2024-06-24 1:13:23

#87【慰霊の日特別編 ゲスト:やすこおばー】Special guest for Okinawa Memorial Day

Haitai amazing people,
6.23慰霊の日ということで、御年88歳のゲストやすこおばーちゃんのお話を聞かせて頂きました。
沖縄戦を体験した当時は8歳だったとのことで、本人が覚えてる限りの記憶を辿り、与那原から金武町に避難した事、終戦後に米軍基地(12年)や自衛隊(24年)で働いたこと、自身の記憶では日本兵もアメリカ兵もみんな親切にしてくださったことなど。
沖縄戦の話となると「人が人ではなくなる」悲惨な情景を体験した方もいるけれど、まだ幼かったということもあり戦争中の話が中心ではなく、終戦後の生活に対してイメージが深まる話がたくさんありました。
Special guest for Okinawa Memorial Day 2024. We got a chance to listen precious narrative from Yasuko (88 years old). She was only 8 when the battle of Okinawa started, she was about to start going to school. After the battle began, she and her family evacuated from Yonabaru to Kin on foot, about 50km. After the battle she went for school for several years but she decided to get a job and had worked for US military(12 years) and Japanese self defense force(24 years). And now she enjoys gardening and fashion, told us the importance of looking after ourselves.

*For non-Japanese speakers,
this episode spoken in Okinawan Japanese only in audio. will upload some IG reels and YouTube later will Eng subtitles.

【Chapters 目次】
()- Into
()- Guest Introduction ゲストの紹介
()- How was she doing before the battle of Okinawa 攻撃が始まる前の様子
()- First attack which she remembers 攻撃を受けて与那原から金武まで避難した時の記憶
()- How her relatives could meet up at Kin どうやって親戚みんな同じ場所に避難できたの?
()- Japanese soldiers she met 日本兵達との関わり
()- How Kin’s Shelter and when they left the shelter防空壕の様子と外に出た時
()- Situation people went to southern part of island was totally different 南部に避難した人たちは激戦の中逃げた
()- When she saw Kamikaze attack 特攻隊が船に突っ込んだのも目撃した
———After the battle of Okinawa 戦後———
()- Life after the battle 終戦後の学校生活
()- How was food ご飯は何食べてた
()- When she got malaria マラリア病にもかかった
()- Her relatives moved to overseas 海外移住した親戚の記憶
()- She started working for US military 学校へは行かずアメリカ軍での仕事を始めた
()- Changed the job for Japanese self defense force when Okinawa reversed to Japan本土復帰のタイミングで自衛隊の調理師に
()- She remembers every American/Japanese were kind to her 自分に親切にしてくれた方々
()- Marriage life 結婚はいつしてたの
()- Sickness and diet 当時の病気とか食べ物とか
()- The time when people could go to hospital ようやく病院に行けるように
()- Her family 兄妹&親の話
()- She is now 88 yrs old after she been through色々あったのにちゃんと長生きしてるね
()- Her end of life planning made her relief 終活の大切さ
()- Daily routine & passion for gardening日課と趣味のガーデニング
()- Fashion motto ファッション大好き
()- Ending 終わりに

#慰霊の日#沖縄戦#沖縄本土復帰#戦争#OkinawaMemorialDay#Okinawa#TheBattleofOkinawa

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Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/iyasasa-radio/message
00:00
せーの。 What's up amazing people? This is YASASA RADIO by Akane and Minami.
In this radio, we are going to talk about random topics in Okinawan Japanese and English.
はいたーい。 ぐすーよーちゅーがなびらー。
イヤササレディオのアカネとミナミやいびーん。
うぬーレーディオーでぐすーよーんかい。
英語とウチナーグチさんにいっぺーうむさる話しつづけやんでち。
うむとういびん。
いっぺーうむさる話しやしつづけやんでち。
こういうしょうかいだわけよ。
失礼しました。
カツジーが作ったから毎回これ。
そうね。始まるときはね。
失礼しました。
今日は6月22日で慰霊の日の前だから。
慰霊の日スペシャルでゲストをお呼びしてます。
ヤスコおばあちゃんです。
こんにちは。
こんにちは。
ヤスコおばあちゃんはミナミーヌ、おじぃぬ、いもーと、やいびん。
はい。
そうです。
ヤスコおばあちゃんめっちゃおしゃれでかわいいおばあちゃんですね。
きれいにしてる。
だからさ。
今年でいくつ?
88歳と6ヶ月なってます。
88歳と6ヶ月。
長生きしてるさ。
ありがとう。
今孫とか姫孫何人いるんですか?
7名に、孫7名に姫孫2人かな。
7名すごいね。いっぱいいるね。
今が88歳で、この戦争が始まったとき、ヤスコおばあちゃんはいくつだった?
もう9歳にあがるころ。
じゃあもう子供なんだ。
うん。お服なんかね、タンスに入れて準備しているときだったの。
何の準備?
学校にあがる。
まだ学校始まってないの?
1年からあがるときの準備で。
9歳。
あのときはもう戦争こっち来てるよ。
このときもヨナバルに住んでたんですか?
そう。イタラシキも409番地ね。
ずっとここにいるんですね。
すごいね。
学校準備して、今からアメリカ軍が来るとかわかる?
子供だったけどわかったの?
アメリカ軍よりは、友軍の兵隊さんがみんなイタラシキはね、
03:04
親戚のお家はみんな友軍の兵隊さんがみんな入っていた。
友軍って何ね?
日本の兵隊さん。
全部入って、
あのときはもうばあちゃんは
親戚にいる兵隊さんなんかにおんぶされてね、
遊んだ覚えもあるし、
またうちに兵隊さんが入っているさ。
兵隊さんと、もう兵隊も
そういう内地の人、名前いっぱいいたからもうよく覚えてないけど、
あの藤井さんだったかな。
よく覚えてないけど。
この方、あのうちの親父がね、
取りつぶして、この首もってね、
この方追っかけて、お家のまわり追っかけて、
遊んだ覚えなんかもあるわけよ。
そういう遊び?
取りつぶして、回す遊びがあって、
もうこっちも、
弾がボンボン来て、
あのうちの新里の今の屋敷、
あのう、向こうにパラパラパラパラパラ、
ピューン、パラパラパラパラしてもう落ちて、
あの役場からうち3名家族はもういるでしょう。
もうみんな避難していないわけよ。
うちは親父がもう意地が強いもんだから、
最後の最後まで落ちたわけよ。
落ちて残るっていう?
残る、あれ…
みんなさ、どこに避難してたの?
して、3名、あの役場から赤い札が来て、
早く逃げなさいってなったわけよ。
で、そのまま3名とも荷物準備して、
こっちから逃げて行くときには、
もう夜なばる今のあの交差点があるでしょ。
向こうなんかの下はもうみんな焼けていたよ。
逃げるときは。
えー、怖いね。
じゃあ、ばあちゃんは小さいし、
夜なばるあそこらへんまではね、
早く、あの自分はお父母だからね。
うちなんか田舎呼んでるの。
早く早くして先になってやっていたんだけど、
夜なばるあたりまでお分かりよった。
もうあれからはもうそんなに歩けなくなっていたけど。
こっちからして出たのがね、
06:04
東海岸で出て行って、
今のあの産業があるでしょ。
あっちは生豆工場だった。
あっちもみんな焼けていたよ。
自分なんかが行くときは。
そういうわけさ、もう。
して、あっちからあの東海岸に出て、
昼はあの向こうのアダニ、
あんた方知っている?
アダニばあって、アダニ。
あの、ぐちぐち。
あの、トゲがあるの。
あれとあの、グシチャーのススキ。
ススキ。
あれの生えてるのも、
今だからこっち海岸は綺麗になってる。
昔はもうみんなそういったところさ。
葉っぱが生えてから、蝶を探さしてるみたいなね。
して、向こうの中に入ってね、
昼は家族3名、
毛布かぶって過ごして、
夜は歩いて、
こんなこんなして、どこまで
そうしたかわからん。
もうあの時から。
して、ヤンバルまで着いたよ。
その途中で、
ヤンバルからヤンバルまで歩いたわけね。
すごいね。
この間さ、食べ物とかどんなしてたんですか?
移動してる時は、
食べ物とかどんなしてたんですか?
私、食べ物も、
そんなに食べた覚えもないような気がする。
そうなんだ。
して、途中で馬車見てね、
母親がさ、
この子だけは乗せてくれないって言ったらしい。
だけど乗せなかった。
こんなこんなして、
向こうの、
金のゴーまで着いたのわからん。
覚えはない。
ただ、母親にね、
脇に歩けなくなったら、
支えられて、
引っ張られて、
こんなして行ったはず。
それは少しは覚えている。
ゴー行くまでは、
足もこんなに腫れていたらしい。
そうだよね。
そんなばあちゃんだちは、
先に入ってるさ、ゴーに。
金のゴーに。
金のゴーに。
だから自分の足にね、
あのあれ、
軟骨をつけてあげたよって、
言ってた。
そうなんだ。
安子ばあちゃん、一番下だから。
みんなのほうが。
そう。
この金のゴーに、
集合しましょうみたいな話だったってこと?
わからんよ。
これも親がしかわからん。
09:00
そうなんだ。
だから、
自分も不思議。
みんな親戚なんかあっちに入ってるし。
はいはいはい。
ここから言われたのか、
国から言われたのか、
町から言われたのか、
それは私にはわからん。
だれかが言って、
それを聞いて、
知り合いにあっち行こうって言って、
同じ場所に
集まれたのかもしれない。
行き別れみたいな
人たちとかもいるさ。
ゴーで集合みたいな感じなんだ。
そのさ、家にいた友軍の
斉藤さんって
言ってたさ、今。
何人さんかわからんけど。
もう、自衛隊と
あれして。
その人たちは
一時期一緒に暮らしてたってこと?
もう別さ。
家にいる?
うん。おうちにはいるけど、
自分なんかは仲さん。
このさ、日本兵の人はさ、
おうちに来るさ。
おうちに来るって言ってたさ。
日本兵の人が。
この人たちは何をしに来てるの?
見回り?とか。
うーん、ただ来てる。
来て、
戦争特攻隊に行くのか、
どこに行くかは
わからない。
ただ兵隊さんが
入ってきて、
こっちとはもう全然別よ。
入ってきて、どこで食事してるのか。
親戚のおうちは
炊事もしていたけど、
どこで
あれしてるかわからん。
ただ最後はもう
おうちで準備してさ。
日本刀持って、
帽子かぶって。
たぶんね、あの方だったら
線が入って
星が入ってるの。
これは覚えてる。
そうなんだ。
5丁以上じゃなかったかなと思う。
日本刀で戦うの?
銃じゃないの?
あの時は。
銃もあるけど
日本刀も使うみたいな感じじゃん。
でもたぶん
軍の人いたらしきにもいっぱいいたってたけど
この住んでる人にさ
わざわざ何のために
来ましたって言わんくてもいいのかもね。
戦争だからね。
戦争だからもう。
そんな場合じゃないよね。
そんなのは全然わからないんだよね。
ただ兵隊さんがいるね
っていうしかわからん。
あの時はもう夜も
真っ暗闇でね。
お二方も
兵隊さんがいてさ
あのばあちゃんだちのところ
あっちは石で
入り口は
石で入り口作られていたわけよ。
あっちに座って二人ね
寂しかったんでしょうね。
ウミユカバの歌があるでしょ。
ウミユカバ
12:01
クサムスカバニ
してこの歌をね
歌っていたよ。
そうなんだ。
こんな歌を歌ってね
寂しそうにしていた。
こっちはいたらしき
あれだよ
ここの
学校の隣
あっちから魚雷が
海に
あれしたような
話もあるよ。
ぼーんと
魚雷
さっき金の豪の話
してたじゃないですか。
その後はどんななったんですか。
その後はね
金の豪に入っていくでしょ。
もう下はさ
もう熱でね
大変だったよ。
あっち空港していたよ。
暑いってことね。
もう人の
熱で。
してこないして
水溜まっているところから
上にこう
玉泉土
あっち行ってみている
あっちみたいに
下は水が流れて
土手になって
こういったところに
みんな人は
いるわけよ。
避難しているわけ。
あっちでも
もう
何も分からない
覚えてないあの時も
あれから
もう一つずつ忘れるんだけど
豪から
出てまた
やっぱりもう
戦争は負けたよっていう
あれがあったのか
何か分からんけど
親も一緒に
親戚一緒に
あの豪から出て
出ていくときは怖かったよ
怖いね
もう殺されないかねと思うさね
だから
山道の中を
通って行ったら
戦車の音がね
もういっぱい
戦車の音がするわけよ
したらもうこの中から
もうこの
人がもう
全部なんて
韓国のあの
事故があったでしょ
人が多くて
人ごみで
ああいうふうな状態でね
もう
何か音がしたら
あれあれしてからね
もう人がこんなに揺れる
くらいだったよ
母から離れないで
あれしてたけど
あんなして
お家にも
帰るってね
山道を降りてきて
明るくなって
したらもう
15:01
アメリカさんが
銃を持って向かっているわけよ
二人こんなして
あのときのアメリカさんはね
あの
赤い色が
変な赤い色の人がいるでしょ
肌?
髪?
赤い
普通のアメリカさんと
髪が違うような感じだったよ
染めてるってこと?
染めてもないはずよ
実際そうだのに
髪が赤いってこと?
今でも分かるよ
ああ
こういう人だったけどね
見たら分かる
赤毛っぽい人がいたんだ
そうオレンジ系
だから今の
アメリカさんと違うような感じ
ここを向いているわけよ
したら
道のそば見たらね
夜じゃなくて
夜明けで
来ているさ
あのときだけ死んだ人
見た
ああそうなんだ
最後に出て行ったとき
鳥肌が立つ
右側にはね
兵隊さんが
制服か何かつけた
ような兵隊さんみたいな
人が倒れて死んでいるし
こっち側には
爺ちゃんが死んだ
爺ちゃんと
親子連れが
お母さんの上に子供が
こうあれして死んで
もう
婆ちゃんたちがね
怖いの見たのはこれだけ
戦争で
とってもいいところに
行って
生きるからね
そんなに苦労はしなかったわけよ
南部に
行っている人はもう
生きるか死ぬか
いとこさんなんかはもう
人の倒れているところを
歩いて
お家に帰って
生きて帰ってきたよって
いとこは話していた
お家なんかが先輩
自分なんかは
ヤンバルに行ったから
死んだわけよ
上行くか下行くかで
全然違かったわけね
してからねあれは
あの
合わせのトーバルで歩いて
トーバルっていうところだった
はずよ
向こうで
よそ様のお家に入って
して
こっちから
お家帰ったんだけど
あの時も大変なこと見たよ
子供ながらにね
友軍の飛行機が
日本の飛行機がさ
日の丸の形している
飛行機が
ボーンって
飛んできたわけよ
2機
18:01
したらね
1機はもうアメリカさんの
船でしょ
ボーンと
突っ込んで
日本の飛行機が
日本の飛行機が
日本のマーク
1機は
ボーンって
あの音ではね
落とされたのか
海に落ちたのかだ
あの話したら
涙が出る
来てからすぐ
来いよ
昼だからもう
見える
ところだからさ
うちなんかももう
海のそばにしか
おうち
よそさまのおうちに入っていたから
これだけ
ばあちゃんだちが怖い
あわせの上の
今のね
あのゴルフ場から
今大きいお店
ライカム
あそこらへんは
米軍基地でしょ
もう勝った勝った
でしょ
アメリカさんは
白鳳がボンボンボンボン
なりあったよ
あっちはお祝いしてるってこと
うん
勝った勝った
これだけはもう
鮮明に思う
でもなんか
戦争も終わったぞ
って感じになってたんだみんな
そうそうそう
その
じゃあ金から出て
一回もう出てきて
その次に覚えてるのは
いくつのとき
だってもうすぐは学校とか行けんさ
その後ヨナバルに戻ってきたわけ
そうそう
その後はもうヨナバルに
戻って
第一国民学校
自分なんか
大里
大里
時も大変だったわ
ちょうどもう外国さ
うん
もう何もないボトボトボトボト
小屋でもう
小学校のときは
すぐあのヨナバルから
砂運びとかね
木材運びとか
あんなことしてたよ
じゃあもう勉強じゃなくて学校を
作り直すみたいな作業が
多いわけね子供にやらすんだね
小学校はもう
第一国民学校って
今あの
あっちにある今綺麗な
学校になってるよ
ミネイ
ミネイっていう部落のやつ
うんうん
向こうで
小学校
あれして
それで合併になって
ヨナバルと合併になって
合併になって
21:01
ヨナバル中学校に
うんうん
小学校でも
こっちからあの
あの
ヨナバルの役所
越えてあんなして歩いて行くよ
山登りみたいな
山登り
あのときは大変だ
自分なんかのときは
今みんなお家が建ってるさ
山越えてこうして行くよ
そうなんだ
そのお家では畑
あ、じゃあ学校行った後は
学校でも働かされるわけでしょ
木材運んだりして
また戻ってきても
働く
運玉
運玉もいいじゃない
一番高いところは平ら勝命の
あの山だったわけよ
うん
あのね
ススキ
ススキの枯れたの
いちいち
掘って
これを束にして
お家持ってきて
貯めて
あれするのが
自分なんかだったわけ
そのときはご飯とかは
ある?
入れた芋
おばあも言ってたね
芋だって
あのガルにあれしてさ
炊いて芋
芋だけ
なんかあの
汁物もあるわけ?
え?
味噌汁とかもうない
芋だけ
いや味噌汁なんかあるさ
汁なんかある
だけどあの
もうご飯の話はしたくないわ
オイル
こっち
言ってたね
外人の
アメリカさんの船が
ロック船というのは
沈んで海に本当に沈んで
ちょっと
出ているだけ
ロック船という
もう一つ大きい
セメント船
ロック船とセメント船
大きい船が上に
乗っているのが
2隻あって
でこっちから
オイルなんか取ってきて
それで揚げ物してたって言ってたね
そうそうそう
ああじゃあ
船のガソリンで
あんまり石油の匂いが
しないのね
で食べた覚えはある
大変だったね
ばあちゃんももうあの
マラリア
マラリアかかってからもう死にそうになってさ
天井もね
ガイコツに見えてさ
あのばあちゃんだ
ナハのばあちゃんと2人は
24:01
しくしく泣いているの
昔のあれって大変だわね
大変ですね
話したくないよ
熱が出たらこっちから血を取るし
そうなんだ
あのグラスに
火つけてから
ポンとあれして膨らましてから
カミソリで
なんで血取るの
マラリア
自分
熱出たり
血を抜くという
治療
まあちょっとわからんけど
まあ病気にも治ってもすぐ治らんし
食べ物もないし
こんなしてブーブーしてから
あの火つけて
これくっつけて
おいちなんかが
しよったよ
病院行った覚えはない
自分たちでやるんだ
自分たちで
父さんで
あんたの父さんでもこっちやられたやつ
本当に
すごいね
結構長い間もう病院行けなかったんだ
戦争終わってから
赤ちゃん生まれて
そうそう赤ちゃん生まれて
出産も
おうちでやるってこと
出産もおうちでやるんだよね
あの
あの時どうだったかね
もう
自分が覚えているのは
そうだね
すごいね
先輩なんかは
じゃあもう生活が始まって
アメリカ軍との
関わりとかもあったんですか
もう学校卒業して
最初にね
来た頼りがさ
終戦後
ハワイから
来て最初ね
その方が
塚山さん
うちの親父の兄弟
おじさんがハワイであるわけよ
元気かなって
あの
ハワイから
声を持ってきたのが
塚山さんという方だったけど
この塚山さんは
多分兵隊さんじゃなかったかな
あんなに早くすぐ
おうちに来て
終戦すぐ
いらっしゃっていた
元気かなして
高校で
ハワイからの
おじさんからの
塚山さんが
第一
塚山さん
塚山さんは親戚でしょ
親戚でもない
何でもないけど
ハワイのおじさんのあれで
この
ポールチレンの
おじいちゃんが
うちのお父さんと
27:00
兄弟だから
元気かなって
塚山さんは
アメリカの
兵隊さんじゃなかったかな
犠牲
じゃあ日系の
ハワイ人の人で
アメリカ兵だったってことね
かもしれん
だから
シベリアンでいらっしゃったのか
なんか
あの時
だったら
すぐだからね
終戦後すぐ
じゃあおばあちゃんの親戚は
戦争始まる前に
してる人がいるってことね
ハワイとかいろんな国
戦前のね
ハワイブラジル
最初ね
うちのおじが
ハワイ行ったらしよ
そうなんだ
したら
うちのおじが帰ってきたら
またあの
次男があんたは行ってるから
私行かせなさいって
行ってるわけさ
こんなして交代して
行ったのがもうおじさんは
帰ってこないわけ
なるほどね
その後に
軍で働いてたってさっき
うん
それは
日本軍
アメリカ
アメリカ軍の
うん学校卒業しても
学校高校もどこも行かん
芋掘りばっかりしているから
もう軍作業がね
お金もらえるからって
もう学校も
高校も行かんで
あっちがいいしてからね
すぐ軍に行って
軍に行ったところが
NP隊とかさ
将校のお家行って
メイドみたい
あの時はもうメイドが
一番いい仕事
みんなあれで
将校のところ行って
NP隊でまた靴磨きして
ピカピカピカして
靴磨き上手
ピカピカピカして
芋掘りよりは楽しいはずね
学校も行かん
もう脳なしだからさ
脳なしでもあれだね
人はいいところに行ったね
今の
チャタンにある
EMホテル
EMクラブね
チャタンの米軍の
こっちの中に
あっちにもいた
あっちのマネージャー厳しかったよ
沖縄の人だったけど
すぐパーティーがあるとき
30:01
なんかね
きれいに
シェンヒーでさせるわけよ
あっちのマネージャーはね
厳しくされたら
どこでも育つって
おっしゃってた
やっぱりその通りだよ
あっちから
今度はこのハーバービュー
今あの
ハーバービューホテルがあるさ
あっちはね
シビリアンオープンメスだったわけよ
そうなんだ
軍人軍族
軍人軍族が
あれ
またフォートバクナークラブは
あれはアメリカの商工
が入る
お食事したりなんか
ハーバービューは
シビリアンだから
アメリカ民生館
お客さんなんか来て
自分はあっちの
民生館室
持たされたことがあるよ
すごいね
ワナーさんとマキューさんって
ワナーさんの
次はマキューさん
民生館だった
お二人は
受け持ったことがある
だからあのハーバービューなんか
パーティーがあるときなんかね
この方もいらしていたよ
そうなんだ
今はあれだね
チューブが多いけど
キャロワイさん
キャロワイ
後藤で
サービスしたことがある
こっちは民生館
シビリアンだからさ
シビリアンだから
シビリアンと
軍と
パーティーがあるときには
いらっしゃるよ
キャロワイ
後藤で
これ英語で喋ってたの?
おばあちゃんは
偉い人にはね
もう
脳なしだから
英語わからんけどさ
偉い人にはね
何もあんまり喋らない
喋られない
また
一般兵
うちと働いているときに
一般兵には
何のかのして
よく喋っていたわけよね
あの人は英語はたっしゃんだ
偉い人には
サービスするときは
もうハワイのこと
聞こうかなと
後ろにはね
あの
補佐官がついているさ
二世だったよ
こっちまで
言おうかなと思ったら
写真きてますよって
言おうかなと思ったけど
33:00
写真持ってないでしょ
だから言えなかった
でも偉い人たちだから
そんな簡単に
話しかけられない
自分の友達は
キャロワイだったかね
誰だったかな
サービスすると右から出すのと
左から出すのと間違ってからね
下ろされたのに
厳しいね
こういうお仕事って
どうやって探してたんですか
そのとき
私は
親戚があっちにいた
紹介生
マネージャーが
ミスタウトって
とても可愛がられていたわけ
あっち
あのクラブから
幅広に移って
して
イエスかノーかぐらいで
オッケーになったわけ
うちの
あんたの
ばあちゃんの
兄弟の子になるわ
あの人
ちょっと
もう亡くなっていないけど
紹介して
もらって
あっちが軍は
もう最後
12年ぐらい
12年
でからね すぐまた
あの運がよくてさ
復帰
なったからすぐ
あの
自衛隊に入った
沖縄の本土復帰ってこと
そう
そのタイミングでアメリカ軍から
自衛隊の仕事に
入ったんだ
この時も
紹介する人がいたから
自分の部落に
して
行って
自衛隊って厳しいさ
だから
誰も誰もって紹介して
受かって
あの
もう軍の人
もうきれいに並んでからに
もう
試験終わってこうして
並んで
前に行くとこうかったよ
そうなんだ
調理紙
持ってなかったよ自分
で調理紙
仕事してるやん 調理紙取るか
取らないかって
取りますって
行って頑張って
仕事してから取ったわけさ
取ったんだ
じゃあそこでは
脳なしって言ってるけど
いっぱい仕事してるさ
運があるさ
その面はね
ばあちゃんはよ
みんなが珍しがる
運がある人が一番いいさ
36:01
だからさ
みんなね
これはあれだけどみんな
いいところから歩いてる
こっちに入った時も
あの
紹介して入って
入って受かったら
警察から
調べに来よったよ
へえそうなんだ
なんで
自衛隊だからでしょ
危ないか何かが
これはわからんけど
関わりがある人
調べられたみたいな
調べられて
頑張ってくださいね
って言う
じゃあ自衛隊では
ご飯を作る人はやったんでしょ
調理だからね
それは何年くらいやったの
もうね
自衛隊は
24年
あまりかな
すご
入ったのは
広報支援隊
広報支援隊に
所属して
こっちから支援して
公社中隊ね
あれするの
向こうに支援しに
行ってるわけ
中隊は
広報支援隊に
いるわけ
あっちから支援でこっち
でこっちで24年
すごいね
もうね
隊員さんにね
子供が小さいでしょ
でこっちから
12キロ
通ってあれしてるから
5時になったらね
名前忘れたけどさ
この子は
顔は覚えてる
夜中さん
子供が待ってるよ
早く帰りなさい
こっちは自分なんかがやるよって
隊員さんにも
助けられて
もうみんな
みんなは
怒ってやるけどね
こっちはみんな
助けられたばっかりよ
アメリカさんには
ベイビーベイビーで
可愛がられるし
もう本当に
助けられる
もう世界中の人に
ありがとうって言いたい
みんな
あっち側は私は分かるはずだけど
私は一人でしょ
もう中隊に私一人しか
女は
みんなもうそばは
隊員さんがやるわけよ
私後は
二人
後からは二人になってたけど
その間は一人だから
残りはもう
ほとんど
隊員さんの
下っ端の人が
39:01
調理やる
そんな事務所には
これがいて
女で
そこにその仕事が
もらえるっていうの自体
珍しいってこと?
その自衛隊の仕事さ
女の人が二人ぐらい
しかいないって言ったさ今
珍しい仕事
そんな仕事もらえるのが結構
運がいいってことなのか
技官になってる
こっちは兵隊として
暴露医さん
ほとんど兵隊さんが
技官になって
でも今子供って言ったけど
どの
その時には子供がいた
いつのタイミング
いつ結婚したの
おばあちゃん
結婚はどのタイミング
もう
ハーバー病院の時
そうなんだ
復帰前ね
こっちは大学卒だからね
そうなんだ
大学の
大学祭
会った時にダンスとか何とかあるでしょ
大学のイベントで
おっちはすぐ
私の前だったわけよ
だから
母親から
芋もらったり砂糖もらったり
家族で
知り合いだったわけね
すぐ前だもんだからさ
わからんの
いつの間にかこうなったかわからん
自分でも
いつの間にか結婚
もう一緒になって
あっちは貧しいし
もういろいろ仕事
しながら
昔は
女の人も
外に出て働くっていう人
多かったですか?
それとも家で何かやってる人のほうが
多いの?
あの時まではね
あれだった
お家にいるお母さんが
多い?
そうなんだ
自分なんかやいやいしても
早く儲けようとして
米軍がいい米軍がいいして
言ってるわけさ
学校もあるからね
みんな学校歩いて歩いて
学校よりはもう
米軍で働いたほうがいい
みたいな
言って
もう
子どもできてから
約束はしたもんだからさ
学校行ってからに
調理しとって
こんなしてやって
42:00
あんなにしてどんなに自分は
動いたかないってもうわからんよ
もう無我夢中だから
キャリアウーマンだったってこと?
キャリアウーマン
サバイバー
サバイバー
でもいい
紹介がいっぱい
運がよかったのもあって
あと必死に
もう何でもできることを
やらないといけない
という感じだったのかな
だからどっちもね
みんなありがたい
牛軍でも
兵隊さん日本の兵隊さんにも
何もあれされないで
安くちゃん安くちゃんして
あのかや開けてから
お菓子もあったりね
お菓子をもらったんだ
あれさ
非常養殖さ
アメリカさんはシーレーションとか
なんとかいう
どこかも入ってさ
星型の
今でもあるはずよ
どこか売っているところが
あるはずよ
星型のアメ
そうなんだ
送れたんだ
なんかパーソナリティが
あれで生きたんだはずよ
マラリアかかって
あんた方には
話せないくらい大変
マラリア
終戦後はけじらめも
学校ではDDTまかれるし
農薬?
薬があるんだ
しらみの薬
こっちからは
白い虫が出るから
あれ飲まされるし
だからそれからしたら
あっちで
ヘルピン
どこに
いろいろ探して食べるでしょ
大変だし
そんなのあんまり食べなくても
あげたから
アフリカ
マイマイも食べたしね
アフリカマイマイ
食べたらダメって習ったけど
食べても死なない
死んでないさ
あれは毒っていうさ
今は
あれ洗うのはね
酢入れたらね
キチキチキチキチしてね
ゴシゴシするのよ
とろとろなくなる
そして死ぬんだ
アフリカマイマイ
以外だったら何食べました?
ヘビとか
言うね
気になる
バーチャンがね
あの
熱が出たらね
耳水
飲まされたから
釣れたら耳水飲む
死んでるやつ
45:00
わからん
親があれして
言ったからわかるんだって
でも飲めたんだ
無理矢理飲まされた
そうさだからこっちが
ムジュムジュムジュ
覚えがあります
こっちから血を取られて
血を取られる
小さい時はね
前にさ
砂糖を抱っこさせてね
これを見て
後ろからカンカンと血を取る
血を取るのは
どういう治療なのかな
バイキンと
検査の血を取るなのか
悪い血を抜くのか
そんな感じ
だから血を取ればいい
って思ってたんじゃないの
熱を冷ますため
ただじゃないよ
熱でたらきする時はこうだった
食中毒みたいになってるから
その時はそういう
解決方法があるんだろうな
血取られたら
痛いから砂糖を
見といて
おかしくは前にしてからね
これ見て我慢するわけよ
痛いの我慢するわけよ
こんなのが
よくあったよ
大変だね
病院行けるようになったのは
いつぐらいからだったの
もうね
子どもたちからじゃないの
自分も
終戦終わって
ゆっくりして
自備科なんかも
自分なんか行くには
ナハに12キロ
行って
帰ってきて
こんなにしよったの
ここの辺今だから
自備科ないか
いっぱいあるでしょ
あの自分
ちょうどハーバービューが60年だからね
あっちで12年越して
やって
あれしてるからさ
あの自分なんかまではもう
12キロ
行って
自備科行きよったんだ
歩いて?
バス?
その時は車があった
あの主人
あれして
鼻片方
もうそんなに悪くはないけどね
もう早く手術したほうがいい
もう通うのが大変って
言ってたからね
鼻片っこ
手術してある
あんまり遠いもんだから
手術してほったらかして
行かなかったら先生にも
相当叱られた
あんたはね
水をね
開けて
掃除してないのと一緒だよ
そうなんだ
だから何でも
手術した後は
大事にしなさい
48:00
でもなんか
昔の人さ
大変な思いしてるけど
長生きしてるさ
それもすごいと思う
あっちもこっちも
ぼろぼろではあるけど
用心深いからね
うん
すぐ
病院
あの12キロあれ
今はもう
あんた方は幸せにも
幸せよ
そうだね
手術してどこでも行けるしね
そうそう
病院もいっぱいあるしね
何でもコンビニで売っていいさ
でも今の子供たちは
何もしないでしょ
あの自分はもう
ザルのいっぱい
重いの
畑行って
芋掘って
ザルにねどんなして
積んだらいっぱい積めるかね
言ってね
持つときは
自分一人でできるんだよほんとに
よいっしょって
足に置いてね
よいっしょって頭に乗せる
うん
芋しかあれ
冬なんか
豆腐作りもさせられた
何でも親の言うことは
何でも
何人兄弟だったんですか
うちは
戦死した兄さんと
次男
三男
ブラジル
5人
そうなんだ
戦争もね
兄さんは
戦死だけど
私はまたアメリカさんにも
助けられるし
兄さんの場合は
母親はね
母親はね
遺族年金が来るときは
これと変えられたんかな
って
泣いていたの
そうだね
降りるたんびに
そういう泣きがらが来ない
泣きがらがね
来ないって言うことはね
とっても苦しいよ
とっても
だから津波で
亡くなって
来ない人なんか相当
辛いはずよ
会えないもんね
泣きがらが来ないと
戦争している人ほとんどでしょ
泣きがらは
帰ってこないでしょ
だから年金が
来るときはいつも泣いていたよ
うちの母親はもう
あっちで
ヤンバル行くときも
しくしく泣いたし
51:01
ヤンバルから
帰ってくるときも
寝ているとき
こっちは小さいさ
だから
腕まくらして
寝ておったらもう
しくしく泣く
あれが聞こえるわけよ
夜中
で自分も
あのときおっ母だからね
おっ母泣くなきゃ
泣くなきゃして
自分も一緒に泣いた覚えがある
自分も一緒に泣いて
自分も
しくしく泣いた
母親は
泣かないで
もう泣かないから
早く寝なさいと
これだけは
もう覚えて
今でももう
そうだね
母親は相当苦しんでいるよ
兄さんが亡くなるし
まだ
ブラジルでしょ
してまだ
あの
二男三男は内地でしょ
長崎と
またあっち
あの疎開
はい
三男は
宮崎に
疎開しているからね
来るときまではもう相当
苦しかったはずよ
お父さんは
いらっしゃったんですか
お父さん
73歳までは元気だったけど
あそうなんだ
失敗
あれの失敗
手術
手術は
簡単簡単したものの
失敗して
肝臓から出血させて
しまったわけよ
あそうなんだ
医療ミス
だから
もう今の病院とは
違うからね
もうすぐ
すぐカーテンしてからね
あっちに2,3日置かれてね
こっちはもう閉じもしないわけよ
閉じない
うん出血するもんだから
プーカープーカーしてもう
出血するもんだからさ
して
2日目ぐらいに塗ってるよ
そのすぐ
手術今だったら
手術したときもきれいでしょ
あの自分手術
室からすぐ道
あの廊下みたいなところに
カーテンみたいなところに
置かれて
カーテン側だけだからさ
うんなんだ
ちゃんと消毒されてないんだ
したのがお家帰ってきて
これから悪くなって
肝をして
54:01
そんなになっていってしたら
中がすぐ
注射器でボン
して
取って
うん
大変だった
そのときだったら
珍しくないのそういう失敗は
うん
ありえない感じなの
あのときはなんとも言えないさ
うん
失敗したのか
何なのか
あっちにこっちに今みたいに
ねできない
うん
病院も少ないし
75歳までは生きたわけね
うん
73歳
だからね
親は大事にしなさいよ
うん
そうですね
私はハーバービューで働いているし
もうお父さんがこうだって
呼ばれて
親父がもう
お粥こう
あげるときなんかね
親の親子の
お別れっていうのはこうだよ
って親父は言う
うん
お別れ
もうなくなるさ
仕事ばっかり帰ってきて
お粥口に
こう
何して入れたら
親子のお別れはこうだよ
それはもう
親父は言う
そうなんだ
親は大事にしなさい
死にほらんばんじょうはない
いやそうだね
あってされる
あの
やったらあれだけど
やってないと悔やむわ
そうですね
いつどうなるかわからないもんね
親が
でもやすこばあちゃんも
もう90近くなってから
長生きさ
うん
だからね
だからね
おばあちゃんはさ
前向きっていうか
おばあちゃんはさ
もう
若い時から弱いよ
初中病院だよ
そうなんですか
イカ吸いなの
何かいって壁に
あれされて先生がすごい
イカ吸いたいあれして
イカ吸いたいそんな
イカ吸いたいはめて
こんなイカ吸いたいはめてね
スカートもつっけられる
42キロぐらいだったんじゃない
そうなんだ
体はじゃあ
基本は弱いんだ
もうずっと病院通いはしていた
だけどすぐ病院行って
こんなこんなだからさ
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
57:00
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
だから長生きの秘訣ってやったものじゃない
普通の生活の中でこうなっている
若い時から長生きの秘訣なんて
今まで考えたことない
でも結果が
病院が始まったら
行きまくるみたいな感じで
治してきた
でもじゃあ
孫とか生まれてから
長生きを考えるようになるんだ
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
長生きの秘訣はすぐ病院に行くこと
長生きを考えるようになるさ
考えてない?
長いって考えてない
その日その日の
身体をね
どうあれするかな
ぐらい
今日のことだけを考えてる
その日さ
だから長生き長生きで
だから
でもなんか丁寧そう
生き方が
お家も綺麗だし
70くらいまでは
そう
そういうことは
考えないはずだけど
次第次第に
歳いってきたら
自分で
あっち行くには
ちゃんと
やって子供たちに
やってあげないといけないな
と思って
ばあちゃんの場合はよ
お父さんが
亡くなる前から
ちゃんと二人の
服はね
着物はね
ちゃんと準備してあるわけ
全部
一揃い
私ののも
ちゃんと準備してあるよ
着物って何の着物
迷惑かけないように
死ぬときの?
そう
私はまた
二人は嫌いであるわけ
だから上からは
瓶がたつけてて
こうして下から上まで
買って置いてある
へえそうなんだ
主人も亡くなったから
こっちは次男坊が見る
ちゃんと
あっちはまた土地少しあるの
分けて
もう自分が入院する前
爺ちゃんが
お父さんが亡くなって
すぐ財産は
みんな子供たちにして
私は何もない
したらもう安心であるわけ
その他
また何はどこ
何はどこってみんな
年に言うて
したらもう安心感があるわけよ
年いってしまえばよ
長生きするっていうことは
私はあんまり考えない
あっち行くとき子供たちに
迷惑かけないかな
だから
どれはどこにあるよ
1:00:00
どれはどこにあるよ
あとで
心配しないように
でもちゃんとしてるね
なんか相続問題って
結構あるじゃん
だからとっても
安心であるわけ
子供たちも
迷惑かけないで
してるね
して
あとは年金で
できなくなったら
子供たちに迷惑かけないで
できるかな
今はそれを考えて
長生き長生き
いつ何時行くかわからないし
だからこれはもうどこでぶっ倒れても
以上用ね
もっと痛い
ちゃんとこういう
歳いったらね
こういうことをしっかりしておけばね
いいんじゃないかなと
自分は
私は私でそう思うわけ
みんなはね
うちのいいとこ
以前はねこういう話した
あんたこんな話しないでよ
もう長生きするから
もうびっくりするくらい
あんたはね
歳はいってるのにね
もうこれから先
あんた何つけていくね
これから先しないと
あれから考えたのかね
もう今は柔らかくなってさ
そういうことをね
徐々にやってるみたい
そうやるようになったほうが
柔らかくというか
安心するようになったってこと?
私は
そうだろう
もう財産も
みんなあれして
あっちの少し土地があるのも
あの長男と
本当は長男がやるべきだけど
長男は奥さんが
あれさ
だから太子が
恵みがよくやってくれるわ
太子がやるようになって
仏壇も引き継ぎ
引き継ぎちゃんとやってる
すごい
見習います
おばあなた
じゃあ
毎日やってることとかもある?
毎日やってるとか?
朝起きたら何するとかさ
何飲むとかさ
これは
日課みたいなのある?
これはいつもの通りもう
食事
何飲むのはない
コーヒーとサラダとフルーツと
これだけ
もうこれ
外人みたいだね
寝るのは精一杯
あの
10時過ぎから11時までいっぱい
寝る場合もある
いっぱい寝れる体力ある?
まだ
歩け歩け
1:03:00
もう少しはしないとね
朝起きたら
こっち朝の運動
曲げたらこんなして
後ろ
こっちつくよ
すごい元気だね
お尻につけるよ
またあの
入院してるとき
これだけはやっておくよ
ってこういう風なレッスン
これは
毎朝やってる
あんまり甘いのが
あれだから
酢みたいな
酸っぱいのが好きなの
伊東縁の酢
クローズとか
飲む?あるよ
酢に
あの
フロニンニクつくってね
へえ
すごいね
それは長生きの秘訣ですね
伊東縁
900ミリでね
200円しないよ
安いね
見る?
後で見ようね
ああ今はだめか
でもわかった伝わった
意識はあんま考えてないけど
毎日
やってることはあるんだはずよ
だから
ご飯とか酢とか
別に長生きとか
関係ないけど
毎日やることがあるさ
まあ
座っておってばっかりは
いけないから
一番好きなのは花
綺麗にしてましたね
お庭もね
座って
疲れたらまた庭に出て
挿し木して
目が出てるかね
根付いたかね
周囲はこんないっぱい
草取り大変でしょ
だから草が生えないように
あの花も
この花も
全部植えても
この花でいっぱい
木でいっぱい草が
見えないように
この雨でいっぱい根付いてるよ
へえ
すごいですね
黒岸にあるっていう花はもう
あれさ
キュウコンだからね
はざしもできるし
毎年咲いてくれる
めちゃくちゃヘルシーな生活です
結構庭
やったら大変
疲れるんじゃん
庭大きいもんね
下ばっかりして
あっちはもう
木植えて周囲は
触らんようにしてるわ
して息子なんかが
一年一回ぐらい
借りて
やってるわけ
1:06:00
私は一番楽しみは花
趣味もあるみたい
やっぱ花
好き
ほら
服も毎日おしゃれにしてるのは
花が好きなのと似てるかもね
メイクもして
パーマもかけてから
おしゃれですね
服はね
ばあちゃんはね
あっち
広いってさ
一周してこの中には
一つはかなずあるからさ
いいの安いの
こっちではあれよ
何でも買おうってなったら
500円
この前は700円の買ってきた
へえそうなんだ
今は若い子でもね安いの買うよ
安いところ増えたよね
うん
安いの選んで買う
昔は
名貨品
名貨品つけるのが
いばりよったさ
今はもう
何でも
ばあちゃんなんかも
何十年てつけたのもあるよ
へえ
だけどばあちゃんなんてつけられるから
得してるわけさ
はいはい
いっぱいある
へえそうなんですね
ズボンなんかもあれ20枚ぐらいあるからね
また古いの
古いのって自分がつけても
誰か来たら
あんたどこにねって言うわけさ
でつけないと
年はいってるし
みんな捨てるでしょ
だから
何十年も
本当に30年余りつけてるのいっぱいあるよ
すごいね
うん置いとったらもうつけられる
いや今あの若い人が
ここがあの
裾が大きいの
あれあるから
こう人もあれ知ってる
昔のデザイン
流行りがまた戻ってきたんだ
戻ってきた
じゃあもう若いときから
服好きなんだ
流行りの
流行りはあんまり好きじゃない
とにかく
色をそろえることが好き
ああ
安いの買ってきて
上と下と
だから今でもどこか行くときは
これ仕事してる
これとつけたらいいかな
こういう感じ
今はもう
身だし並は
気をつけています本当に
あんたから言われて
わかるけどね
もうこの歳になったら身だし並
もう花だらだら
こんな物して
歩かんように
綺麗にしておく
ってことが大事なんだ
もう今気にしているっていうのは
どこに出るときもお化粧はするし
こういうの
身だし並さ
1:09:01
歳いったら
これが一番だはずよ歳いったら
元気に見えるしね
あんた方でも
綺麗にしたら相当美人になるよ
綺麗にしてるさ
衣装してるよ一応
衣装してるよちゃんと
もうとにかくね
歳いったらあれだからね
思いっきりやりなさい
私はもう
子育てしながらね
先輩の姉さんにね
この人も
色も白くてとっても
綺麗かったわけよ
独身で
安ちゃん
足にプリームぐらいはつけなさい
って言われたことある
それぐらいもう雑
忙しくて
今になって
こうなってるわけよ
自分のことに
余裕が出てきた
それで今は
一人であるし
またナンパされるんじゃん
いろんな人に
話しかけられる
じゃあ見出し並みを
整えるように
頑張ります
若いうちにね
若いうちにしかオシャレもできないし
見出し並みは別としてさ
若いうちにも
やることいっぱいや
安くて
もうできるんだね
化粧品で
韓国から入ってあれは
1000円ぐらいで買えるよ
安さを
みんな1000円ぐらい
あれして
高いのはあんまり買わんよ
メーカー品はあんまり
揃えて買ったことない
宣伝して
通販もね
綺麗に綺麗に
綺麗けどさ
もっと綺麗にしなさい
頑張ります
オシャレして
じゃあ今日は
いろんな話を聞かせてくれて
ありがとうございます
これも入ってるわけ?
ずっと撮ってたよ
秋さみよ
水飲んだ
話も入ってる
アヤンさんも
でも普段
聞けないから今は
今の若い人たちは
じゃあ
とりあえず
私たちはちゃんと
身だし並みを
整えてから毎日
化粧して生きていきます
綺麗にして
1:12:03
綺麗にして
じゃあ今日はありがとうございました
ありがとうございました
どうもありがとうございました
いろんな話
いっぱいあるけどね
1日かかるさ
全部聞いたらね
いっぱいあるだろうから
こういう話と思わなかったよ
ちょっともう
すぐ
ヤンバルまで行って帰ってきて
終わりと思って
終わりでもいいけど
ちゃんと
いっぱい聞けてよかったです
何でもいいんだよ内容は
もう脳なしの話聞いて
何回言えば
若い人とばっかりいるから
こういう年上の人と
お話しできる機会はすごく
ありがたいです
ありがとうございました
どうもありがとうございました
いただの話
楽しかった
That's all for today
Bye
世界中の皆さんに
ありがとうございました
01:13:23

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