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こんにちは、いわみです。
10月15日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
3連休が終わって、今日から平日仕事という方も多いのではと思いますが、
うちも子供がいるので、同日月といろいろ家族で過ごしたりして、
この休み中は結構外に行きましたね。
また海に釣りに行ったりとか、子供の野球教室みたいのを地域でやってるやつがあって、
それに参加してみたりとか、子供が野球に興味があるって、
ボール投げたりバッと振り回したりするのは、たぶん楽しいですよね。
それで、たまたま立派な野球場があって、公式の女子チームの人たちが
ちびっ子に教えてくれるっていう、うってつけのイベントがあったので行ってきたんですけど、
何を言いたいのかというと、最近めちゃめちゃ暑いですねって、いつも天気の話を結局言いたかっただけなんですけど、
日差しが痛いんですよね。さっきも昼前に走ってきたんですけど、
夏よりも日差しが暑いなというか痛い気がするのは、これは四国特有のものだと思いますが、
野球の話にちょっと続けてみると、市民というか町だから町立の球場に行ったわけですけど、
あんまり球場に入っていろいろ運動したりするっていう経験を僕は持たなかったので、
ああいう広いグラウンドで、僕は基本的に見てるだけですけど、子どもたちがやってるのを、
でも球場っていうのは結構心地のいい場所だなって思いましたね。
やっぱり観客席から見てるのと、実際に中にいているのとはちょっと違うなと思って。
ただ僕は野球のグラウンドというか、野球場に行くといつも思い出してしまう映画というか小説というか、
お話があって、それがシューレスジョーという小説だとシューレスジョーで、
映画の方が有名ですかね、フィールドオブドリームスって、僕はあの映画とても好きなんですけど、
あれは基本的に野球場にまつわる話で、主人公はアメリカ人のアイオワの人なんですけど、
天から声が聞こえてきて、それで自分だけで野球場をね、
トウモロコシ畑を潰して野球場を作り始めるっていう、これだけ聞くと結構言っちゃってる人の話なんですけど、
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僕はあの話がとても好きで、本当に英語版の小説を書いてね、自分でちょっと翻訳してみようかなって
試してみたこともあるぐらいあの話が好きなんですが、そんな話はいいとして、
今日話してみたいことは、野球と全然関係ない話で、この間ふと思ったことを広げてみようと思います。
何の話かというと、つまらない話の共通点みたいなことを話してみたいと思います。
つまらない話。
世の中にはいろんな人がいろんな話をしますけど、大きく分けると、面白い話とつまらない話に分けられなくはないっていうぐらいのね、
そんなに厳密には分けられないし、どっちでもない話だってあるかもしれないけど、
でもやっぱりね、この人の話はあんまり面白くないなとか、この話はあんまり聞いてられないなっていうのは間違いなくあると思うんですよ。
それは人によってね、同じ話を聞いても面白く感じたりとか、つまらなく感じたりっていうことはあるかもしれないけど、
それを超えてというか、結構ある程度普遍性を持ってつまらない話っていうのは絶対あるなと僕は思っているんですよ。
今日はそれについてちょっとだけ考えてみたいと思うので、興味がある方は10分ほどお付き合いください。
先に結論みたいなことを言ってしまうと、つまらない話に共通していることは何かっていうとですね、
簡単に言うと、見も蓋もない言い方ですけど、ひねりがない話が僕はつまらないなというのが、これは僕の結論なんですけど、
それだけだとちょっと分からないので、ひねりっていうのは何なのかっていうと、ちょっとややこしい話になるかもしれないけど、
聞いている人に何らかの考えさせる余地を与える話かどうかっていうのが僕は大事だと思うんですよ。
ユーモアって言うじゃないですか、ユーモアって面白いことね、ユーモアがあるとか言いますけど、
ユーモアってどういうことなのかっていうのを突き詰めて考えてみると、別に突き詰めなくてもいいかもしれないけど、
ユーモアって別の言葉で言い換えると、どういう聞き手に何を思わせるかっていう、笑わせたりとかくすってさせたりするのがユーモアだと思うんですけど、
人は何によってくすっとしたりとかニヤっとしたりするのかっていうと、やっぱり僕はね、その聞き手がなんか自分の頭で何かをつかみにいけている、
そのつかんでいる動作な気がするんですよね。それを起こさせる話し方というか話題みたいのがユーモアなんじゃないかと。
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で、つまらない話っていうのはそれがないっていうね。ただその決まりきった結論みたいのをペッと投げ出されて、それを受け取るか受け取らないかって。
別にあんまり受け取りたくないというか、つまらないなって思いますよね。
でも考えさせる余地がユーモアって言いましたけど、そういうものがない話でも別に抵抗を感じないというか、別に人間は全ての話にユーモアを求めるわけじゃないから。
別にユーモアがない話でも抵抗がなく受け取れる場合っていうのももちろんあって、それはね、話の内容が役に立つとか、あとは何でしょうね。
話しているテーマ自体にすごい納得感があったりとか、なんか新しい何かをね。新しい何かを提示していたらもうそれはちょっとしたユーモアだと僕は思いますけど、
それを抜きにすると、ユーモアがなくても抵抗がなく受け取れる話っていうのがあるとすれば、それはその話している内容自体に意味があるというか、役に立つ話だったら別にユーモアはいらないっていうことなのかなと思います。
僕はね、ワイドショー的なものがすごく苦手というか、もっと言うと嫌いなんですよね。ワイドショー的なものはどういうものかというと、僕の認識で言うと、全然関係のない他人を貶めるというか、悪口というか、他人を非難しているような内容の話っていうことなんですけど。
それはなんかね、テレビとか雑誌とかネットでも動画でもすごく不快感というか、見たくないなって思うんですよね。
ワイドショー的なものに関しては、もしかしたらね、そういうものが好きな人もいるから、ちょっとここは一括りにはできないかもしれないけど、僕みたいに感じている人も一定数はいると思います。
それが多数派なのか少数派なのかわからないんですけど。
ちょっと別の切り口の話をしてみようと思うんですが、最近自分の仕事でね、とある製品についていろいろ調べ物をしていたんですけど、
僕がその記事を書くための他社の記事というか、他社の製品とか他社の記事を調べていく中で、中に結構他社の製品とか他社の発信のことを結構くさしている人がいたんですよ。
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人というかそういう記事。そういう記事とかそういう動画もあったし、あとね、ここの会社、結構大手というか、多分その業界では結構老舗の業界のウェブサイトがあって、
そこの記事はね、いろんな調べ物をしていくとぶつかるんですけど、僕の場合は同系統の調べ物をよくしているんで、それを調べているときにここの記事は大体ね、他社をけなしているなって感じることがあって、
だから僕の中でそのね、あんまり一般的には知られていないけど、その業界では結構老舗と呼ばれているという情報を後から最近知ったんですけど、でもその老舗のウェブサイトは基本的に他社のことを否定するところから始めているなっていうのを気づいて、
なんかね、僕その会社のこと、その製品を使ったことも見たこともないんだけど、なんか嫌いになっちゃったんですよね。なんか普通にそこにね、アイコンみたいのがあって会話形式で話が進んでいくんですけど、そのアイコンもなんかね、だんだん憎たらしく思えてきたりとか、不思議ですよね、これは。
別に僕にとっては何の含みもないし、不快に感じる要素はないはずなんだけど、その老舗のウェブサイトが取り扱いというかその切り口がね、必ずそんなんじゃダメなんだよみたいなね、そういう切り口から入っている記事ばっかり。
これは多分編集者、もしくはその企業の経営者というか、上の方の考え方がそこに現れているんだと思いますけど、でもこれは何て言うんだろうな、これを不快に感じるのは多分僕だけじゃないよなって思ったんですね。
確かに割とニッチな狭い業界の中では、そこの会社というかそこの製品はそれなりに流し入れているし、製品としてはね、多分性能とかはいいのかもしれないけど、
でもウェブサイトの書き方がこうやって新興の新しいメーカーとか新しい製品のダメ出しからがほぼ占めているわけじゃないけど、
だいたいどこかしらにダメ出しというか、否定的な意見が入っている発信ばっかりしていると、僕は結構ファンが離れていくような気がするんですよね。
ワイドショーの時みたいに、中にはそういう他社を批判するのでスカッとしたりとか、そこに同調できて、それを別に不快に感じない人も中にはいるかもしれないけど、
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でもその負の感情みたいのは僕は別にあんまり長続きしないんじゃないかなと思っているんですよ。
これね、僕は話で言っているだけなんで、これを聞いている人はそれが実際にどの程度に批判している内容だとか、
どんなことについて言っているのか、多分想像がつかないだろうからあんまりイメージできないかもしれないけど、
例えてみると何ですかね、例えばカップラーメンのメーカーがあるとしますよね。
カップヌードルは別に日進はとてもいい会社だし僕も好きですけど、例えば仮の話としてカップヌードル、ちょっとぼかしましょうか。
カップなんとかさん、NCさんのなんとかヌードルのウェブサイトで自分の会社の商品をいろいろアピールすればいいんだけど、
その中のアピールの一環として、例えば他社のマルちゃんとか、もしくはもっと新興企業の新しくこれからカップヌードルを作る、
自分のところのカップ麺を押し出していこうとしている会社のここがダメなんですよねとか、そういうことばっかり、
しかも自社のウェブサイトにそれを載せている会社があったら皆さんはどう思いますか。
確かにNCさんは製品にプライドもあるし歴史もあるからファンもいるし、いいものを作っているんだと思いますけど、
だからといって新しく出てきた人たちを批判したりとか、草したりするっていうのはそれを別にやっていいってことにはならないと思うし、
それを見ている人が不快に感じるかもってことの想像力が多分欠如しているって思うと、僕なんかは一気にそれ嫌いになっちゃうんですよね。
カップヌードルは好きですけど、これはさっきも言ったように家庭の話なんですけど、今カップヌードルを例えとして出しましたけど、
さすがにこういう一般に知られているような大きな企業とかメーカーとかはこの失敗を犯さないと思うんですよ。
なぜ犯さないかというと、中にそれを言ってくれる人がいるからだと思うんですね。
それを言ってくれるっていうのは、こんなに他社のことをけなしていたら逆にうちが嫌われちゃいますよ、社長ってね。
言ってくれる下っ端がいるとそうだなって上の人は気づけるんだけど、
中途半端なっていうか、あんまり下が上に意見を出せないようなところだと、上の創業者とか、歴史を作り上げてきた本人からすると進行企業っていうのは気に食わないと思うし、
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うちと比べて全然ダメじゃないかって思う気持ちはわからなくはないんだけど、それを外に向けて発信しちゃうと、
それはとても良くないっていうか、自分の首を絞めますよっていうのを気づかなきゃダメなんだけど、それを気づけないことっていうのは結構あるなと思っていて、
あんまり好きな言葉じゃないけど、こういうのもたぶん一つの老害って言うんだと思うんですよ。
自分のキャリアとか仕事にプライドを持っているのは良いんだけど、でも自分の仕事に誇りを持っていると、
周りの自分と比べると歴の浅い人たちが、たぶん未熟に思えてしまったりすることはあるんじゃないかなと想像するんですよ。
ある意味ではそれは正しい事実なんだけど、でもその上から目線みたいなのを外に向けて発信してしまうと、それは何の意味もないっていうか、
何のためにそれをするのかしているのかって、何のために他者をけなす配信を自社のメディアでやっているのか、ちょっと意味がわからないけど、
でも本人としてはそれが正しいことだと思っているんじゃないかなと僕は感じたんですよ。
つまり、うちの商品はこんなにちゃんとしていて、いろんな検証もされているから使うべきなのに、
たぶん新しい新興プレイヤーに市場、マーケットが浸食されてきて、焦りとかもあるんだと思うんですね。
こんなにうちは良い製品を作っているのになんで売れないんだっていう不満があったりすると、その方向先が新しい企業の、
うちに比べたらそんなに大したものを作っていないメーカーの製品が売れているのはおかしいって思っちゃう気持ちもわからなくはないけど、
でもそれをどうしたらいいかって考えるんじゃなくて、安易に若い人たちを批判してしまう、それで満足するっていうのは、
言ってみれば怠惰というか怠けていることにもなると思うんですよ。
この話っていうのは、最近のネットとかで言われているような、今他人の人の批判をしづらくなったとか、
ちょっと批判をすると叩かれて炎上してしまうとか、そういう話とは違う文脈の話だと思っているんですよ、僕は。
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確かに世の中では、大御所みたいな人が若手を叩くと、叩いたことが逆に、若手の悪口を言ったことが逆に広まって、
大御所の人が炎上してしまうっていう構造はよくあると思うんですけど、僕が言いたいのは、今ここで言っている話はそれじゃないと思っていて、
炎上云々とかじゃなくて、興味を持たれない話をしてしまう構造の話をしているんですよ。
この話の基本的な最初のテーマは、つまらない話の共通点っていう話で始めたんですが、
そのユーモアのない単なる批判っていうのは、端的に言うと別につまらないんですよね。
なんでつまらないのかっていうと、相手の人に考えさせる余地を与えない話だと思っているんですけど、僕は。
だから別に他人とか他者の批判をしちゃダメだって言っているわけじゃなくて、
単なる愚痴になってしまうと、それを聞いている人はすごくつまらないから、
それをわざわざ発信するべきじゃないですよねっていうのが僕は思っていることなんですけど、
これネットとかをよく見ているね。
別に企業とかじゃなくて、SNSの個人とかの発信でも割と僕はこれを感じることがあって、
例えばさっきちょうどノートを見ていたんですけど、プラットフォームのノートですよね。
あれって最近ではないのか、一般の人というか別に名前を知らない人たちの投稿が結構上に出てきたりするので、
おすすめとかもいっぱい出てくるから、そういうのが目につくんですけど、
あんまり面白いものがないからそんなに開くことはないんだけど、
今日たまたまタイトルに惹かれたものがあって、ちらっと読んでみたんですよ。
結論からいうと別にあんまり面白くなかったというか、
それは別に書き方がうぬんとか文章力がうぬんっていう話じゃなくて、やっぱりなんか愚痴なんですよね。
ちなみに僕がつまらないなって感じた配信のテーマは子育てについてだったんですけど、
これ何のあれかな、別に紹介するまでもないんですけど、
多分新聞の人生相談を読んでそれに対する感想みたいなね、
割とこういうことをしている人多いような気がするんですけど、
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その何かテーマを見つけるためにその外部の人生相談を拾ってきて、
それに対する自分の意見を別に求められてないけど言うっていう。
これあの切り口というかそのテーマの持ってき方としてはありだと思うんですけど、
これ人生相談に面白く答えるってやっぱり結構な技術がいるというか、
あんまりその素人がやるべきことじゃないなって、
素人って言い方もあれかもしれないけど、僕は思うんですよね。
で何でか、何でやるべきじゃないと思っているかというと、
やっぱりねそれね、大体批判になっちゃうからですよ相手の。
面白い人生相談の回答をする人って、
その人たちも基本的に相手のことをボロクソに批判したりして、
それが有名というか人気だったりするわけですけど、
一番人気のあった人生相談の番組、多分今でもやってると思いますけど、
日本放送かな。
AMラジオの朝の11時ぐらいに毎朝ね、
テレフォン人生相談っていうね、すごいシュールな番組があって、
僕は仕事でよく車に乗っている時代があって、
その時はおじさんドライバーの助手席に乗ってね、
いろいろ都内を駆け回っている時が20代の時があったんですけど、
その人がね、必ずそのテレフォン人生相談を聞いていてね、
なんか一人でクスクス笑ってんの、僕は助手席でね、
こんなの聞いてるんだと思いながら、一緒に聞いてた時代があるんですけど、
それね、やっぱ基本的には子育てとか、
嫁修留問題とかについて悩んでいる人が質問というかね、
相談をしてくるわけですよ、人生相談。
それに対して回答者の作家とかエッセイシスとか、
批評家みたいな人がいろいろね、アドバイスとか意見を言うわけですけど、
基本的にはね、あなたそれじゃダメですよっていうのが、
割と基本的なスタンスなんですね。
でもね、その場合は僕も聞いてたけど、
そのラジオを別に不快にならないというか、
むしろちょっと笑っちゃうというかね、そうだよなって思っちゃうんですけど、
なぜそれをね、不快にならずに、悪口言ってんのに不快にならずに、
面白いと思わせられるかっていうのは、やっぱりね、
その毒があったりとかユーモがあったりするから、
それを聞いてる人は面白いと感じると思うんですね。
で、僕が今言ったそのノートで、
人生相談に勝手に答えている人の話がチラッと読んだけど、
あんまり面白くないなと思うのは、
なんていうか、言ってることはね、そんなに的を外れていないんだけど、
でもなんかその深みがないというか、ユーモアがないなと思ってしまって、
これに共感をしてくれる人はね、
同じ意見を持ってる人は、いいね押したりするかもしれないけど、
それ以外の人は、ふーんで通り過ぎちゃうと思うんですよね。
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別にこれを書いたことで炎上するとか、誰かを不快にさせることっていうのはあんまりないと思うけど、
でも別にその、風邪を起こさない、無風状態っていうね、
プラスにもマイナスにも、毒にも薬にもならない話っていうのは、
結構今溢れているなと思っているわけです。
いろいろ思うままに話しましたが、
簡単にまとめてみると、
つまらない、人がつまらないと感じる話には結構共通点があって、
それはユーモアが欠如している。
ユーモアの欠如っていうのは基本的にはその人をつまらない気持ちにさせるっていう。
反対にね、怒りを感じさせるというか炎上させるとかね、
そういう話というか切り口もあると思うんですけど、
それはユーモアはないかもしれないけど、
でもやっぱりどっちかに突き抜けていると、
その反対側にいる人がやっぱり燃やすというか、
すごい不快感をあらわにするものがあるから、
それは別に全然いいことじゃないんだけど、
ある一定の人の感情をすごく動かしているわけじゃないですか。
不の感情だとしても、それは無風じゃなくてね、
風は起こしているわけだから、
風を起こすか起こさないかっていう観点でみると、
人を不快にさせているかもしれないけど、
つまらなくはないっていう話ですね。
不快だけど。
で、その風を起こさないっていうのは別に人を不快にさせないんだけど、
誰にも何も感じさせないっていうね、
無風状態を引き起こしているとは言わないけど、
無風のまま。
一応この話のテーマというか目的としては、
つまらないと思わせないような話にするにはどうすればいいのか、
みたいなことを一緒に考えているつもりだったんですけど、
だからユーモアを持たせるとか、
もしくは別にユーモアは持たせなくても、
何かしらの風を立てられるような話をした方が、
多分ネットの発信とかではいいですよね。
一緒にいる家族とかがね、
そういう毒とかを持ちまくってたらちょっときついかもしれないけど、
自分で見るか見ないかを自分で選べるネットのコンテンツだったら、
やっぱり無風の状態よりはちょっと風を起こしているものの方がね、
読みたくなるし見たくなると思うんで、
これは別に雑談とかそういう話っていうよりも、
ネットの配信でつまらないなって思うものに関しては、
ユーモアがない、ひねりがないっていうことかなと思ったという話ですね。
それでひねりっていうのは何なのかっていうと、
これは僕の認識というか捉え方ですけど、
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聞き手とか読み手に対して何らかの頭の回転をさせる、
考えさせて何かをキャッチ、
自分なりの感情をキャッチさせるアクションみたいのを
引き起こせるかどうかみたいなところだと僕は思いました。
いくら理路整然としていて、
日の内どころのない結論を言っている話でも、
それは聞き手に対して何のアクションも起こさせない、
頭の回転という意味のアクションを起こさせない話だと
聞いている方は記憶にも残らないし、
ふーんって終わっちゃうんですけど、
何かしらの引っかかりというか、
相手の頭を回転させるアクションを起こさせる
何かフックみたいのがある話だと、
それは記憶にも残るし、
それがプラスかマイナスかは別にして、
つまらない話ではなくなるということですよね。
だからこれは一回流行った話というか、
一回受けた話みたいのを何回も繰り返すと、
結局人は飽きちゃってそれがつまらなくなってしまう。
流行りものがあるとみんなそこにたがってきて、
それが陳腐化されてしまうというのも
同じ理屈なのかなと思います。
まとめた後にまたぐちゃぐちゃって
いってしまった気がしますけど、
これ以上はまとめずに終わりにします。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。