2025-09-13 59:33

#101 Photographer Linking Uchinaanchu Around the US【Guest:TOKIO】世界のウチナーネットワークを繋げるフォトグラファー

Haitai people,

Starting out with a simple disposable camera, TOKIO has grown into a thriving photographer based in New York.

Now marking 20 years in the U.S., he continues to expand his creative reach.

While living in NYC, he also plays an active role in the Okinawan community, bridging Uchinanchu networks across the region.

使い捨てカメラから始まり、いまやNYで活躍する写真家に。

在米20年を迎えたTOKIOさんは、その活動の場をさらに広げ続けながらウチナーネットワークの架け橋として県人会でも精力的に活動しています。

【Timestamp チャプター】

() Intro / ゲスト紹介:TOKIOさん

() Studying Photography / アメリカへの留学と写真との出会い

() Study Abroad & English / アメリカ留学の動機と英語学習

() From SF to NY / サンフランシスコからニューヨークへ

() Starting NY Life / ニューヨークでの生活スタート

() Photographer Career / フォトグラファーとしてのキャリア構築

() Parenting in NY / ニューヨークでの子育て事情

() Company & Work Style / 会社設立と仕事スタイル

() Okinawa Kenjinkai in NY / ニューヨーク沖縄県人会の活動

() Okinawan Community in NY / ニューヨークの沖縄コミュニティ

() Thoughts on Okinawa / 沖縄への思いと帰国計画

() Message & Photo Exhibition / 若者へのメッセージと写真展の告知


--

Guest:

TOKIO

https://www.instagram.com/tokiokuniyoshi/

https://shootinglife.net/

---

【Comments & Inquiries 感想&お問合せ】

YouTube: https://www.youtube.com/@iyasasaradio

Instagram: https://www.instagram.com/iyasasa_radio

Email: iyasasaradio@gmail.com

---

#Okinawa#Photography#NYC#NY#Uchinaanchu#沖縄#世界のウチナーンチュ#ニューヨーク#海外生活#フォトグラファー#カメラ#沖縄県人会#

サマリー

沖縄出身のフォトグラファーTOKIOがアメリカでの写真活動について語ります。彼はサンフランシスコとニューヨークでの経験を通じて、自身の作品や人脈を築く過程を共有し、異文化交流の大切さを強調します。 TOKIOはニューヨークで沖縄県人会の活動や、フォトグラファーとしての経験について話します。特に、他国との交流や文化の融合において、日本人フォトグラファーとしてのメリットやデメリットを深掘りしています。フォトグラファーTOKIOは、アメリカ全土で沖縄のコミュニティを結びつける活動を行い、うちなんちゅ同士のつながりや沖縄の文化の重要性について語り、海外でも相互支援の必要性を強調します。このエピソードでは、フォトグラファーTOKIOが沖縄の文化とアートを融合させた作品を紹介し、アメリカでのウチナーチュのつながりについて話します。また、若いフォトグラファーの競争やクリエイティブな表現についても議論が展開されます。沖縄のフォトグラファーがニューヨークで活躍し、Uchinaanchuコミュニティをつなげる様子が描かれます。彼は多様なキャリアオプションの重要性を語りつつ、沖縄とニューヨークの暮らしの違いについても触れています。

00:02
What's up amazing people, this is iYASASA RADIO by Akane and Minami. In this radio we
are going to talk about random topics in Okinawan Japanese and English.
はいたい! ぐすーよーちゅーがなびら! イヤササ レディオのアカネとミナミやいびん!
うぬレディオでぐすーよーんかい イエーイ語とウチナーグチさんに
いっぺーうむさるはなし とぅできえんでちうむとおいりん
TOKIOの来米と写真の学び
Today we have a guest. はいときよさんでーすはいときよさんでーす
Thank you for coming. どうもよろしくおねがいします。
Let me introduce him. ときよさんは2002年に渡米しサンフランシスコで写真を学んだ後
2006年にニューヨークへ移住 2008年に自身の会社シューティングライフ
LLC 2009年にスタジオ11ニューヨークシティを設立
人物撮影と並行して国内外でファインアート作品を発表
アナログとデジタルを融合した表現が特徴です
2024年から5年はロンドンのフォトアワード審査員を務め
沖縄での個展も開催しました はいすごいプロフィール有名人
最初はアメリカのサンフランシスコにいてその後ニューヨークで今までずっとニューヨーク在住って感じですか
そうですねあの2002年のあれは
春か夏前ぐらいに
サンフランシスコに行ってでそこで4年間過ごして
でサンフランシスコ滞在中に写真をやるって決めてで写真やるって決めたから
写真を学べる学校に行けるようになんか英語の勉強とか
トーフルとか撮ったりして でそこで学んで
で2006年に ニューヨークに引っ越しました
でアメリカに行ってから 写真も一緒に始めた?アメリカ?
アメリカって言うかサンフランシスコ 学校行ってたんですよね
沖縄にいるときは別になんだろう本格的に写真はやってなくて
ただあの使い捨てカメラ 昔で映るんですってやつとかで撮るのは好きだったけど
別に一眼レフとか なんか
自分でフィルムをロードして
使うようなカメラを持ってなくて ででもアメリカ行って何か
あの 一つのことを本気でやりたいなって思って
で自分が一番好きは何だろうって思い返してそれが写真だったから
本気で写真をやろうと思って
写真を始めたんですけどまあそれあれですね アメリカ来てからですね
でカメラの学校に行ったんでしたっけ まあ正確に言うと
そういう何だろう写真だったりアートだったりの専門学校って学費がむちゃくちゃ高いんですよ
アート学校 うちはそこまで裕福な家庭ではないのでそういうとこに行けるような
お金はないですもちろんなので とりあえず一番学費が安くて
写真を学べて
写真のダークルーム暗室が使えるとこを探したらサンフランシスコのシティカレッジ
の写真学科
まあサンフランシスコのシティカレッジはいわゆるアメリカのコミュニティカレッジで日本で言う短大的なとこですね
でそこだったら学費も安くて写真も勉強できるから
そこに行きましたトールとって
なんか 自分たちの周りって結構留学してる人多かったさ
時代さんの周りもいましたその時 少なかったですねほとんどいない
そうなんだなんかその中でアメリカに行こうと思うのがすごく仲間仲間というか一緒に同じことをしている人たちが少ないってことでしょ
その時はね周りにはほぼいなかったですね
でもなんかうちの親族でなんか親戚が
あの
アメリカ人と結婚してでアメリカで生まれて的な親戚が二組ぐらいあったんですよ
でその人たちは
日本語はそこまで喋れないうちの口ももちろんうちの口もそこまで喋れないって感じで
ででもなんか僕が英語を勉強してその人たちの通訳になったらなんかその
ファミリーとしてもっとコミュニケーションとかもできたり アメリカにいるいとことか親戚とかとも
近しくなれるんじゃないかなーっていう意識はありましたね
その親戚はじゃあカリフォルニアにいたんですか
いないですね
いないんだ
親戚はえっと一つはシカゴの方でもう一つは
ボストンの方です
でもそうやって
きっかけがあったんだねその写真だけじゃなくて
そうですね一応英語を学ぼうっていう気はあって
まあでもなんていうんですか その時は
その時というか高校ぐらいまでは英語なんて自分の人生に必要ないと思ってたし英語の授業とかも全然やる気なくて
全然英語は勉強をしてなかったんですよねアメリカ留学する前までというか
なんかよくアメリカ行ったら英語喋れるようになるとかいう
逸話があるじゃないですか
住めば喋れるようになる的な
で最初も本当英語の基本的な文法もほぼわからないぐらいの状態で行ったら
全然英語喋れなくてこれはアメリカで生きていけないかもしれないっていう危機感を感じて
それで必死に勉強しました結局
行って済むだけで喋れるようになるんじゃなくて結局
喋れない状態で行ったとしても死ぬほど勉強しないと喋れるようにはならないっていうのは分かりましたね
マジでそうだよね 何もしなかったら普通に日本人もいるもん
そういう環境に自ずとね日本語環境に向かっていくもんね喋れなかったら
その方が楽だから
そうだねしかも一回コミュニティとかなんかそのさっきも言ったけどセーフティゾーンみたいなのを異国で見つけたらもう本当に勉強しなくても生きていけるみたいな
だから最初のアメリカ来た目的は語学留学だったんですよ単なる
まあ短くて3ヶ月長くてもまあ半年ぐらいかなーっていうノリで語学留学でアメリカに来たら
ニューヨークでの生活と仕事
なんかアメリカ面白いって思ってそこから3年間は一回も日本帰らなかったですね
すごいねハマったんだ
でニューヨークに行ったってことですよね
サンフランスコ4年間いてでもサンフランスここで3年過ごして1回久しぶりに日本には帰りました
でまたサンフランスコ戻ってきてで
学校で学ぶこともなくなったから そこは
やめて ニューヨークに行きましたあの
さっきも言ったんですけど僕が行ったのは 写真の専門学校じゃなくて
あのサンフランスコシティカルチってコミュニティカルチなんですよね だから写真のメジャー以外も
撮らないと卒業はできないですよ
じゃあめっちゃ勉強をしたんですだからね結局 写真しかしてない写真しか勉強する気なかったから
写真のクラスだけ全部撮り終わって
もう学ぶこと学んだなって思ったので学校は辞めてでニューヨークに行きました なんかこういう職業って学歴とか多分
そんな関係ないんじゃないかなっていうのはあって実力が多分
問題になってくるところかな
じゃあアフターサンフランシスコでニューヨークで仕事を探すのはあれですか作品を持って行って営業するみたいな感じなんですか
そういうこともしました
でも最初はとりあえずあれでしたねあの
全く人脈がない状態で生きているので人脈を作らないといけないっていうのもあるし
お金もなかったんですよあの最初の家賃払った状態で銀行の残高が80ドルだったんですよね
だからとりあえずあの
メイクマニーをしないといけないということでニューヨークについて
その日にとりあえずまあ
日経のスーパーとかに置かれてる新聞撮ってきて求人広告
とかを調べて
翌日電話して面接してでニューヨークついて3日目からもうちょっと働き始めてましたその時は日経レストランだったんですけど
とりあえずまあ生きていくお金はまず作らないといけないじゃないですか
だからそれで
働いて
でもその時レストランで働くときに白シャツとネクタイと黒ズボンが必要だっていう条件があって
買わなくては
80ドルだけ
あとスニーカーじゃない靴
その80ドル使って
やばいゼロになった
一回ゼロになって
でスタートって感じでしたねニューヨークライフは
すごいニューヨークらしい話だね
でじゃあバイトをしながら写真も撮り続けて
まあ縁をつなげて仕事にっていう感じで
とりあえず全く人脈ないところだけど働いてたら働いてるとこからもう
何だろういろんな人脈ができてくるじゃないですか
とりあえず僕写真やってます写真やってます
フォトグラファーで生きていくためにニューヨークに来ましたみたいなことを言いまくってたら
スタートはそういう感じでしたね
すごいね
で今ニューヨークが20年目でしたっけ
2006年からいるから
19年住んで20年目とかになるのかわからない
だいたいそんぐらいだよね
すごいね
ホームじゃ第2の
だからね20年ってそのうちいるのって
あのさっきなんだっけアーティストビザ
あーそうそうそう
アーティストビザ
でいるんですか
アーティストビザですね
すげー
これだって1回撮ったらいいとかじゃなくて更新しないといけないですもんね
そうそうそう更新し続けないといけないです
なんかもう日本に帰らなくてはいけないかもぐらいやばい時期とかありました?
はないですね
ないか
そんなにやっぱりフォトグラファーってお仕事が多いんですか
でもなんかフォトグラファーの人口も多そうだなと思ったんですけど
多いですよ
だからすごいコンペティティブというかライバルも多いし
本当に頑張らないと生き残ってはいけない業界ではあるんですけど
何だろう
とりあえずなんか自分がちゃんとしてればというか
ちゃんとは夢と目標を持ってたから
別になんかやばいな日本帰ろっかな的な発想には1回もならなかったですね
めっちゃ発する
コロナ禍は影響あんまりありませんでした?
仕事は減ったんですけど
ちゃんと貯金とかもしてたので
特にむしろめっちゃ休めてラッキーぐらい
ちゃんと備えがあるのもめっちゃすごい海外生活で
日本でもさできない人いっぱいいるのに貯金とかはね
しかもめっちゃ偏見だけど
沖縄の男性でこんな仕事もして
海外で成功してる
こんな頼もしい人なかなかいない
そうなんですか
家族と子育ての現状
ご結婚もして
結婚してます
お子さんも
子供は2歳と2ヶ月
そろそろ3ヶ月
かわいい
ニューヨークでもしてるってことだよね
今日3ヶ月になった
2歳3ヶ月
2歳3ヶ月今日で
お相手は?
お相手は日本人ですね
うちなんじょではないんですけど
千葉の人っすね
ニューヨークの子育て事情っていうか
どうですか子育てにはいいどっちなのか
良くはないと思います
良いと思う面は
僕みたいな庶民にはあんまり感じられないですね
それだけの点で言うなら日本の方が圧倒的に楽
圧倒的に楽だと思います
医療費も高いしね
お子さんは言葉はあれですか
日本語
日本語と英語両方
ニューヨークの保育園事情
とはいえまだ2歳3ヶ月なんで
今ようやく喋り始めたくらいなんですけど
アメリカって保育園ってあるんですか
ありますよ
あるんだ
定時高いっすよ
金さえあれば
安くて2000ドル
安くて月2000ドルくらいだから
やば25万くらいじゃん
いやもう30万くらいじゃない
保育園が?
保育園が
安くて
ゼロの数が違う
やばくないですか
どんなに稼いでもお金なくなる
日本より平均年収高いとはいえその額はちょっとやばいね
普通に人一人雇えるもんね
ベビーシッターみたいな
日本にいたらねその額あれば
だからうちは保育園にまだ入れてないっす
フォトグラファーの仕事
そうですよね
うちで面倒見てます
やばいね超リアルな金額だね
月30万円保育園安い方
高い方って言ったらまじ60万とかそういうことですか
もう
高すぎ
青天井じゃん
そうだよね100もあるんじゃんここまで来たら
あのもっと高級住宅のとことかね
全然あると思う
いいだねほんとに
ニューヨークって感じだ
ニューヨークで会社も設立されてるんですよね
どんなって会社設立するのアメリカで
と思ったんですけど
結構普通にインターネット見たら
申請方法とかもあるから
作るの自体は簡単なんじゃん別に
同期だから
ただ何期何期って運用っていうかしていくのが大変なんじゃない
うちは会社っていう形にはしてるけど基本的にはもう一人で
一人社長
一人社長の
いわゆる日本でいう有限会社的な存在になるのか
だから従業員も一応ゼロだし
撮影アシスタントが必要なときは
撮影アシスタントをその時だけ呼んで
その時に直でペイしてるって感じだから
会社
いわゆるみんなが想像するような会社組織的な感じではないです
ホトグラファーの方は確かにそういうスタイルは多いかもね
アカネも似たような感じじゃん
スポットで呼ぶバイトの子とかがさ
自分の手元にリストじゃないけど何人か決まってて
仕事に合わせて呼ぶみたいな感じだもんね
そうだね
クリエイティブな会社はそういうスタイルかもね
ただなんか
ただ単純に個人でやってるより
会社にもなってますよって言った方が信用になるかな
っていう理由ですね
ちゃんとしてる感
うん、ちゃんとしてる感です
すごいよねニューヨーク住んで会社持ってる
だってニューヨークの出身とかアメリカのローカルのカメラマンとかも普通にいるじゃないですか
世界中からですよ
その中で日本人のカメラマンとして
メリットとデメリットってどんな感じなんですか
メリットは日本人ということがあるので
日本系の企業だったり
そういうところからの仕事は来る
言葉の壁がないから
デメリットとしては
よほど有名にならないと
日本人のフォトグラファーは使われない
そのアメリカの企業だったり他の国の企業だったり
僕はたまにオファー来るけど
毎回アメリカの企業
でもレギュラーでやってるのもあるんですけど
沖縄県人会の活動
普通に探して連絡は来るんですか
日本の企業とか
それも結構一つの流れです
紹介です
人が得意な方ですね
酒と人の繋がりが
あーこの人脈づくりみたいな
そうですね
よく飲み会しまくってるし
いろんなところに顔を出すし
そこはうちのバイブス感じます
そうだねソーシャルが得意なんだ
それは強みかもしれないですね
ソーシャル苦手だな
年取れば取るほど嫌だ
めんどくさくなって
今日は来るかもしれないですけどね
ちなみに
南は酒を飲むのが好きなんですか
好きです好きです
だったらソーシャルできるんじゃない
私はすごいピッキーな感じっていうか
南真顔なんですよ飲み会でも
嫌だったらもう
イヤースイッチが入ってしまうタイプだよね
顔に出る
でもあの
When I'm with youだったら
つまらないのを理解してくれる人がいるから
入れるんですよ
一人で違う場所に
ガンガンっていうのはもう
今は無理
でも職業柄はもうあるんじゃん
何ソーシャル苦手そうな職業
アカネとかめっちゃサービス業だから
でもソーシャルしないけど
一応笑って喋れるさ
南は笑わんさ
でも
関係あんのかなそれ
あると思うよ
接客業してるから笑えるってこと?
心は笑ってない
時もあると思う
エヤメは常に正直だからな
でもやっぱ酒が好きかどうかっていうのもあると思う
あと人に
興味があるかないか
どういうジャンルの人でも
興味を持って話せるかは重要かもしれないね
興味はあります
なんかお話をしてくれる
人たちがいる会場は好きなんですよ
パーティバイブス
シャローコンボセーション
みたいになると
無口になる
そんなのあんまないから
深い話がしたいだけです
昔は一時期そういうとこに行きすぎて疲れた記憶があるんだよな
顔だけが繋がっていく
違和感みたいな
人として話したらみんな楽しそうだけど
その場の雰囲気で
それまでがマックスみたいな
東京かな
東京にそういうのがいっぱいあった
挨拶で終わるみたいな
深い話まではいかない
普通そうだよな
話がしたいだけだよ
それはいいから本当の話したい
みたいな感じでしょ
まあいいやごめんごめん
でもさ
結局
深い話ができるかできないかっていうのも
なんだろう
その人に会った回数にもよるかもしれないんだよね
うん確かに
興味がない人でも
めっちゃ何回も会ってたら
めっちゃ仲良くなって
深い話もできるようになると思う
お互い興味ある同士だったら
一発目から深い話もできるかもしれないけど
うん確かに
だから
なんだろう
やっぱそういうソーシャルとかにも出向いて
顔を合わせていく
っていうのは
ゼロではないというか
なんか
あんまり感じかないけど何かの
足しにはなってることだとは思うんすよね
うんうん
何が繋がるかわからんもんね
そうそうそう本当に
特にこういうさ
異国の場所だったら
大事だよね
人の繋がりとかね
異国にいたら
共通点が見つけやすいから
話は盛り上がりやすいと思う
日本人だったらそれだけで
あいつ来たんですかとか
なんとかとかさ
あるけどたぶん
日常に溶け込みすぎると
例えば沖縄住んで沖縄で仕事して
友達みんな沖縄ってなると
あーそうだね
でも同じ
こっちでもしやったら
テンション上がる
出会いすぎて
Speaking of the social
だけど
東京さんは写真だけじゃなくて
沖縄県県人会の会長様でございます
ニューヨーク
ニューヨークの
ああそうですね
今何年目なんですか
2年くらい会長をさせてもらってますね
その前は副会長も何年か
やったんですけど
すご
でも
ニューヨークの沖縄県人会といっても
結構ニューヨーク近郊の
州の人たちも
参加してるんですよ
例えば東京沖縄県人会
だけど
茨城群馬
埼玉千葉福島
関東県内全員
福島ぐらいからも来るみたい
県人会に?
そうそう
日本人会
東海岸の県人もいっぱい来るってことですよね
そうですね
すごいね
ニューヨーク近郊のエリアも含めって感じ
県人会の活動って
マンスリーで
決まったのがあったりするんですか
それともスポットの行事ごと
基本的には年に二回だったんですよ
今までは
でも今年から年に三回になっていく感じですね
それはなぜなら
いろんな州から
集まってくるし
年齢も高齢化してるっていうのと
あと車で来ないといけない
っていう問題
あと場所をレンタルしないといけない
っていう問題があるから
そんな毎月だったり各州
とかに
行ったりはできないんですよね
年にも二三回が
限界かもしれないです
ニューヨーク近郊って
どこら辺までですか
DCとか
DCはいないかも
でもペンシルベニア
ニュージャージー
コネチカとバーモント
とかかな
県人会は初歩的な質問なんですけど
何をしている
みんなで
集まって
交流したり
餅よりのご飯食べたり
竜舞踊ってくれる
人がいたり
三振の演奏してくれる
たまに空手の演舞が
あったり
結構あれなんですよ
沖縄でいう
ちょっとした
小さい公民館みたいなのを借りて
ステージがあるところで
そこで
集まって
ゆんたくしたり
してる感じですね
前までは
お酒禁止だったんですよ
僕が会長になる前までは
県人会なのに
沖縄県人会なのに
意外
みんな車で来たりするから
念のため
練習運転しないで
それって県人会
オールオブザワールドの話で
いや多分
このニューヨーク県人会の会長
してた人
今まで会長してた人の
方針だと思います
じゃあ今みんな
喜んでるんじゃないですか
喜んでる人も多そうですね
別に飲まなくてもそれは自由だからね
ただなんか
周りにハッピーそうな人がいた方が
飲まない人も多分
みんな盛り上がってて楽しい場だな
ってなる気はするんですけど
そうだね
じゃあ結婚式じゃないけど
みんなで余興とかして
キャッチアップしてみたいな感じ
じゃあまたねみたいな
そんな感じですね
ベリースモール結婚式
何人くらいいるんですか
沖縄の規模で考えたら
スモール結婚式
一応登録しているのは
100から150人はいます
めっちゃいる
ニューヨークの沖縄人って
どんくらいいるんですか
この県人会
ニューヨークの中ってこと?
そうそうそう
たぶん
沖縄のコミュニティのつながり
200人前後じゃないかな
と思います
リアル
県人会にいる人が
いや
県人会に入ってもない
ニューヨーク州にいる
沖縄人
たぶん200人前後くらいだと思います
そんなにいるんだ
少ないと思った今
少ないけど
茜がニューヨークにいるとき
沖縄の人
2人か3人くらいしか
知らんかったから
県人会とかにも行ってないから
しかも入れ替わり
立ち替わりというか
来ては帰る人っていうのも
めちゃくちゃたくさんいるじゃないですか
そういうのも踏まえて
もしくはもっと少ないと思います
下手したら100人前後
かもしれない
リアルうちなんちゅ
きちょうな
じゃあわりと沖縄に住んでる
あ間違えたニューヨークに住んでる
うちなんちゅはコミュニティ的に
つながりやすい感じですか
県人会関係なく
県人会と
僕に連絡したらつながりやすいと思います
僕はいろんなところで
うちなんちゅいたら紹介してね
って言いまくってるから
僕に情報がめっちゃ入ってくるんですけど
多分
それ以外のプラットフォームがないから
ただうちなんちゅで
来ましたって言っても
例えば県人会のこと探したり
人捨てで
僕のことだったり他のうちなんちゅの
友達に当たらないとつながらないんじゃないですかね
沖縄への思いと帰国計画
基本的には
確かに
でもなんかさっきの
なんだろう
さっきいたゲストの方は東京の人で
あんまりこっちでニューヨーク来たからって
みんなで群れたりしないよ
みたいなことしたんだけど
沖縄の人は違うなって
そんなことはないけど
と思いながら
沖縄って別にニューヨークだけじゃなくて
県人会めっちゃあるもんね
世界中に
すごいなんか
チャイニーズとかコリアン的な
あれと近いのかもね
固まる感じ
面白い
うちなんちはそういう
チャイニーズとかコリアンみたいに固まれる
組織というか
資質というかマインドがあるから
固まるべきじゃないか
っていう意見を最近聞きましたね
うちなんちゅ村みたいな
中国だったら
中国人だけど
他の国で固まって
すごい大きな力を作っていく
っていうのが
あるんですよね
うちなんちゅ同士で
海外であったとして
そこで固まって
一人じゃできないことをみんなで
できるようになっていったら
それはそれでアリなんじゃないかな
と思いますね
そういうコミュニティがあったら
沖縄から海外に行く人も
ちょっと困ったことがあったら
そこに頼れるっていう助け舟があったら
出やすいとは思いますけどね
うん
確かにね
心強いよね
そういうカルチャーがあるとありがたい
なんかさっき
収録前に話したのは
若い時って
学生とか
20代とかの時は
留学とかして
見人会とかの声かかって
その時って20歳とかなんで
生きてるから
そう留学して
英語学びに来てるのに
見人会とか行ったらもう
全然目的違うやんみたいな
別に一晩行くのとか
どうでもいいじゃないですか
勉強とか言わないで行けばいいのに
その時ってまた沖縄の人は海外来て
固まってからにみたいな
若い時やね
けど今やっぱ考え変わってさ
どこにいても繋がれる
ラッキーみたいな
連絡したら
どこの国にいても沖縄の人がいる
そうそう
すごいいいことだと思うけどね
でも
繋がりたくない人は
繋がらなくていいし
生きがってる若者は
繋がりたくなるんだろうし
繋がらない人は
もちろん繋がらなくていい
それは強制じゃないから
でも繋がって得する人が多いんだったら
繋がるべきだと思うかな
得すると思う
得っていうか
損はない
沖縄
アメリカ
こんだけ長く住んでて
私みたいな若気の
時は
沖縄とかあんまり
みたいな時期ってありました?
ありましたね
それで飛び出てきたっていうのもあるし
さっきも軽く言ったけど
サンフランシスコに行って3年間は
もうずっと
一回も他の国とかも行かずに
帰らずに
いたので
たまに
3年後に沖縄帰ったとしても
沖縄田舎だな
みたいな感じで
見ちゃったりはしてたし
なんか
高校の同級生とかで
県外にも
行かない人
はもっと県外行けばいいのにな
っていう
態度で見たりもしては
いたかもしれないですね
でもまあ
一回も出たことない人よりは
軽く出た方が
もっと沖縄を
俯瞰で見れるから
沖縄のことはもっと好きになれるとは思うんですよ
だからまあ
せめて半年でもいいから
年齢は
何歳でもいいので
一瞬
沖縄を俯瞰で見れる
距離で
見てみた方がいいかもしれないですね
それは絶対あるな
わかる
去年ニューヨークから戻ってきて
沖縄に戻ってきたときに
めっちゃちっちゃい
みんな
考えが狭すぎて
やばいみたいな
家族には目を覚まさないと
気持ちになってたけど
やっぱりニューヨークに住んで
沖縄の良さもめっちゃ気付くし
家族のありがたみもだし
まず気候もいいし
ご飯もおいしいし
人も優しいし
沖縄ってなんて素晴らしい島
なったみたいな
沖縄というコンセプトに
めっちゃ感謝して
東京に行ったみたいな
感じだった
海の青さが
染みるみたいな
泣けてくる
どっかの年齢からそうなっていく
逆になんかこの最初の
沖縄みたいな時期から
県人会の会長
やるまでになってるじゃないですか
いつからこの沖縄スイッチ
みたいなのが入ってきたんですか
沖縄ラブであることには
もう昔からずっと変わらないですね
だから
サンフランシスコ行った時も
三振持って行ってましたし
三振全然弾けないですよ
島歌の前半しか弾けない
三振持って行って
練習して
弾いて聞かせたりとかはしてたし
アメリカで出会う人たちにも
沖縄の良さは伝えてはいました
僕がその
二十歳前後で知り得る限りの
良さしか伝えれないけど
沖縄ラブでは
元々やっぱ
沖縄バイブス高めで
ラブだけど
多分俺がいた環境が
刺激が足りなかったのかもしれない
もっと
世の中には面白いことがあるはずだ
と思って求めていった
でも根は沖縄ラブだけど
もっと色んなことを知りたい
自分は知りたい
っていうのはあったかな
沖縄に帰りたいって
いうのはあるんですか
そうっすね
あと何年かしたら
沖縄に本帰国して
ベースを沖縄にして
仕事で県外だったり
海外だったり
行けるようにはしたいと思ってます
っていう
帰る帰る詐欺を
5年前ぐらいから言ってます
本当に帰りたいっちゃ帰りたいんですけど
タイミングが難しいっすね
なんか
コロナが来たりだったり
あと
円高ドル安だったり
日本の経済がちょっと
落ちていってるんじゃないか
っていうのだったりとか
見てると
なかなかタイミングが難しいっす
円安だし
だからよね
円が安すぎてショックです
まあでも
こっち来たらもっと大ショックだけどさ
でもこっち住んでたら
逆にアメリカの給料は
全然日本より高いから
そうだ
戻るのも減るっていうことだからね
そうそうそう
まさに
生活費も減るじゃん
うん
利息も減るけどね
でもできれば理想としては
なんか
何十年か前みたいに日本とアメリカの
例えば1ドル100円ぐらいで
物価も同じぐらい
っていうのにまた
一番いいやつ
日本が戻れたらいいなと思うんすね
なんか子供ができて
変わりました?この沖縄に
行きたいとか
双国籍の重要性
生活とか
沖縄で子供外出たいって思う
それはなんか
今実際ここで子育てしてみて
どうですか?
どんなところがそう思うのかな?
Expensiveだし
治安悪いしね
であとまあ
とりあえずアメリカ国籍も日本国籍も
とりあえず
子供というか娘
は持ってるので
まあ将来アメリカ来たくなったら
すげえ簡単に
来れるようにはなってるので
育ってるのは沖縄でもいいかな
っていうのがある
英語うんぬんかんぬん
っていう話はあるけど
英語はぶっちゃけ
沖縄いても学べるし
英語と日本語の
難易度で比べたら
日本語マスターする方が
絶対難しいんですよ
だから日本語の
何だ?
言葉の読み書きだったり
あと日本人っぽい
ギャグセンスとかは
日本でしか育たないような
気はします
確かに
日本語優位の方が
英語プラスする方が簡単かもね
そう
アメリカ国籍いいね
もう最高のギフトや
日本にもいい
日本のパスポートもあるのは
さらに最強
20歳になったら
選ぶんでしたっけ?
一応
でもそれは
Kind of 有名勢みたいなもので
有名にならなければ
音が目なし
ダブル国籍やり続けられますか?
やってる人もたくさんいるし
本当有名になったら
最近もうネットの声がうるさいじゃないですか
嫌われる
あいつは
20歳超えてるのに
ネットの声のせいで
破棄しないといけなくなる
そうなんだ
じゃあ一般人のうちは大丈夫
有名になったら
叩かれる
大変だね
それまで持っておけばいいか
そう
Going back to photography
撮ってる写真は
今は
ごめんこれさっき口頭で聞いたのか
エピソードで聞いたのか忘れたんだけど
TOKIOのアートと沖縄の文化
人を撮ってるのが多い
ポートレートって言うんだっけ?
そうっすねポートレート
ってなるんですかね
メインは
仕事としては
でも自分が
やってるファインアート系のものは
人だけに限らず
風景とかも撮ってます
ファインアートって何ですか?
いわゆるこういう
飾ってるようなやつに近いかな
簡単に言うと
何だろう
こうやって
作品を展示して
人に買ってもらって
その人がまた家に飾るみたいな
ようなやつかな
簡単に言うと
なるほど
アンテルームナハでも
展示会をしているときに
写真見たんだけど
沖縄の
沖縄とニューヨークが
めっちゃ融合されてて
石灰岩のキャンバスに
みたいなやつでしたっけ
そうそうそう
多分これいろんな意味があるんだろうな
みたいなのを意味がわからず
見てたんだけど
まあまあ
見る人が感じれば
感じたままでいいと思ってます
だから
あの展示でほとんど
作品一個一個に説明が
説明文とかも
タイトルもほぼ載ってないんですよ
もう見た人が見たまま感じればいいかな
ぐらいのノリで
やってましたね
若手フォトグラファーの競争
なんかすごかった
なんか
こういう撮るとき
撮ってたぶんいろいろ
作ったりとかもしてると思うんですけど
どういう感じで
いつも考えて作ってるんですか
うーん
結構
一番気にしてるのは
自分にとって
かっこいいかかっこよくないか
っていうのがでかいかもしれない
だから
かわいい
とか
なごむ
とかいうのよりは
かっこいいかかっこよくないか
っていう判断基準かもしれないですね
自分の作品として作るときは
自分主体でやって
お仕事的には
その案件に合わせてやる
みたいなスタイルでやってるんですか
そんな感じです
沖縄って
めっちゃ今
若いフォトグラファーさんとか
多いんだけど
自分は
ウェディングプランナーのほうだから
撮影とかはあんま詳しくないんですけど
カメラマンとか
増えたから
すごいコンペティティブだなって
見てて
思ってて
内地に比べたらそうでもないと思うんですけど
みんなその
自分の色をどう出すか
まだこの
経歴が浅い分
いろいろ模索してる人も
多いなと思って
もちろん自分の料金の決め方とか
撮るスタイルとか
自分の撮るスタイルもあるけど
仕事もしていかないといけない
だからダブルワークしてる人とかも
全然いるし
だから
写真は上手だけど
結局自分も
カメラマン選ぶとき
人で選んでるなって
思って
技術は後からついてくるかな
感が結構
あるっていうか
人によると思うんですけど
だから
人口が増えたらやっぱ
パーソナリティとかキャラクターで
売っていかないと難しい時代
かつ
職種なのかなって思った
沖縄の学生と夢の描けなさ
でもやっぱ若い
子は
さっきもあの来て
人脈がって話あったけど
自分のスタイルは
一応うちに秘めてとりあえず
人と繋がるべきじゃないかとは思うかも
そしたら
アカネみたいに人で選ぶ人に繋がって
なんか
とりあえずライスワークじゃないけどさ
食っていかないといけないから
ギグを行わしまくって
それで好きなやつを
SNSとかに繋がってそっから
バズって自分のスタイルとかに
また行けたらいいよね
やりたいこと
作品撮りじゃないけど
本当にその通りだと思います
カメラ以外のことでも言えるの
そうだね
写真が撮れる人
クリエイター気質の人って
写真以外もできたりするじゃない
途中出したりして
これもできるんですねみたいな
どう思ったらこれもできるみたいな
いきなり絵もノックみたいな
すごいなと思う
だからなんか一個入り口があって
クリエイティブっぽい
それに携わることをやってみてさ
我々でもさ
そっから何がまた
これもできるのかみたいな
枠が広がるかわからないもんね
そうだね
いろんな人に会って
いきなり提案されたことが
それもいいかも
みたいなのもあるもんね
どこで路線が変わるかわからない
けど人とか
一貫してつながっているものはある
みたいな
間違いないと思います
トキが認定していただいてます
トキさんなんかナレーターみたいな声
MC的な
ジョン・カビラみたいな
ゆったりリラックス声だね
言われません?
言われるかも
さっきとても早くしゃべる人が
ゲストに来たから
こっちめっちゃ時空が
沖縄です
沖縄に変わったね
ゆっくりゆっくり
早いんですか?
ハワイアンみたいな英語
どっちかするとハワイアンのような
やっぱり南国バイブスはあるんだ
ニューヨークの人早いと思いません?
なんかついていけなかった
なんか怖いみたいな
英語のスピード?
英語のスピードもだし
ニューヨークに限らないと思うけど
言い方というか周り
性格が強い人が多い
そうねパーソナリティがね
多いかも
だから余計沖縄の人とかだったら
感動する
同じ波長の人間がいるみたいな
私こっちいたら
なんていうの買い物一つもさ
自己主張していかないと注文にたどり着けない
デリでパニックになってた人
迷ってたらどんどん先越されて
頼み出そうとしたら
人がまた来て無視されて
もう一回またあれされて
そのうちにまた迷ってまた
オーダーしてみたいな
しかもみんなが大声すぎて
向こうはみんな普通なんだけど
自分の勢力は大きいから
めっちゃ大声で注文しないといけない
注文しないといけない
相手もメキシカンとかだから
一生通じないから
違うものが出てきたり
それも楽しみなんだけど
マジでなんか
わかる?
腹から声を出して
濃度を落としていかないとメニューが通らない
自己主張していかないと
ただサンドイッチ食べるだけで
これはアメリカ全部の話
でも特にニューヨークはあると思うよ
忙しいしね
誰も構ってられんからね
ハワイとかこんなじゃない?
ハワイは確かに
聞いてくれる暇があるかも
沖縄もだしね
沖縄とか日本人は
LAとかは早い?
LAの人はあんまり
ゆるくないイメージだけど
サンディエゴとかもっと下の方とか
田舎に行ったら
ゆるい?
私もサンフランシスコに
一年もいないくらい
いたんですけど
ニューヨークほど
レインボー色がある
ゲイとかの
ヒッピーとかの文化はすごかったけど
サンフランシスコにいる人って
サンフランシスコ愛めっちゃ強くて
ラブを感じたけど
ニューヨークってもっと
悪が強い個性みたいなのを
感じるみんなに
何て言えばいいか分からんけど
でもさ、昨日ついてさ
まだいい人にしか会ってないんですよ
全員めっちゃいい人
いい人多いと思う普通に
それが
意外な
もっとあしらわれる感じかなと思ったけど
割となんか
絡んできてじゃないけど
話を聞いてくれるね
っていう感じ
そう見えてるだけかもしれんけど
それはあるかもよ
こっちが心を開けば
相手も開いてるってことですよね
うちのあっちの女性だから
多分向こうも
気が緩んだんじゃない
そうなのかな
フィリピン人とかと
思われてるかもしれない
税関からいい人だって
それは
あの人絶対ちょっとかわいいと思ってるから
そっちゆるい系じゃなくて
でも結構さ
こういう機材持って行こうとしたらさ
ここで仕事すんじゃねえかみたいな
感じで疑われたりする
時もあるらしいんだよね
入国の時
でもスルーされたっていうのは
多分いい人オーラが出てたんじゃない
機材持っておりました
そうなんだ
初めてこんなに荷物持ってきたけど
でも
ついてるのかもしれん今回の旅行は
引き寄せてるのかも
いい人を
今ずっといい人にしか会ってない
って言われたけどさ
昨日電車で何か言われてなかった?
風呂車に?
アスホみたいなこと言われてた
アスホって言われた
マジで
普通によくあれじゃないですか
電車でピッピーやってたら
通れなくて
私も入れるみたいな
ホームレスみたいな人が来て
ノーって言ったらアスホみたいな
めっちゃ言われたから
会話があったんだよ
会話してないアスホって言われただけ
アスホール出てたとかじゃないよ
出てない出てない
注意してくれたとかじゃないよ
文句言われて
イラつくから
面白い
最後に質問で
私が沖縄の地元の高校生とかと
たまに参加している
課外プロジェクトみたいなのがあって
それは大人たちを呼んで
それぞれ職業について
発表してもらって
子供っていうか
ティーネイジャーを
インスパイアするみたいなのがあるんですけど
そこでよくシェアされている情報は
沖縄の学生たちは
夢を描けない
それをドリームプアっていうらしいんですけど
そういう子たちの割合が
めちゃくちゃ
全国に比べて多いみたいなのがあって
だからそれを
沖縄とニューヨークのキャリア
実際の大人がしゃべっているのを見て
こんな仕事があるんだみたいな
沖縄にいたら仕事って
旅行会社行くかホテル行くか
公務員になるかぐらいしか
メインストリームないし
あと基地、軍工用とか
だけどそれ以外の仕事の人に
会ったり見たりしたら
こんなオプションもあるんだってことだよね
そうそうこの人ができるなら
自分もできるかも
じゃないけど
そういうのを感じれるはず
時よさを見たらと思って
なんだろう
自分にできるかも
かもとかじゃなくてできるって
思ったぐらいの方がいい
思うぐらいの方がいいかもしれない
スポーツ選手以外は
大体やろうと思えば
多分何でもできると思うんだよね
身体能力的な
何かじゃなければ
今から
医者になってなれるし
弁護士になってなれると思うんだよね
俺がねこの歳からでも
だから
若い人たちは特に
10代とかだったら
もっともっと可能性はあるんじゃないかな
って普通に思うけどね
ただそのやる気
やる気のスイッチを
どう入れるかはもう
学校教育の問題かもしれない
そのさっき言ってた
できるかもじゃなくてできると思う
というスタンスは
時代さんの中にも
若い時から一応
ベースにあったんですか
やればできるみたいな
だって同じ人間なんだからさ
身体能力以外にもあった
経済的なのは
ちょっとデカいかもしれない
身体的なのと
経済的なのと
経済的なのの問題は
ものを成し遂げるにはあるかもしれないけど
経済的なのは
まあどうにかなる
頑張れば
身体的なのに比べたらね
経済的に
有利なほうが
ちょっと近道はできるかも
っていう話かな
でも結構この
パッションを持つ続けるのが
難しいよね
そのベースが
ポジティブな
思想に至るまでに
行くのが結構
なんか
こうなってる自分
キラキラしてる自分みたいなのをイメージできれば
多分なんかちょっと
嫌なことがあっても続けられるけど
まず沖縄って
めっちゃ暮らしやすいじゃん
何もしなくても誰かが
助けてくれるとか
頑張らなくても生きていけるじゃん
一応そこから
わざわざ知らない土地に行って
自分で生活して
好きなことで
生きるみたいなところまで
行くプロセスって多分
簡単にはできない
だけど最後の
ここのオプションが広がれば
夢みたいなのが
できるかもね
だってみんなYouTuberになりたい
とかさ
先生になりたいとかさ
あるものしかイメージができないからさ
アカネも花屋さんか
幼稚園の先生か英語の先生になりたい
みたいな全部親に言われて
CAになりたいとか
だから
どれだけ
いろんな大人を見てきたか
で変わるかも結構
本当に一回見るか
見ないかで全然変われねえ
今アカネの話に
知り合いでこんな人がいるとか
親戚がアメリカにいるから
アメリカって人間が住める場所なんだ
みたいな
イメージがわく
知り合いもいるから大丈夫みたいな
そうだね
フォトエキシビジョンの計画
なんかでもやっぱ今は
我々の時代は
SNSとかでつながる
Facebookがこっちは学生の時
ギリ流行ってたからいいけど
今の子たちって
SNSかわいそうな面もたくさんあるけど
ある意味
何からでもアプローチできる
めっちゃすごい人に
っていう環境があるから
それをうまく
使って騙されないように
よくあるやつ
騙されても
それも思い出ということで
やったほうがいいはずね
だからこんな人がいるんだよっていうのを
見てください本当にちゃんと
沖縄からニューヨークという大都会で
写真をお仕事にしていて
かつ沖縄県人をまとめる
沖縄県人会会長もいて
育てもしてる
いやいや大変ですよ
マジすごい
じゃあまたニューヨークでも会いたいけど
沖縄にも帰ってきてくれたら
うれしいですね
今年は7月と11月に
すぐだった
3週間後に沖縄に
それは一時的なやつですもんね
そう一時的です
フォーグとかは
今5年計画中で
まだ途中だから
そうだね
本当に日本のエコノミーだったり
沖縄の
エコノミー次第かな
でも絶対
沖縄に本気に帰国する気は
あります
骨は埋めるそうです
大事だね
娘も育てます
素晴らしい
沖縄とニューヨークの
ニックスカルチャー
なはがベースですよね
沖縄帰ってきたら
どこベースにするかはわからない
今から決めてた
最近
北部らへんも結構
激アツになってきてるらしいから
ジャングリアとか関係なし
外から帰ってきたらさ
住む場所とかも
広がるよ
違うとこ見てみたい
地元は実家に行けば
いつでも味わえるからね
それはあるな
沖縄も
家だけはもう
東京について2位の物価というか
不動産になってるから
どんどん住む人も
バラバラになっててある意味いろんな
地域を
知れるかもね
今なぜはに集中型じゃんまだ
それでみんながいろんなとこ行ったら
沖縄のいろんなところまた
知れる
まためちゃくちゃ
後30分から1時間くらい余裕でいけそう
どんだけWell Preparedになっても
Even if it becomes a PR, it happens every time, so it can't be helped, right?
No matter how much you talk about it, it won't work.
Do you have any future PR plans for TOKYO?
Well, I'm going to have a photo exhibition in Tokyo at the end of the year.
From November 27th to December 7th.
It's called Gallery Contrast, and they'll post the info.
If you're interested, please go to TOKYO.
59:33

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