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メタ音声配信ラジオ、こんにちは、いわみです。10月7日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
昨日はね、子供の幼稚園の運動会があったんですけど、
休みを取って、見てきたというか、参加をしてきたんですけど、
昨日、多分30度ぐらいあったんですよね。最近暑い暑い日ばっかり行ってますけど、
やっぱりその日中にあれだけ、日に当たることは最近あんまりなかったので、
結構それだけで疲れたというか、まぁ情けない話ですけど、
昨日だけでなんか首の周りが結構赤くなってたんで、焼けたなっていう感じですけど、はい、いかがお過ごしでしょうか。
今日はですね、ちょっと今読んでいる本で、
なるほどと思う箇所というか、箇所というか本当に一文なんですけど、あったのでそれについて短く話せればなと思います。
まずそれがですね、何の本かというと、サイロエフェクトというですね、
これちょっと、書いた本の人の名前は、今調べました。ジリアンテッドさんというですね、
経済史の編集長とかをされていた方で、社会学者でもあるのかな、そういう方が書いた本でですね、
どんな言葉かというと、タイトルにもあるようにですね、アウトサイダーにはパターンが見えるっていうですね、
これ普通に何というか、本の中に見出しとして出てきた言葉なんですけど、なぜかこの言葉がですね、僕には
かなり響いたというか、なるほどって思ったっていうことなんですけど、どこから話せばいいのかちょっとわかりませんけど、
その言葉の意味というか、どういう意味かというと、そのままなんですけど、
組織から外れた人間にはその、中側というか客観的に見ることができるっていう意味なんですけど、最初にこの本がどんな本なのかというとですね、
サイロエフェクトっていうタイトルなんですけど、サイロって、多分検索すると出てくるんですけど、なんかあの、小屋みたいな倉庫みたいな、なんか貯蔵する縦長の建物みたいな、
で、縦長の建物にいくつも分かれているみたいなことだと思うんですけど、これがどういうことかというと、その
本のサブタイトルは高度経済成長の罠みたいな、確かそんなタイトルなんですけど、
いろんな企業はですね、どんどんその成長して大きくなっていくと、そのサイロみたいにどんどん分かれていくっていう話なんですよね。
すごい専門化した集団が全部その、なんかプロジェクトというか、グループ会社とかに分かれて、その間の意思疎通がだんだんなくなっていくっていう、
それによっていろんな弊害がもたらされるみたいな、そういうことをですね、いろんな事例とともになるんですけど、僕2章ぐらいまで読んで、その2章はそのソニーだったんですけど、
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ソニーのタコツボっていうタイトルの章だったんですけど、これも結構面白かったですね。
あのソニーって1990年、もっと前かな、あのウォークマンを出した時に、
その時は本当に世界でトップみたいなですね、乱突で伸びていたわけですけど、その後、皆さんもご存知の通りというか、
音楽市場化はですね、iPad、iPadじゃない、iPodに完全にやられて、今は本当に見る限りもないっていう状態なんですけど、
そういうのがなぜ起こったのかというと、ソニーはですね、その1回のすごい成功体験で、タコツボというか、これがサイロっていうことですけど、
本当に細分化して、そこの意思疎通が全然なされなくなってしまったみたいな、そういうことですよね。
そういったそのサイロ化の弊害みたいのをいろんな事例とともになっているっていう、これもすごい面白い本なんですけど、結構前の本かな、10年ぐらい前の本だった気がしますけど、
それを読んでいるという話で、それで本題というか、そのアウトサイダーにはパターンが見えるということですね。
これ、なんていうかね、僕すごく腑に落ちたんですね、この言葉が。 この一言だけで、いろんなものがちょっと謎が解けたみたいな気がしたぐらい、ちょっと
腑に落ちたんですけど、 なぜそんな風に思ったのかなって思うと、割と僕にもですね、そういう
傾向があるなって思ったんですよね。今まで自分の性格の傾向として、
パターンを読みたくなるというか、 何でも俯瞰してみたくなる癖があるんですよね。
それと同時に、あまり一つの組織というか、人でも何でもグループでも染まりたくないというか、あまり
過度に近づきたくないっていう。 この言葉で言うと、アウトサイダーで
ありたがるみたいなところがあるんですね。 別に今の自分の
性格とかあり方をアウトサイダーとは僕は思ってないですけど、傾向として、なんていうか、
完全にインサイドにはなりたくないっていうのが常にどこかで働いている気がして、 これ、なぜこんな話をしようかなと思ったかというと、音声配信で
多分ですけど、僕の音声配信を聞いている方はですね、 なんとなく僕と同じ傾向を持った方が割と多いんじゃないかなって思って、つまりその
あんまり 主流派、メインストリームに染まらないというか、染まりたくないみたいな人は結構いて、
そういう人の全てではないかもしれないけど、結構やっぱ客観的にですね、
なんかその自分と切り離して物事を見る傾向っていうのがあると思うんですよね。
これは何か良い悪いあって、必ずしも良いことばかりじゃないし、必ずしも悪いことばかりでもないと思うんですけど、
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でもこうやって何か単純に言葉にされるとですね、
自分のその傾向みたいのが、逆にそのパターン化じゃないけど、俯瞰して見れるところがあったなっていう感じです。
それを子供の運動会と結びつけて話すわけじゃないですけど、 自分が子供の時とか、そういう学校とか生活している時って、こういう傾向って何というか、
あまり良い目を見ないというか、 そんなに何というか、
みんなと仲良くなれないっていう性格でもあるわけですよね。
昨日は子供の幼稚園の運動会で、なんか子供たちがダンスをしたりかけっこしたりしましたけど、
僕はああいうのに何かそんなに夢中になれないというか、どことなく冷めたというか、
できればやりたくないなぐらいの気持ちでいた記憶がありますけど、
うちの息子はどうかな、あんまり結構僕に似ているところはある気はしましたけど、それは関係ないんですけど、
子供の時はそういうアウトサイダー的な傾向はですね、あまりその、
何というか、楽しめないというか、
嫌な目に遭うことは多分多いと思うんですよね。少なくとも僕の場合は割とそういう、
特に学校ですね、中高とかそのぐらいの時に、
嫌な目に遭うというか、ことは多かったんですけど、
まあでも何というか、 それは一つのですね傾向であって別に何か性格的な欠陥とかでは
ないっていうのはまあ分かっていたし、 それが
一つのそのメリットとしてパターンが見えるようになる。
だからなんかその 大きなものの、自分が属している社会なのに何というかそれを俯瞰して外から
眺める視点を持つというのはですね、 悪いことじゃないよなって、そういう人間も必要だよなっていうことですね。
多分ですけど、まあこれは話を大きくするようですけど、 全体的な生物の集団としてこういう傾向を持った人間がいないとですね、
多分そういう集団ってのはあまりうまく回らないんじゃないかと思ってですね。
多分その全体的にそういう少数でも、 そういうアウトサイダー的な、
常にその俯瞰して見たがるような困った性格の奴がいないとですね、 集団っていうのはうまく回らないんじゃないかなとか
思ったりもしたというそんな話です。 あまりまとまりませんが今日はこんな感じで終わりにしたいと思います。
ご聞きいただいてありがとうございました。 良い一日をお過ごしください。さようなら。