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2024-06-14 20:08

自分の意見がきちんと言える人は孤独になりにくい

誰とも話さずコーヒー1杯でぼんやりし続ける男性客たち…やることが“何もない”シニアの長い1日
https://allabout.co.jp/gm/gc/504189/

男の交遊関係は「ささやかな連帯感」ぐらいでも良いと思う
https://voicy.jp/channel/2185/1236193





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00:04
こんにちは、いわみです。
6月14日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
やっと金曜日ですね。
やっと金曜日だけど、もう6月は、中期は中旬になってしまったというね。
月で見ると早いけど、週で見ると遅いっていうね。
この現象は何なんでしょうか。
いやー、毎度のことで気温のことを言ってますけど、
去年29度ありますね、最高気温。
関東はどうなんでしょうね。
僕は全然最近、天気予報とか見なくなってしまったんですけど、
時間差はあれど、同じくらいの気温になっている日はあるんじゃないかと思いますが、
東だろうが西だろうが、暑いのは嫌ですよね。
まあ、天気の話はそれぐらいにしといて、
短く決めたことをテーマに沿ってですね、考えていきたいと思います。
今日話す前からですね、ちょっと難しいテーマを選んでしまったなという気がしなくもないんですが、
頭を働かせながら短くキュッと話せたらと思います。
タイトルは決まってないんですけど、結論から言うとですね、
こんだけインターネットが使える世の中なんだから、
ちゃんと自分の意見を言っていった方がいいな、これがですね、結論です。
ここから今のが10として、今またどことことスタートラインに戻ってですね、
ここから始めてみようと思うんですが、
まずね、老人についてのね、記事を読んだんですよ。
確かね、オールアバウトネット記事でね、定年のね、おじいちゃんがね、すごい孤独を持て余している。
まあ、そういう人は多分多いですよね。
僕ん家の近所でもね、まあ、お年寄りは多いですけど、
どっちかっていうと、まあ、男性の方が孤独を感じやすいというか、
よく言われますけど、仲間を作りづらかったとか、友達をね、作るのが苦手って言われますよね。
そういえばあの、ボイシーで佐々木敏直さんって、僕毎日っていうかよく聞いてるんですけど、
何日か前の配信で関係あるような話をしていて、
まあ、そこでも佐々木さんは、男性っていうのは、友達を作る能力がないというか、作るのが苦手で、
その一つの原因として、働いていたときのマウンティングというか、
そういうのが無意識に出て、それでね、あんまり距離を縮めづらいんじゃないかというか。
だから大人に、高校生ぐらいのときはね、普通に男だろうが女だろうが、
友達はね、作りやすかったというか、ところはあるんだけど、
社会人になってね、やっていくと、無意識でマウントの取り合いみたいになってしまうっていう。
それは何となく分かりますよね。僕もなんか、人と距離を置いたりというか、
03:05
ちょっとこの人苦手だなって思う人はどういう人かと思って振り返ってみると、
やっぱりなんかね、上から目線というか、こっちのことを批判しようとしてくる空気が、
見え見えの人とはね、やっぱり距離を置きたくなりますよね。
それでそういうのはやっぱり、バリバリ働いて、周りを蹴落としてというか、
見下して生きてきたような人の方が、孤独になりやすいという傾向はあると思いますから。
こういうのは自業自得といえばそうでしょうけど、でもね、僕もそうも言ってらんないというか、
というのはね、フリーランスというのは、ある意味でそういう老人とちょっと似たような悩みを抱えているなって思うことがあって、
それは簡単に言うと、孤独なわけですけど、フリーランスもね、老人も基本的には家で一人でいる時間が長いので、
やっぱり人とコミュニケーションを取る時間が減って、やっぱり孤独になりがちだと思うんですよね。
僕の生活も一般的に見れば、結構孤独な生活をしていると思いますけど、
僕の場合は家族もいるし、在宅で仕事もしているので、あんまり孤独を感じることはないですけど、
でもたまにね、仕事がちょっと途切れたときとか、うまくいかなかったときに、異様のない感じを覚えることがあって、
だからそういう感覚を、恐怖と言ってもいいかもしれませんけど、そういうのを定期的に感じているだろう、
お年寄りの気持ちを考えると、割と一言じゃないというか、そうだよねって思うところはあるんですけど、
でもそれが僕、なんとなく想像できたからといって、そういうおじいちゃんとかね、ここではおじいちゃん限定にしちゃってもいいですけど、
おばあちゃんはね、割と友達が作るのは上手というか、いろんなところに顔を出して行く人が多いから、
あんまり孤独にはならない傾向が強いですよね。人によると思いますけど。
で、僕が仮にね、同じような悩みを抱えているからといって、彼らのその悩みみたいなね、恐怖みたいなのを分かってあげられても、
でも僕に何かできるというか、手を差し伸べられるかというと、なんかね、それも難しいような気がするんですよね。
そんな悠長なことをしている暇はないっていう、こっち側のね、めんどくさいという気持ちももちろんありますけど、
やったことはないけど、もしやってもね、あんまり何て言うんだろうな、相手もそれを求めていないんじゃないか気がするんですよ。
まあそれはね、僕が男で彼らより若いからかもしれませんけど、でももっと大きな問題として、
06:04
今これね、ずっと架空のおじいちゃんの話を、架空の孤独なおじいちゃんの話をしているんですけど、
一応ね、僕の頭の中には近所に住んでいるおじいちゃんというか、おじさんの顔が今パッと浮かんだんですけど、
おそらくね、最近引退したんじゃないかなと思うね。
まあ多分60代後半か70代ぐらいのね、おじいちゃんで、初めて会った時にちょっと嫌な感じだったんですよ。
僕は引っ越してきて、他の人と挨拶している時に、完全に仕方をされたんですよね。
まあ別にそんなに近くじゃなかったから、同じ列のところに住んでいる人だったから、まあいいやと思ってたんだけど、
そのから何回も顔を合わせるうちにですね、なんかだんだんその人の元気がなくなってきたというか、
なんかちょっとね、その怯えたような表情を浮かべている時があってね、まあそれは僕の気のせいかもしれませんけど、
それもちょっとあって、この老人の孤独みたいなのをね、僕は考えるようになったっていうのもあります。
まあここはね、別に老人がどうしたらいいかっていうのは、本題じゃないというかテーマじゃなくて、
これを聞いているような皆さんがどうしたらいいか。
もっと言うと、僕がどうしていこうと思っているかっていうことを話していきますが、
まずね、やっぱり仕事をした方がいいなっていうのは当たり前かもしれませんけど、
これは別に金銭だけの話じゃなくて、何かしらその他者と関わるとか、他人の役に立つとか、
何かその仕事というものを通してコミュニケーションを取る機会があると、
それぐらいの関係性でも、孤独っていうのは感じなくなるし、感じづらくなるっていうのはあるんで、
本当に週に1回でも何かその仕事的なものを持っておけばですね、
人は結構その孤独に蝕まれないんじゃないかなと思うんですよ。
フリーランスじゃなくても、ちょっと副業的なものをね、やっぱり持っておくっていうのは、
その金銭のね、老後のお金の問題だけじゃなくて、
孤独との向き合い方においてもですね、何か副業的なもの、趣味でもいいんですけど、
やっぱりお金が絡んだというか、ちゃんと真剣になれるものの方が続きやすいし、
強制力が働くっていうのがあるから、やっぱり僕は仕事的なものの方がいいなって思ってます。
だからね、真剣になれるのであれば、別にビジネスじゃなくても、
例えばゲームとかね、押し勝つみたいなね、僕は両方やらないですけど、
そういうのでコミュニケーションというかつながりを持っている人の話を最近はよく見聞きするんで、
それでもいいですよね。何かしらの共通の趣味とか目的とか、応援する人がいると、
そこに人が集まってコミュニケーションが生まれて、
09:03
だからそこで何が起こるのかというと、自分が認知されるということですよね、他者に。
家族とかそんなに深い関係性じゃない他者に自分が認知されて、
そこに属している感覚があるというのが、多分それが大きいんじゃないかなと思います。
これで最初に今日の配信のテーマというか、話したいことに自分の意見を言った方がいいと思って、
それが今のところ全くつながってこないんですけど、
ここからつなげてみるというか、なぜつながるのかというと、
仕事にせよ、趣味にせよ、何か真剣に取り組むには、
自分の意見とかポジションを取らないと、なかなかそこに存在できないというか、固定できないんですよね。
これ最近僕も自分に関して思ったことが何回かあるんですけど、
結構どっちつかずというか当たり障りのないことを無意識に選んでいるなということに気づいて、
自分のその意見のなさみたいなのに、結構愕然としたことが何回かあるんですよ。
ここで言っている意見というのは、何か一つの現象に対して別に好きだとか嫌いだとか、
これは良いとか悪いとか、良いとか悪いというのは一つの意見ですけど、
好きだとか嫌いというのは反応みたいなところなので、
もう少しそれを掘り下げていくことだと思うんですね。
そのときに良いとか悪いって終わらずに、なぜそれが良いと思うのか、
なぜそれが自分は良くないことだと思っているのかっていうのを、
ちゃんと言葉にできないとそこから繋がらないし、そこから議論ができないんですよね。
日本人は議論が苦手って言われますけど、やっぱり僕もそういうところがあるというか、
なるべく地雷がありそうなところを避けて通る、無意識のセンサーみたいなのが発達しているなと思うんですよ。
普通に生きていく分には、むしろそれはプラスに働くんだけど、
ネット上とかもっとゆるいふわっとした繋がりのときに、
それをもっと自分のポジションというか意見を言うときには、
このスタンスっていうのはどっちかというとマイナスに働くというか、
いてもいなくても同じような状態になってしまうんですよね。
別に僕が言いたいのは、何でもその議論を戦わせろとか、
自分の意見を押し通せって言いたいわけじゃなくて、
その場面場面によってちゃんと使い分けができるといいなと思ったんです。
それでそのためにはやっぱり、言っても言わなくてもいいけど、
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とりあえず自分の意見ってものをしっかり持っておかないと、
いざというときにそれ出てこないし、そういう行動が取れないんですよね。
無意識に摩擦が起きたりとか衝突することを恐れて意見を言わないというか、
意見をずっと言わないと自分の意見がなくなってしまうわけなんですよ。
そうなると主体的な行動が取れなくなるんですよ。
なんで衝突したりとか摩擦が起きることを恐れているのかなと思うと、
意見が違うと喧嘩になりそうな気がしてしまっている。
でもこれよく考えると割と誤解というかそんなことはなくて、
議論と喧嘩は違うという話なんですけど、
どう違うのかというと、議論というのは論理的に感情を抜きにして戦わせるという、
言葉を戦わせるという、ある意味で言葉のスポーツみたいなところですよね。
ディベートみたいなことだと思います。
ディベートって一つのテーマに対して賛成と反対というチームをランダムに振り分けて、
それで議論をするという言語ゲームみたいなものですけど、
そういう訓練が僕とか日本人と言ってもいいかもしれませんけど、
全然してこなかったよなという反省みたいなのがあって、
今からでもそれは遅くないんじゃないかなと、
思っているんです。
日本人が議論とかディベートって言うと、
多分割と多くの人が朝まで縄テレビを思い浮かべる人っていると思うんですけど、
あれは結構ショーというか見せ物的なところがあるから、
割とみんな感情的になるし、
半分喧嘩みたいなところもありましたけど、
僕もそんなに見てるわけじゃないけど、
たまに動画とかで流れてくるのがあって、
やっぱりあそこに出ている人たちはみんな自分の意見を持っているし、
たぶん別にあそこで喧嘩みたいなことをしても、
終わったら割とあっきらかんとして、
後には引いていないような気はするんですよ。
やっぱり自分の意見をちゃんと言って議論をさせられる人って、
その時は別に感情的になっても、
それはそれっていうね、
思えるところがあるんですよね。
でも言葉を戦わせるスポーツみたいなものだから、
弾みでというか、
相手を不快にさせたりとか、
場合によって差別的なことを言ってしまうこともね、
たぶんなきにしもあらずだと思うんですけど、
そういう時はやっぱりね、
なるべく早めにちゃんと謝るっていう、
誠実な姿勢を持っていれば、
そんなにおかしなことにはなりません。
それでここで僕が言いたいのは、
今からでも遅くないから、
その自分の意見をね、
持ってちゃんと発信とか、
それをね、意見を醸成していく訓練をした方がいいなって。
15:03
それでこれが最初に言った、
その孤独になることの予防とどう繋がるのかっていうと、
僕はね、これは直接的に結構繋がるんじゃないかなと、
ちゃんと自分の意見を持って、
自分の意見を持って、
それを隠さないで、
ちゃんと理知的というか、
論理的な言葉で議論ができる人間でいるとですね、
その人は多分ほとんど孤独にならないと思うんですよ。
これ因果関係はうまく説明できないんですけど、
ちゃんと自分の意見を持って、
意見が言える人っていうのは、
多分喋ってて楽しいんですよね。
そこで結構すぐ感情的になっちゃったりとか、
自分の意見が出てくるときに、
自分の意見を持って、
自分の意見を言うときに、
結構すぐ感情的になっちゃったりとか、
全然偏見に満ちたことばっかり言ってる人とは、
距離を置きたくなるけど、
ちゃんと自分の意見を持って、
相手の意見も受け入れられる余裕というか、
遊びがある人だったらですね、
こっちが何を言っても受け止めてくれるわけだし、
そこでちゃんとそれを当たり障りのない言葉で流さずに、
ちゃんと意見を戦わされる人っていうのは楽しいですよね。
それは別にリアルだけじゃなくて、
ネット上でも音声でもそうかもしれないし、
だから僕は、
もともと自分の意見を持って主張できるような、
意見を持って言語的なスキルもちゃんと身につけておくっていうのは、
もともとはビジネスよりというか、
生活の手段としてスキルを鍛えたほうがいいって思ってたんですけど、
考えていくにつれてですね、
これはそんなに表面的な話じゃないなっていうことに思い立ったんですよ。
自分の意見をちゃんと持って、
それをね、
感情的にならずに議論できる人っていうのは、
仲間ができるなと思うんです。
で、仲間ができると、
それはね、人は孤独にはならないし、
多分ボケたりもあんまりしづらいと思うし、
いいことじゃないかなと思っています。
で、さっき僕は議論と喧嘩は違う、
感情的にならないこと、
好き嫌いと賛成と反対は違うみたいなことを言いましたけど、
最初の出発点としては、
やっぱり好き嫌いから始まっていいというか、
むしろそれしかないんじゃないかなという気もしますよね。
一つの物事に対して、
賛成か反対かっていうのは、
やっぱりそのディベートとかじゃなければ、
やっぱり自分がそれに関してね、
快意を感じるのか不快意を感じるのかっていうところからスタートするから、
そこから、
ロジックを積み上げるというか、
自分の意見をそこに肉付けしていくところから始まるんじゃないかなと。
それでそれがぶつかったときに、
自分の意見をね、
日本人というか苦手なところではありますけど、
そうも言ってらんないというか、
18:01
これからはわりとね、
必要なことなんじゃないかなと。
それでその、
それがぶつかったときにね、
相手に何か言ったり、
何か言わなかったりする時に、
自分の意見を聞きながら、
その問題に対して、
自分の意見を聞いて、
その問題に対して、
その問題に対して、
それでその意見があるないっていうのは それも完全な二項対立というかどっちかの話じゃないと思うんですよね
あの人は意見をちゃんと持っている人で この人は自分の意見が全然ない人だっていうそういう単純な話じゃなくて
単なるそれは一個一個の瞬間的なね この時に対してこの時は自分の意見というか
好き嫌いをちゃんと主張したとか意見をちゃんとね 賛成反対を主張した一個一個の問題であって
一つのことに意見を持っていれば全部のことに持っているわけじゃなくて そこにはグラデーションというかその場その場のありなしがあると思うんですよね
でもそれが積み重なっていくとやがて大きな違いになると思うんで まずはね一つ意見を
自分で持つところから始めるといいんじゃないかなと思ったというそんな話でした そんな時に自分の部屋ので本棚を見てたらそれにちょうどいい本が
それがねチキリンさんの本で 自分の意見で生きていこうというねまさにドンピシャなタイトルの本があったなと思って
これ僕あのだいぶ前に買ったんだけど さらっと読んでそんなにちゃんと読んでなかったなってことを思い立ったんで
これを機にねもう一度ちゃんと読み返してみようかなと思いました 読んでまた感想とかあったらですね
この音声配信でも話していけたらと思っています それじゃあ今日はこれぐらいで終わります
お聞きいただいてありがとうございました 良い一日をお過ごしください さようなら
20:08

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