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普通の幅を広げていく 社会福祉士のお気楽ラジオ
この放送は、現役の社会福祉士で、障害児子育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さんおはようございます。社会福祉士のTadaです。3月21日金曜日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いしまーす。
昨日は祝日ということで、 ちょっとだけ近場にお出かけしてきました。
いつも早めの夕食っていう体で、人の少ない時間を狙っていくお寿司屋さんがあるんですよ。
そこに今回は初のランチ参戦。 オープンの時間、オープン11時なんですけども、オープンと同時に駐車場に着くように行きました。
結果、待ち時間120分以上。
え? リサーチ不足でしたね。
めちゃくちゃ痛手だった。 当たり前だけど、受付時間はオープン時間より前よね。
そう、もうね、まあでも行ってしまったし、もう受け付けたし、結果ね、130から140分待ち。
まあだいたい2時間から2時間半弱ぐらいか、待ちだったんだけどね。
まあでもね、割と楽しく過ごせました。
これね、福岡県の飯塚市っていうところにあるね、市太郎っていうね、開店寿司屋なんですけど、チェーンとかじゃないんでね、そこにしかないんですけど、
めちゃくちゃね、ネタがね、大振りでね、米少なめな、チャリ小さめ、ネタ大きめでね、すごくね、鮮度の高そうなね、お魚たちがあって、美味しくね、食べさせてもらってるんですけども、
このね、市太郎っていうね、グループでね、隣にね、系列の道の駅的なものがあってさ、
そこをね、物色しながら、散歩する時間だったりとか、さすがにね、11時に行ってさ、もう2時間以上待ちって決まったら、お腹すくじゃないですか。
そう、だからね、もう先にその物色しながら、もう終わった後にね、食事が終わった後に買い物して帰ろうって、お魚さんとか、お魚さんって、お魚とかあるからさ、ね。
だから、まああの、事前に買うものを決めるリサーチがてらのお散歩であったりとか。
で、なんかね、入り口はもう縁日みたいになってるんですよ。
そう、たい焼きって言ってさ、鯛を串に刺して、何、あの、砂の上、いろりの砂みたいな感じですよね。
ブスブスブスってね、刺してるようなのとか、あとあゆの塩焼きとか、ね、そういうものもたくさんあったりとか、あと焼きそばとか、フランクフルトとか、トウモロコシとかがいろんなところに、
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縁日ではないですけど、縁日のようなメニューが、結構ね、あの、入り口というか、路上にね、出ている、広がっているような感じなんですよね。
うん。で、お腹空くからということで、まあ先に僕ら夫婦はジャンボフランクを1本ずつ買って、息子はね、大好きな焼き芋があったので、焼き芋を買って、車に戻ってね、腹ごしらえをしたり、しました。
まあ願わくばね、あと欲しいのは、子供がね、駆け回れるような広場的なスポットが、まあその近隣にあったら嬉しいなというふうに思うんですけど、まあさすがにそれはね、望みすぎかなというふうに思います。
まあ割とね、いい時間が過ごせて、まあお寿司もね、おいしく堪能して帰ることができました。
まあ結局11時オープンで2時間待ち、2時間半待ちだったんで、1時半前だったんですよね、昼食ね。
そう、それからまあ1時間ぐらい食事して、みたいな感じだったんで、そっから買い物して帰ったらもうはっという間にね、夕方前になりましたよね。
はい、もうね、そんな感じでね、1日が過ぎていったんですけども、まあ年度末のね、祝日、本当にね、いい充電日だったなというふうに思います。
それではね、今日の本題に入りたいと思います。今日は息子に感謝、今日は世界ダウン症の日というタイトルでね、お話をさせていただきたいと思います。
息子はね、ダウン症を持って生まれてきました。まあもちろんね、この放送を聞いている方は大体ご存知だと思いますけども、はい、うちの息子は一人息子なんですけども、ダウン症を持って生まれてきました。
当時の話を少ししますね、生まれてきた時。まあ、パーフェクトベビー願望とまでは言わないと思うんだけど、どこかね、自分ごとではないようにも感じていた、障害を持った子がね、我が家にやってきた瞬間。
もうすぐ9年前になりますけども、5月の出来事ですよ。漠然とした将来への不安が押し寄せました。
生まれてから2日間はね、ダウン症についてめちゃくちゃ検索した。それはね、彼の幸せを願ってなのか、自分への救いを求めてなのか、わかんないけど、本当にただただがむしゃらに。
その時にね、まあ今はね、こう楽しくお話をさせてもらってますけども、ボイシーパーソナリティのね、アップくんパパことのりさんのね、ブログに出会ったりもしましたね。今となっては懐かしい思い出です。
5月ですので、ゴールデンウィーク中なんですよね。ゴールデンウィーク中ということがあって、連休だったので、すごくね、あととても良い助産院でね、息子が生まれたので、僕はね、妻が産気づいてから、産後数日間ね、ずっとね、家族3人で一緒に過ごすことができたんですよ。
病室というかね、お部屋も、僕が泊まるスペースもあって、布団敷いてね、3人で一緒に寝てたんですよね。
そう、これはね、すごくありがたいことだったんですけど、まあ良くも悪くも、とても長い時間だというふうに感じましたよね。
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だってずっと検索してたからね。
でね、3日目に何かが吹っ切れたんですよ。生後3日目。
可愛いからいいじゃんって。そう、目の前のね、我が子がただただ可愛かった。
ていうのもね、僕は正直ね、子供にね、そんなに興味がなかったんですよ。
好きか嫌いかとかで言うと別に好きの部類なのかもしれないけど、まあ別に、しかもね、欲しいと思う。子供が欲しいなというふうにも思ってはいたけど、まあ言うて別人格だし、どうせさ、子供なんて、まあ男でも女でもいつか旅立つだろうし、ね。
子供よりも、まあ、隣にいてくれる妻を大切にしたいという気持ちの方が圧倒的に大きかったんですよね。
だからね、もうあの、妊娠した時から言ってました。もし、体に何か、命に関わるようなトラブルがあって、妻か子供かどちらかを選ぶっていうふうになったら、迷わず妻一択っていう感じでね、決めてたぐらいです。
しかしよ、生まれてきた我が子はね、予想以上の破壊力。許可してくれる方はね、多いんじゃないかなって、少なくはないんじゃないかなっていうふうに思いますけどね、どうですかね。
まあもうすぐね、9年が経とうとする今も、正直メロメロです。
今はね、妻と息子を同じ愛情の棚にね、入れてないので、比較すべきではないのかもしれないけども、まあどっちもね、同じくらい大切ですよ。
まあとはいえ、振り返ってみると、もちろんね、育児は楽しかったことばかりではなかったですよね。
まあ僕自身は、いわゆる障害児しか育てたことがない、一人息子しかね、育てたことがないから、あくまでもその感覚で話すんですけど、やっぱり大変なこともあったような気がします。
まあ我が家の具体的なことで言うと、まあ生まれてすぐ小さな頃はね、直母、もう直接母乳でね、おっぱい吸うことができずに、シリンジ、注射器みたいなやつですよね。
それを、それにまあ妻が母乳を入れて飲ますところからスタートでした。
ね、生後間もなく来る保健師さんには妻がね、傷つくようなことも言われたし、それ以降ね、数ヶ月、本当に生後7ヶ月くらいまではなかなか体重増えなかったね。
そう、そんなこともありましたしね、2歳になる前には、RSでね、本当に死にかけた。
ICUに10日間くらい入ったのかな?もうその時はね、本当に気が切れなかったですね。
そして3歳過ぎて、新型コロナが流行りましたね。
その時は、ちょうどね、その手前で別の病気で入院してたんですけども、まあ3月ぐらいでした。
で、それがあってて新型コロナ流行ということでね、主治医とも話して、まあどんな病気かもちょっとね、正体不明だしということで、保育所を長期休園することにしました。
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まあコロナがね、小さな声の悪影響がないって、それからさ、1年後ぐらいに言われたと思うんですけど、
なんで、1年以上の休園をしたんですよね。
その間に、まあ当然ですけども、息子を見なくちゃいけないから、息子をね、見るためにね、妻がね、離職してくれました。
ね、収入は激減しましたよ。
そして、まあ1年以上休園した後に、息子がね、保育園に復帰したんですけど、
まあ保育所でさ、発達の遅れがやっぱ目立ってくる時期ですよ。
ね、4歳、5歳、ね、そんな感じで、まあ半ばね、追い出されるように、年中さんが終わっていったんですよね。
そして、年長さん最後の1年は、児童発達支援センターのね、お世話になることになりました。
まあ結果としてはね、めちゃくちゃ良かったんですよ。そう。
だけどさ、まあこうやって振り返ってみると、いわゆる普通の日々とか、幸せな日々だけではなかったなっていうこともあったんですよね。
それでもね、やっぱり幸せでした。家族揃って生き続けられていること、まあこれがね、本当に幸せだなって思うし、まあ僕のね、生きる一番の支えなんですよね。
そして彼のおかげでね、世界は広がったなというふうに思います。これは僕のね、まず社会福祉士になりました。
きっとね、彼よりこの世から退場するんですよ、僕はね。そんな僕が彼に残せるものとしては、信頼できる彼の支援者を増やすこと、そして少しでも優しい社会にすること。
こんなことを目指してね、資格を取ったし、今もね、目指している最中です。
そしてそれからね、1、2年経って公認心理士、心理系の国家資格ですね。公認心理士にもなりました。
これは福祉の知識や技術だけではね、完全には理解できない心の知識や技術。
これはね、まあ息子、彼と向き合うためであったり、そしてはたまた自分自身とね、向き合うためであったり、
大切な人たちと向き合うため、そしてさらには多くの人たちに心の正しい知識を広めるため、そういうことをね、目指しています。
まだまだね、公認心理士としては、僕はね、資格は取ったものの、もう数年経ちますけども、
本押しがね、入れれずスタートラインのまま、まあでもね、これからね、いろんなことをやっていければなというふうに思っています。
そして資格だけではなくて、ダウン症時の父としてたくさんの繋がりができました。
うーん、どうだろうね、本当にダウン症の息子がね、生まれてこなかったら、きっともうほぼ100%出会えなかったような素敵な人たちとの出会いですよね。
何もかも、彼が僕の元に来てくれたおかげなんですよね。だから息子にはね、感謝しかない。
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よく言うじゃないですか、子供は親を選んで生まれてくるんだよ、みたいな言葉。
これはね、第三者に言われると時々イラッとすることもあるワードなんですよ。
だからね、ぜひ使い方には気をつけてほしいんですけど、まあ自分でね、そう思える分には、これ以上の幸せはないんじゃないかなというふうに思っています。
今僕はね、きっと彼は僕と妻を選んで、ここにね、生まれてきてくれたと信じたいと思ってますよ。
そして最後に、まあ息子の感謝だけではなくて、今日はね、世界ダウン症の日ということで、
今日ね、そしてこの週末にかけて、全世界でね、たくさんのダウン症に関する啓発イベントが開催されると思うんですよ。
もちろんね、参加している皆さんは、いろんな考え方や思いはありつつも、ダウン症の啓発であったり、ダウン症のある人の暮らしやすい世界っていうのを望んで、ここはね、多分みんな変わらずに参加しているんじゃないかなというふうに思います。
ただね、中には参加できない人もいると思うんですよね。
いわゆる参加したくない人、暗黒期であったり、需要ができていなかったり、他にも価値観が違ったりみたいなことがあったり、あとは参加したくてもできなかった人もいるかもしれないね。
家庭環境であったり、経済的な事情とか、まあ他にもいろんな理由があると思うんです。
だけどね、僕はね、それを悪いことと思ってほしくないんですよね。
まあきっとね、啓発活動をしている人たち、特に僕もね、いろんな啓発活動をしている方々知り合いますけども、特にそういった中で中心となって主催とかをしている人たちには、まあそんな考え方を持っている人はいないと思うんですけど、
参加している人たちっていろんな人がいるからね、これはわかんないなというふうに思っててね、
もし参加している人たちの中に、一緒に集まってね、自分たちと啓発活動をしないことはいけないことなんだ、みたいなふうにね、少しでも考える人がいるのであれば、その考え方はね、僕は持たないでほしいというふうに思うんですよね。
そして何より、参加していない、参加できなかった人たち自身は、自分を責めないでほしいというふうに思います。
僕はね、社会福祉士という性質からかもしれないですけども、いわゆるね、じゃない方のことをね、考える癖がついてるんですよね。
多数派より少数派、いわゆる正しいと言われていることをしている人より、それをしていない人、みたいな、そういった人たちの考えるものに寄り添いたいっていうふうに考える癖、みたいなものなんですけど、
じゃない方にはね、じゃない方の理由があるって思ってて、そして正しいは一つじゃないっていうふうにも思ってます。
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それぞれがそれぞれの正しいを持ってて当たり前だし、無理して誰かの正しいに合わせる必要もないと思うんですよね。
なんかね、そういったことをね、やっぱりお伝えしたいなと。やっぱりSNS見てるとね、花々しくキラキラした世界がね、たくさん目につくと思います。
でも、SNSはあくまでも世界の一部なんですよね。
そうじゃないところがこの世界にはたくさんあるっていうのを、やっぱり意識しておくことっていうのはすごく大事だと思います。
今日はね、世界ダウン症の日です。世界中のダウン症の人たちが少しでも暮らしやすい世界になりますように、心から祈りながらこの配信をお届けしました。
最後まで聞いてくださりありがとうございました。
それでは最後にお知らせです。この放送以外にも各種SNSで発信活動を行っています。
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それでは、今日も素敵な一日に。社会福祉士の太郎でした。
またおいで。