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2023年10月16日月曜日、毎度、おきにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
昨日ね、本のおすすめをさせていただきましたね。
おすすめというか、紹介というか、この本面白かったですね、みたいな話をね、一方的にさせていただいて。
いかがでしたでしょうかね。その本読んだことあるわ、みたいなことを、特にコメントがあったわけじゃないですけど、ありましたかね。
とか、その偏りですよね。実際にその本読んだことなくても、あ、そういう系の本好きですね、みたいなことってありましたかね。
そう思えたら、ちょっと趣味近いんやなとか、感性似てんのかなとか、その話したらおもろいやろうなとか、そういう思いがあられたんじゃないかなと思います。
あったんだったら、ぜひね、そういう話したいななんて思いますけれどもね。
なんで本読むんかなってね、そっからちょっと思ってたんですね。
昨日配信終わって、今だいたい1日ぐらい経つんですけど、その間に、僕あの、昨日も言いましたけど、多分読み始めたきっかけは夏目漱石の心なんですよね。
で、あ、夏目漱石って、その時千円札やったじゃないですか。今はもう変わってますけど、
野口秀夫ですか。だから夏目漱石って有名じゃないですか。で、心読んで、
えー、どうなんでした、ぼっちゃんとか、我輩は猫であるとか、それからとか、なんかその辺を読み始めて、
んでから、その日本文学的なその辺の三島幸男とか、
芥川龍之介とか、なんかその辺の文学系を読み始め、で、次第に小説に移っていくわけですよね。
で、小説を結構読んで、学生時代は結構読んでたんですよね。面白くて。
なんか、学校の行き帰りのね、電車の中とか、あの、これ自分でもこっけーやなと思うんですけど、学生時代ね、めっちゃ僕ブレックダンスとかやってたんで、
いわゆるBボーイ、当時ね、腰パンスタイルとかね、バンダナ巻いてみたりとかね、キャップ後ろ向け被ってみたりとかね、
そんなこと、そんな格好をして、ちょっと悪そうな黒いサングラスとかかけたりしながら、小説読むっていうね、インキャラやったんですね。
なんかいかにも、街へ出て遊んでそうやのに、家で小説読んでるみたいな、そんなタイプやったんですけど、
本を結構読んで、学生時代読んでて、社会人になってからですね、そっからパタッと小説やめて、ビジネスショーとか自己啓発とかそっち系に完全にシフトしたんですよね。
それにはまってる時というのは、人から小説の話されても、そんなフィクションとか物語とか作り話の話別にええわ、みたいな。
それよりこっちの自己啓発の方がおもろいよ、みたいな感じでちょっと尖ってたみたいな時あったんですよね。
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そっからまた時代変わり、時を経て、小説読むようになってとか、現在はどっちも読んだりはするんですけれども、
ジャンル違えど本を読むっていう生活は変わってないなと思って、なんで本を読むんかなって思うんですよね。
自己啓発とかビジネスショーっていうのは、あくまでも自分のためになる、即戦力として生かす、自分の知識として技術として生かせるような内容を身につけることで、
ビジネススキル上がるとかね、コミュニケーション能力上がるとか、そういうことを目的としてさらに読んで学んでたつもりであったんですけれども、
小説においては、物語、ドラマみたいなのと一緒ですよね。それをいかに分析して自分なりに、ただ物語面白かったなだけじゃなく、
自分に良い、どういうんでしょう、読んだことで良い学びがあるかなって思ったときに、
昨日配信したように、ずっと一人称、小説一冊分この人の主観、この人の主人公のストーリーで進んでいくのも、その人のことを知れて面白いんですけれども、
この人がこの人を見たとき、またはその人が違う人を見たとき、いろんな人の目線や思考、思いがそこにあれば、人それぞれ考えることって違うんやなーってやっぱり思えるんですよね。
常々思うんですよ。人の考えは千差万別、十人十色みたいな。だからこそこの考えの違いがあって、そこに争いが生まれたりとか、宗教のことでもそうですね。
全てがそれぞれの正義に従って考える。それで正義と正義のぶつかり合いで争い事が起こったりするじゃないですか。でもそれを認めてあげる。自分の正義はあれども、全く真逆のことを言われても、それがその人の正義だと思える。
人の考えはそれぞれなんやなって思う訓練になってたんじゃないかなと思うんですよね。人それぞれの視点で書かれた本っていうのは。なんか本とかドラマとか映画とかってその擬似体験ができるような気がしてるんですよね。
これ昨日のコメントでニコさんっていう方がおっしゃってくれてたのは、本って自分が体験できないことを体験したかのように思えるのがいいですよねって。まさにそれも思ったこともあるし僕も。
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そういうところから、経験してないけど経験したような雰囲気を自分の中で考えることができる。イメージとか考えっていうのは、自分が経験したこととは全く違う。
百聞は一見に近づで聞いたことと自分が見たことっていうのは全く違うんですけど、そこからさらに自分が経験したことっていうのはさらに違うと思っていて、全然深さは違うんだけど、そういう思考を持つっていうこと自体はできるような気がしてるので、
実生活においても、小説においても、この人はこう考える。違う人は違う風に考える。そういうことの訓練になってたんじゃないかなと。それをもって今僕は結構得意と思ってるんですけれどもね。
人それぞれの考えとか、個性を認めるっていうことは結構できるっていう言い方じゃないな、これは。それぞれの個性を認められる、汲み取れる考えを持ってるんじゃないかなって思うんですけど。
だからそれが自分よがりの思いであったとしても、幅広くパターンって言ったらちょっと違うような気がするんですけど、こういう考えの人なのか、はたまた逆説的なこういう考えなのか、その中間であるのか、全く別の考え方なのか、みたいなことをはかり知れることの学びが今までにあったんじゃないかなと。
そういうふうに思ってるんですね。本とかその擬似体験というものは。
だからこそね、この自分と全然違う考えの人の気持ちっていうのも尊重できるし、また言ってることがコロコロ変わるっていうことも人もいるじゃないですか。
それも全くそれは嘘じゃなくてコロコロ変わる、その時その時の気持ちが変わってるだけで一貫してその芯がないみたいな捉え方もできるように思いますけれども、その人の芯が移り変わってるっていうふうに考えることもできますし、
そういう認め方というか捉え方をすると多様性は認められるんじゃないかなって、僕はいろんな人を見たり聞いたりしながら観察、観察?思います。
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今このままずーっとずーっと喋ってたらいいなーって思うんですよね。ちょっと今ね、実はね、飲みながら家庭内で妻とお話をしてたんですけれども、ビールを日本酒日本酒日本酒ワインワインワインみたいな感じでさんざん飲んでるんでね、上手に話ができてるような気がしてますけど、
結構ね今もね深い話してましたよね。途中で一瞬ね、だからこれライブ立ち上げるなり収録ボタン押すなりしたら面白いんじゃないかなと思ったんですけれど、まあまあまあそういうことはしたこともないしあんまりしてみようかなとも思ってないので、それらをまとめた話を今してみようかなと思ってちょっと外に出て車の中で収録してるんですけれども、
今話してた家でしてた話の内容をもっとするともっともっとこれ長いこと喋ってられるんですね。
いろんなところに話が派生して、ああでもそういう考えないいないいなと、ああわかるわかると、ああそういう考えなんかといろいろ思うことがあったんですけど、これ以上喋るともう今すでに10分あと20分30分40分喋ってられるんでここまでにします。
ありがとうございます。また明日お話しさせていただきます。どんな話になるか苦しいのかあっさりするのかわかりませんがまた聞いてくださいよろしくお願いします。ではまた失礼します。明日です。よろしくお願いします。