1. ハハとムスコの小話
  2. #50 第50回記念!!Kendeaの人..
2025-01-11 30:44

#50 第50回記念!!Kendeaの人生を振り返ろうーー

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※倍速再生推奨※
宿題のこともあり、Kendeaの人生を振り返りました!!!
30分と長いですが、ぜひ最後まで聴いてください!

サマリー

このエピソードでは、中学生ポッドキャスターのKendiaとその母が、Kendiaの幼少期や成長の思い出を振り返ります。Kendiaは幼稚園や小学校への入学、家族や友達との関わりなど、さまざまなエピソードを楽しく語ります。このエピソードでは、Kendiaの幼少期からの経験や学校生活についても振り返ります。幼稚園での記憶や転校後の文化の違いについての考察がなされ、特に教育の影響について深く考えられています。また、記念すべき第50回ではKendiaが自身の小学校生活を振り返り、コロナ禍やその後の出来事に焦点を当てます。特にハイテクな先生や家での過ごし方についての思い出が語られます。

幼少期の思い出
ハハとムスコの小話
このポッドキャスト番組は、中学生ポッドキャスターKendiaとその母が雑談をする番組です。
2025年1月10日のハハとムスコの小話です。
今回は、学校で宿題の一環で、自分の子供の時とかの様子を聞いてきてくださいみたいな宿題が出まして
今も子供だけど、どんぐらい子供?赤ちゃんのこと?
赤ちゃんとか幼少期ですね。のことを聞いてきてって言われたんで、どうせならポッドキャスト取ればいいんじゃないかという風になりまして、上がっていますよと。
はい、どうですか?生まれて15年ぐらい?
うん、まだ経ってないね。
もうちょっとで15年ですけど、どう?早かった?
めっちゃ早い。この間産んだ気がする。
はい、了解です。
まずおさらいなんですけど、幼稚園行ってたじゃん。小学校行ってた。幼稚園って何歳から?普通。
あなたは3歳になってすぐ幼稚園に行った。
2013年の4月からってことよね。
そう、だからゆっちゃんが生まれた15日後には幼稚園に行ってくれた。
へー、いい子じゃん。
そう、すごい助かった。だからちっちゃい子がお家の中で2人っていうのがなかった。
2人とも3月生まれだったから。
で、幼稚園って年小3?年中3?年長3?3年?
そうよ。
あ、そうか。3年か。そう考えるとまだ全然生きてないね。
どういうこと?よく分かんないけど。
でもなんか、生まれてから本当に幼稚園を卒業するまでがすごい長かったかな。
じゃあ6年くらいってこと?
確かにね。小学校入学したのが割と最近だもん。
小学校入学してからすっごい早いけど、ずっと一緒にいたじゃん。
私は専業主婦で朝から晩まで君と一緒に過ごしてたから。
だからなんかすごい長かったんだろうね。夜寝るのも早かったけどね。
確かに。
そうですね。
どうですか?0歳の時。
もうね、なんか最初から意思疎通ができてた。
最初からって言ったらちょっとそれは嘘だね。赤ちゃんだもんね。
育児と活動
でもね、なんかね、早く言ってることが分かるようになればいいなって思ったことない。
なるほど。
なんか、すぐ喋ってたわけでもなかったんだけど。
分かんないけど、普通の人ってどれくらい喋るの?
それはでも、人による。
そりゃそうか。
うん、だってお友達でまだ9ヶ月くらいでもバイキンマンとか言ってる子いたもん。
めっちゃ喋るじゃん。
めっちゃ喋る。
バイキンマン知ってるんだって思った。
確かに。
そうそう。だから喋る子はすごい話すの早いけど、
なんか喋るのも早かったし、言ってる内容もすごいなんか普通のことだったっていうか。
なんか、なんて言ったらいいんだろう。
ちゃんと喋れてた。
会話できるとか、意思疎通ができてた。割と。
で、今幼少期の頃でギリ記憶があるといえば、
うん、どんなこと?
1個前に住んでた家があるじゃん。
産まれた時?
うん。あそこにおじいちゃんが、あれ幼稚園なのかな?
違うよね。おじいちゃんが毎朝来て、
朝の6時からね。
一緒に散歩行って、
そうそうそうそう。
なんか公園で遊んだ記憶があった。
朝ね、6時くらいから朝の散歩に連れて行こうって言って、迎えに来てくれて、朝から行ってたよ。
それまだほんとに赤ちゃん、だってゆーちゃん生まれてないから。
2歳くらいってことか。
うん、1歳とか2歳とか。
その時って歩いてたの?
1歳になる前から歩いてた。
そうなの?歩くもんな。
まあ早い子もっと早く歩くし、
1歳、まあよちよちだよ。
よたよたしてるけど、ささささ歩くわけじゃないけど、
歩けるなーみたいな。
でも歩けてたし、しゃべれてたし、
1歳の頃のこと、なんかこうメモしてることもあるんだけど、
追うの大変ですよね。
面白い話がさっと出てきそうにはないかな。
で、あと朝公園行ったりしてたじゃん。
そう。
とにかく、赤ちゃんの時って2回くらい寝るんよ。
昼寝と夜寝。
朝6時半とか7時くらいに起きて、
朝ごはんなんか食べないから、おっぱい飲んだりとかして、
10時くらいに寝るんよ、1回。
昼寝みたいな。
1時間くらい、1時間から1時間半くらい寝てた。
朝起きて、まず隣が、うちの真横がちっちゃい公園があって、
庭みたいな公園だったから、そこに寝巻きのまま連れてくわけ。
もう起きたってた。
砂場に行って。
でもだってほら、寝巻きだから。
洗えばいいじゃん。
そうそうそうそう。
でもしっかり遊んで、
小学校行くお兄ちゃんお姉ちゃんたちにも、
行ってらっしゃいバイバイみたいなのして。
確かに、その時ってさすがに違うわ。
近所のお兄ちゃんおったやん。
中学生だった?
小学校か、まだ。
お兄ちゃんってあるよ。
同級生のお兄ちゃん。
同級生のお兄ちゃん?
今、公園にいるの。
さすがに違うか。
さすがに違うよね、小学校になったら。
近所の人たちが出社したり出勤したりとか、
投稿したりするのを一通り行ってらっしゃるみたいな。
そう考えると、
あそこらへん今通ってる学校の駐車場あったやん。
あったあった。
会ってたかもね。
会ってたかもしれない。
会ってたかもしれない。
そこでね、人遊びして、
それから家帰って寝るじゃん。
風呂入って、シャワーとかバタービーサーして寝て、
12時くらいお昼ご飯食べて、
でもとにかくね、私が、
なんていうのか、
とにかくその、刺激を与えたかったんだよね、君に。
いろんな刺激を。
だからもうとにかく本当に2ヶ月くらいの時から、
遊び場みたいな。
未就学児の子たちが遊べる遊び場みたいな、
地域の遊び場みたいなところがあって、
そこに本当にほぼほぼ毎日行ってた。
で、その時にほぼほぼ毎日、
本当に2ヶ月なんか首も座ってないのに、
とにかく、ちっちゃい子供たちの声とか、
遊んでるところとかを見せたくって、
一生懸命だったね、私も。今思えばね。
絶対そうでしょ。
で、そこの、やっぱりね、
そこにいるお母さんとかとお友達にもなれるわけよ。
だいたい同じ月齢の妹とかさ、
弟で連れてきてる人もいるから、
そしたらいろんな情報交換もできるし、
で、そこで会ったお友達が、
今もお友達に仲良しいっぱいいるじゃない。
いるんだ。
ついこの近所の、すぐ近所の。
あー、いますね。
ずっと受験の時も塾一緒に行ってた子だって、
そこで出会った。
じゃあそういうつながりをできましたと。
そうそうそうそう。
で、その時思い出した。
なんかね、
作画してあって、
その遊び場に入るところで、
シュッシュってあの、
消毒?
消毒をするのよ。
で、それはそこの、
いつもそこで見ててくれるおばさんがやってくれるんだけど、
けんちゃんが、
まあだから1歳半とかぐらいになったら、
もうあなたが主のように、
人が来たらそこにパッと行って、
その人の手にシュッシュってしてあげるわけ。
したいんだろうね。
したいの。
そしたらもうそこの、
そこのおばさんたちが、
この子は未来の町内海育長じゃねって言ったのは覚えてる。
言っとった?
言葉の発達
うん、すごい仕切るっていうか、
ファシリテーション能力。
そこに物置いて、
はい、手消毒しますよみたいなことをしてて、
すごいあの、
まあ皆さんで可愛がってもらってたから、
そうそう。
で、そこで遊んだりするのも私じゃなくて、
よそのお母さんとかと遊びたがってた。
だろうね。
今も変わんないよね。
だから私なんか、
え、私一人ぼっち?みたいな時間が結構あった。
なんかけんちゃん他のお母さんとかと遊んでたりしてて。
確かに。
そういうのもありましたね。
そんな思い出ですかね。
最初から釈放的でしたよ。
でも残念ながら、
もうそこら辺の記憶はマジでないので。
ないだろうね。
2歳ぐらいの記憶とかほんとないんだけど。
あのもう忘れられないのは、
私がなんかこう単発で行った料理教室で、
もうそれはもう絶対に2歳。
間違いない。
2歳数ヶ月の時に、
なんか折り畳み式のテントみたいなのを、
そこの宅地の人が出してて、
それを終わった時に、
そのお母さんが畳んでたらしいんだけど、
畳み方がわからなくって、
そしたらけんちゃんが、
それうちにも同じのがあって、
お母さんだったらできるよって言ったんだって。
2歳が?
それで、
お母さんにやってもらえばいいよって、
言ったらしくて、
私が向かいに行った時に、
この子はもうそのうちの県で一番難しい学校に行くねって。
具体的にね。
どこどこに行くねって言われて、
笑った覚えがある。
しっかりしてた。
観察力もあったんだろうね。
あとね、なんて言うんだろう。
やっぱね、1歳とか2歳ぐらいの時って、
お母さんとかとは喋れるけど、
つまり言ってる意味がわかるけど、
別の人に話しかけても、
それがやっぱしたったらずだったりとか、
言い方がちょっと単語ばっかりで、
接続詞がなかったりとかして、
相手の人はよくわからないっていうことが多いんだけど、
みんなわかってた。
初対面の人でも君が喋ることはわかってた。
おしゃべりが上手だったんだと思う。
変わんないですね、今と。
そうですね、でもそれなんかお友達に、
けんちゃんすっごい喋るね。
普段浴びてる言葉のシャワーが多いんだろうねって言われた。
でもそれはそうだと思う。
絶対そうじゃん、だっておばあちゃんもいっぱい喋るし。
私もすっごい話しかけてたし、
ほんとおばあちゃん、おじいちゃんも、
お父さんもずーっと話しかけてたから、
かぶりついて。
すごいわ、それは。
なんかそれはあるかも。
だから訓練かもね、やっぱりそういう、
喋るとかって。
英語もそうじゃん。
やっぱいっぱい聞いて、いっぱい喋ったほうが上手になるじゃん。
それはそうだ。
だから日本語の学ぶ環境としてはよかったじゃない、すごく。
っていうのが2歳くらいでしたね。
ちなみに、東京に行ってさ、伝説のストーリーがあるじゃないですか。
伝説のストーリー?
遊びに行ったときの?初めて?
マノセとか。
初めて行ったとき?
東京に生まれて初めて行ったときでしょ?
とか、おばあちゃんにお金払ったって言ったり、
ありますよね。
あれは2歳です。
あれも2歳、10ヶ月、11ヶ月くらいかな。
そんな感じですか?
そうですね。よく喋る子でした。
3歳くらいから、
3歳になったらもう幼稚園だから。
もう覚えてるでしょ?
覚えてますよ。
友達もね、いっぱい。
幼稚園。
多分どっかで話したと思うんだけど、あの話を。
何が?先生に話した話?
岐阜人に送られた話。
いまだに念に持ってるやつ。
10年前くらいの話だけど。
でもそれ聞いたとき、そのエピソードどうぞ。
いいですか?
覚えてる。
4歳くらいの記憶だな。
お友達でR君っていう人がいたじゃないですか。
その人と仲良かったよね。
今はもう交流はありますけど。
その時に、
幼稚園での経験
何組さんだったか忘れたんだけど、
桃組さんだとするじゃん。
県庁のクラス。
桃組さんだって。
もう一つのクラスがみかん組さんだとするじゃん。
みかん組の担任の先生が、
掃除終わった人から、
遊びに行っていいよみたいな。
わりかし厳しめの学校だったじゃん。
幼稚園だったじゃん。
だからそれを聞いとったんだけど、
聞いて、いいんだと思って、
掃除が終わって遊びに行ってたんよ。
そしたら担任の先生に、
桃組さんのね、めっちゃ怒られて、
そんなこと言ってないんですけどとか言われて、
その時に初めて知ったんよ。
そのみかん組の先生が言ってることは、
みかん組の生徒にしか攻略がないんだってことをね、
気づいたんよ。
学んだってことね。
すごい瞬間。
それで今考えると結構イラつくなって。
今考えたらね。
その時はなんとなくモヤモヤしてた記憶だったんだよね。
その幼稚園の記憶に付随した話なんですけど、
まだあるんですか。
今は学校と幼稚園近いじゃん。
近いね。
ちょうど通学が来る。
絶対見たことあるって先生がおったよ。
いるだろうね。
びっくりした。
話しかけてみたの?
ふさわに無理です。
だって身長2分の1くらいの時だったんだよ。
そうだね。
ちっちゃかったしね、君はね。
で、なんか、あと、年長さんになったらさ、
ホテルに行ってマナー研修みたいなのあったじゃん。
ああ、幼稚園のね。
あれを割と今も学んで、というか、なってるよ。
うん。
というと、あの、あれ、例えばさ、
手前からスープは奥にすくうじゃん。
ああいうやつとか。
ああ、ちゃんとね。
ナイフとフォークは、こう葉の字に置いたら、
まだご飯食べますよって意味だけど、
端っこに2つ合わせて置いとくと、
あの、なんていうの?
あれでじゃん。
うん。
もう、ザッツオール。
ザッツオール。
以上ですって意味じゃん。
っていうのがありましたね。
ちゃんと学んで。
だから、幼稚園の頃からの教育は割とあるんだよね。
あと、なんか、なんちゃってお茶会みたいなのあったじゃん。
おばあちゃん呼んでみたいなこともあり、
行動での発表会みたいなときに、
行動の舞台袖というか、から入ってこう上がるじゃん。
あそこがすごい怖くて、暗くてって思い出もありますね。
今行ったらたぶんね、すっごいちっちゃく感じると思うよ。
その半分ぐらいの身長で行って。
で、後、校庭に蛇口があるじゃん。
よく覚えてるね。
あそこのタイルを職人の人が一枚一枚コンクリに対して貼るっていうのがあって、
それを永遠に見てた記憶がある。
めっちゃ面白かった。
それがだいたい記憶があります。
幼稚園の記憶?
小学校生活の振り返り
どうですか?なんかあります?記憶。
今ちょっと見てたらさ、
喋るのすごかったわ、やっぱり。
すごかった。
1歳10ヶ月で、私がこけたら痛いの飛んでけって言ったとか、
なんか、お父さん会社、けんちゃんお留守番とか、
割とちゃんとした日本語喋ってる。
なんか、
ここにバーコードありますよって。
あの、スーパーで自分がボールを買ってもらいたくて、
そのボールを店員さんに渡しながら、
ここにバータコードありますよって言ったとか。
あとさ、バーコードのテープ貼るところ、
あれは何歳くらい?
あれもね、幼稚園かな?
3歳くらいってことか。
3歳か4歳か。
トイレットペーパーかなんか買って、
それをピッてやった後で、
シール貼っときますねって言われて、店員さんに。
バーコードの横に貼ったんよね。
そしたらけんちゃんが、
これバーコードの上に貼るべきなのにって言って、
それを綺麗に剥がしてもう一回貼り直してたっていうエピソード。
それに関してなんですか?
それは今も変わってない。
そうだね。
バーコードの上に貼らない人本当に嫌なの。
嫌なの?
そうね。
買い物とかでさ、飲み物買うじゃん。
箱でね。
段ボールでそれで横に貼られるってのはわかるよ。
それはもうしょうがない。
でかいし、わざわざクルクルするわけない。
トイレットペーパーくらいは貼ってほしいなと思います。
はい、わかりました。
そんな感じですよ幼稚園は。
今で16分経ってるんですけど。
結構長い。
ちょっとダラダラ喋っちゃったね。
ダラダラ喋っちゃいました。
どうしますか?
まだ喋ります?
それとも次にする?
宿題でしょこれ。
宿題です。
いいよ。
どこまで?
今までのこと全部?
小学校くらい。
エピソードってこんなエピソードでいいの?
いいと思う。
そうなんだ。
まあいいや、じゃあ続けます。
それが幼稚園くらいで、次小学校ですね。
小学校入ったらもう張り切りけんちゃんの誕生ですね。
さらに。
ありがとうございます。
担任の先生がもうけんしろくんは本当にもう何でもかんでもやりたくて、
もうあれやりたい、これやりたいってもう全部やってくれるんですけど、
やるべきことが全部やれてませんって言って。
自分のそのやるべきことが全部ほったらかしになってますって。
でもいい子ですよって言われてたよ。
だけどその後沖縄に転校して、
ちょっとこう3年生4年生くらいの時に、
やっぱりなんか文化が違うから全然。
学校の空気感も違ってたし、
先生が子供に求めてることとか雰囲気とか、
そういうのがやっぱり日本語とはちょっと違うなって私は感じてて、
でもそれはそれで面白いのよ。
別にそれどっちが合ってるとかじゃないから。
それぞれにいいところと、
これはしょうがないかなって思うようなことって、
何でもそうだけどあるじゃん。
そういう時にもう泣きながら帰ってきて、
3年生だったと思うんだけどな。
俺は多数決が嫌いだって言って、
すんごい泣いてて、
これ大丈夫かなって思ったことはある。
その時たぶん、
みんなが言うからこうみたいな、
空気は許せなかったんだもんね、たぶん当時。
自分はどう思ってるのかっていうことをみんなに聞いてるのに、
みんながこうだからこうでいいじゃんみたいな決め方をしたいの。
何かの代表を決めるか何かの時に。
めっちゃ思い出してきた。
それがめちゃくちゃ悔しかったみたいで、
その時すごいなとは思ったよ、もちろん。
だけど、やっぱり日本だからここは。
残念だからね。
多い方が勝つんだなと思って。
思い出した。クラス委員を決める時だ。
の時にもう一人おったじゃん。
その人がみんな入れるからみんな入れようってなった時に、
すごい腹が立って。
しかもね、腹が立ったっていう出し方したのよ君も。
幼いから当たり前なんよ。しょうがないんだけど。
だからますますみんなはそっちに振り向かなくなっちゃうよね。
やっぱり怒りしか出てないから。
でも今考えると確かに。
その経験がやっぱりそう。
じゃあどうやったら相手にそれが伝わるかとかっていうのを
自分なりに考えてきたんだと思うよ。
無意識の感じでだと思うけど。
だから何にも無駄なことはない。
その時はちょっと苦しそうだったなって、
肩から見て思ってたけど、
でもそれも全然無駄じゃなくて、
そういう世界もあるよねっていう。
今からだって多分あるよ。いろんな場面で。
この世界、俺に違うわ。
じゃあこっち行こうとかってできることもあるけど、
自分の好きな世界の中の一部がそういう世界っていうこともあるじゃん。
分かる?
自分の思う通りには何でもならないから。
だから良かったじゃないですか。経験として。
小学校の低学年ぐらい。
小学校2つ行ってるから。
転校したから。
まあそういうのがあり。
思春期の教育の影響
小1ぐらいの時は、小1と小2同じ3人の先生だったじゃん。
そうだね。
最初そうだったよ。
もともと入学した時は、1,2年、3,4年、5,6年で、
最初の小学校がね。
同じ先生ですよってなっとったんだけど、
沖縄から帰ってきてたらその生徒なくなっとったんだけど、
これもどっかで話したかもしれないけど、
2年生、1年生の時から、
小学校1年生。
結城くんっているじゃん。
その子と一緒に静電気があるぞっていうのを知って、
世の中にね。
気がついた。
世の中に静電気というなんかおもろいものがあると思って。
何で知ったんだ?
電次郎先生とかだと思うよ。
テレビ?
テレビだろうね。
だってYouTubeとかも見たことないもんね。
まだなかったもんね。
だから電次郎先生とかだと思う。
電次郎先生の教室行ったりしてたよ。
教室っていうかイベントにね。
実験ショーみたいな。
あった時に知ったんじゃない?
静電気っていうのがあるんだね。
結城くんの家も思想が似てるやん。
だからさ、確かにってなって、
下敷きをこすったら発生するらしいぞっていうのを知って。
1年生の時それ。
やっとったのよ。
一緒にね。
そしたら先生に怒られた。
何で怒ったんだろう。
プリント配ってるんですけど。
集中してなかった。
静電気起こしただけで?
そうだよ。
後にも先にもそれぐらいだよね。先生に怒られたの。
そうなんだ。
でもその時夢中になったんだろうね、きっと。
電気が発生してるわって。
紙が立つんだよ。
すごいじゃん。
かわいいね。
それで海南小学校に行きまして。
めっちゃ言っちゃった。
沖縄の小学校だったんですけど。
印象に残ってるのは3年生の単位の先生覚えてます?
The Okinaっていう名前の先生だったんだ。
その人は公立の先生なのにめっちゃApple TVとか活用してて。
その時からはすごいなと思ってた。
そのやつを映して、教科書あらかじめスキャンしとって。
すごいじゃん。
展示黒板があったけ、それに書き込んで授業しとって。
2年生の時、模写っていう宿題があったんよ。
何?模写?
模写。
映す。教科書を映すんよ、ノートに。
模写ってこと?
模写。
模写、模写。
どっちでもいいわ。
模写が違うの?
授業ノートみたいな感じで書き込めるように映させられとったんよ。
嫌だなと思ってたよね、最初は。
そうなんだ。
だけど、3年生の先生は全然そんなことなくて、
先生がそっちに書き込めるから。
効率的だったんですか。
てかさ、その先生が結構影響してるんじゃない?
君のそういうのって。
覚えてる?あの先生。
あの先生のこと覚えてるよ、すごく。
あなたがよく友達と喧嘩してて、
もうすごい喧嘩して、もうどうしたらいいんでしょうって言ったら、
別にお母さん大丈夫です、
あとでね、これはこうでしょとか怒らなくても、
もう言語反逮捕しますからって言われて。
小学校生活の振り返り
目の前でやった時にすぐ怒りますから、
別に後からそんなに怒ったりしなくていいですって言われて、
すっごい、なんかよかったとか。
その先生いい人だったよ。
いい先生だった。
今覚えてるのは、丸付けしてる青ペンがあって、先生が。
その青ペンがすごい書きやすそうだなと思って、
先生に聞いた気がよく分かる。
これどこで買ったんですか?
それ聞いた気がする、その話。
先生から?
先生のペンが書きやすいっていう話。
先生から聞いたの?
あなたから。
で、聞いた。
結構文房具にすごい。
好きだったよね。今も好きだけど。
昔から好きだった。それはだって幼稚園の時から好きだった。
どこで買ったの?っていう話だよね。
ダイソーだよって言われて、
ダイソーだと思って。
そうそう!一時期ダイソーのボールペンをすごい買ってたよ。
あれすごくいいですよ。いいペンです。
懐かしいね、やっぱり。
振り返るとやっぱり遠い記憶だわ。
その先生いい先生でした?
その先生いい先生だったね。
確かにな。でもその話初めて聞いたかな?
割とハイテクな先生だったよ。
かっこいい先生だったよね。
女の先生だけど。
確かにかっこいい先生だったね。
そう思う、そう思う。
そうだね。
そうでしたか。
そんな感じで、4年生の後半がコロナが始まっちゃった。
4年生の後半から5年生の5月くらいまでコロナだった。
それでもう休校ですみたいな。
本当に辛かったね。
もう私たち3人で家にずっといたよね。
もうやばかったよ。今思うとお母さんかわいそうだったなと思う。
なんで?
だってさ、完全に荒れてたよ。
君たちでしょ。もう本当そう。
だって覚えてるよ。覚えてるよ。
覚えてる?
1時間だけ寝させてって言われて、
犯行的だったから1時間本当にタイマーをセットして2つくらいお母さんの耳元で鳴らすっていう
もうマジでやばい奴みたいなことやってて。
マジでやばい奴だと思ってた。
それがあってから本当に一旦広島に帰れって言われて
本当に帰らせられるかと思ってマジであれがびっくりした。
もう怒ったね、あれは。
なんかもう私も追い詰められてたよね。出られないし。
どうすればいいっていうね。
どうしたらいいかわからなくて。
完璧賞じゃん、妹。
だからさ、3人で買ったものを全部さ消毒してたよ。
消毒してからね、家の中に出してた。
ペットボトルにしろ全部収集してバケツリレーでやるみたいなことやってた記憶もありまして。
なんか今思えば本当に貴重な時間だったね。
きっと振り返った時には3人でギュッと暮らして楽しかった思い出になるはずって
自分に思い込ませようとしてたの覚えてる。
それでなんか動画編集して遊んだりとか
パソコンもゲットしてたからね。
そうだよね。
っていうのもあるし
ママペイみたいなのを作って
そうそう、ペイペイが流行りだったんだよ、その時。
割り勘できるぞみたいになって
宮沢大輔さんがさ、ペイペイっていうCMがあってあれを真似してたね。
それでお手伝いをしたらママペイがもらえるよっていうことにしたり
ワークしたりとか、一応学校からも宿題はちょこっとだけ出たりはしてたんだけど
自分もオンラインだったしね。
自分もオンラインだったね。あれはあんまり意味のないオンラインだった気がするけど
先生たちもすごい色々考えてね、努力して
不思議な
時間だったね、あの時は。
コロナで休校ですとかなって
最後の2ヶ月くらい学校行ってた記憶があるけど
ちょっとは行ってたと思うよ。
沖縄はね、最初あんまり大丈夫だったの。
本土がすごい流行ってるときに、まだ沖縄そうでもなくて
確かによく考えるとそうだよね。沖縄って島国だからさ
誰かが持ち込まないといけないさ
でも一番最初に出たのあれじゃなかった?沖縄だったよね。
外国船がついてとかだったけど
でも今思えばそれもね
それでもう5年生で結局広島に帰ることになりますし
広島に戻ってきて
同じ小学校だから別に
そんな特に馴染めないところもなく
普通通りだった
でもそれでも色々あったじゃないですか。
色々ありましたよ。5年生の3人の先生の話とかね
いっぱいありますけど
まあ色んなことがあって
そうだね。結構濃いかったね。小学校。そう思うと
濃いかったよ。てか濃度やばいと思う
単純に移動してるみたいなこともあるけど
それで6年生の単人の先生
ついこの間ですけど
めっちゃハイテクな先生やった
4年前でしょ。もう
ついこの間です。結構
精神的な先生だったよ
精神的な先生?
精神的な先生って何?ってなるやん
だってさ、学級頼りとかもほぼ毎日発行みたいな
そうだね。風邪だったし
まあ未だに大好きだよね
なんか色々やらせてくれるし
なんかIT担当みたいなのさせてくれたんだよね
そう。クラスだけじゃないよ。学校全体のね
学校全体のね
それで色んなクラスに行って
ランケーブルを繋ぎ直したりしてました
小学校
その時に時間割が毎朝発表されるんだけど
それをパソコンに入れて
電子黒板に朝出しとこうっていう話になって
それを作ったんよ。パワポとエクセルを駆使して
噂によると今も使ってるらしい
すごいねそれ
そう
他人の先生のクラスで
そうなんだ。使ってくれてるんだ
それは君が作ってくれたからと思って
先生が取ってあるんじゃない?
もうずっと使ってください
そんな感じで小学校まであったと
まあ大体振り返りたかったのは小学校までなんで
ハイテクな先生との思い出
一旦これで大丈夫なんですが
もうこれで宿題がっつりやってください
あれですね
なんか結構密度が濃い人生だね
いや密度が濃いというか
君の話しかしてないからね
君の話だけだからね
はい
でもすっごい喋ってると思う私と
ありがとう
生まれて
今もめっちゃ喋ってますけどね
でもすごい攻撃もされてきたなって
はい
思いますけどね
もうしないで
攻撃しないであんまり
残念ながらわかりましたとは言えないので
残念ながら
これで宿題やってください
というわけでこんな30分にも渡る
長いポッドゲストを聞いていただきありがとうございました
倍速で聞いても15分ですから
倍速で聞いてもらって
はい
それ最初に言うべきだったね
本当だね
というわけで人生について一旦振り返ってみました
ひとまずのね
またちょこちょここういうのやりたいと思っています
それではさよなら
お話終わり
30:44

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