00:02
はい、というわけで、スペースボルケーの第10回なんですけど、
ゲストにくぼたくんを招いているので、
いつも一人でやっているタイトルコールを2人でやりたいと思います。
くぼたくん、大丈夫そうですか?
はい、大丈夫です。くぼたです。初めまして。よろしくお願いします。
じゃあ、タイトルコールいきます。
はい、こんにちは。始まりました、スペースボルケーの第10回。
僕が鳥取生まれギターポップ育ちのケージです。
この番組は、音声メディアを通じてリスナーとMCが友達になることができるのかを実験していく
ポッドキャスト番組です。
というわけで、冒頭にも言いましたけど、今日はゲスト会ということで、
僕の大学時代の友達のくぼたくんに来てもらいました。
くぼたくん、じゃあ自己紹介をお願いします。
はい、初めまして。くぼたと申します。
鹿児島生まれ、高団育ち。
ケージ君とはですね、もう24年の付き合いですね。
非常に仲良く、今もさせていただいているお友達です。
なんだろうな、自己紹介か。
仕事は、なんだろう、SIRと呼ばれるIT企業から、今は
もうお客さん企業に出向して、片身の狭い思いをしているサラッグマンですね。
あまり仕事の話なんて面白くないので。
二児の父、上が15歳、下が1歳の子供がいます。
そんな感じかな。
ケージ君とは、大学時代からずっと、バンドしている時とかもたまにお手伝いしたりとかして、
そんな風にしてずっと、ほんとにずっとちょくちょく会って遊んだりみたいな関係でやってますね。
今二拠点生活してるんですか。
そうそうそうそう。
本当はね、会社的には単身本人をしろということで関東に転勤になったんですけど、
コロナのちょうどタイミングだったので、部屋、会社借りてくれてるんですけど、
基本的にほとんど行かない。テレワークで神戸の自宅からですね、
仕事しつつたまに行って、ちねちった映画見て帰ってくるみたいな、そんな暮らしをしてる感じですね。
川崎の、あそこ近いんだ。
川崎が近いんだけど、住所は横浜っていう、川崎と横浜の狭間に住んでいます。
なかなかファンキーなところでいいんですよ。
僕はちょうどルポ川崎っていう方に、あの辺の、ちょうどじゃああの方に出てくる。
ところも近い感じで、なかなかね、私もあれですよ、ケスカ・トリポカっていう、
同じような川崎を舞台にしたクライム・サスペンスの小説のようにですね。
03:00
知ってるうちに目いっぱい出てくるとかもあるからね。
楽しく、行ったときには楽しく暮らしてるような感じですかね。
なるほど、だから神戸と横浜。
川と川崎の狭間で居県生活をしているサラリーマンでございます。
なるほど、久保田君とは神戸の大学で知り合って、大学の演劇部で知り合って、
それからずっと今まで色々友達としてお付き合いさせてもらってるんで、
今日はですね、こんな久保田君と一緒に友達について色々語り合いたいと思っております。
はい。
それでは久保田君、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、というわけで今日はゲストに久保田君を招いて我が家で録音してるわけなんですけども、
早速なんですけど、お約束の質問をさせてもらいたいなと思うんですけど、
久保田君にとって友達ってどんなものかみたいな言語化してる部分あります?
定義とか。
定義。
友達の定義。難しいな。
友達の定義って言うほどの大層なものはないですけど、
この年になってね、今になって友達って言うとこうやって休みの日に遊びに行ったりとか、
会ったりするような関係の人がきっと友達なんだろうなっていうのが浅い定義みたいな感じですかね。
会社の人は、会社の同僚っていうのは別に友達じゃない。
仕事の同僚と飲みに行ってもそれはやっぱりちょっと友達じゃない。
でも、休みの日に会おうぜみたいな感じとかで会うのはやっぱり友達なのかなというような感じですかね。
なんか多分その学生時代の友達、小中高大学も含めて、
もう普段生活してたら会わないじゃないですか。
この年にも。
社会人になっても会わなくなった人、過去の友達、いわゆる友達、会わなくなった人にわざわざ、
なんかそういう、どこかに集まってご飯食べに行ったりとか何か見に行ったりとかで、
わざわざ会うような人が、いわゆる友達みたいなイメージで。
高校の同級生だとか、大学の同級生だとか、そういうふうにたまには会おうよみたいな感じだったりとか、
移動というか引っ越しするから会いましょうみたいな機会であったりとか、新年会しようみたいな。
いうのが多いですね。
なんだろうね、そういうところで考えて、最定義としてそうやって休みの日に会うみたいなので、
もう一歩じゃあ深く考えてみたら、自分の時間とか、お金だとか、体力もあるんですよ。
06:05
この年などね、出かけるとしんどいから。
まあリソース的なやつ。
自分のリソースを喜んで提供できる関係なのかな。
自分がそれを提供できるっていうのが、自分から見た友達っていうふうなのを、
ここに来るまでの電車の中でちょっと考えてみたらね、そんな感じのことを思いました。
なるほど。
なるほどね、だからその尊徳感情とかリークとか関係なく、自分のリソースを避けることができる相手みたいな。
まあ尊徳感情っていうと、好きでやってる。行ったら楽しいだろうと思ってね。
それを提供したら楽しみ、愉快な時間が過ごせるとか、懐かしい気持ちになれるとか、
きっとそれはある意味対価ではあるんだけど、好きでそうやって会いに行こうとか、時間を割こうとか、
思えるのが友達かなという。
なるほどね。
でもちょっと分かりやすいというか、納得はすごいありますね。
会社の人と飲みに行くのも別にそんなに嫌でもないんだけど、
休みの日にわざわざ時間取って行こうとか思わないですよね。
だから自分のリソースを割いた時にリターンとして戻ってくるものが、喜びとか楽しみとかが。
そういう気持ちを自分から求めるというか、
お友達と会って楽しい気持ちになりたいって思って会うのが友達。
なんか最近友達と遊んだりとか会ったりとかってあります?
あんまりなくて、ケイジ君と1年くらいに渡って月1くらい入れた
ダンジョン&ドラゴンズのあの回ぐらいが友達との交流。
僕もしょうみんそれが一番友達と遊んでる感あったかな。
あれはもう紛れもなく、自分の時間を。
家庭がありますもんね。家族のための時間を削ってっていうのもおかしいですけど、
普段ならその時間に子供の面倒見たり、見ないけど、
そういうふうに家族に時間を使えるはずのことを自分のため、
一番は自分のためっていうので、自分が楽しむために使っているっていうところで、
それはやっぱり友達と遊んでるっていう感じがしますよね。
あれが一番じゃあ友達と遊んでる感あった?
ありましたね。
むしろ他はあんまりないですね。
横浜の部屋に行った時に、あっちにいる友達とご飯食べに行ったりとか。
09:01
東京の演劇部の時の友達。
そうそうそう。
食べに行ったりってことはあるし、それぐらいかな。
あれいつやったっけ?僕らの大学の演劇部のお芝居見に行ったの。
去年のクリスマスぐらい?
冬ですよ。冬。
寒かったもんね。
寒かった。めちゃくちゃ寒かった。六甲さん。めっちゃ寒かった。
あれって11月、12月ぐらいだったっけ?
12月入ってたぐらいかな。
今年?
12月だね、あれね。
僕たちの神戸大学の異大演劇部の、何周年とかだったっけ?
何かそういう公演があって。
忘れてる。
記念公演みたいな。
記念公演?40周年とかだったっけ?
それぐらいなんですかね。
40周年記念公演みたいなやつがあったから、僕がそれを見つけて、何人かに声をかけて、
たまたま久保太くんが行けるから、一緒に行こうかって言ってな。全然知らないもん。
なんやこのおっさんみたいな感じの。
久しぶりに、大学も久しぶりに行くと、
めっちゃ久々に行ったよな。
どうやって行くんだっけのがよく分かんない感じになったりとかね。校舎も変わってたりするから。
変わってたね。
行きましたね。
そうだな、あれも友達と遊んだ。
そうだね。
ケイジ君だけどね、あれはね。同じじゃんっていう話ですけど。
確かに。
ケイジ君と学校を卒業した後も、バンド活動をケイジ君がしてた時に、
よく東京について行ったりとかしてね。
何市について行ってんだみたいな感じだったけど、そこで知り合った人たちとかはね、
一方的にこっちも友達と思ってるような人とかに書いたりもするし、
そうなんですよ。友達って、
結構コミュニケーションってほら、片思いの時とかもあるじゃないですか。
特にSNS時代だと。
そうそう。私この人のこと友達って思ってるけど、あっちどう思ってんだろうみたいなね。
私はあんまりそういうのを考えないようにしていて、
片思いで何が悪いぐらいの感じで、
相手がどう思ってようが、俺は友達だと思ってんだぜみたいな感じで、
そういうのを考えないようにしていて、
そういうのを考えないようにしていて、
そういうのを考えないようにしていて、
でもなんとなくそれ分かって、
僕もSNSでつながってたらさ、
何年も会ってなくても、
その人の投稿とか、
何考えてるかが分かるから、
なんかそこでずっとその人のコミュニケーションとか、
そういうのを考えないようにしていて、
その人の投稿とか、
何考えてるかが分かるから、
なんかそこでずっとその人と友達としてつながっている感というか、
12:02
すごいある。
そこの人格が全部見えてるかというと、
分からないところはあるけれども、
少なくともそのアカウントとして表現されているその人、
人なのか人たちなのかも分からないかもしれないけど、
そのキャラクターに一方的に、
親近感だとか、
友達感を持つかどうか、
友達感を持つことはありますよね。
分かる分かる。
僕だからこのポッドキャストを始めたきっかけの一つが、
その人たちとの関係、
一方通行というか、
僕が友達って勝手に思ってるだけなんだけど、
その僕が友達って思ってるっていうことを、
向こうに伝えたいみたいな欲があって、
このポッドキャストを始めてるっていうのも。
そもそもの最初の目的が、
よっともっていう言葉を知って、
よっともって聞いたことある?
ずっともあるけどね。
ずっともの後ぐらいに知った言葉なんだけど、
よっともって、
それぐらいの知り合いみたいな。
お互い顔と名前というか、
存在は認識してるから、
目が合ったら、みたいなことは言うけど、
そこまで仲良くない人をよっともって、
大学生とかが使ってる。
よっともって、
いわゆるソーシャルネットワークというか、
SNSとかで存在は知ってるし、
その人が例えばいいねしてくれたり、
こっちがいいねしたりとかぐらいはあるけど、
そこまでちゃんと喋ったことはないみたいな。
最近にもよっともっているなと思って。
そういう人たちに、
全く全然知らないことはなくて、
接点はあるわけじゃん。お互いの人生の中で。
軽い接点のままずっと、
時が過ぎていくのなんかもったいないな、みたいな。
その人たちに、自分は友達だと思ってるんで、
ちょっと友達になりませんかっていうことを
アピールしたいっていうのが、
ポッドキャストで友達を作りたいっていうのは、
全く知らない人と友達になりたいっていうんじゃなくて、
よっともレベルの人ともっと深く知り合い、
仲良くなりたいっていうのを目標にやってるっていう。
あれですよね。バンド活動とかをしてると、
よくいいねつけてくれたりとかコメントくれたりしてて、
でもライブやったら、
きっとあの人誰々さんっぽいんだけど、
あんまり目が合いそうで会わないし、
話しかけてくれそうで来ないし、みたいな関係の人って
結構いると思うんですよね。
あとで、ライブ終わった後に
言ってたんですけど、ちょっと声かけなくてみたいな。
かけてよ!みたいなのがありそうですよね。
そういう人たちに向けて、
徳田圭司怖くないよ、ほら怖くないよ、何もしないよ、ボローン!
15:02
ボローンって何?
ボローンって出すんですよ。
ここはそういう場なんだ。
そういうのがこれからの時代というか、
SNS時代始まっても長いけど、
今までの物理的な距離感にある人としか
友達になれないっていう世の中だったけど、
もうちょっとこのSNSの時代、
そういう繋がりでお互い遠慮してる状態であれば、
もう一歩ずつ踏み込めたら、
友達になれたら嬉しいなみたいな。
そうですね。
今年はどうか分かんないけど、
なかなかリアルで人に会う機会もなかったし、
やっぱりそんな中でも、
人との触れ合いというか交流というか、
人はやっぱりコミュニケーションを求める生き物だと思うので、
そういう風なので、
広がっていかないと、
そういうコミュニケーションのスタイルが
生まれてきたんじゃないかなって気がしますよね。
新しいコミュニケーションのあるような気がして、
それがまだぼんやりしてて、
言語化とかシステム化されてないような気がするから、
だから僕が思っているのは、
こういう感じのポッドキャストをみんながもっとやればいいのにと思っている。
だから僕が友達だと思っている、
SNSでしか交流がない人が、
こういう感じでポッドキャストを始めたら、もっとその人のことが知れるから、
さらに仲良くなった気持ちになれるかなみたいな。
やってくれたらいいなみたいな。
熊田くんはやったりしないですか?
今日も久しぶりに人と喋るというか、
声を出す能力が衰えているから、
しんどくなっちゃう気がするな。
会社のズーム会議とかでも、
突然話し取りになると、
こういう感じになったりするからね。
喋った方がいいんでしょうけどね、そういうタイミングもね。
僕は子供がいないから分からないんですけど、
この前ゲストに来てもらった僕の友達の本間くんは、
男の子が3人、息子がいて、
息子との関係ってどうなんて聞いたら、
自分たちが子供の時の親子関係に比べると、
今の自分と子供たちの方が、
友達関係に近いような感じがするって言ってて。
それなんか思うとこある?
自分の子供との接し方と同じ感じ?
親と子供って感じがしてる?
親と子供。
うちはそんなに、
お母さんは割と面白い感じの人で、
お父さんは昔ながらの寡黙な人みたいなんで。
18:00
クボタくんのお母さんは確かにそんな印象があります。
ハイテンションかつパワフルみたいな。
今でもあんま変わらない感じなんですけど。
そっからすると、
あんまり私は自分の子供と、
友達のような親子っていう気は全然してなくて、
ある程度ちょっと自覚的に、
親であるというか、
子供の見本たれみたいなところを、
意識はしてる。できてるとは言わない。
っていう感じですかね。
あんまりそんなに親しく立ち入ったりもしないし、
できない?できない?
わかんないな。
友達インコとかは言わない?
友達インコとかは言わない。家では絶対言わない。
じゃあこのポッドキャストを娘息子が聞いたらどうするの?
別人だよっていう。
娘のツイッターアカウントこの間見つけちゃった。
でもフォローもせずに、
ちょっと忘れておこうぐらいの感じで。
それは見ちゃったら申し訳ないなと思っちゃう。
見てもいいんですよ。
子供たちの知らないお父さんの姿をね。
ここで晒して。
さっきも言ってたんですけどね。
今日は二人とも下半身裸で
お互いに片方の手にはちゃんとしたマイクを
もう一方の手には別のマイクを握るので
股間を握り合ってポッドキャストしてて
余計なこと言ったらキュッて掴もうっていう話をするんでね。
そんなノリで。
お父さんは普段はそんなノリ。
昔からそんなノリだったんですけど、
別に勉強しなさいなんて言わないんですけど、
ちゃんとランドセル片付けなさいって。
床にランドセル置いてちゃいけないよっていうことばっかり言ってる。
ちゃんとお父さんしてるわけだ。
お父さん踏むと痛いから。
ランドセルとかいろんなもの踏むと痛いから。
昨日息子本人が
お姉ちゃんのズボンのボタンかなんか踏んで
痛ーって言われて、ほらちゃんと片付けなさいって。
なるほど。
あれだね、ちゃんとお父さんの顔があるってことは
後々、だからこれ数年後に
娘さんとか息子さんがこれを発見して聞いて
別のマイクを握り合うとか聞いたら
衝撃を受ける可能性はあるんだよね。
割れてる気もするし、
何が父親の顔してるだよこいつって。
それはそれで面白いな。
タブスタークソ親父っていう。
これガンダム彗星の魔女って
この間までセリフなんですけどね。
ガンダム見たりとかそういう点では仲良くはしてるんですけど
言うてるわぐらいの感じかなって思いながら。
前も言ってたもんね、娘ちゃん中学生なのに
まだ仲良くしてくれるみたいな。
21:00
そんなに露骨に嫌ったりはしてないかな。
もともとおっとりとした性格で
本人はメンタルクソ雑魚らしいんですけど。
自分で言ってんだ。
ちょっとしたことですぐへこむし、
人の目がすごい気になるシーンみたいな感じで
大変そうですけど。
半分気持ちは分かる。
自分にもそういう面もあったし。
けどあんまり分かるって思うのもよくないなって思うからね。
分かったつもりになる。
分かったつもりになる。
友達付き合い。
子供に対してね。
友達付き合いっていうので、
今このご時世ですから
あんまり友達と遊んだりとかもできなかったりしたんですよ。
できたら子供のうち
特に10代前半ぐらいまでの間に
人との接し方だとか距離感みたいなのを
身につけてもらうためには
いっぱいお友達と遊んでほしいんですよね。
親として。そういうところは思うんだけど。
コロナで外で友達と遊べないと。
特に弟の方ですよね。小学生の弟の方とかは
遊びに行けなかったりするし。
どうやって人との関係性みたいなのを
学んでもらったらいいんだろうとか思いながら。
そこで
親がどうやって人と関係
気づいてるのかなとかっていうのを
見せなきゃいけないんじゃないかなとか思ったりするんですよね。
でも全然私も妻も
あんまりママともパパともがいたりとかもしないし
ご近所の人とかとそんな交流とかもないんですよね。
あんまり最近ってそういうのがないんじゃないかな。
どこでもないんじゃないかなとか思うんだけど。
自分が子供の時に自分の父親が
結構
もっと小さい頃だと思うんだけど、幼稚園とかそういう頃だと思うんだけど
父親の友人のところに
連れて行くわけですよ、子供を。
連れて行かれてもおもちゃもないし別に面白くもないんだけど
親父がなんかこう
よく知らない大人の男の人同士に
ワッハッハって喋ってるわみたいなのを見てて
大人も別に友達付き休んだなみたいなのを
見てた気がするんですよね。
そういうのも言ってみれば子供に友達と遊んでほしいとか言いながらも
お父さん全然遊んでないじゃんみたいな感じがあると
どうなのかなとかって思う節はあるわけですよ。
かといって今こうやって
ここのポッドキャストのところに息子連れてきて
息子の前で友達に行こうとか言って
そりゃそれでどうやねんって話もあるから
大人が
24:01
友達付きはどうしてんのみたいなのを見せるっていうのも
難しいなというかこういう
確かになー
友達の前でお父さんの姿しか見せないというか
それもまたおかしな話になってくるし
はいはいはい
友達は多分それ見て面白いと思うんですけどね
いつもと違うじゃないか
なるほどなー
すごいちっちゃい時はね
連れて行った気がするんですよ
お姉ちゃんとか連れて遊んだりして
フットサルするから出て行って
その時も開始1分くらいで転けて怪我して
誰が転んだ?
あの時ケイジ君もたぶんいたよ
フットサルしてるとき
ロックアイランドか
始まってすぐに
後ろから来たボールを華麗にターンしてドリブル打ってもったら
ターンした瞬間に体がついてこなくてそのままバターンと倒れて
あばらか肩かその時もね
マジか
娘がギャーギャー言ってた気がします
お父さんどうしたの?何なの?負けたの?
負けたの?
別のルールになってるよね
よく分かってる
確かにでも大人が
親が友達と遊んでるのを見せるっていうのも
一つのあれかもね
そういうのもコミュニケーションを学ぶ場だと思うんですよね
ケイジ君家は昔
お店をやってて
うち実家が喫茶店で
僕が常に学校から帰ってきたら喫茶店にいたから
両親のお客さんだったり
半分友達だったりする人たち大人がいっぱい
とにかく身の回りにいて
大人の会話よく聞いてたかなって思いますね
そういう姿を見てるっていうのは絶対
ケイジ君の今の
コミュニケーションの基礎になってる気がする
それはめっちゃ思う
あともう一個思うのは
小学生の時からダンジョンズ&ドラゴンズっていう
テーブルトークRPGやってたんで
あれもコミュニケーションの
勉強になったというか
あのゲームってさ
5,6人で遊ぶんだけど普通のボードゲームと違って
普通のボードゲームって5人で遊んだら
1番から5番までができるというか
勝ち負けを競うじゃん
でもテーブルトークRPGってみんなで
1つのゴールを目指して遊ぶみたいな
みんなで楽しくどうやったら楽しくなるかみたいな
ゲームだから
ルールのあるごっこ遊びみたいな
まさにルールのあるごっこ遊びなんで
27:02
いかにみんなで楽しくごっこ遊びをやり遂げるかみたいな
ことだから
それを楽しむためにはどうしたらいいんだろう
みんなで楽しむためにはどうしたらいいんだろう
っていうのを常に考えるゲームを
小学校高学年から中3くらいまで
中学なんかクラブ活動としてやってたからね
先生に作ってもらって
何クラブだったっけな
RPGクラブだったかな
ダンジョンザンドラゴンズ以外もやってたから
週一で活動してて
クラブの部員がゲームマスターになって
図書館で初めて
RPGする人たちを集めてコンベンションやるみたいな
すごいね
何十年前の鳥取の地でそんなことが行われてた
鳥取進んでたよね
これはグループSNEの人に言ってくれ
実はそうだったんですよ
だから僕グループSNEに憧れて
神戸大学目指したからね
だから本当にTRPGは
僕の人生において
すごく重要な位置を占めてますね
だから実家が喫茶店だったってことと
TRPGをやったのは僕の人格に
そうなんですよね
ケイジ君が大学に帰ってきてお話した時に
私はTRPGをプレイしたことはないけど
そういうのがあって
それを雑誌でリプレイみたいなのをやってて
コンプティークのロードストーセンキのリプレイみたいなのを読んでて
面白そうだなみたいな
そういう話ができる人が大学にいるって言って
こんな奴おったって
そこで何点か話が合うみたいな
そううちの小学校も
あの頃だとだから
TRPGっていうよりも前にゲームブックってやってたじゃないですか
ゲームブックとか読むとみんな自分で作りたくなるじゃないですか
はいはいはい
私サッカー部だったんですけど
下手くそだし弱いサッカー部だったから
みんなあんまり真面目に練習しなかった
練習の後半になると他の学年とかが試合とかしてる間で
同じサッカー部の何人かと一緒に
地面にダンジョンの絵描いて
みんなで勝手にシナリオ作って
それで数人でキャッキャキャッキャやってるようなのがあって
その子たちが
5年生6年生くらいの時は
すごい仲のいい友達
やっぱり田舎の方の団地のところだから
あまり刺激的なものもない
文化的にもそんなに面白いものもないようなところで
何人かそういう風な
遊びができるっていう友達がいて
ちょっと仲良しグループみたいな感じで
30:00
やったことがありますね
そのうちの一人の人はもうずっと仲良くて
会いはしないけど年賀状で
今年は青年みたいな感じでやったりとかして
なかなかずっと仲のいい小学校の同級生
地面にダンジョン描いて遊んでた話初めて聞いたな
地面にダンジョン
書いたり数字書いたりとか
ドラクエだとか
ウィザードリーだとか
やってた気がする
友達関係とか人とのコミュニケーションで
気をつけてることとかありますか
気をつけてることか
気をつけれてるかは分からないけれども
こっちが思ってるのと同じように相手は思ってくれない
っていうのはずっと
肝に命じておかなきゃいけない
さっきも片思いじゃないですけど
友情の片思いじゃないですけど
こっちがすごい親しく思ってたりとか
こっちがこれくらいいいだろうって思ってても
相手は同じように思ってるようには
持ってると思っちゃいけないなっていうのがあって
とはいえ難しいですよね距離感
ケイジ君とはすごく長く付き合ってるから
ケイジ君がどんなことが嫌だとか
どれくらいだったらいいとか
なんとなく分かるし
ケイジ君は割と何も嫌だって言わないからね
あんまりたまに無茶なことを
言ったりやったりしてないかなっていうのは
たまに返してみるくらいで
気を付けるって言ってる割には気を付けてないんですけど
そういうのは思っとかないといけないなと思ってますね
そこは子供たちにも言ってるっていうか
自分が思ってるようには相手は思ってくれないよ
っていうのは伝えたいですね
かといって相手がどう思ってるかばっかり
気にしててもしょうがないんですけど
言わなきゃ伝わらないし
相手がどう思ってるかが気になるんだったら
聞かなきゃ分かんないし
意識して人と接しておいたほうがいいのかなって思いますね
でもこれが仕事とかになるとまたちょっと違っててね
友達とかだったら
そうやって何でもオープンに
伝えて思ってることを聞こうぜって言うんですけど
仕事だったらそこまでしないんですよね
もうめんどくさいし
目的がちょっとまた違ってくるので
だったらずっとこっちは
ずっと引いとくわみたいな感じとかも
言う通りにしとくわみたいなところもあるし
33:02
そこは利害の関係とかで
なってくるんですけど
友達という風なね
友達って信頼関係を築きたい相手なわけじゃないですか
であればちゃんと
自分が思い込んでることが
そのまま
自分が思ってるように相手が思ってるっていうのは
思わないようにすべきだし
思ってることがあったら伝えたほうがいいし
そういうのを意識していきたいですね
なるほど
いいっすね
僕もでも近いようなところあるかな
僕は単的に
期待しないようにしてるっていう
昔から言ってるよね
大学生の時から多分そうなんですよね
だから僕がこう思ってるから向こうがこう思ってくれるだろうっていう
こう思ってくれるだろうっていうのは期待だから
そういう傲慢な態度はよそうっていうのは思ってます
そうそう
もしくは期待してもいいけど
それは
伝えとくというか
そうしてほしいなっていうのを可愛らしくお願いしたり
なるほどね
伝えずに期待だけしておくのが本当に傲慢だな
やってくれると思ってたのに
一番良くないというかね
びっくりしちゃうじゃないですか
じゃあ最後に
僕の中でも答えが出てないことを聞いてみたいなと思ってるんですけど
僕これPodcastの番組の中で何度か言って
僕の友達の定義が
相手の幸せを
自分のことのように喜べるっていう
お互いにそういう関係になっていれば
それを友達と見なせばいいかなって僕の中では思ってて
その定義にすると
割と友達っていうものが
広範囲に広がるというか
お互いそう思えてれば友達っていうことにすると
すごく友達の範囲が広がっちゃう気もしてて
でもここからが今から質問というか
僕が最近悩みってことでもないけど
答えが出てないことで
みんな結構たくさん友達いるじゃん
友達いるんだけど
僕の定義の中での友達ね
僕がその人の幸せが自分のことのように嬉しかったり
逆にその人も僕の幸せが自分のことに
嬉しかったりするような人が
36:01
何人かいる中で
でも距離感はまた別であるなみたいな
友達っていう中でも
親友っていう言葉があったりするけど
友達と親友 さらに親しい人を親友って言ったりするけど
それの定義は置いといて
距離感っていうのがそれぞれにあるなって思って
この距離感ってなんなんやろうっていうのが
でもそれは相手のいる話なので
自分の望む距離感
相手の望む距離感
それで決まってくるんじゃないですかね
例えば僕がすごい近くに感じてても
その人が僕のこと近くに感じてるかどうかはまた別もない
そうですね そういうさっきの片思いの話もあるし
友情の片思いみたいなのもあるし
そもそもそんなに人と親密な関係
気づきたくないんだよみたいな人だって
世の中にいると思うんですよね
煩わしいめんどくさい
たまに会って会ってるときはすごい楽しいのに
会う前にすごい憂鬱みたいなのもあったりするみたいな
娘がよく最近言ってるの
遊びに行く前の日ってめっちゃ憂鬱なんだけど
なんでめんどくさいとか
めんどくさいっていうのが結構人間にはあるので
めんどくささの許容量というか
めんどくささの基準っていうのが人によって結構違うじゃないですか
それが距離感にもつながってくる
なるほどめんどくささっていうパラメーターは確かにある
あるんですよ
うちの妻と私がまだ
20何年何とかやってこれてるのは
めんどくささの基準が結構似てるんです
それ結構大事だと思うんですよね
友達とかもそうで
めんどくささの基準が似てる人は
関係長続きするし
なるほどな
だからLINEをめっちゃまめに返してくる人が
ちょっとしんどいみたいな人がいる
たまにしか返さないけどそれぐらいちょうどいいんだ
そういうめんどくささの基準っていうのが
めんどくささが似てる人っていうのが
仲良さが長続きするのかな
なるほどな
すごいそれはちょっと僕の中では発想としてなくて
なんか
これは片思い的な話でも全然よくて
自分と自分の感じてるそれぞれの人への距離感だから
全然5,6年会ってなくて
別にやりとりもしてないような友達でも
めっちゃ自分の近くに感じる人がいたりするわけ
すごく頻繁に会ってたりもするけどそこまで近くない人もいる
この感じる距離感って何かなと思ったら
確かにめんどくささ的な
39:02
めんどくさいって言うと言葉が悪いかもしれないけど
抵抗感のなさって言ったらいいのかな
うまい言葉が見つからないけど
どうなんだろうね
身近に頻繁に会うけどあんまり親しみを感じてないっていう人は
多分あんまり友達じゃないと思いますよね
親しみを感じてって別に月一ぐらいで会ってご飯食べたり楽しいし
っていう友達がいて十分距離が近いんだけど
さらにそれよりも近くにいる人がいて
5,6年会ってないみたいな人がいるなって自分の中で思った時に
全然他の友達も遠くはないけど
その人より近くな距離感感じてんのに
5,6年別に普通に連絡も取ってないような友達がいる
この自分で感じてる距離感はなぜ生じてる
何で近く感じるのかとか
それより何で遠くにいるように感じるのかっていう
別に遠くはないんだけど
それは両方とも知り合ってからは同じぐらいの年月なんですかね
近い人の方が知り合った年月は前から知ってるかも
もっと前から知ってる
もっと前から知ってるけど
頻繁に会うけれども
ごめんなさい近くの人は頻繁に会わなくて
でも20年ぐらい前から知ってて
それよりちょっと遠いけど月一ぐらいで会う人は
もう10年ちょいぐらいの知り合いとかだったりとか
なんでしょうね
そういうのない何か
特にない
ないな
小学校の時のね
さっき言った同級生ね
もう多分20年ぐらい会ってないんですけど
年賀状年賀状
年賀状年賀状にして会いましょう
たぶんね会ったら普通に仲良くできる感じの人はいるけれども
私の場合は
頻繁に会ってた時期があって
そこから離れたっていう人が多いから
そうなるとやっぱりその昔のような関係が
会ったら再会するみたいなところがあるじゃないですか
そうすると居心地がいい気もするし
あんまり久しぶりに会ったら
なんかもうちょっと話合わなくなってたな
みたいな人っていうのがあんまりないんですよね
そこまでそんなに人間関係が広くないっていうのもあるけれども
久しぶりに会ったらやっぱりもうダメだわっていうのは
あんまりないんですよね
小学校の同窓会みたいなの行くとなんか辛そうな気がするんですけど
それはあまりに会ってない期間が長い
会ってないし
暮らしが違いすぎるというか
しそうな気がするのであるんだけど
そうですね親しい人は
もともと友人みたいに思ってた人は
割と久しぶりに会っても変わんないかな
そうかだから過去にめちゃくちゃその人と交流があって
すごい親しく近づいてて
42:02
その距離がずっと続いてるだけなのかもしれない
そうかもしれないですね
だから5,6年空いてても
5,6年空いててもその1回縮まってる距離が
ずっと
で実際会って
久々に喋ったらこの距離がガンって遠くなる可能性もあるかもしれない
割とね変わってしまったみたいな人がいるかもしれない
そうかもしれないな確かに
ある時期に詰めた距離感がそのままずっと
会わなくなっても続いてるっていうことなんじゃないですかね
なるほど
ちょっとその最近このことについて考えてもやもや
どういうことかなと思ってたのが
今ちょっと霧が晴れてきたかもしれないですね
なるほど最後にめっちゃ友達関係のトークができて
なかなかねまとまりのまとまりに欠けるトークですね
そういうことじゃないですか
なるほどじゃあもうこれちょっと1時間以上撮ってるんで
じゃあそろそろ終わりにしましょうか
じゃあまた再び2人で握り合って
そうね
じゃああのゲストは
僕の大学時代からの友達の久保田くんでした
どうもありがとうございました
ありがとうございました
はいさよなら