1. 社会福祉士Tadaのお気楽ラジオ
  2. #426 知的障害があるからって..
2025-04-23 13:24

#426 知的障害があるからってずっと赤ちゃんなわけじゃない

【本日のお品書き】
●アメダイブの悲劇
●三年生になった途端に成長したこと
●精神年齢という概念の背景と問題点
●大人になっても賢くなるんだぜ
●知的障害があるからってずっと赤ちゃんなわけじゃない

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この放送は、RKB毎日放送と「日本一のポッドキャスター」コテンラジオの樋口聖典によるプロジェクト「Podcast lab.Fukuoka」に参加し「音声コンテンツをもっと身近な存在に」をコンセプトに、ポッドキャスト番組の企画・制作・配信に関する支援を受けています

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#社会福祉士 #ダウン症 #子育て #子育てパパ
#PodcastLabFukuoka #Podcast #Spotify
#知的障害 #精神年齢 #権利 #差別
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00:05
普通の幅を広げていく社会福祉士のお気楽ラジオ。この放送は現役の社会福祉士で、障害自己育て奮闘中のTadaが、人と環境の交互作用に着目して発信を通じ、皆さんの中にある普通の幅を広げ、誰もがお気楽に過ごせる社会になるためのヒントを共有するラジオです。
皆さん、おはようございます。社会福祉士のTadaです。4月23日、水曜日、今日の放送を始めていきます。よろしくお願いします。
昨日の放送の冒頭雑談では、ほっこりした時間、持ててますか?とか、作ってますか?みたいな話をさせてもらったんですけども、それとは逆にね、こんなことで悲しむのか?とか、こんなことで落ち込むのか?みたいなことってあったりします?
昨日ね、あったのよ。ほっこりする時間作ってますか?とか言っちゃう前に言ったりしてさ、昨日僕が落ち込んだもの、それは帰りに一応修理終わって片付けして、さあ職場を出ようと思った時に、
1キロはさ、やっぱり通勤経路なので、バスとか電車とかにも乗るわけだから、口の中をね、少し潤しておこうというかね、いい感じにしておこうと思って、のど飴をね、食べようと思ったんですよ。デスクに入っているのど飴を出しまして、僕のね、食べているのど飴は1個ずつ、銀色の、銀紙で放送されているようなタイプのやつですよ。よくあるタイプ。
それを包みを開けましてさ、食べようと思った瞬間、開けてポロリと床へダーイブ。はい、雨落ちました。いや、めっちゃへこんだ。うちの職場ね、床カーペットなんですよね。もうさ、なに?板とかさ、ね。
そういうのだったら、昔はさ、3秒ルールとか言ってさ、食べたりもしましたよ。大人になってから3秒ルールあまり使わないかもしれないけどね。でもさ、カーペットね、問答無用でいろんなものつくわけさ、物落ちたら、3秒ルール通用しない。1秒ルールも通用しない。あるかどうか知らないけど。そもそも落ちたら終わりですって感じでね。
はい、もうね、雨ダイブなことにめちゃくちゃ落ち込んでしまったんですよね。こんなことで?って思うでしょ。そんなことで。なんで?ってわかんない。落ち込んだわけですよ。
まあでもね、雨に予備はあったので、口の中に改めて雨を含ませてね、帰る頃にはもう機嫌は治ってたんですけどね。なんかね、こんなちょっとしたことで悲しい気持ちになるときもね、あったりしますよね?って聞いていいのかな?
共感していただける方がいたら嬉しいなっていうふうに思いますし、そういった方はね、どんなことでこんなことで落ち込みますとかね、こんな大したことないことで周りからしてみるとね、そういうことで悲しくなっちゃいますみたいなこと。そんなことがね、あればコメントやDMレターなどでね、教えてもらえればなというふうに思います。
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はい、それでは今日の本題に入りたいと思います。今日は知的障害があるからってずっと赤ちゃんなわけじゃないっていうタイトルでね、お話をさせていただきたいと思います。
うちの息子はね、ダウン症を持って生まれてきました。知的障害がありまして、現在ね、この春から小学3年生、特別支援学校ですけどね、の3年生になりまして、はい、今ね元気に3年生ライフを過ごしているところなんですけども、まずはじめにね、ちょっと自慢。3年生になってね、途端に息子がね、できるようになったことがあったの。
それは何かというとね、敬語が使える。すごくない?まあ全部が全部使えるわけじゃないですよ。そもそもうちの息子、滑舌も悪いし、まだ言葉の理解数も少ないので、話せる言葉ってかなり少ないと思うんですけど、何がね敬語になったか。おはよう。今までね、ずっとおはよう、おはようってどんな人にも朝の挨拶はおはようだったんですよ。
やっぱり目上の人であったりとかね、病院にかかる時とかね、学校の先生とか、おはようございますってやっぱり言ってほしいなと思って、一緒にいる時におはようを言う機会があったら、息子がおはようって言ったら、ございますでしょっていう風にね、付け加えてたんですよ。
でも一向にね、それが治ることもなくね、ただただ同じようなことを繰り返して過ごしていったんですけども、3年生になって突然ですよ。自発的におはようございます。ございますついてるやんってね、めちゃくちゃ驚きました。
褒めたので味を占めて、それからずっとね、おはようございますってね、おはようのタイミングじゃない時でも言ったりしてますけども、おはようございますがね、このまま定着していってくれればいいなと、お口元きれいにということでね、すごく大事だなという風に思います。
あ、ごめんなさい。自慢でね、終わらせたい話ではなくて、本題に戻っていきましょうね。ちょっと脱線してしまったので。知的障害があるからってずっと赤ちゃんなわけじゃないっていうタイトルでのお話なんですけども、今日はね、その知的障害のお話をしてみたいと思うんですけどね。
まず、この知的障害というものを考えるときに、よくもしかしたら聞かれることがあるかもしれない。普段使いでもね、知的障害関係なく使ってる言葉かもしれないけども、精神年齢っていう言葉、皆さんどうです?聞いたことあります?使ったことあります?
今日はこの精神年齢という概念の背景と問題点をまずね、話してみたいと思います。どんな話かというと、かつて精神年齢っていうものはね、知的障害のある方の発達の水準を示す指標として使われてきたんです。
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ただ、その歴史的な背景にはさ、幼児期と同じ発達段階に閉じ込めるみたいな、幼児化っていうリスクですよ。
要は、なんとかちゃんは知的に遅れがあるんだから、こんなことしなくていい。いつまでも赤ちゃん赤ちゃん、かわいいかわいい、みたいな感じであったり、身内だけではなくて、外から見ても何歳になっても赤ちゃん言葉で声をかける、続けるとかさ、過剰に物をやらせない、何かDoをね、行動させないみたいな、やらなくていい、やらなくていいっていうこの優しさ、善意の中にある発達段階をね、
幼児期に閉じ込める、この幼児化のリスクであったりとか、あとはね、優性学ですよね。こういったものの影がね、つきまとってくるんじゃないかなというふうに思います。
そんな中ね、去年2024年の調査なんですけれども、アイルランドの心理学者の多くがね、精神年齢というね、用語を時代遅れで当事者を不当に扱う可能性があるというふうにね、批判してて、国際的にもね、廃止の動きがね、進んでるみたいなんですよね。
他にも、心理学界ガイドラインでも、成人への精神年齢の言及は避けるべきとされてたり、WHOのICD-11、国際疾病分類第11番ですかね。はい、これでも用語自体がね、削除されてるんですよ。
まあさあ、うちの息子で考えると、今小3ね、8歳、もうすぐ9歳なんですけども、おそらくその知的な発達っていうところをね、最近は検査してないんですけど、すると、まあおそらく3歳とか4歳ぐらいの結果が出てくるんじゃないかなというふうに思ったりします。
でもね、その結果が知的な能力値みたいなものが、その他の健常の子たちの進み具合、成長具合と比べると、3歳4歳ぐらいのところにいるみたいな結果が出たとしても、彼は8年の歳月を過ごしてるわけですよね、この世で。
いまだにさ、息子は赤ちゃんのようにね、かわいいときもあるけれど、体はさ、ちゃんと育っているんですよ。まあ125センチぐらいあるのかな。
で、体がちゃんと育っているように、心だってちゃんと育っているの、8年分。でもさ、心ってさ、目に見えないから、ふと気がつけばね、無意識のうちかな、目に映るものだけで判断しそうになっちゃうけど、それは気をつけないといけないなというふうにね、思ったりします。
またね、成人の支援をね、知的障害がある、知的障害がある、疑いがある、みたいな成人の方々のね、支援現場に入ることもあったしあります。
そこでね、よく言われる言葉、自分のことは自分でやります、とか、人に迷惑をかけない、かけたくない、みたいなね、ことを言われたりして、結果ね、そんな感情や思いがね、支援の入りにくさを作ったりすることもあるわけなんですよ。
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それはね、支援者としては大変なこと、この人はきっとサポートが必要なのにって思って介入しようとしてるから、その介入しにくいということは大変なことだったりするんですけども、ふとするとね、その人たちのプライドが垣間見え、そして一人の大人として認識する瞬間でもあったりするわけなんですよね。
だから、この瞬間、そういった感情などを知っていくっていうのはすごく大切なのかなというふうに思います。
いまだにね、知的障害のある方と接するとき、特に大人の方と接するとき、精神障害のね、精神疾患のある方と接するとき、なんか、こう、距離感というかね、うーん、まあ、接し方がね、間違っているなというふうにね、思うときがある。
まあ、この人も一人の大人の人なんだというふうに、はっとさせられるとき、いまだに何度もあります。まだまだ未熟者だなというふうにね、思いますよ、やっぱり。
えー、そしてね、次に大人になっても賢くなるんだぜっていうね、お話もしてみたいと思いますね。
これはね、近年の研究なんですけども、知的障害があっても成人期、いわゆる大人になってもね、認知能力が伸びる、つまり賢くなるというふうに言われています。
そしてね、まあ当たり前かもしれないけど、認知の発達っていうのは、日常生活スキルの向上と強く関連することも報告されていて、認知テストでの成長が自立生活やコミュニケーション能力と結びついて、学びの成長がリアルな生活能力の向上として現れているってことになるよね。
これも一緒ですよ、僕らと。学びは何歳からになってもね、学べばいい、そして学ぶことによって伸びるんですよっていうことがね、示されているかなというふうに思いますし、僕もね、息子と一緒に大人になっても何かを学び続けられる、学び合えるような関係でありたいなというふうに思ったりします。
こんな感じでね、今回のタイトルに沿ってなんですけども、精神年齢という概念の背景と問題点をお話しし、大人になっても賢くなるんだぜっていうことをお話しさせていただきました。
本当にね、精神年齢という呪縛、これに囚われない関わり、縛られない関わりサポートをすることが必要なんじゃないかなというふうに思います。
それは、まあなんだろうな、本、教科書、教材みたいなものであったり、プログラムね、そんなものであったり、あとは職場、地域での学びの機会をね、一生涯にわたってね、提供する、そういうね、サポートができたらいいんじゃないかなというふうに思います。
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知的障害があるからって、ずっと赤ちゃんなわけじゃない、そして大人になっても賢くなるんだぜ。
こういったね、メッセージを広げていくことによって、知的障害に対する思い込み、そして知的障害を持った人に対する思い込み、そういったものがね、外れていってくれるといいなというふうに思います。
誰もが可能性を伸ばせるね、未来になったらいいなって本当に思います。
そんな感じでね、今日の放送はこの辺で終わりたいと思います。最後まで聞いてくださりありがとうございました。
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それでは今日も素敵な一日に。社会福祉士のタダでした。
またおいで
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