、もさんの中3から始まって、高2で終わってますね
そう、だから多分部活で全然他の時は見れないから、見れてたとしたらあれ5時から始まってたから多分
受験生の時
受験生の時だから、そんなことばっかりやってたってことよ
中3の時におにゃんこクラブ見てたってことですね
見てたんですね、すいません
高校の時は、もう本当にテニスばっかりやってて、勉強をほんとしなくて
部活だったから一応その学校の代表として
試合とかには出るみたいな感じだったねその頃はね
だからサークルとはまた違ったのよね
だから割とちゃんと活動してた
活動してたちゃんとなんかこう
総会みたいのとかもあったりとかして先生とかが来たりとかして
ちゃんとその何ていうの体育会系のその昔からある
なんかしきたりみたいのを守ってる部活で
まだでもその頃はあれですよね
平成始まってすぐだから結構縦のつながりが強かったりとか
飲み会でめっちゃ飲まされたりとかそんな時代ですよね多分ね
普通に一気とかさせられてた時代ですよね
でも男子が多い大学だったから
基本的に部活も女子は少なくて
女子はちょっとなんかくっついてるみたいな感じで
女子部みたいな小さい人数少ない部活だったんだけど
男の人たちはみんなそんな感じでやって救急車に運ばれてたりとかしたよね
一学年どれくらいいたんですか人数部活は
えーどのくらいいたんだろう
まあ男子とかと結構ねなんか活動は一緒にしてて
どのくらいいたんだろう
なんかどの子がどの子が違う学年
なんかさ浪人とかしてる人とかもいるから今になってみればさ
なんか同い年だったからとか思って
でもなんか同期みたいなくくりはなかったんですか
同期はね10人12,3人12,3,4人ぐらいかな
短大の人もいて
各学年12,3人ぐらいいるイメージですかね
20人ぐらいいた学年もいたけど
でもね残念ながら10年も経たない私とかが卒業して10年も経たないうちに
その部活はなんかなくなっちゃったらしい
その大学のがね
なるほど
その教養部の時は埼玉のキャンパス行ってたってことですよね
3年生からまた別のキャンパス通うことになるんですか
学校には自宅から通ってたんですか千葉の自宅から
そうなの両方とも一応自宅から通ってて
一応さ先生になりたいからさ教職課程みたいな
ありますよね
でそれをとにかくまあなんか教養部の方で取れるやつと
あと3年生の時に全部取れるやつ全部取るとか言って
してやってたから多分3年生の時はもしかして頑張って行ってたかもしれないんだけど
それもあんまり覚えてないんだけど
あの4年生の時は本当にゼミだけあるじゃんなんか
その卒業論文書かなきゃいけないからゼミあるじゃん
それは4年生絶対取らなきゃいけないから
それしかないから多分ね大学行ってなくて
何してたんだろうねバイトしてたのかな
ゼミは毎日行かなくてよかったんですか
行かないかな週に2回ぐらい
最悪な学生だな私もう勉強したほうがいいわ本当
バイトは何やってたんですか
バイトはね4年生になったちょっとテニスのコーチとか
あとはプロントってあるでしょ知ってるプロントって
ああいう感じのその前の携帯みたいのにいた
なんかちょっとバーみたいになってて中に人がいて
その中にいる人でやってました
だからそれは飲み物を提供する
提供する飲み物を作ったりとかそういうことですか
そうだねそうだねその時初めてソルティドックっていう
グラスの周りに塩がまぶしてある
グラスの縁の周りね
あとはソルティドックとあれだよ
モスコミュールっていうカクテルを初めて知りましたね
大学1年生の時だけどねずっと続けてたからね4年
留年とかすることなくストレートで4年で卒業ですか
一応ねそんな
一応
史学科ってことは歴史を専門的に勉強する学部ってことですよね
そうですね
日本史ですか
私は一応なんか中国東洋史というのを取ってました
東洋史僕は全然詳しくないんですけど
そういう勉強ってその卒論とか書くときって
なんかある特定のその年代の研究とかするんですか
卒論のテーマとか覚えてます
壮大ってうかむりに木とカエル
壮大の都市文化についてみたいななんかタイトル忘れちゃったけど
壮ってことは日相貿易の壮ですか
日相貿易ってありましたよね日本と壮の
千何百年って全然覚えてないんですけど
日相貿易を私ちょっとわからないんですが
本当に恥ずかしいことなんですけど
なんか壮の壮銭ってありましたよね壮のお金を
これって壮だったっけ
日本がコインを作る鋳造技術がまだなかったから壮のコインを輸入してそのまま使ってたみたいな
なんかありませんでしたっけ僕もめっちゃおぼろげなんですけど
壮銭っていうのを習った記憶がありますね壮のお金で壮銭
わかりませんが全然そのまま何も覚えてないんですがきっとその頃はして
でもあのね本当最近思ったんだけど私ねこのなんでそこを選んだかっていうと
江戸時代みたいななんか生活江戸の江戸のねなんか町みたいな生活を
街並みだったりとかしたのよね
そう壮の国だってことですよね
壮の国の首都が開封っていうのかなとか
ここ覚えてないからあれだけど林安とか林安って呼ぶはずだけど
だけどその首都の様子がこう絵巻に残ってて
その時の様子がそんな300年400年も前なのに
すごく豊かな都市生活をしてるのね市民の人たちが
だからそれがすごいなんか面白いなと思って何食べてたかとかそういうのを調べてて
で今考えるとやっぱ私その社会学とかすごい興味があって
人のなんかこう営みとかめちゃくちゃ興味あるから
やっぱりそういうことしてたんだなーって最近思い出したこの前なんか
卒論が出てきてね実家の実家をお掃除してた時に
だからなんか今これからもそういうことを勉強したら楽しいんだろうなーとかって話
へーなるほど
なんか繋がってることってやっぱあるね自分が興味があることって結構変わらないんだなーと思ってびっくりしました
ちょうどダフソーデーにモンゴルとかが侵略してきたりしたことがある
ほんと恥ずかしいんだけどコテンラジオのリスナーなのに
何もわからなくてごめんなさい
歴代この自分の大学その大学から先生が来てるから
その私学科でいませんかっていう話が来てるけどあなたどうって言われて
そして行ってみたら採用されたっていう
じゃあえっと私学科にそういう枠で行ったってことは
社会の先生としてってことですか
社会の先生しかなれないからね
それはえっと中学校ですか高校ですか
中高一貫のえっと中高一貫の私立の女子校だったんですけど
女子校なんですね
そうです一番最初の年
ミサンガってあったよね
ありましたありました
ここにつけるやつってそういうのめっちゃつけてた時だったの
もう私就職浪人するしテニスのコーチとかもっとめちゃくちゃやろうと思って
もうさん自体がつけてたんですねはいはいはい
それで足とかにもつけてたのを絶対取ってった方がいいよって友達に言われて
面接行くときはぁーって書いて
その頃でミサンガとか流行ってましたね確かに
たぶん
Jリーグがねたぶんちょうどスタートしたぐらいの年で
ちょうど流行ってたんですねサッカーの文化でミサンガが
でもねサッカーなのかなあれってなんだったんだろうねなんかハワイとかそういうなんか南国の感じでとか
あとオーストラリアとかニュージーランドとかそんな感じのところのなんか文化っぽくて
してやってたような気がするんだけど
僕なんかサッカーのイメージがありますねサッカーやってる人みんなミサンガしてた気がする
そうでしょそれちょっと年代ちょっと下なんじゃない私よりもやっぱり
わかんないけどそれ全部切った時のその悲しい気持ちがね
そうか先生やるために
思い出します
でその初めて先生として93年23歳のももさんは学校の先生高校女子中高一巻
何年生担当したんですか最初の年は
1年生高校1年生
高校1年生すごいその時僕降参ですその年
でしょだからみんなそうなのだから7歳しか離れてなかったの一番初めは
だから掃除中になんかその子供の子供というか生徒にちょっと注意しなきゃいけない子とか学校来ないとかさ
遅刻してるからとかさそういう交差座って2人で喋ってだけでも掃除中だからみんなお掃除しなきゃいけないんだけど
私先生だからその子に話さなきゃいけないことだから話してたけ
そしたら後ろからそこ掃除しなさいって言って私と2人一緒に怒られたみたいな
他の先生に
そうそうそこ何してるんだって言ってすいませんって言って
そういう感じで生徒なんだかなんだか他の年いった先生にいつも怒られて
じゃああまり若い先生いなかったんですか
なんか私がちょっと子供っぽすぎたみたいな感じかなですかね本当に
教育実習とかって行ってましたよね大学生の時
行った行った行った自分の母校に行きました
でその時も私テニスばっかりするのがみんな先生たち知ってたから
あれ君はジャージ着なくていいのって言われて
早くの先生じゃないなって言われて
違うんですよすいませんって言って
面白い
私だって面白いと思ったよそれ
母校で行った時だからほとんどあれですもんね
それは高校ですか中学ですか教育実習行ったの
高校
高校かじゃあもうね卒業して3、4年前に卒業した人が教育実習着てたら先生もほとんど知ってますもんね
そうだけどみんな私はいつもジャージを着てたからテニス部だから
もう授業の時もジャージ着てるチームみたいのがいるわけよね
部活ばっかりやってる人たちそれのチームだったから
あれ君はなんか本当ジャージ着てないの大丈夫なのとか言って
何人の先生に言われたかな
変だよね
面白いでもまああれです今なんかねいじりたかったんでしょうね
もうさんのほうとね先生もね
いや本当にびっくりした
普通に
じゃあいつもジャージ着てるのにって
そうそうそう
なるほど
面白いで
先生になってそんな感じででも
えっと4年途中で先生辞められたんでしたっけ
そうなの
この前思い出したんだけど
あの4年目にねあれはね結構ね
あの結構なんかこう先のことが先のことが見えなくなってたんだなって
この前すごい思った初めて思ったんだけど
あのなんか何もやる気がなくなっちゃって4年目になったら
同じことの繰り返しをもう1回やるんだと思っちゃって
1,2,3年生終わった時に
だから93年に先生1年目で93,94,95と3年間やって
じゃあ高1だった子が高2,高3で卒業して
4年目もう1回高1を見ることになったってことですか
そうそう大体そういうのがこうルーティーンみたいになっちゃってて
私別に全然なんかそういうもんだろうなと思ってたんだけど
その最後の1年っていうか結局最後になっちゃったんだけど
大学に来た時めちゃくちゃ慣れてるから
全然楽というか楽しい子どもたちと話し方とかも分かってきてるし
それなのになんか私自分はどうしちゃうんだろうこのままみたいな
この子たちはどんどん育っていくのに
なんか私はここにずっと残されたまま同じことを教えてるって
その時さもっとなんかやりがいとかを考えるような時間とかがあればよかったんだけど
多分落ち着いてそういうんじゃなくてもう頭がいっぱいになっちゃって
その先のこととかこれどうなっちゃうんだろうと思って
それで1年間もなんか悶々としてたのをこの前思い出して
そういうちょっと悶々としたこともあったから
私はなんか外に出ようと思ってやめたんだなとか思います
じゃあ4年目の1年間だんだんこう悶々としたものがだんだん自分の中に溜まっていって
じゃあその4年目の1年終わったところで先生を辞めることにしたんですか
そう決めたのも本当にもう3月とかになってからか2月の終わりとかに
急に辞めるって言った気がします
本当にね迷惑な話だと思うんだけど学校にとってみれば
3月はちょっとギリギリすぎますよね
ね本当に
でさっきその親御さんがそこですごい呆れてたというか
一番びっくりさせたみたいなこと言ってましたけど
その社会人4年目最後に先生を辞めて
でいきなりシンガポールに行くことにしたんですか
夏休みに結構なんか海外旅行とかに行くことがあって
でその時にシンガポーリアンの知り合いができてたのね
私その時に
でそれも両方あってなんか外のことを見始めちゃって
なんかこの東京にこうやっていてこのままでいいのかなとかって思っちゃって
でそのシンガポールにも冬休みに遊びに行ったりとかして
じゃこの子たち若いから一緒になんかこういろいろ話したりしたいなと思って
とりあえずシンガポールに行ってみようっていう気持ちがあったので
夏休みまでちょっと英語の勉強とかをしていようと思ったから
初めの3ヶ月ぐらいは英語の勉強とかしてたかも
じゃあそれは先生を辞めて
社会人5年目の話ですね
たぶん1997年だと思うんですけど
1997年もおさんが27歳の時ですかね
27歳の時に
なんか1年ずれてる感じだけど26年6歳だったから6年
あそっか7歳になる時か
そうだね
27歳になる年に
じゃあ夏休みぐらいまでは英語の勉強してた語学の勉強してた
たぶんあとバイトとかしたりとかして
お金を貯めて
たぶんしてて
そうだねそれでシンガポールに就職活動に来たのかな8月ぐらい
なるほど
英語は結構得意だったんですか普通に
英会話はやってたんじゃない先生
先生をやりながら何とか土日とか休みがある時にちょっと行ったりとかしてたから英会話に
それでなんと海外に行った時の友達がもうネイティブぐらい上手な英語を喋る子なんだよね
2人とも3人で行ってた時に会ったんだけど
留学経験とかあったりとかして
一緒に行った友達がですか
高校の同級生なんだけど
ネイティブレベルで喋れたすごいな
そうそうだからそれだけあと中国語も1人は喋れてて
すごい
だからその子たちのおかげで友達ができたっていうのはあるよね
そっか
なるほどシンガポール以外に選択肢はなかったんですかやっぱりそこで
シンガポールの人と仲良くなったからシンガポールがいいなと思ったんですか
楽だからじゃないめんどくさいのが嫌いだから
楽っていうのはそこに友達がいるからもうそこにある程度人脈があるからもう
とりあえずシンガポール行ってみようみたいな
あとはあとはねあのね4年間学校に勤めてたでしょ
4回夏休みがあるでしょ
一番初めにオーストラリア
次の年にイギリス
次の年にニュージーランドで最後が中国だったのかな
で中国
あー韓国とかその辺とか行ってたのそれで全部見てなんかやっぱりアメリカとは行ったことがなかったんだけど
なんか英語めちゃくちゃできないとやっぱり無理みたいなのがあって
で海外でちょっとだけ勉強すればなんとかなりそうなのが香港とシンガポールだったの
なぜかというと日本の会社がいっぱいあるから
だからなんとか日本語があってあとはだから教育がなんかいくつぐらいかな900ぐらいだったのかな860とかないとダメですとか言われて
しょうがないからなんか勉強してたんじゃないかな多分
飛んだ飛んだ
あのじゃあそうですねめっちゃ飛んじゃったかもしれないですけど
やっぱりそのじゃあポッドキャストとの出会いは何がきっかけだったかってありますか?
やっぱコテンラジオ
コテンラジオ
コテンラジオは何きっかけでした?
友達がなんかあのコロナに入っちゃう時に
あのえーもーさんちょっとお家にこもっちゃうのやばくないですかって言われて
よく知ってんね私のことだからあの家にこもったら絶対無理って思われてて
ずっと外にテニスとかしてたりとかもう外ずっといたから
だからその子がそういうのなんかポッドキャストっていいんでしょって聞いてみてくださいって言って
5番組以来教えてくれたのかなその頃その子が聞いてるやつ
それシンガポールの友達ですか?
ママ友でもあったしヨガの先生とかのなんか免許を取るのに
なんか自分も取ったんですけど取りませんかって誘ってくれた子だったりとかする同じ子なんだけど
だからヨガ友達でもあったし
日本人の方なんですか?
そうそうそうそうそれであの子供お子さんとかがなんかこう学校がやっぱり
インターナショナルの学校に行ってる子だったからなんかこう共通点が多かったんで
いろいろさせて一緒にさせてもらって
いくこさんと知り合ったのもそれくらいの時期ですか?
いくこさんはもっと前から知り合い?
そうだよねだからもっと前でだからいくこちゃん引っ越しちゃったから
えっと子供が2歳ぐらい時なんで
そんなにじゃあもう子供が2歳ってことは2000年2007年8年とかもうそのくらいですか?
ゼロ年代後半
そうそうそうそうそれで多分2010年になる前に引っ越しちゃったんじゃないかな
じゃあ引っ越されてからもずっと交流が続いてた感じですかいくこさんとはそのフェイスブックとか
そうだね1年に1回とかは東京で会ったこともあったのかな
だけどその後コロラドに引っ越したから彼女がたまたま
私とかね年に2回ぐらいコロラド行くから
コロラドも広いんだけど
私とかがいつも行ってた実家っていうかうちの主人の親戚がいるあたりと
彼女が住んでるあたりが結構1時間ぐらいで車で行けちゃうから
だから私が行くときになんか会ってたりしたのよね子供たち会わせたいねとか
なるほどそっかそっかそっかコロラド旦那さんの地元がコロラドなんですよね
私はね
はいはいはい
いくこちゃんは旦那さんは関係ない多分ただコロラドが良かったみたいなんだけど
もうさんは今あれですよねシンガポールにお住まいですけど近いうちにコロラドの方に引っ越されることになってるんでしたっけ
まだ決まってないんですか
まだ決まってないですね
具体的にいつ引っ越すか決まってないけどってことですね
でももうほらもう2年いないぐらいには
あそっか息子さんが大学生になるタイミングとかそんな感じですか
そうですね
はいはいそっかそっか
僕でもシンガポールには遊びに行きたいねももさんがシンガポールに行く間にはシンガポールに行きたいな
もうさんがコロラドに行ったらコロラドに遊びに行こうかな
そうしてください
そうしますから
本当にねすいませんねこんなおばあさんの話でもこういうダラダラしたのをケイジ君は頑張って聞いてくださったので
皆さんこれからね呼ばれる方は安心して来てもらいたいですね
そうですね
ケイジ君の番組
多分僕だけじゃなくてももさんのこと知ってるけどももさんの歴史をそこまで知らない人結構いると思うんで
これ聞いてももさんこういう感じで今のももさんになったんだっていうのが
僕と同じように体験してもらえたら嬉しいなと思います
最初に気になってた4つの海外生活フッカル好奇心旺盛反骨精神
海外生活への流れもわかったし
なんでフッカルなのかってやっぱり好奇心旺盛なのが全てのトリガーになってるというか
そういうところなのかなっていう気はしました
ざっくりまとめると
こんな感じで長い時間になってしまいましたが色々聞いて楽しかったですももさんありがとうございます
ありがとうございました本当に
本当にごめんなさい長いこと
私がちゃんと真面目にちゃんと自分のことを
今日私の一生をお話しさせていただいて
いやまだ全然本当に僕もまだ全部聞けたわけじゃない気がしてるんで
また今後とも聞かれることにももさん放っていけたらなと思ってます
もう十分です何も出てこないし本当にありがとうございます
本当に申し訳ないのでこの会話をボツにしていただいて
とても話が
とんでもないとんでもない
ちょっと編集入れるかもしれないですけど
なるべく面白い感じでできたらいいなと思ってるんで
最後にお知らせとかはあれですかね
三つのももさんの番組を聞いて欲しいという
手伝子と体からだとトークショー
この3つの宣伝ということで
というわけでももさん長い時間どうもありがとうございました
とんでもないですありがとうございます
ゲストももさんでしたありがとうございます
ありがとうございます