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2024-10-07 20:02

感想回「オーダーメイド本体」


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フェスティナレンテ、この放送は、SWC、スロースウィズクリエイターズコミュニティメンバーのしらいがお送りします。
よろしくお願いします。
今日は、感想回ということで、オーダーメイド本体の放送した際にいただいた感想を元に放送していきたいと思います。
こちらの放送なんですけど、わーぱぱさんと涼太郎さんが、僕のコメント欄でたくさんの議論をしてくださっていたので、それを元に話していこうと思います。
早速行きます。
まずわーぱぱさんが、スロース君だとやっぱり自分って感じはしないですもん。
真上にヘリコプターが走っているので、もう一回言い直します。
わーぱぱさんが、スロース君だとやっぱり自分って感じはしないですもんね。
所有って感覚はありますが、自分とはやっぱり違う。
そこから先の感覚は、実際にオーダーメイド本体で体験してみないとなって思いました。
しかし、自分を言語化するのが難しすぎる。
それに対して涼太郎さんが、自分を言語化っていうか、自分のアイデンティティを言語化ってイメージなんですよね。
僕も別に自分がお猿だとは思っていないけど、アイデンティティを集合させたらお猿に行き着いたってイメージです。
それに対して涼太郎さんではなくわーぱぱさんが、やばい、違いがよくわからない。
実はアイデンティティという概念が全然理解できていないんですよね。
体感的にもよくわかっておらず、調べてみます。
ということで、それに対してさらに涼太郎さんが、自分イコール涼太郎一児の父、心理師、長男、国語が得意、30代男性とか、いわゆるプロフィール、客観的事実。
アイデンティティは、アイデンティティイコール家族を大切にしている。仕事が好き、考えることが好き。
自分にも他人にも嘘をつきたくない、ブッダに憧れているなど、自分の中でこれが失われたら、俺が俺でなくなるもの。
事故の根幹だと自分が認識しているものなど、つまり自分が自分に抱いている自己認識みたいなもの。
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いわゆる主観的事実みたいな感じかな。
と、涼太郎さんがおっしゃってます。
で、それに対してはパパさんが、失われたら自分ではないものか。
ラベルの集合体とも似て非なるものなんですよね。
自分が自分に抱いている自己認識か。
むずい。なんか頭では分かったけど、心ではよく分かっていない感覚です。
これみんな普通に持ってます?
みんな普通に持ってます?
実はアイデンティティを持つ重要性も分かっていないかっこ笑いってことを言ってますね。
なんかペッシーみたいな、ペッシーの役みたいなこと言ってますね。
頭では分かったけど、心ではよく分かっていない。
ワーパパさんペッシーみたいな、もうちょっとペッシー感覚を持っていただいて、
両太郎プロシュート兄貴の言葉を、言葉ではなく心で理解していただきたいんですけど、
ちょっとジョジョネタが過ぎましたんで話を戻しますね。
ワーパパさんが、ちょっとよく分かんないですって言って、
これ普通にみんな持ってますか?
いや実はアイデンティティを持つ重要性分かってないんですよねっていうことをおっしゃってて、
両太郎さんが、思春期に自分とは何者かということについて深く悩むとかのことをアイデンティティの拡散と言って、
思春期の発達課題として存在しているんですよね。
その拡散している自己認識を統合していくのがアイデンティティの確立です。
アイデンティティの拡散は、人が狭い世界から広い世界へ出ていく過程で、
俺って今のままでよかったんだっけとか思う気持ちが生むので、避けられないものだったりします。
一方でアイデンティティの確立は、私は世界一のアイドルになると決めて、
小学生の頃からアイドル活動をしているよとかいう人は早く確立できますし、
それがなかなか定まらずに自分とはというものを探し求めている人もいます。
これはどちらが良い悪いということではないです。
アイデンティティの確立が早すぎて困ることもあるし、遅すぎて困ることもあります。
続けて大事なのは、自分がその状況の自分を受け入れているという自己肯定感だったりもするので、
アイドルになりたいと思っている自分が好き、
自分とは何かを探している自分が好きと思えることが重要だったりする。
何なら自分は自己を探し求めている旅人なんだという思いこそがアイデンティティだったりもします。
こう難しいですよね。
それに対してAはポパさんが、
なるほど、ありがとうございます。
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自己肯定感はめっちゃあるのと、
思春期に自分とは何者なのかの悩みが多分ほとんどなかったので、
そもそも考える場面がなかったのかも。
今アイデンティティの説明動画をいくつか見てみたけど、
両太郎さんの説明が一番シンクっている感じがしますね。
それに対して両太郎さんが、
やっぱりプロの説明は違いますよねって自画自賛をしておられます。
両太郎さんが、やっぱりプロの説明は違うよねってことを言ってますね。
ここではね、両太郎さん。
さすがですね。さすが心理師ですね。分かりやすいです。
で、えーと続きますと、両太郎さんがさらにアイデンティティの悩みがほとんどないというのを
わーぱぱさんの人間性も加味して考えると、
多分わーぱぱさんってピュア。ピュアさ。かっこ柔軟性がすごいので、
わーなんかさっき言った通り、アイデンティティの悩みがほとんどないというのを
わーぱぱさんの人間性も加味して考えると、
わーなんかすごいっていうのを吸収しまくって、自分に吸収しようとした結果、
吸収できた分がわーぱぱさんを形成して、
吸収できなかった部分は実家に置いてあるみたいな感じだと思うんですよね。
例えばこんな本オススメだよって言われた本は全部買ったけど、
引っ越すたびに手元に置いてある本は5から10冊くらいで、
それ以外は実家に置いてあるみたいな感じです。
で、わーぱぱさんのすごいのは、実家に本がたくさんある状態を見て、
これは涼太郎さんが勧めてくれた本だ。
全部読まなかったけど読める時が来ると嬉しいなぁみたいに、
消化できそうなのがわーぱぱさんなのかなと思っています。
だから柔軟性と消化力が高いみたいなのがわーぱぱさんなのではないかなっていう風に
心理師涼太郎さんが分析されています。
この消化は昇る花と書いて消化力ですね。
それでこのように先ほどプロの説明は違うなってご自身でおっしゃっていた涼太郎さんが
わーぱぱさんを分析されています。
で、わーぱぱさんが続けていて、
たぶん思春期を狭い村で過ごして何も疑問に思わずにいたんですが、
それでも十分満足していたんですよね。
悩む余地がなかったという笑い。
これは聞いてみてよかったです。
マジでわからんってなっていたので、
プロさすがってわーぱぱさんもおっしゃっていて、
涼太郎さんが続けて、
なるほどだいぶ分析外れたなーって言ってます。
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外れましたねー。
外れたんですか?どうなんですか?
読んでてそんな当たらったものな感じがしてごらんないですけど、
涼太郎さんは分析外れたなーって言ってます。
続けてわーぱぱさんが、
リロード、スタイフだとリロードするまでにコメント反映されないからこんなことに、
確かにうまくいかなかったですね、掛け合いが。
わーぱぱさんなんですけど、
とにかくめちゃくちゃ褒めていただいて嬉しいです。
なんかそんな感じなのかも。
どうせ変化するのだから自分みたいのはないよね、
という感覚はすごくありました。
知識も立場もちょっと離れた場所に置いてあって、
必要に応じて手繰り寄せて使うみたいな、
なのでめっちゃ流動的でいいと思っています。
むしろ他者との関係の中で、相手から見た私の集合体が私って感覚かもです。
で、涼太郎さんが、
うおー、知らず知らずのうちにわーぱぱさんのアイデンティティがさざまりつつある流動性については、
僕も近しいが、
感覚があるので共感します。
他者との関係の中で、相手から見た私の集合体が私。
これ仏教の縁起、空の概念ですね。
すごい好きです。
わーぱぱさんって真面目ですよね。はい、真面目です。
わーぱぱさんって不真面目ですよね。はい、不真面目です。
人はどっちみちどちらに偏ることはなく、
あるいはどちらにも偏ることはなく、
人はどっちみちどちらに偏ることはなく、
あるいはどちらに偏りたいという、偏りたいと願う気持ちが自己を形成するので、
人から見られた時の自分が自分なんだという流動性のみを固定している感覚がわーぱぱさんなのかな。
となると、わーぱぱさんがオーダーメイド本体を作るなら、作るなら、蜘蛛かな。
蜘蛛って、自分は何者だという固定概念は、
微塵もないけど綿飴に見える。
いやいや、亀だよ。え、イルカじゃない?みたいな、
人によって捉え方が変わることを全部受け入れている気がするので、
蜘蛛だ。蜘蛛。蜘蛛しか勝たん。って言ってますね、涼太郎さんが。
で、それに対して、長い。
わーぱぱさんが、流動性が個性って言われるとなるほど、
これは当たり前のことだと思っていたので、
絶対に自分では気がつけない。
真面目も不真面目もどっちもハイです。
表現上手すぎる。
蜘蛛、確かにそれがアイデンティティなのかもですね。
これが自分なんだって固定したら、逆に自分じゃないかもです。
面白ー。えっと、涼太郎さんのテンションがめっちゃ高くなってるのもなんか楽しいです。
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他者が楽しいものが楽しいですよねー。
で、わーぱぱさんが言ってて、
涼太郎さんが、現状わーぱぱさんのことを蜘蛛だと思っている人はいないはずなので、
それを宣言できるオーダーメイド本体はやっぱりめちゃくちゃ魅力的ですね。
で、わーぱさんがそれに対して、
この話を白井さんのスタイフのコメント欄でしているのが一番間違いすぎてウケる。
で、涼太郎さんが大丈夫?この放送感想配信まだだからネタにしてくれるはず。
ってことで今ネタにしてます。
あーめちゃくちゃ脳乾く。一旦また飲もう。
っていう感じのことが、
この僕のスタイフのコメント欄で繰り広げられていました。
ちゃんとネタにさせていただいてます。ありがとうございます。
このアイデンティティ問題、ありますよねー。
ありますよねーって適当に言ってますけど。
アイデンティティ、どこだっけな。
涼太郎さんじゃなくてわーぱぱさんが、
アイデンティティ、持つ重要性は分かってないみたいなことを言ってた。
これですね。
頭では分かったけど心では分かっていない感覚です。
これみんな普通に持ってます?
実はアイデンティティを持つ重要性も分かってないってことなんで。
一応僕の方からも、
アイデンティティを持つ重要性、
軽く話したいと思います。
一応いろんな研究から、
アイデンティティを持つと人生がすごく改善するよっていう分析だったりが出てます。
具体的ではないですけど、どんなことがいいのかっていうのをちょっと列挙すると、
自己理解の向上、目的意識の向上、
自己肯定感の向上、
人間関係の改善、決断力の向上、ストレス体制の向上、
精神的な安定感の向上、自己成長の促進、中年期の危機への対処、
自己表現力の向上、
っていった感じでアイデンティティを改善すると、
いろんないいことがあるっぽいですね。
なのでアイデンティティ、個人的にめちゃくちゃ大事だと思いますよ。
アイデンティティっていうのは、結構戦略的に変えられる変数らしいんですね。
不動なものじゃなくて、変えられないものっていうわけではなく、
結構ふわっとしたものらしくて、
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意識的に変えることができるっぽいです。
これがヤバイ集中力っていう本で書いてあることなんですけど、
そこの内容としては、
人間、これまで神話だったり伝説だったり喜劇だったりを、
いろんな場面で語ってきて、
物語で物事を理解するっていうふうな脳の構造があるっぽいですね。
そういうふうに思っています。
それが何かっていうと、このような原因でこういう問題が起きましたって考えたほうが、
心の安らげを得ることができるかららしいです。
原初の最初の方の物語っていうのは、
無秩序への不安を和らげるバッファーとしてたたむというものなんですね。
その後、その後の物語が、
原初の最初の方の物語っていうのは、
無秩序への不安を和らげるバッファーとして誕生したみたいです。
そんな中でも、現代でもやっぱり物語っていうのは、
アイデンティティの構築機能として機能するらしいですね。
例えば、読書をしようと思って集中力が続かない、
そんな時に頑張って読み続けないといけないなって気合入れて、
何とか最後まで本を読み通すことができたとします。
これは素晴らしい成果ですけど、
一方でそれをすると依然として、
その人は自分のことを頑張りさえすれば本が読み通せる人間なのだっていうふうに
無意識に定義してしまっているらしいんですね。
こういう考え方をすると、
集中力が切れるために努力を強いることになって、
長期的には失敗に追われる可能性が高くなるらしいです。
なので、ここでは私は根本的に読書家なのだというふうに
自己を定義し直して、
もし集中が続かなそうな状況に襲われたとしても、
反射的に読書家という自己像を守ろうとする意識を働かせて、
本の内容に意識を戻す確率が上がるらしいです。
これは認知的不協和って呼ばれたりしますけど、
そんなふうにして自己を最低位することにより、
自分がなりたい自分へとなっていくっていう感じですね。
ここで言われているのが集中力アップに役立つ新たな物語を作って、
物語に沿った行動を続けていくということが言われています。
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ここも後で何らかの形でまとめようかなと思うんですけど、
これはけっこうケンスさんの物語思考にも同じような感じかなと思いました。
厳密に言うと違うかもしれないですけど、
アイデンティティは物語思考で言うところのキャラクターなのかなというふうに思います。
例えばこのキャラクターだったらこういう時こういう行動をするよねっていうのが
割とアイデンティティに近しいものがあったりして、
それによって物語を転がしていくっていうのが物語思考の考え方だと思います。
例えばそうだな、わーぱぱさんなので、
私は子供たちにやさしくする人間だっていうキャラクターアイデンティティを確立すれば、
どんな場面であっても、
こういう時に子供たちにやさしくする人間だったらどういう行動をとるかなっていうので、
行動が変わって、さらにそれをすることによって認知的不協和で
そういう逆の振る舞いがしづらくなっていってっていうのがありそうだなって漠然と思いました。
というので個人的にもやっぱりアイデンティティ大事だなって思うところであります。
何の話でしたっけ?
まあなんかそんな感じですね、今回は。
まあ感想会なのでそんなまとまってないですけど、
こんな感じで話してきました。
あーもうすごい20分も話してるわ。
はい、というわけでこの辺りで失礼したいと思います。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
それではみなさんスロスロスロース。
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