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こんにちは、いわみです。
12月17日の日曜日、いかがお過ごしでしょうか。
珍しく日曜日に配信をしているんですが、
妻と子供はね、なんかちょっと散歩に行ってるんですよ。
朝早くからね。こんな寒いのに。
物好きだなぁと思いながら、
時間ができたので、作業したりとか、
もうすぐ帰ってくるかなと思うので、
ラジオでも撮ってみようかなと思っています。
前回の配信にレターをいただきました。
とりあえず読んでみますね。
はじめまして、
小山田さんのインタビューの回を拝聴しました。
小山田さんが障害者をいじめていたのは、
高校生でもなく、小学生の頃の話ですね。
誤った情報が元で始まった騒動でしたので、
細かいことですが、指摘させていただきました。
というレターをいただきました。
ありがとうございます。
そうですね。
僕確かその配信の中で、
高校生ぐらいの時だったかなって話をしたんですけど、
正しくは、小学生の時っていうことですね。
その時にクラスメイトに障害者の人がいてっていう話ですね。
このいただいたレターにもあるように、
誤った情報、
小学生か高校生っていうのは、
まあ、些細な差かもしれませんけど、
こういったね、
情報が、
ちょっとした違いが広まって、
炎上に繋がったことって考えると、
それも大事なことなのかなと思いました。
ありがとうございます。
その前の配信にはコメントをいただいたんで、
それも読み上げさせていただきました。
読み上げさせていただこうかなと思います。
聞き心地のいい音声配信を作るコツという配信をした回に、
食卓DJタダノブさんからコメントをいただきました。
ゲスタルト崩壊でしょうか?自信なし。
書いた文章でもテンポがいいとか言いますもんね。
言語音楽の中間の話は、
気がしていてすごく興味深いです。
一定のリズムはセロトリンが出るとか言います。
靴傾向でウォーキングを進められる一旦とかなんとかというコメントですね。
これはどんな話をしたのかというと、
もうちょっと忘れかけているんですけど、
確かに僕が人のラジオを聞いていて、
心地よさと心地よくない、
喋りの差は何かというのに気づいた話をしたときに、
リズムということなんですけど、
音を意味性みたいな、
その喋りの意味をとりあえずほっぽっておいて、
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喋りのただ声が出ているのを音楽的なリズムとして捉えて、
それが心地よい喋りなんじゃないかという話をしたときですね。
ゲスタルト崩壊って、
僕これを言いたかったんですけど、
その時その言葉が出てこなかったんですね。
ゲスタルト崩壊、あえてwikipediaとか調べずに喋りますけど、
確か何かものとか文字とかをじーっと穴の開くほど見ていると、
だんだんそれが意味をなさない図形に見えてくるっていう、
確かそういう現象のことをゲスタルト崩壊だと思うんですよね。
多分大体大まかなところはあっていると思います。
僕はこのゲスタルト崩壊っていうのは何か面白いというか、
いろんなことに応用できる、応用できるっていうのが考え方というか、
やり方だと思っていて、
僕がここで前回の話のときに言ったのは音声ですね。
だからこれはゲスタルト崩壊とはまたちょっと違うと思うんですけど、
でも何かをじーっと意味がなくなるほど見るっていうのは、
もしくは意味がわからなくなるほどずーっとただ聞いてみるっていうのは、
なんか別のものが見えてくるなっていうのを思ったんですよね。
例えば文字とか漢字とかをじーっと見ていると、
漢字ってもう意味がわかっていると、
その一つの図形で新しいたとか、前だとか後ろだとか、
いろんな漢字がありますけど、今目の前にあった漢字を読んだだけですけど、
比較とか録音とか、文字で意味が一緒になって僕らの頭には入ってきますけど、
それをただじーっと穴の開くほど見ていると意味がわからなくなるっていうか、
意味のことを頭の中から切り離して単なる図形として見ることができる瞬間みたいなのが、
それがゲスタルト崩壊だと僕は思っているんですけど、
それをすることに何が起こるのかっていうと、
別の観点から物事を眺められるようになる、きっかけになるっていうことだと、
いきなり話は飛ぶようで全然関係ない話をするようなんですけど、
人間をただの猿だと思ってみる。
例えば動物園とかにチンパンジーがいますよね。
僕この間子供と近くの割と大きな動物園に行ってきて、
チンパンジーの織り子屋でじーっとチンパンジーたちを見ていて、
面白いなと思ったんですけど、
彼らというかチンパンジーたちはいろんな群れがあって、
それなりの社会があって、
大体見ているとどれがボスでっていうのが見えるんですけど、
人間をただの文化とかそういう価値とかをあんまり、
なるべく切り離してただの猿だと思って見てみるっていうのはね、
僕は結構発見のある見方なんじゃないかなと思っているんですよね。
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例えば会社とかでオフィスとかで、
席が並んでていろんな人が仕事してて、
部長とかいらっしゃいとか社長とかいるかもしれませんけど、
それをただの猿と思って、
背広を着た猿だと思ってじーっと見てみる。
なんかね、見えてくる。
ちょっとうまく言えないですけど、
そういうのがあるんじゃないかなっていうことですね。
タメスエ大さんが書いた最近の本で、
熟達論っていう面白い本があるんですけど、
それの中にカンっていう考え方があって、
僕はそれは割とゲスタルト崩壊と近いんじゃないかなって。
これは現代の五輪の書みたいな感じで、
宮本武蔵が書いた五輪の書を現代版にしよう、
を作ろうと思って書かれたみたいなインタビューを読みましたけど、
僕も五輪の書は読んだことないんですけど、
要するにこれ何かを極めるときの道筋を、
五個に分けてっていうことですね。
タメスエさんの熟達論では、
確か言う型、カン、シン、クーってですね。
言うっていうのは遊ぶ。
型っていうのは決められたことを何回もやる。
次のカンっていうのが見るですね。観察のカンで見えてくる。
で、シン、中心が分かる。
最後のクーっていうのは自分の中心が分かる。
中心が分かる。
最後のクーっていうのは自由自在っていうことで、
順序を通って人は物事に熟達していくっていう内容の本だったんですけど、
このカンっていうのは要するに全体の構造が分かるっていう。
今ゲスタルト崩壊の話をしてて、
それをいわゆるカンっていうのはゲスタルト崩壊と似ているというか、
同じようなことなんじゃないかなと。
要するに同じことをずっとやったりとか、
ひたすら物を何かを見続けていたりすると、
引き出物が見れるようになるっていうか、
それが意味をなくした状態で見ることができるっていう。
意味をなくすっていうのは、別の言い方をすると、
近視眼的なものから逃れることができるみたいな、
そういうこともあると思うんですよね。
一つの意味を知っていると、そこにとらわれて近くからしか物を見れないけど、
人間を猿と見たりとかチンパンジーとしたり見ると、
一人の人間とかそういうことじゃなくて、
全体の社会としてどういう動きをしているのかっていうのが見えるようになるっていう。
チンパンジーの例えはちょっと余計だったかもしれませんけど、
そういう意味性を排除するっていうのは、
僕は最近はなかなか興味深いっていうか面白い考え方だなと思って、
気づくとやるようにしています。
今日は日曜日なんですが、
天気予報だと今日ぐらいから全国的に寒くなる予報が出ていて、
かなり気合を入れて防寒対策っていうかしてみたんですけど、
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それほどでもないか。
でもそんなに思ったより寒くないというか、
これは天気予報が外れたのか、こっちの四国のほうはこんなもんなのかっていうのは、
いつも言っているけど、まだこの土地の間隔がよく分かっていないので、
昨日ぐらいまで20度ぐらいあったんですけど、
一応今日は天気予報だと最高気温7度ぐらいになっているから、
一気に寒くなっていますよね。
でも僕はまだ今日外に出ていないんで、
外はどのぐらい寒いのかよく分かっていないですね。
家の中にいる限りは日が照っているし、
割と暖かいなと思うんですけど、
外に出ている妻と子どもたちはもしかしたら凍えているのかなと思いますが、
そろそろ帰ってくると思いますので、
今日はこんな感じで終わりにしたいと思います。
それではお聞きいただいてありがとうございました。
良い日曜日をお過ごしください。
さようなら。