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こんにちは、いわみです。
9月26日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
最近結構仕事が忙しくなってきて、僕マルチタスクっていうのはすごく苦手な人間なんですけど、
今まさにマルチタスク的な状態になっていて、
こういうのはツールとかノウハウを駆使してみんなやりきるんでしょうけど、
僕はあまりスマートにできないんですよね。
今まで体験したことのなかった状況に陥ったときに、僕は昔から対処の仕方があまり変わってないんですよね。
どうやって対処するのかというと、
まずとにかく何の対策もしないでそこにぶち当たってみるんですよね。
もちろんそのままだとうまくいかないんで、つまづいたりとか失敗をしたりするんですけど、
僕はその状態になってからじゃないと考えられないんですよね。
前もって失敗しないようにとか、対策を練ってから挑むっていうタイプでは全くないんですよね。
とりあえず飛び込んでみて、どうしようもないなと思って必死に考えてできた、
自分の死に物狂いでできた行動をそのまま続けてみて、徐々に軌道修正をしていくっていうね。
これは多分性格なんでしょうけど、こういう対処方法にも良い面と悪い面があると思っていて、
良い面から言うと、とりあえずやってから考えてみるっていうのは、
とりあえず飛び込んでみる的なスタンスは、考えてばっかりで動けないっていうことに比べたら
身動きが取りやすいし、前に進みやすいっていう面はあると思うんですよ。
今僕がやってるような仕事とか一人でやらなきゃいけないことだったら、
僕みたいな性格は割と向いてるのかもしれない。
というかね、慎重になって考えて考えて対策してからじゃないと動けない人は多分あれですよね。
見込みもないのに会社を辞めて急に西日本に移住したりはしないと思うから、
それはね、どっちが先なのかは分かりませんけど、
それで悪い面、後先考えずにとりあえず行動してみて、
その結果反応だけでね、反応から自分の指針を決めていくみたいなね。
割と最近の風潮だとそういうのは、いいっていうふうに思われてる面があるような気がしますけど、
でもそれは多分ね、見方を変えるとあんまりそういう人が、
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逆張りの発想な気がするんですよね。
つまり、慎重派が多い中ではその慎重派だとできないことに脚光を当てて、
とりあえず飛び込んでみた方がいいですよっていうね、そういう風潮になりやすい。
でもまあ僕みたいなナチュラルにね、ナチュラルに後先考えないタイプだと、
デメリットというか、対策をせずにね始める人間のデメリットってのは、
まず一つはね、時間がかかるんですよ。
うまくいくまでにあんまり人の意見を聞かないっていうところもあって、
あんまりね、自分の意見を聞かないというところもあって、
例えば、スポーツとかね、スパークとかが好きな人とか、
スポーツをやってるときにやっぱり時間の手がかかるっていうのが一つあって、
とりあえずまあなんとかなるだろうって思って飛び込んで、まあなんとかならないことも結構あるから
まあでもその時間をかければなんとかなるだろうっていうその今までの経験があるから、そこでうだうだやってみるわけですよね。
そのうちにだんだんその掴めてきて
それね、掴める感覚がね、掴めると、感覚が掴めると結構ね、伸びしろがあるっていうのはわかるんですよ。
だからその一定以上の水準に行くには多分ね、僕の場合は楽器とかね、だと一定以上の水準に行くには結構向いている性格だなと思うけど、
でもこれもね、60点を80点にするには行ける体質なんですけど、さらにその80点の上のね、Sクラスに行くには、今これ楽器の話をしてるんですけど、それだとやっぱりね
自己流だけだとどうにもなんないなっていう経験もしてきました。 ちょっと何の話をしているのかわからなくなってきたんですが、
そうだ、仕事が忙しくなってきたっていう話をして、なぜかね、こういうね、理屈っぽい話になってしまいましたが、それにマルチタスク、今まで体験した音のないマルチタスクをやっていく中で自分なりにもがいていますよっていう話なんですけど、
そうですね、まあ今別にそんなにうまくいってるあれではないけど、でもやっぱり失敗して、これはダメなんだなっていうのを体感すると、次からそれを同じ失敗を繰り返さないようになるところはあるので、そういう意味でも一回失敗してみるっていうのは大事だなと思いました。
僕みたいな仕事における失敗っていうのは何なのかっていうと、簡単に言うとクライアントから切られちゃうことですね。ちょっとこれだとダメですって、ダメですぐらいだったらいいんだけど、ちょっと今見さんとはやってられませんみたいな感じになることも何回かあったので、
それもこっちから見ても、あなたみたいな人たちはやりたくないっていうこともあるし、こっちは別にやってもいいかなと思ったけど、これじゃダメですって言われて切られちゃったこともあるから、こっちはいいと思っていたのに向こうから切られちゃった時に反省というか、こういう人もいるんだなって軽く思うこともあるけど、普通に真面目にこれじゃダメなんだなって反省して行いを改めることもあったりはします。
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細かいことなんですけど、結構そういうのが積み重なっていくと人は成長していくなと思っています。
前置きがすごく長くなってしまったんですが、前から話してみたかった一つのテーマがあって、それについて短く喋ってみたいと思います。
そもそものきっかけは、読んだ本から思ったことなんですけど、柏木裕樹さん、作家ですかね、方が書いた面白い本を読んだんですよ、エッセイ集みたいな本なんですけど、タイトルはね、口の立つ奴が勝つってことでいいのかっていうね、なかなかパンチの効いたタイトルだなと思いますけど、
これはエッセイ集で、いろんなところにこの人が書いたエッセイみたいなのが一つの本にまとめられたっていうことで、半分くらいにノートっていうね、サイトを書き溜めたやつを追記とか編集して出たのもあって、
僕がその、心に残ったそのエッセイは、もともとはノートに書かれていたものだったので、今でもそのノート残ってるんで、概要に貼っておこうと思いますが、どんな話だったのかっていうと、これタイトルはね、思わず口走った言葉は本心なのかっていうね、思わず口走った言葉、本心なのかってね、なぜか2回言いましたけど、
この話を簡単に言うと、この柏木さんが子供の時の話ね、中学1年生の時、友達の家に泊まりに行くことになっていて、その支度をしていたら、なんでか知らないけど、母親が今日はやめておきなさいって言ったそうなんですよ。
それでなんか口論してきて、だんだん激しくなってきて、柏木少年がね、母親に向かってね、思わず口走った言葉が、なんで泊まりに行くのかって、この家にいるのが嫌だからだよって叫んだ、そうなんですよ。
それで叫んだ自分がね、すごくびっくりして、そんなことを思ったこともないのに、なんでこんなことを言っちゃったんだろうっていうのが、すごい心に残っていたみたいな話をね、本当はもっとこれから続くんですけど、このエッセイは。
ここでこの作家の言いたかったことは、思わず口走っちゃった言葉っていうのは、結構それが自分の本心なんだっていうので、自分でも気づかなかった本心なんだって思われることが多いけど、実際のところ全然そうじゃないこともありますよっていうことを言いたいと僕は感じたんですよ。
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だいたいそういうことを書いてあるんですけど、このエッセイの後半の方でも、思わず口にしてしまった言葉が本心であることは多いけど、でもそうじゃない場合もあるっていうことですよね。
中学生の時に泊まりに行くことを咎められて、母親にね、この家にいたくないから行くんだよって叫んでしまったことはですね、どう考えても自分の本心じゃ、この人の場合はなかったそうなんですよね。
口から出まかせじゃなくて、売り言葉に買い言葉みたいな感じでつい言ってしまったけど、それは全然自分の本心じゃなかったなって。
結局その母親とかには謝れなかったのかな。ちょっとその辺のことはあまり書いてないけど、このエピソードは子供を持つ親からすると結構痛い話だなっていう気もしますけど、ここで僕が考えたいことはそこの親の話じゃなくて、
思わず口から出た言葉が本心じゃない可能性っていう、そういうことってあるよなって思ったんですよ。僕はね、どっちかっていうと、何も考えずにこうやって喋ったりとか、人と喋ったりしていて、
ここまでね、この柏木さんのパターンみたいに自分でもびっくりするようなことが出てくるってことはほとんどないけど、でもなんかちょっとね、自分が今まで考えていなかったのとちょっと違うような言葉が出てきたときに後々で考えて、
俺ってこういうことを考えてきたんだってね、その自分で出た言葉に自分が感心したりとか影響されたりすることってね、結構あるんですよ、僕の場合。
例えば、僕はあの埼玉にいるときに子育てサロンっていうね、その地域のNPO団体みたいなのがやっているね、子育て支援センターの一環で親がね、子育てについて話し合うみたいなね、そういう集まりを定期的に開催していて、何回かそれに出てね、コロナの時にZoomとかでリモートで参加できるようになったんで、
毎月やってるんで、割と頻繁に参加していて、今ここね、高知に引っ越してきてもZoomだから参加できるんで、割と出てるんですよね。
いろんな話をするんですけど、その時に順番に話していって、自分の番が来た時にあんまりその考えずにね、何を喋るか事前に考えたりしないで、その場のノリで話したりするんですが、その時に結構ね、自分では今まで考えたことのなかった言葉を、言葉というか内容を喋ることもあって、
僕はそれをね、割とポジティブに捉えていたというか、さっきも言ったように、自分が思っていなかった言葉が出た時に、それを自分のね、内から出た本心なんだっていうことを結構ね、疑ってなかったんですよ。
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どういうシチュエーションでその言葉が出てきたかにもよりますけど、人はね、自分で考えて喋るんだから、考えないで喋る時もあるけど、全く本心じゃない言葉が出てくることっていうのはあんまりないと思うんですよ。
でもね、そこで僕はよく考えてみたいんですけど、たとえね、その思っていなかった言葉が自分の口から出てきたとしても、それをね、これが俺の本心なんだってね、必要以上に重要視しない方がいいなっていうことですね。
つまりここで僕が言いたいことは、簡単にまとめてみると、自分の無意識みたいなものをあまり重要に思わない方がいいっていうことなんですよ、多分。
意識と無意識ってね、いろんな言い方がありますけど、自分で認識しているのはその光の当たっている意識の部分だけで、その奥の方に水面下みたいな感じで、自分の目には入らないね。
いろんなところが深いね、巨大な闇があって、そこから出てくる言葉はね、自分が目にはしていなかったけど、実はずっと思っていたことなんじゃないかってね。
結構こういう言説というか、価値観みたいなのってあると思うんですけど、それを別に全く否定しようとは思わないんですけど、でも今まで僕は結構そこを課題評価していたんじゃないかってことを思ったんです。
今さっき言った柏木さんのノートを今開いてるんですけど、ちょっと今目に入ったところを読んでみると、相手から隠してきた本心としか思えないことを言われると衝撃は大きい。
その言葉がずっと心の傷になっている人もいるだろう。それは本当に隠してきた本心だったのかもしれない。
だけど全く思っていなかったことの場合もある。そういう可能性もあるっていうことは知っておいた方がいいと思う。
僕が言いたいのは多分そういうことなんですけど、なんでこれが自分に刺さったのかなっていうことを考えてみると、やっぱり無意識を課題評価しすぎない方がいいっていうことに尽きると思うんですよ。
無意識を課題評価するっていうのは、自分の口から出てきた言葉をこれが俺の本心なんだって思いすぎない方がいいっていうか、無意識ってのは結構間違えるんですよ。
無意識から出てきたから全部正しいとは限らないし、もしかしたら全然本心ではないこともある。
今まで考えたこともないことなのに、その場のノリで言ってしまうことってあって、それをふっと出てきたことをそんなに大切に重要に思わない方がいい、もしくは思わない方がいいことも結構あるっていうことですね。
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だから結論としては何を言いたいのかというと、ふっと出てきた、自分の中から出てきた言葉を一旦棚に上げて、両方の可能性を検討してみるっていう。
両方棚っていうのは二つの可能性で、一つはこれは自分が今まで意識していなかったけどずっと考えてきた本音の言葉がここでついに出てきたんだっていう考え方と、もう一つはふっと出てきた言葉だけどただこれはノリで出てきただけで別にそんなに深い意味はないんだっていうことですよね。
重要度が高いか低いかっていうことですけど、この重要度の低いパターンについて僕はそんなにあんまりないことだよなって思っていたけど、実は結構あるんじゃないかっていうところです。
でもこの柏木ひろきさんっていう作家の方は、一番有名な本は何だっけな、カフカのね、絶望名人カフカのなんとかって、たぶんこれ漫画とかにもなっててエッセイにもなってて、漫画が有名なのかな、僕はエッセイの方を何かで読んだ記憶がありますけど、たぶんそれを書いた方だと思います。
それでノートも結構書いていて、そこからエッセイになっているぐらい、本になっているぐらいだからかなりたくさん書いているんですけど、いろいろ面白いことが書いてありましたね。
もう一個別のトピックというか、短い文章でね、なるほどなと思ったことを最後に言って終わろうと思いますけど、その水に馴染めない魚だけがその水について考えるっていうね、これはなかなか深い言葉だなと思いました。
馴染めない人が一番そこについてよく考えるから、学科とかね、もっと言うと哲学者みたいな人はこの世界に全然馴染めなくて、自分の居場所が全然ないと感じる人はやっぱりそこについてね、もうずっと考えますから、結果的に詳しくなるというか、言葉で言い表せるようになるっていう。
だから強引につなげてみると、僕が今日の配信の一番最初で言った、とりあえず突っ込んでみてうまくいかないところで考えるっていうね、それにちょっと似ているかもしれないですよね。
だからとりあえずうまくいかない状態じゃないと多分ね、人っていうのは真剣に考えられないんですよね。
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初めからうまくいってるとそれについて、もっと考えたほうがいいって頭ではわかってるかもしれないけど、腹の底からね、もうこれじゃどうしようもないっていう状況に置かれないと人っていうのは死ぬ気で考えることはできないんじゃないっていうのをね、自分の経験からも思うんですよね。
その水に馴染めない魚だけが、その水について考えている。
なんかなかなか深いなと思いました。
マルチタスクのお話を最後にちょっとして終わろうと思います。
言ってもゴロッコのね、ゴロッコの仕事が一気にまとまってきたっていう話ですけど、別にゴロッコっていうのはあれですね、クライアントが全部別々な案件がゴロッコとバーってきて、
テンパりはしないけど、固まってしまった状況があって、今でもそこまでじゃないけど似たような状況はあったので、
そういう時の解決策っていうのは本当に一個一個果たしていくしかなくて、それをやっていくうちに、あと1個か2個になったんですが、
最後の1個はね、僕の中では一番でかい仕事というか、多分今まで経験したことのない文字量になると思うんで、
多分10月はそれにかかりっきりになりそうというか、本当はかかりっきりになりたいんですけど、
なんか最近ね、自分が行ってなくても仕事が入ってくるようになったので、それもこなしつつってなるんで、
やっぱりマルチタスク状態はまだ続いてしまうかもしれませんが、マルチになっていると思わなきゃいいわけですよね。
一個一個出したりしまったりして、引き出しの中にしまっているものは一回頭から全部忘れてしまうっていうね、
多分このマルチタスクをこなす秘訣はここだと思いますね。
とりあえず5個あっても10個あっても仕事がたくさんあっても、とりあえず机の上には1個だけ出しておいて、
他のやつは引き出しにしまっておいて、一個一個片付けていくってね。
カッコ撃破っていうことですよね。
そんな感じで終わりにしたいと思います。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。