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こんにちは、いわみです。
10月11日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日もいい天気ですが、うちの子供はね、小学校の遠足が今日あって、近くにある動物園にね、今日は遠足行ってますね。
多分ちょっと早めに帰ってくる日だった気がしますけど、まだ大丈夫です。
高知の中で結構大きい動物園というか、一回行ったことあるんですよ、家族で。
すごい、なんて言うんでしょうね、上野とかに比べると、悪く言うと寂れてるんだけど、僕はね、すごいいい動物園だなと思ったんですよ。
何がっていうとね、野市動物園っていうね、割と高知の中だと有名というか、高知の動物園といえばっていう感じなんですけど、
いろんな動物がもちろんいるわけですけど、あんまり人は東京とかに比べると少ないんで、ゆっくり見れるんですよね。
動物園の楽しみ方って僕はこういうことだなっていうのをね、この年になって初めて楽しみ方がわかったなってその時思って、
上野の動物園っていうのは日本でも有数の混んでる動物園だと思いますけど、あんまり楽しめなかったというか、パンダなんて本当にだから一瞬じゃないですか、パンダ見たかなっていうぐらいの感じですけど、
そういうんじゃなくてもっとね、本当にボケーっと動物を眺めるっていうのは、これは動物園の楽しみ方の醍醐味だなって僕は思ったんですよ。
特にね、僕は好きだったのはチンパンジーなんですけど、この話前もしたかな。
チンパンジーの群れをベンチに座ってボケーっと眺めているとね、人間社会の宿図を見ているようでね、すごいなんか思考がいろいろぐるぐる巡って楽しかった記憶があるんで、
またその仕事とかにいつもあったらね、一人でも動物園行こうかなって思ったぐらいね、この間行った時は楽しかったんですが、子どもたちはそんなこと気にせず、ただキャッキャ言ってね。
何が人気なんでしょうね。ライオンとかって結構つまんないですよね。つまんないって言っちゃ悪いけど、あんまりね、結構寝てたりするし、カンガルーもね、あんまりあれだし、まあいいや。
そんな感じでやっていこうと思います。
今日話してみたいことは、仕事に対するこだわりみたいなことについてちょっと考えたことがあったので、自分の頭をまとめる意味も込めて、なるべくキュッとね、ダラダラ喋らずに短く喋ってみようと思います。
まずね、これ、何でこんなことを喋ったのか考えたのかって言うと、一応ね、僕の中ではきっかけがあって、一個映画を見たんですよ、久しぶりに。
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アマゾンプライムで入っているので、映画がいろいろ見れるわけですけど、あんまりその時間がなくて、ウォッチリストには入っているんだけど、全然見てなかったんですが、その中でこの間ちょっと時間があったので、ボヘミアンラプソディー、クイーンの映画ですね、あれをやっと見たんですよ、初めて見ました。
もう多分3、4年、5年ぐらい経っているのかな。一時期すごい話題になりましたけど、見よう見ようと思っていたやつがようやく見れたわけですが、映画自体は面白かったんですけど、その中でね、一個心に残ったわけじゃなくて、ちょっと引っかかったというか、全然本筋と関係ないところでね、引っかかったところがあって、
そういうことはありますよね。結構映画とか見ていると、今の自分の状況にヒットするというか、考えさせられるセリフとか場面があったりして、まさにそれがあったんですけど、どんなシーンかというと、クイーン4人バンドですけど、ボーカルがフレディ・マーキュリー、これ芸名ですけど、フレディが一回脱退するというか、ソロになる場面があるんですよ。
クイーンがすごい売れてきて、本当にアルバムが立て続けにミリオンヒットとかしていて、絶頂の時にソロにならないかという別のレコード会社からものすごい高額のオファーが来てね、初めは断るんだけど、何かいろいろあって、フレディはそれを受けてアルバム2枚の契約を、確か400万ドルとかの契約でね、今でいうと多分10億円近いかもしれないですけど、
そういうね、破格のオファーを受けてアルバムを作るわけですよ。その時に、やりながらフレディはね、何か違うなってことを思って、結局アルバムは作るけど、クイーンに戻りたいというか、クイーンをもう一回やりたいっていうのをね、メンバーに向かって訴えかけるね。
これが悪かったっていう場面があるんですよ。その中でね、スタジオミュージシャンっていう、だからバンドのメンバーというよりもソロの場合は、他のメンバーはみんなね、雇われミュージシャンですから、そいつらのね、やっていて本当につまんなかったっていう話をしていて、何がつまんなかったかっていうと、こっちがね、ダメ出しとか文句を言っても、もう嫌な顔を一つせず、全部従うんだっていうね。
こんなにつまらないことはないみたいな話をしてたんですよ。
あのね、何て言うだろう、想像つきますかね。
僕は自分でもバンドやってた経験があるんで、すごくよくわかるんですけど、バンドのメンバーだとね、そのね、やっぱり当たり前ですけど、ぶつかるんですよね。
基本的に対等でやってるから、ここはこうした方がいいんじゃないかって言われて、そういう風になるほどってそういう風にする時もあるんだけど、やっぱりそういうのが続くとね、いや、俺はこう思うとか、
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俺はこっちがいいんだっていう画を通す場面ってももちろんあるわけですよ。
これどっちが良い悪いとかじゃなくて、お互いの関係性にもよると思うんですけど、バンドの場合は基本的に対等だし、ソロアーティストとスタジオミュージシャンの場合は対等じゃないっていうことなんですけど、
僕はそれで何を思ったかっていうと、そのシーンを見て、俺は今完全にこのスタジオミュージシャン的な働き方をしているなっていうのを思ったんですよ。
別にこれが良い悪いとかじゃなくて、ちょっとね、ふと全然関係ない映画のシーンを見る中で、そういえば俺は今そういう価値観で生きてるなってことを思い当たって、
どういうことかというと、僕は今やってるのは音楽じゃなくて、ライティングとかライターとしての仕事が多いですが、
頼まれて文章を書いていると、後から修正依頼とかね、ここはこうしてくれっていうのは結構入るんですよ。
全然入んない人もいるし、後はこっちで適当に変えておきますっていうこともあるんだけど、
基本的にちゃんとしたクライアントであればあるほど、しつこく修正を求めてくるっていうところはありますね。
これはバンドと一緒にすることはできないけれど、より良いものを作り上げようっていう姿勢があるからこそ修正が入るわけですよね。
それで、基本的に僕のスタンスとしては修正依頼があれば応じますよね。
それはできませんって言ったことはないですね。
これはどうなのかなって、変えない方がいいんじゃないかなとか、もしくはそんな細かいことを言うんですかみたいなことはあるけど、
そう言っても別に始まらないし、こっちはお金をもらってやっているわけだから、
そんなに別にね、はいわかりましたって大体やるわけですけど、難しいんですけど言い方が。
結論から言ってしまうと、外部からのフィードバックを受け入れることと、
自分の仕事に誇りを持っているか持たないかってことは、これ似ているようで繋がるんだけど、でも結構別物だなって思ったんですよ。
さっきのクイーンの映画の例で言うと、スタジオミュージシャンにその演奏をこういうふうにしてくれって言われて、
スタジオミュージシャンは基本的に嫌な顔を一つせず、はいわかりましたってそれに従うわけですよ。
それはプロとしてはプロの仕事なわけですけど、
フレディからするとスタジオミュージシャンは自分の仕事に誇りを持っていないと見えるわけですよ。
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その結果いいものもできないし、適当というかまあまあのものしかできないから、
それ以上のものを求めるにはみんながみんな自分の仕事に誇りを持ってガチンコで仕事をしないとそれを超えるものはできない。
これは音楽だからというか芸術だからというところはありますけど、
この仕組みというか構造っていうのは結構いろんな仕事に言えることだなと思っていて、
もっと言うと多分仕事を全般に言える話だなと思ったんです。
指示を出す人がいて、その人の指示に全部従って、それをいかに最短時間で正解を出すかみたいな仕事の方法は、
効率もいいし摩擦も起きないだけれど、そこそこのものしかできないということですよね。
対してバンドみたいな、それぞれがお互いが言いたいことを言い合って、
俺はこう思うとかね、揉めたりとかすることもあるんだけど、
それはすごく非効率だし、場合によっては完成をしないことも完成せずにバラバラになっちゃうこともあるんだけど、
一定程度のラインを超えるものを作るんだったら、多分そのやり方じゃないとたどり着けないんですよね、基本的には。
それを自分の今やってる仕事と照らし合わせて考えるのはちょっと筋違いな気もするんですけど、
どうしても考えてしまうんですよね。
文章を書くっていうのは割と個人的だし、結構自分の裁量に任されている部分があるから、
やりようによっては自分の仕事に誇りを持てることでもあるんだけど、
でも修正依頼があると、わかりましたって応じるわけですよね。
でも別に僕はそれが悪いことと今思っていなくて、
これすごい微妙なところなんで、どっちとも言えるんですけど、
修正に文句も言わず従うっていうのは、ある意味で僕はね、
その部分を誇りに思っている部分もあるんですよ。
なんていうんだろうな、こだわりを持たないことを誇らしく思っているっていうね。
なんでそれを思うのかっていうと、以前はあんまりそうじゃなかったんですよね。
ちょっと前はそういう細かいところで指摘されると、
ちょっとムッときちゃったりとか、文章とかにも出ちゃったりすることもあったかもしれないけど、
やっぱり数をこなしていくと、そういうのが些細なものに思えてくるわけですね。
別に言葉のチョイスとか、順番とかタイトルでもそうですけど、
そういうものをこうしてくださいって言われるときに、
結局は多分クライアントの方が偉いわけだから、こういう仕事の場合だと従っていたわけだけど、
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その時に自分の心が揺れるか揺れないかみたいなところで、
揺れない方が効率的だし、僕はそれを回数をこなしていくにしたがって、
そういうメンタルみたいなものを手に入れていったわけですけど、
ある意味でそれはプロとして上達してきたというか、レベルアップをしてきたところで、
そこを誇らしく思うのは僕は間違ってはいないと思うんですけど、
ある時にふと思うと、それじゃあ別に自分がその仕事をする意味がどこにあるんだろうという考え方も、
また芽生えるというかできるわけなんですね。
自分の仕事という誇りみたいなものをどこに持つかということですよね。
前はもっと細かいところに自分が考えて決めたことに誇りを持って、
そこに文句とかチャチャを入れられると腹を立てていた部分もあったけど、
今思うとそれは結構未熟だったなと思っていて、
プロだったらそんなの、注文があったら直すのがプロの仕事だというふうに今思っていて、
それはそれで間違っていないと思うんだけど、
そればっかりになってしまうというか、
何でも言うことを聞いてしまうような方向性になると、
それはそれで見失うものがありそうだなということをふと思ったということです。
ちょっとだけまとめてみると、仕事をしていく中で、
こだわりを持つポイントというのはだんだん変わってくるわけです。
初めの1年目とか、もっと駆け出しの頃は、
すごい細かいところに誇りを持って、そこに執着していたわけだけど、
だんだん長いことをやっていくにしたがって、
その細かいところには別に執着せずに、
もっと大きなところで仕事の進め方とか、
いかに効率よく仕事をこなすというか、
同じクオリティのやつをどのくらいの短い時間で出せるようになるかとか、
そういうもう少し大きな流れの中で、
自分の仕事に対して、こだわりというか誇りを持てるようになるわけだけど、
そこに力点を置きすぎると、その細部が無頓着になりすぎる。
さっきも言ったように、細部にそんなにこだわらないというのも、
一つのプロのやり方ではあるんだけど、
でもまた一方でというか、神は細部に宿るって言うじゃないですか。
これも真実なんですよね。神は細部に宿るっていうのは本当にそうだなって思っていて、
大きな流れっていうのは基本的には多くの人が目にする大事な部分であるんだけど、
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それをさらに80点を100点とか90点にしていくには、やっぱり細部をすごいこだわる必要があって、
その仕事の仕方は、このクライアントの仕事では多分果たせないなっていうのも、
今一気に結論が変わりましたけど、そういうことも思ったわけですよ。
要するに僕が今やっている仕事っていうのは、基本的には自分の名前がつかない、
記名がつかない、誰が書いているのかわからないような文章をひたすら量産しているような仕事なわけですけど、
その仕事をしている中で自分のこだわりを持つっていうのは、言ってみれば意味がないというか、
ある意味あんまり賢いやり方ではないですよね。
でもその世の中には自分の名前を出して文章を書いている人がいるわけですから、
そうなってくるとその細部にこだわらないっていうのは逆に良くないというか、
それは自分の仕事にとってマイナスに働いてしまうわけだから。
結論、また別の結論ではないけど、基本的に仕事の上達の仕方とこだわりポイントの流れみたいなのがあるなと思う。
3段階ぐらいで分けてみると、最初のかけ出しの段階は自分の仕事の足元の部分しか見えていなくて、
本当に細かいところにこだわって、そこしか見ていないという段階ですよね。
それがだんだん慣れてくると、その細かい足元の部分は見なくて、
もう少し遠くの景色を見ながら方向性とか、いかに早く仕事を済ませるみたいな、
そういうことになっていて、それはレベルはアップしているわけですけど、
かけ出しの時に比べたら。でもそれを続けていくと、このままでいいのかなという疑問みたいなのが芽生えてきて、
その次の3段階目になると、もう一度足元を見直して、細かいところをちゃんと整えていったりとか、
細部にすごいこだわりを持つ必要が出てくる。
それはだから、さらに初級、中級、上級とかで言ったら、上級者の働き方というか、上級者の仕事のスタンスですよね。
僕は言ってみてもまだ2年目とかなので、専属になって専業になってね。
だからまあ、よく言っても中級の中の下ぐらいなわけですけど、
どうせこの仕事を続けていくんだったら、やっぱり上級を目指していきたいなと思ったっていうね。
結論はここかもしれないですね。
あとね、この仕事をしていく中でのモチベーションと、あとそのお金の面っていうのもね、
これも2つの側面というか2つの軸があって、
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とりあえず生活費を稼がなきゃいけないような段階だと、やっぱりその細かいことを言ってらんないから、
とにかく数をこなさなきゃいけない段階っていうのはやっぱりあるわけですよ。
僕は今まさにそういう段階を経ているわけですけど、
うまいこと言ってというか、軌道に乗ってその生活をするのにはそんなに困らないぐらいの仕事が得られるようになってきたら、
その次の段階としてね、質を高める仕事に重点を置いていきたいなと。
それの何がいいのかっていうと、その仕事の質が上がるっていうのももちろんそうなんだけど、
やっぱりそういうやり方じゃないとやっぱり基本的に続かないような気がしたんですよね。
要するにその細部にこだわらずにひたすら数をこなせるようになるっていうのは、
お金の面でいうと稼げるようになる。仕事をすればするだけお金が入る仕事であれば効率はいいわけですけど、
それだと結構モチベーションがもしかしたら続かないかもしれないなっていうことも同時に思うんですよね。
だから駆け出しの時に足元から始まって、次に遠くの景色を見る段階に行って、
最終的にはまた足元を踏み固めるというか、足元にこだわる時期に戻っていくんだなと、
ちょっと不思議な感じもするんですが、そんなことを思いました。
今日の話はこれで終わりです。ありがとうございました。良い1日をお過ごしください。さようなら。