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2024-06-28 19:14

#167 インクルーシブ社会と分断社会について思うこと

Voicyパーソナリティのアップくんパパの放送から、インクルーシブ社会と分断社会について僕の思うことをお話しています。

(パパの育自奮闘記「他害する子がクラスにいたらどう思う?分断してほしい?」)
https://r.voicy.jp/389RzkOY9Xj
※有料放送ですがご興味のある方はぜひ

⚠️冒頭の雑談が約3分あります🙇‍♂️本題だけ聞きたい方は3分くらいから再生してください⚠️

#社会福祉士 #ダウン症 #子育て #子育てパパ
#インクルーシブ #エクスクルーシブ
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https://stand.fm/channels/60c2c439b82bc5e1f3d897b5
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普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。 この放送は現役の社会福祉士で、障害児子育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
みなさんおはようございます。社会福祉士のTadaです。 6月28日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
昨日はですね、久しぶりに息子と一緒に眠ることができました。 寝かしつけができました。
久しぶりと言ってもね、月下水がね、一緒に寝ることができずに、帰りが遅かったんでね。
3日ぶりになるんですけど、それでもね、僕的にはすごく久しぶりでした。
そして彼的にもすごく久しぶりだったように感じます。 その証拠にね、めちゃくちゃテンションが高かったですね。
夕方ね、僕がいる状態っていうのが、やっぱり久しぶりだっていうことでね。 寝る前にね、残業の時はテレビ電話でお休みってするんですけど、
そのお休みがね、次第に元気がなくなっている感じがね、1日目、2日目、3日目って経っていくうちにね、すごく目に見えて感じ取れるんですよ。
もう最後なんかね、若干省てたって使うんですかね、若干むすっとした感じで、
お休みでね、その後にまた明日って言ってね、もうなんか、また明日な、みたいな感じでちょっといじけてるんですよね。
まあね、寂しい思いをさせてるなーっていうふうに思う分、一緒にいれる時はね、もう愛情たっぷりでね、
スキンシップも含め、たくさん一緒に時間をね、過ごしたいなというふうに思ってたので、昨日のね、夕方から夜寝かしつけにかけての時間はね、そういう時間が取れたんじゃないかなというふうに思います。
その証拠に面白かったのがね、寝かしつけの時なんですけど、一応ね、あの革の字になって寝るんです。
和室でね、お布団敷いて、妻、息子、僕でね、あの本当に革の字で寝るんですけど、それぞれにね、枕があるんですよ。
なんですけど、昨日はね、もう枕使わずに、いきなりね、僕のね、お腹を枕にして寝てましたね。はい。
なので、寝かしつけが終わった後に、僕と妻が部屋を出てね、洗濯物であったり、初期洗いであったりとかする、
まあこの配信のね、あの放送、録音もね、その時間でするんですけどね、寝かしつけ後にするんですけどね、
まあそういった意味ではね、そのお腹の上で、お腹を枕代わりにして寝られているので、なかなかね、脱出するのが難しかったですね。
まあっていうかね、最近寝不足なのもあって、僕もね、一緒にしばらく寝てました。
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ねえ、まあでも幸せな時間だったなというふうに思います。
それでは本題に入りたいと思います。
今日はね、インクルーシブ社会と分断社会について思うことというタイトルでね、お話をさせていただきたいと思います。
インクルーシブ社会ってね、インクルーシブという言葉は使われてね久しいかなというふうに思うんですけども、
何かっていうのがね、今一つ理解できていない状態のまま走ってるっていう感じのこともあるんじゃないかなというふうに思います。
どれぐらい言葉が意味として浸透しているのかっていうのが、僕はね怪しいところだなというふうに思うんですけど、
インクルーシブっていうのは包括的な、包摂的なみたいなね意味があるんですよね。
まあそれ言葉が難しいんで簡単に言うと包み込むようなっていう意味ですよね。
そういった意味で、全てのことを包み込んだ社会、多様性を受け入れるっていう意味でインクルーシブっていう言葉を使ってるんですけど、
じゃあ包み込んでない社会っていう意味でね、分断社会っていう言葉を使わせてもらってます、今日はね。
インクルーシブの反対語っていうのがエクスクルーシブですよね。
エクスクルーシブは排除的とか排他的っていう意味です。
なのでまあ分断社会っていう言い方の方がわかりやすいのかなっていうふうに思うので、ここではね分断社会っていう言葉を使わせていただきたいと思います。
まあね、細かいニュアンスは違うよって言われたらまあそれはそうかもしれんっていう話なんですけど、
まあそこはね、大きらくラジオですから大きらくに聞いてもらえればというふうに思いますので、どうぞ聞いてやってください。
まあこの話、今日なんでしようかなっていうふうに思ったかというとですね、
えーと、音声配信プラットフォームのボイシーですね。
このボイシーでパーソナリティをしているアップくんパパですね。
あの同じダウン症児の親なので、僕はパパと思っているふうに思ってるんですけどね、どうでしょうかね。
はい、アップくんパパが放送してくれたタイトルがね、昨日の放送のタイトルが、
えっと、他害、要は他の人に害を与える、要は暴力であったりということですよね。
他害する子がクラスに行ったらどう思う?分断してほしい?っていうタイトルの放送だったんですよ。
まあこれプレミアムリスナーって言って、有料会員しか聞けない放送なんで、
クラシックは有料会員になってもらわないと聞けないんですけど、
あの興味があったらね、ぜひ聞いてみてもらえればと思います。
まあこの話の中から、僕はじゃあどういうふうに思ったのかっていうところなんですよね。
この分断してほしいか否かっていうところですよね。
まず、自分が他害されている子供の親だとする。
要は僕の息子が誰かから傷つけられているような状況であったとすると。
そうするのであれば、申し訳ないけど分断してほしいって思っちゃいます。
06:00
えっと、僕もね大切な息子を育てている父なので、
やっぱりね、きれい事を抜きにして、やっぱり自分の子供が傷つけられるっていうのは、
いい気は当然しない。
しかもこれからもそういう害されるリスクがあるとするのであれば、
やっぱり一緒に過ごしてほしくないっていうものが本音です。
まあね、他害に関してはいろんなね、事情があると思うんですよ。
今回このアップくんパパの放送であったのは、
やっぱり発達特性がある子による他害っていうことだったんですけども、
まあそれに限らずね、やっぱり傷つける人っていうのはいろんなところにいると思うんですよね。
これって別に発達特性の有無に関わらずだと思ってるんです。
そういった場合もすべてひっくるめて、
僕は他害する子がクラスにいたら分断してほしいって思うのが本音なんですよね。
ただ、一社会の中の一人の人として、親としてっていう自分の属性を外して、
社会の中の一人の人、そして社会福祉士という専門職として考えるのであれば、
どうにかしてその他害する子がそのクラスの中で一緒に過ごせるっていうことができないものかっていうのを考えるんだと思います。
他害する子の中にも本当にいろんな事情があると思います。
僕自身も生活困窮者の支援をしていく中で、当然ね、子供たちとも関わる機会も多くありましたので、
誰かに危害を加えられたりっていう話もあって、そこに向けた支援というのもした経験もあったりします。
本当にね、いろいろですよ。
発達特性で言うと、ASD、自閉症であったり、ADHD、注意結果の多度障害であったりっていうところもありますし、
あとは純粋に子供自身が不遇な環境、不遇って言っていいのかな、逆体を受けていたとか、
暴力が当然にある過程で育つと、やっぱり対外的に暴力を振るうっていうのも、そんなに罪の意識なく行っているっていうこともあったりしましたね。
っていうところもあるので、本当にね、いろんな事情があって誰か他者に危害を加えるっていうことはあると思うんですけど、
そこらへんをどういうふうに改善していくのかっていうのは、支援者の一人として、社会の一員として考えていってましたし、
実際にそういった支援に携わっていたっていう経験もあったりします。
これはでも本当に自分の息子が関わっていない場合なんでですね。
もう一方の視点ですよね。
対外されるこの親の視点、社会の一員専門職としての視点、そしてもう一つ対外するこの親であったらっていう視点もあると思うんですけど、
その場合はね、ちょっとね、なってみないとわかんない。
幸いなことに、僕の息子はダウン症で、知的な遅れはありますけども、
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人にね、暴力を働いたりとか、そういった点で迷惑をかけてトラブルになるっていうのは今のところないですし、
まあなさそうだな、これからどうなるかわかんないですよ。
どんなことがきっかけでっていうのはね、その障害あるなしに関わらずなんでね。
今のところはないっていうことで、経験したことがないので何とも言えないですけど、
結構やっぱりよくあるのは、障害を持ったこの親あるあるではあるんですけど、
迷惑をかけてごめんなさいっていう気持ち、周りの人に迷惑がかかるようであれば分断もやむなしっていうふうに考える人も少なくはないっていう風な感じが肌感ではあります。
どうしてもね、なんかひけ目というかね、僕は感じるべきではないっていうふうに思ってるんですけど、
それでもやっぱり誰かに迷惑をかけているっていう当事者であったり当事者家族っていうところであれば、
どうしてもひけ目を感じざるを得ないのかなっていうのはわからなくもない感情だなっていうふうに思います。
もし僕もそういった状況、誰かを傷つける子供が誰かを傷つけているということであれば、申し訳ないなという気持ちでいっぱいになるんじゃないかなというふうに思います。
そうじゃないね、そんな子だけども一緒に今までと一緒にみんなと同じ一緒に過ごさせてほしいっていう気持ちを出すっていうのもわかんない。
もしかしたらそう思うかもしれないから、これに関してはなってみたことがないんでわかんないっていうのが答えなんですけど、どっちでも思う可能性はあるなというふうに思います。
でね、タイトルの方に戻っていくんですけど、インクルーシブ社会、分断社会、この2つについて僕がどう思うのかっていうところなんですけどね、
これ互いする子がクラスにいたらっていうとこからさらに発展しての大きな視点での話になってくるんですけど、やっぱりねインクルーシブ社会を推進していく傾向に世界的にはある。
日本が遅れてて世界は結構進んでるっていうふうによく聞きますし、実際そうなのかなというふうに思ったりする時もあるんですけど、実際僕は海外に住んだこともないんでわかんないです。
アメリカとか行ったらやっぱ、肌の色とかで差別されるっていうこともあるっていうふうに向こうの方に住んでる友人からも聞いたことがあったりします。
実体験としてないのでここに関してはわからないとしか言えないんですけど、でも世界の流れとしてはやっぱりインクルーシブ、市場主義のようになっていってるような感じはするんですよね。
日本の制度を見ていてもそういうふうに感じますし、それについては全く否定しない推進したいと思ってます。
なんなら僕の発信は普通の幅を広げていくことがテーマですので、そういう意味ではこの配信自体もインクルーシブを推進している活動の一環と思っていただいても構いません。
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ただ、分断社会なしとは思ってないんですよ。
ここね、どっちやねんって言われるかもしれないですけど、どっちもあるし、それは僕の中では矛盾していない整理をつけています。
そこについて少し説明して今日の放送を終わりたいと思うんですけども、分断社会がなしではないと思っている理由、
それはね、大人になったら自然と分断されている気がしてるんですよね。
これ障害のあるなしに関わらずです。分断って言うとさ、聞こえが悪いかもしれない。障害者と障害のない方とか、
LGBTQみたいに性的少数派、マイノリティとそうじゃない多数派の分断みたいな風に聞こえてしまうかもしれないけど、そうじゃなくてね、
近しい状態の人たちで自然と集まってはないかなっていう風に思うんです。
例えば職業。僕であれば公務員ですよ。公務員は友達公務員が一番多いんじゃないかなというふうに思います。
同業者ですよね。皆さんはどうですかね?自分の職場絡み、職場ダイレクトじゃなくてもいいけど、自分の職場を中心として広がった友人関係の付き合いってどうですか?
多いですか?少ないですか?そこら辺が少し気になったりするんですけど、都会はわかんないですけど、地方とかっていうのはやっぱり家族か友人というと地元の友達もしくは職場での繋がりぐらいしかないんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
最近はSNSも増えたし趣味とかもあるかもしれないですけどね。あとはこれもありますよね。経済状況。
同じような所得体。同業者で友達が多いっていうのはなぜかというと同じような所得層じゃないかなというふうに思うんです。
経済のバランスが違うと遊びが変わってきませんか?
突然どうですか?友達からごめん、明日、今週の土日よかったらハワイで合流して遊ばないとか、アメリカに一緒にちょっと飛行機で行こうよみたいな感じで言われて、行ける人と行けない人っていますよね。
僕は絶対行けないんですけど、家庭状況とかじゃなくて経済状況です。これは完全にね。そういったパターンもあったりすると思う。
あとはさっき言ったようにその流れで家族構成ですよね。一人身の人とシングルである人と家庭を持っている人。一緒に遊ぶこともあるかもしれないし、全然あると思うんですけど、率的にはどうですか?
やっぱり未婚者同士、既婚者同士、家族持ち同士、子持ち同士みたいな感じで遊ぶことない、固まることないですか?
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あとはやっぱり趣味。さっきも言ったが趣味であったり、ここら辺も思考とか思想とかそういったものがあったりするんですけど、結局何かの形で分断とまでは言わないけど、固まってるんじゃないかなというふうに思ってるんですよね。
そんな中の一つとして障害っていう塊もあるんじゃないかな。または障害への理解っていう塊もあるんじゃないかなというふうに思うんです。
なのでね、インクルーシブな社会っていうのは理想的ではあると思うんですけど、僕個人としては永遠に交わることのない人っていうのも一定数いるっていうふうに思ってます。
というかまあまあいるんじゃないかなというふうに思ってるんですよ。これも実は多様性を認めるっていうことなんじゃないかなというふうに思うんです。
僕は配信を通じてなるべく多くの人が多様性の受け皿を大きくするような発信ができればいいなというふうに思ってます。
普通の幅を広げることによって受け取った人たちがまあそういったこともあるよねっていうふうに思ってもらえる幅が広がっていけばこの配信はもうそれだけで成功なんですけど、どんなに広がったとしても交わらないところ、受け入れがたいもの、自分の思想っていうところであったりっていうのはあると思うんですよね。
それを認めることも多様性のインクルーシブの一つじゃないかなというふうに思うんです。要は多様性を認める社会の中には多様性を認めない人も認めるっていうことが必要なんじゃないかなというふうに思ってます。
なんで言葉をね、今日の言葉で言うとインクルーシブ社会を目指しているし推進はしますけども分断社会っていうものもなくはないっていうふうに思ってるっていうお話です。
でも最後にですねここだけは抑えておきたいのは子供の頃は全力でインクルーシブな教育をお願いしたいし推進していきたいというふうに思ってます。
僕は思想の普通の幅を広げていけるのはやっぱり幼少期がすごく大事だと思ってるんですよ。
子供の頃にいかに普通の幅が広がっていることで大人になった時の多様性の受け皿の広さがどれぐらいになるかっていうのが決まってくると思うんですよね。
そこに当たり前が広い幅であるとすごく大人になった時にその子供たちが大人になった時の社会は豊かになっていくんじゃないかなって思うんです。
もう出来上がった価値観や感覚を変化させていくことほど難しいことっていうのは僕は存在しないと思ってるんですよ。
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残念ながらでも変えていこうっていうふうなチャレンジはし続けたいと思いますけど。
しかし一番大事なのは子供の頃の全力インクルーシブだなって思ってます。
そんな感じで今日はアップくんパパの放送を聞いて感じた僕なりのインクルーシブ社会と分断社会について思うことについてお話をさせていただきました。
今日はとっても長くなりました。最後まで聞いていただいてどうもありがとうございました。
それでは最後にお知らせです。この放送以外にも各種SNSで発信活動を行っています。
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それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士の田田でした。
またおいで
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