1. メタ音声配信ラジオ
  2. スティーブ・ジョブズが生きて..
2024-12-09 16:54

スティーブ・ジョブズが生きていたら「Think Different」とは言わない


---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5e86845e35414a1b15a1cf7a
00:02
こんにちは、いわみです。
12月9日の月曜日、いかがお過ごしでしょうか。
昨日、今日ぐらいですかね。いつも言ってますけど寒くてね。
パソコン作業してるとね、指先が冷えてね、いろいろ動いたりしていますが、皆さんもお元気にしていますでしょうか。
今日も短くテーマについて話してみたいと思うんですが、
今日話してみたいことは、考えるということについて思っていることを話します。
誰しも何かを考えているわけですけど、僕がこれを話そうと思ったきっかけというか、が今日はですね。
僕は以前から自分のTwitterXのプロフィールにですね、考えることが好きですよみたいなことを書いていたんですよ。
書いたことは忘れていたんですけど、この間ちょっと自分のプロフィールを見てみたら冒頭に書いてあって、
なんかちょっと痛いかなと思って若干書き換えたんですけど、それで書き換えるときにね、
考えるってどういうことで、なんで自分は考えることが好きなのかなと思ったので、
自分が考えることについてどう思っているのかということですけど、
これは仕事に関してなんですけど、今その文章を僕は書く仕事がメインになりつつあるんですが、
この文章を書く仕事っていうのは突き詰めて考えると何をしているのかなっていうと、
これは僕の意見ですけど、誰かの代わりに考えている。
誰かの代わりに考えてあげる仕事なんじゃないかなっていうことを思ったんですよ。
これはどういうことかというと、最初にも言ったように別に何も考えていない人っていうのはいなくて、
みんな何かしら考えているわけだけど、その考えたことっていうのを誰かに伝えるときにはやっぱり言語が必要なわけですよね。
何が美味しかったとか、今日が暑い寒いみたいなのは別に誰でも言えるんだけど、
ちょっと複雑なこととか、いろんなその多面的な様子が絡み合う出来事っていうのは、
考えることっていうか言語化するときにちょっとした技術みたいなのがいると思うんですよ。
それは今何を取り上げたいかっていうことを決めて、それ以外を落とすっていうね、
集約するというか要約するみたいなことなんですけど、
それをやるにはそれなりのトレーニングというか技術みたいなのが必要で、
それが結局はライターとか物書きと言われる人の仕事なんじゃないかなと思ったんですよ。
ライターにおける仕事の概要みたいなことで、多分創作とか小説とかそういうものとはちょっと違うと思います。
03:01
エッセイとかともちょっと違いますね。
もっと現実的なライターっていう人が何をしているのかっていうと、
元々ある出来事とか元々あるものに対してまとめて言語化が苦手というか、
考えることが苦手って言ってもいいかもしれませんけど、
そういう人たちのために代わりに考える。
考えることって楽しいことでもあるけど、やっぱり結構大変だし、
疲れているときっていうのはあんまりその難しいことを考えられなくなったりしますよね。
それでも何か知りたいこととか、ちゃんと言語化して知りたいなっていう欲求はあって、
多分それがライターにおけるニーズなんですよね。
今でもGoogle検索でいろんな記事を読む人っていると思いますけど、
知りたいことを検索して記事を読むっていうのはね、
ほとんどがいまいちよく分かっていないことというか、
なんとなく分かっているけどもうちょっと詳しく知りたいみたいなことを知識を補強するというか、
考えをまとめるというか、そういうために利用する人って結構多いと思うんですけど、
そのときにですね、ある程度その系統的にまとまって文章になったものを読むと、
なんとなくその要点が分かることがあると思います。
例えばニュースなんて、ニュースの解説なんてこれの最大のものというか、
これはニュース解説するのは別にライターというよりも専門家とかジャーナリストの仕事だと思うんですけど、
彼らが何をやっているか、もっと言うと何を仕事にして、
何を売ってお金を儲けているのかっていう点で見ると、やっぱりこれは人の代わりに
考えることだと思うんですよね。ここで言う考えるというのは、
そのすごい雑多な無数の情報とか状況があって、
その中から何が重要なのかというのを抜き出して、それのみについて書き出す。
順番とかそぎ落とすものとか書き方とかね、それを考える。
それは要するに思考をしている。
僕はニュースの解説みたいなのは書かないですけど、構造としては同じなんですよね。
何かの一つの現象というかテーマみたいなのがあって、
それについて何を書くか決めて、どうやって書くかを決めるって考えて書くっていうことはですね、
これやってみて気づいたことが一つあるんですけど、
それはですね、ニュースの解説というか、
ニュースの解説というか、ニュースの解説というか、
やってみて気づいたことが一つあるんですけど、
それはですね、正解がないっていうことなんですよ。
これは聞いてみると当たり前のように思えるかもしれないけど、
これは僕の中では結構奥深いテーマで、
これ正解がないっていうのはどういうことかっていうと、
何を言っても基本的に間違いってことはないっていうことなんですよ。
06:01
もちろん事実的な、何が2020年にコロナが起きたっていうのか、
21年にコロナが起きたって言ったらそれは間違いですけど、
そういうことじゃなくて、何て言うんだろうな、
客観的な事実以外においては、
いろんな側面があるから間違いになることってほとんどないんですよ。
これはね、僕にとってはちょっとした発見というか、
割とびっくりしたことでもあるんですけど、
それでちょっと話をもう一段進めて、
その客観的な事実については間違いがあるって言いましたけど、
その客観的な事実をどうやって並べて何を導き出すかっていうのは、
それはね、もう書き手の考え方に完全に依存するんで、
そこにもやっぱり間違いっていうのはないんですよね。
それが受け入れられるかどうかっていうのはまた別の問題ですけど、
でもどういうストーリーを作って何を提示して何を主張するかっていうのは、
本当に完全に自由なんですよね。
これはね、ちょっとうまく説明するのが難しいんですけど、
考えることにおいて間違いっていうのはないんだなっていうことだけを言いたかったわけなんですが、
それでちょっと思い出したことがある。
THINK DIFFERENTっていう言葉が、キャッチコピーみたいなのがあったんですよ。
これ僕と同じくらいの年代か、多分30代40代くらいの人だったら何となく見に覚えがあると思うんですけど、
これは確かね、Appleの昔のCMですね。
多分テレビCMでAppleのiMacとかiPodとかもあったかな。
そういうのはテレビCMでやってるときに一番最後に、
リンゴマークのロゴとAppleみたいなのが出てくるときに、
確かにTHINK DIFFERENTっていうキャッチコピーが流れているときがあったんですよね。
これは今はどうかわからないけど、多分Appleのキャッチコピーでもあると同時に、
会社的なテーマ、コンセプトでもあるのかなと思うんですが、
THINK DIFFERENTって日本語で言うと、
違うように考える、人とは違う考えを持ってみたいな、
そういうことになると思いますが、
今から20年以上前のこのCMのキャッチコピーに、
今更文句を言うのもどうかと思いますけど、
THINK DIFFERENTって語義矛盾が生じてるなって、今となっては思いますよね。
どう語義矛盾なのかというと、
僕がさっき言ったことなんですけど、
考えることに同じことはないというか、間違いがない、
正解じゃないものはありえないということなので、
その論点でいくと、
違わない考え方、
DIFFERENTじゃないTHINKっていうのはないんだよっていうね、
09:03
今ルー大芝みたいになりましたけど、
DIFFERENT、違う、DIFFERENTにならない思考っていうのは、
本来存在しないわけで、
同じことを言いたいのであれば、
DIFFERENTじゃなくて、ちゃんとTHINKしろよっていう、
ちゃんと自分の考えを持てよっていうね、
多分それに尽きると思うんですよね。
そういうキャッチコピーとかを考える人が、
当時はあまりいなかったから、
だからDIFFERENTっていう言葉を使ったと思うけど、
多分ですけど、もしスティーブ・ジョブスがまだ生きてて、
今同じようなキャッチコピーを出すとしたら、
多分DIFFERENTとは言わなかったんじゃないかなってね、
勝手に想像するんですよ。
なんていうかわかんないけど、
とにかくTHINKは考えることは言うかもしれないけど、
DIFFERENTじゃなくて、
もっと違う言葉を使ったんじゃないかなと思ったりします。
どんどん話が脱線しますけど、
これは個性というのも多分同じことですよね。
特に日本の教育ですかね、
学校とかの教育の場で個性を大切にするとかね、
言われて、これも赤の付いた言葉だし、
それを批判するための言葉にすら赤が付きまくって、
今更言うことじゃないかもしれないけど、
でもやっぱり個性を伸ばすとか、
それも語義矛盾だなと思いますよね。
個性っていうのは基本的に別に作ろうと思って作るものじゃなくて、
みんなそれぞれあるものですから、
染色体みたいなものだと僕は思っていますから、
だから個性がこの人はないなって思う人は、
その人に個性がないんじゃなくて、
それを見ている人にその見分けがつかないっていうね、
それだけの話ですよね。
だからそれは見られている当事者じゃなくて、
観察している方の、見ている方の感性に問題があるっていうのが
僕の考え方ですけど、
そうは言っても、やっぱりね、
僕から見てもこの人個性がないなって思う人は、
やっぱりいるんですよ、例えば。
あんまりピンポイントで例を出しても角が立つので、
別にあんまり聞いていないでしょうけど、
だからちょっと丸めて言うと、
例えばね、僕から見て個性がない人っていうのはどういう人かっていうと、
大きな企業に勤めているサラリーマンっていうのは、
僕から見るとね、みんな同じに見えてしまうっていうのはね、正直ありますね。
これは別に、
見た目とか服装ね、別にスーツを着てる着てないとかっていうよりも、
なんかね、やっぱり考え方なんですよね。
それでもちろんね、こういう反論というか、
別にそういう人にだって個性はあるじゃないかっていうのは、
思う人はいるかもしれませんし、
確かにその通りなんですけど、
僕はなぜそういう人たちを見て個性がないのかって思うかっていうと、
その人たちの固有の違いに、
その人たちの個性の違いに、
僕がね、興味を持てないからなんですよね。
簡単に僕が興味が、
言い換えるとですね、
12:02
僕が興味を持って知りたいことを、
彼らは興味を持っていないというか、
彼らは持っていないということですよね。
僕が興味を持っているのは、
彼らっていうね、ちょっと大雑把にしすぎかもしれませんけど、
ここはね、ちょっとお許しいただいて、
大企業サラリーマンが持っているものは、
僕にとってはもうね、今となっては
不要というか、
今さらそれを知ってもね、
僕の利益にはならないなっていう、
割と厳禁な理由なんですけど、
例えばさっきの生徒を見てね、
個性を大事にしろとか、個性がないっていうね、
大人たちの視線っていうのは、
僕から見て、
大企業サラリーマンを見るときの個性がないなって思うのと、
同じ構造だとすると、
ここで起こっているのは何かっていうと、
やっぱりそのね、見られている方の本人、
当事者たちに問題があるんじゃなくて、
見ている方に興味がないからっていうね、
こっちの方向性だと思うんですね。
今、もしこれを聞いている人の中で、
多分いないと思いますけど、
大きな企業に勤めているサラリーマンの方がいたらですね、
思うと思うんですけど、
確かにそれその通りなんですよね。
僕はその人たちというか、あなた方のことをあまりちゃんと見ていないから、
だからみんな同じに見えるだけで、
本当はよく見て、よく話して聞いてみたら、
みんなそれぞれ違うね、特性を持って、
同じ会社に勤めていても、同じような規模の会社に勤めていても、
もちろん違いがあるし、
それは個性になるわけですけど、
見ている方の僕には、
情熱がないというか、興味がないというか、
そういうことだと思うんですよね。
だからこの構造そのまま先ほどの先生とか、
大人と子どもの対象というか、
関係性に置き換えてみると、
子どもを見て個性がないっていう人は、
だから多分子どもに興味がない人ですよね。
そっちの方が問題だなと思って、
僕は今一応親になってね、
子どもがいるし、
子どもの友達とかもいるけど、
特徴とかね、
四国の子どもはちょっとこういう特徴があるよなとか、
喋る言葉とかね、
男の子と女の子とか、
いろんな類似点みたいなのはあるけど、
でもそれを抜きにしても、
それを入れるとしても、
やっぱりそれぞれの子どもに特徴があるし、
やっぱり何回か会ったら忘れない、
こういう子だなっていうのをやっぱり見ますよね。
それはやっぱり僕は今、
小さい子どもに多少なりとも興味があって、
観察しているからだと思うんですよ。
15:01
考えることからちょっと脱線しましたけど、
言っていることは、
言いたいことは同じなのかなと。
だからその個性がね、
個性がないっていうのは本人の問題じゃなくて、
観察者の方の興味の問題だっていう、
そういうことと、
僕がやっている仕事っていうのは、
文章を書くことでもあるんだけど、
それは本質的なところで言うと、
書くことっていうよりも、むしろ考えるところで、
何を書くかっていうのは何を考えるかっていうことと、
ほぼ同じ意味なんだなってことにですね、
気づいたっていうことで、
考えることにはですね、
同じ考えっていうのは基本的にはないわけで、
ルートがいっぱいあるんですよ。
同じことを同じ言葉で考えるにしても、
それが誰をどんな場所で言う、
どのタイミングで言うかによって、
全然その文脈というか変わるわけだから、
それもね、同じことを言っている人でも、
それをちゃんとその個性とか、
その人の特徴というか、
人お隣を知っていることで、
全然違うように見えるっていう、
ちょっと絞っちゃいましたけど、
何を言いたかったのかというと、
考えることにもですね、
その別に間違いっていうのはないわけだし、
基本的には何でも、
何でもありなんだっていうことをですね、
考えれば考えるほどね、
そのことに気づいたっていう、
そういう話でした。
ありがとうございました。終わります。
16:54

コメント

スクロール