Today we have a guest. はいときよさんでーすはいときよさんでーす
Thank you for coming. どうもよろしくおねがいします。
Let me introduce him. ときよさんは2002年に渡米しサンフランシスコで写真を学んだ後
2006年にニューヨークへ移住 2008年に自身の会社シューティングライフ
LLC 2009年にスタジオ11ニューヨークシティを設立
人物撮影と並行して国内外でファインアート作品を発表
アナログとデジタルを融合した表現が特徴です
2024年から5年はロンドンのフォトアワード審査員を務め
沖縄での個展も開催しました はいすごいプロフィール有名人
最初はアメリカのサンフランシスコにいてその後ニューヨークで今までずっとニューヨーク在住って感じですか
そうですねあの2002年のあれは
春か夏前ぐらいに
サンフランシスコに行ってでそこで4年間過ごして
でサンフランシスコ滞在中に写真をやるって決めてで写真やるって決めたから
写真を学べる学校に行けるようになんか英語の勉強とか
トーフルとか撮ったりして でそこで学んで
で2006年に ニューヨークに引っ越しました
でアメリカに行ってから 写真も一緒に始めた?アメリカ?
アメリカって言うかサンフランシスコ 学校行ってたんですよね
沖縄にいるときは別になんだろう本格的に写真はやってなくて
ただあの使い捨てカメラ 昔で映るんですってやつとかで撮るのは好きだったけど
別に一眼レフとか なんか
自分でフィルムをロードして
使うようなカメラを持ってなくて ででもアメリカ行って何か
あの 一つのことを本気でやりたいなって思って
で自分が一番好きは何だろうって思い返してそれが写真だったから
本気で写真をやろうと思って
写真を始めたんですけどまあそれあれですね アメリカ来てからですね
でカメラの学校に行ったんでしたっけ まあ正確に言うと
そういう何だろう写真だったりアートだったりの専門学校って学費がむちゃくちゃ高いんですよ
アート学校 うちはそこまで裕福な家庭ではないのでそういうとこに行けるような
お金はないですもちろんなので とりあえず一番学費が安くて
写真を学べて
写真のダークルーム暗室が使えるとこを探したらサンフランシスコのシティカレッジ
の写真学科
まあサンフランシスコのシティカレッジはいわゆるアメリカのコミュニティカレッジで日本で言う短大的なとこですね
でそこだったら学費も安くて写真も勉強できるから
そこに行きましたトールとって
なんか 自分たちの周りって結構留学してる人多かったさ
時代さんの周りもいましたその時 少なかったですねほとんどいない
そうなんだなんかその中でアメリカに行こうと思うのがすごく仲間仲間というか一緒に同じことをしている人たちが少ないってことでしょ
その時はね周りにはほぼいなかったですね
でもなんかうちの親族でなんか親戚が
あの
アメリカ人と結婚してでアメリカで生まれて的な親戚が二組ぐらいあったんですよ
でその人たちは
日本語はそこまで喋れないうちの口ももちろんうちの口もそこまで喋れないって感じで
ででもなんか僕が英語を勉強してその人たちの通訳になったらなんかその
ファミリーとしてもっとコミュニケーションとかもできたり アメリカにいるいとことか親戚とかとも
近しくなれるんじゃないかなーっていう意識はありましたね
その親戚はじゃあカリフォルニアにいたんですか
いないですね
いないんだ
親戚はえっと一つはシカゴの方でもう一つは
ボストンの方です
でもそうやって
きっかけがあったんだねその写真だけじゃなくて
そうですね一応英語を学ぼうっていう気はあって
まあでもなんていうんですか その時は
その時というか高校ぐらいまでは英語なんて自分の人生に必要ないと思ってたし英語の授業とかも全然やる気なくて
全然英語は勉強をしてなかったんですよねアメリカ留学する前までというか
なんかよくアメリカ行ったら英語喋れるようになるとかいう
逸話があるじゃないですか
住めば喋れるようになる的な
で最初も本当英語の基本的な文法もほぼわからないぐらいの状態で行ったら
全然英語喋れなくてこれはアメリカで生きていけないかもしれないっていう危機感を感じて
それで必死に勉強しました結局
行って済むだけで喋れるようになるんじゃなくて結局
喋れない状態で行ったとしても死ぬほど勉強しないと喋れるようにはならないっていうのは分かりましたね
マジでそうだよね 何もしなかったら普通に日本人もいるもん
そういう環境に自ずとね日本語環境に向かっていくもんね喋れなかったら
その方が楽だから
そうだねしかも一回コミュニティとかなんかそのさっきも言ったけどセーフティゾーンみたいなのを異国で見つけたらもう本当に勉強しなくても生きていけるみたいな
だから最初のアメリカ来た目的は語学留学だったんですよ単なる
まあ短くて3ヶ月長くてもまあ半年ぐらいかなーっていうノリで語学留学でアメリカに来たら
なんかアメリカ面白いって思ってそこから3年間は一回も日本帰らなかったですね
すごいねハマったんだ
でニューヨークに行ったってことですよね
サンフランスコ4年間いてでもサンフランスここで3年過ごして1回久しぶりに日本には帰りました
でまたサンフランスコ戻ってきてで
学校で学ぶこともなくなったから そこは
やめて ニューヨークに行きましたあの
さっきも言ったんですけど僕が行ったのは 写真の専門学校じゃなくて
あのサンフランスコシティカルチってコミュニティカルチなんですよね だから写真のメジャー以外も
撮らないと卒業はできないですよ
じゃあめっちゃ勉強をしたんですだからね結局 写真しかしてない写真しか勉強する気なかったから
写真のクラスだけ全部撮り終わって
もう学ぶこと学んだなって思ったので学校は辞めてでニューヨークに行きました なんかこういう職業って学歴とか多分
そんな関係ないんじゃないかなっていうのはあって実力が多分
問題になってくるところかな
じゃあアフターサンフランシスコでニューヨークで仕事を探すのはあれですか作品を持って行って営業するみたいな感じなんですか
そういうこともしました
でも最初はとりあえずあれでしたねあの
全く人脈がない状態で生きているので人脈を作らないといけないっていうのもあるし
お金もなかったんですよあの最初の家賃払った状態で銀行の残高が80ドルだったんですよね
だからとりあえずあの
メイクマニーをしないといけないということでニューヨークについて
その日にとりあえずまあ
日経のスーパーとかに置かれてる新聞撮ってきて求人広告
とかを調べて
で
翌日電話して面接してでニューヨークついて3日目からもうちょっと働き始めてましたその時は日経レストランだったんですけど
とりあえずまあ生きていくお金はまず作らないといけないじゃないですか
だからそれで
働いて
でもその時レストランで働くときに白シャツとネクタイと黒ズボンが必要だっていう条件があって
買わなくては
80ドルだけ
あとスニーカーじゃない靴
その80ドル使って
やばいゼロになった
一回ゼロになって
でスタートって感じでしたねニューヨークライフは
すごいニューヨークらしい話だね
でじゃあバイトをしながら写真も撮り続けて
まあ縁をつなげて仕事にっていう感じで
とりあえず全く人脈ないところだけど働いてたら働いてるとこからもう
何だろういろんな人脈ができてくるじゃないですか
とりあえず僕写真やってます写真やってます
フォトグラファーで生きていくためにニューヨークに来ましたみたいなことを言いまくってたら
スタートはそういう感じでしたね
すごいね
で今ニューヨークが20年目でしたっけ
2006年からいるから
19年住んで20年目とかになるのかわからない
だいたいそんぐらいだよね
すごいね
ホームじゃ第2の
だからね20年ってそのうちいるのって
あのさっきなんだっけアーティストビザ
あーそうそうそう
アーティストビザ
でいるんですか
アーティストビザですね
すげー
これだって1回撮ったらいいとかじゃなくて更新しないといけないですもんね
そうそうそう更新し続けないといけないです
なんかもう日本に帰らなくてはいけないかもぐらいやばい時期とかありました?
はないですね
ないか
そんなにやっぱりフォトグラファーってお仕事が多いんですか
でもなんかフォトグラファーの人口も多そうだなと思ったんですけど
多いですよ
だからすごいコンペティティブというかライバルも多いし
本当に頑張らないと生き残ってはいけない業界ではあるんですけど
何だろう
とりあえずなんか自分がちゃんとしてればというか
ちゃんとは夢と目標を持ってたから
別になんかやばいな日本帰ろっかな的な発想には1回もならなかったですね
めっちゃ発する
コロナ禍は影響あんまりありませんでした?
仕事は減ったんですけど
ちゃんと貯金とかもしてたので
特にむしろめっちゃ休めてラッキーぐらい
ちゃんと備えがあるのもめっちゃすごい海外生活で
日本でもさできない人いっぱいいるのに貯金とかはね
しかもめっちゃ偏見だけど
沖縄の男性でこんな仕事もして
海外で成功してる
こんな頼もしい人なかなかいない
そうなんですか