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普通の幅を広げていく 社会福祉士のお気楽ラジオ
この放送は、現役の社会福祉士で、障害自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の相互作用に着目した発信を通じ、
皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さん、おはようございます。社会福祉士のTadaです。
5月3日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
ゴールデンウィーク後半戦、皆様いかがお過ごしでしょうか。
我が家は毎年なんですけども、このゴールデンウィーク後半戦、いつも2つに分かれている?
よくわかんないけど、一応後半戦ね。後半戦は、毎年お決まり、息子生誕祭となっております。
本日、5月3日は、僕の大切な、大好きな息子の誕生日。
ダウン症を持った息子、8歳になりました。
思い返せばね、2016年5月3日ですよ。
あの日のことは、きっともうね、ずっと僕の中では一生忘れることはないと思います。
夜中の1時過ぎ、妻のお腹の中から生まれてきてくれた息子。
僕はね、助産院で妻が息子を産んだので、立ち会ってたんですよ。
立ち会ってたというかね、何なら一緒にいさせてもらった。
抱えてみたりとかね、一緒に柱でスクワットしたりとかね、
出産の時の1日も、5月2日からの1日もね、とっても良い思い出になってます。
また別の機会にね、お話できたらいいなという風に思いますけど、
今日は息子の誕生日ですので、息子のことを少しお話しできればと思います。
はい、そんなわけで、夜中に生まれてきた我が息子。
その日の夜はもうお疲れ様っていう感じでね、妻に。
その時はね、本当に息子の生まれた喜びというよりも、妻が頑張ったという風なね、
喜び、感動、感謝、そっちの方が大きかった。
もう記憶がある。圧倒的にそうだった。
そして夜が明けてね、朝、小児科の先生がやってきてくれたんですよ。
そこでぷにぷにとね、僕の息子を触って持ち上げて、
同じ部屋で一晩過ごしたんでですね、家族3人同室で寝てました。
なのでその朝10時くらいだったかな、先生が会心?女参院に来てくれて、
じの息子のことを抱きかかえたり、いろんなとこ触ってくれたりしてチェックしてくれてたんですよね。
で、その後にね、おめでとうございます。とても綺麗な子供を産みましたね。
この子はダウン症ですってね。
もうあの時の衝撃はね、忘れられないね。
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何かね、思い描いていたものが崩れていくイメージ。
そもそも僕も妻も福祉関係の仕事に就いていたので、
その出産前からね、母体満足でなくても大切に育てていこうね、みたいな話をふんわりはしてたんですけど、
それでもやっぱりどこかでね、パーフェクトベイビー願望とまでは言わないけど、
なんかこう健常な子は生まれて、家族3人になって、いわゆる普通ですよね。
その当時僕が描いていた普通の暮らしがまた始まっていくんだな、
子供がいる普通の暮らしが始まっていくっていう風にイメージしてたんだと思います。
それがね、やっぱりダウン症ということで、
マッチ的なハンデキャップを背負う子が多いっていうことぐらいはね、当然知っていたので、
やっぱりこうね、思い描いていたものとは違うものになっていくんだなっていう風に思ったことを覚えています。
2日間ぐらいはね、メソメソしたりしてました、やっぱりね。
それでもね、圧倒的に可愛かった。
障害を持って生まれてきたから、一体なんだって言うんでしょうみたいな感じになってしまってて、
もう2日ぐらい経ったらね、もうそっからはね、今と変わらない、もうずっと出来合いの日々ですよね。
それでもね、やっぱり8歳まで育ってくれたことってすごく嬉しくて、
1歳、少し1歳10ヶ月ぐらいの時か、すごく大きな病気をしました。
RSウイルスだったんですけど、結局ね、ICUに入って本当に一時期はね、本当に命が危なかった日がありました。
そんな日を乗り越えてきたからこそ、やっぱり今のね、楽しく暮らせていることにありがたみを感じるなという風に思います。
僕自身のね、人生大きく良い風に変わっていったと思っています。
漠然と未来に向かって進んでいく、新しいもの好きでもあるし、チャレンジすることも嫌いじゃない性分ではあったんですけど、
未来からの逆算をして何かをして動くっていうことは正直あまり得意ではなかったのかもしれないし、今も得意じゃないのかもしれない。
でも彼が生まれたことによって、僕は何年後に何をやっていなくちゃいけないのか、何をすべきなのかっていうのが、
明確とは言わないけども、イメージして生きていくようになりました。
そういったこともあって、国家資格である社会福祉士、公認心理師ととり、各種SNS発信に力を入れっていう感じですかね。
職場の部署に関しても自分の力が発揮できるような、今後の自分の力によりなっていくような職場に移りたいという風に常に希望を出しながら、
ずっと基本的には変わらなかったんですけど、今回変わったところに関しても自分の力を生かせるようなところに変わったと思っています。
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8歳ということで、今小学校2年生になったわけですけど、長かったんですよ。長かった。でもあっという間だった。
そして逆算すると、もっとあっという間だなという風に思うことがある。
それは18歳っていうのが一つの節目ですよね。いわゆる高校を卒業する年齢ですよ。
健常の子たちであれば、きっと高校を卒業して大学進学っていう風なイメージを描きながら子育てしていくご家庭が多いのかなという風に思いますけど、
知的障害のある我が子に関しては、今現時点で8歳ですけど、知的な発達は多分3歳とか、よくて4歳とか。
最近はちゃんと検査していませんけど、体感としてそれぐらいなのかなという風に思っています。
もちろん発達のデコボコはあるので、全てが3歳4歳とかいうわけでもないんですけどね。
そんな感じなんですよね。
じゃあ、あと18歳で高校3年生までっていつまでって考えると、8歳だから純粋に10年ですよね。
10年後には高校3年生。そして11年後には、彼は高校、特別支援学校の高等部っていうところに、今のところなってると思いますけどね。
それをそこを旅立っていくわけですよ。
その後の世界、正直今の社会っていうのは、障害のある方、他にもマイノリティって言われる方たちに優しい社会ではないって思ってます。
もちろんね、僕が生まれた頃に比べるときっとたくさんの制度が充実していって、どんどん良くなっているとは思います。
これから先10年ももっともっと良くなっていくっていうイメージは持ってるんですけど、
飛躍的に良くなるかというと、それはそうではないというふうに思ってます。
ということで、これから先10年をですね、僕の中で一つの大きな区切りとして、僕のできることをやっていこうというふうに思ってます。
と言っても別に目新しいことをやるわけではなくて、今みたいにこうやってね、発信活動を行っていったりとか、他にプラスアルファでね、いろんなことをやっていこうというふうに思ってますけど、
それはね、おいおい始めるときとかにお伝えできればなというふうに思ってます。
そういった形でね、社会の変革に対して、僕も微力ながらね、やれることはやっていこうかなというふうに思ってますけど、
何よりもね、変わらないなって思うこと、この前ね、ちょっと街中を歩いていて、見ていた風景を見てね、僕自身思ったことなんですけど、
おそらく何かしら若干知的な遅れがあるような男の子、中学生ぐらいかな、背丈的にぐらいの男の子とお父さん、
まあ多分50代、40代、50代ぐらいのお父さん、まあそんなにこう年って感じでもなくてね、結構いい感じのダンディな方だったんですけど、
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肌から見ててね、街中で手を繋いで歩いてたんですよ。
それはね、なんかすっごく羨ましくて、
うん、今はね、まだまだちっちゃい、8歳の男の子、手を繋いでね、いつもいろんなところに行ってくれます。
逆に手を繋がないと不安になってくれるっていう可愛さもあって、とっても愛おしい。
ただ大きくなっていくにつれて、どうなっていくのかなっていう不安もあります。
それでも僕は彼が許してくれるのであれば、彼が大きくなってもね、手を繋いで歩いていきたい。
彼の右手は僕の左手、そして彼の左手は妻の右手。
そんな感じでね、革の字のようになって手を繋いでね、歩いていける人生、すごくね、素敵だなっていう風に思ってます。
はい、最後にせっかくの音声配信、この音声配信はきっとね、ずっと残っていくことだと思います。
いつかね、この音声配信が聞けるようになったりした息子がね、聞いてくれることを祈りつつ、
今日のね、僕の思いを彼に向けて伝えて、今日の放送は終わりたいと思います。
8歳のお誕生日おめでとう。
君が生まれてきて、お父さんは本当に幸せです。
自由気ままな3人が集まって家族になっています。
だからずっと一緒にとか、べったりとかではないかもしれないけど、
それでも家族3人、仲良くね、幸せに暮らしていけたらなっていう風に思います。
これからも元気で、やんちゃで、ピュアで、すくすく健康に育っていってください。
はい、じゃあそんな感じで、今日の放送は終わりたいと思います。
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それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士のタダでした。
またおいで。