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こんにちは、いわみです。12月15日の金曜日。
今日もお疲れ様でした。もう金曜日で、12月15って半分来ましたけどね、いつも言ってますけども、
年が終わろうとしているっていう。今年は特に僕は個人的にいろいろあった年なので、自分のね、その環境の変化とかあったので、
この年ってね、2023年は自分の中ではとっても大きな意味を持つ1年だったなと思っています。
高地は今日も20度ぐらい気温があってね、暖かいんですよね。これは何だろう、
日本全体がそうなのか、四国だけの現象なのか、
引っ越してきた自分にとってはまだわからないんですけど、冬を越した経験がまだないので、
でもなんとなくそのね、今年は暖冬なのかなと思って、 寒いよりは暖かい方がいいですけど、こんなにね、12月になっても20度とか言ってると
なんとなくね、自分としては大丈夫かなっていう気もしたりはしますね。 今日は
ネットで読んだ記事の、 すごい考えさせられる記事を読んだので、それについて思っていることをつらつらと話してみたいと思います。
何の記事を読んだのかというと、 尾山田恵子さんと
小木上知紀さんの対談の記事が、 これはなんて言うんだろう、wejiって言うんですかね。
weji.comっていうサイトに出ていて、それを読んだんですね。 12月13日に発表された記事だから、まだ2日ぐらいしか経ってない。
結構ホットな記事だと思うんですけど、 尾山田恵子さんって一時期ね、めっちゃあの話題になったというか、もっと言って炎上してましたよね。
あれについての、その炎上についての今思っていることみたいな 記事の内容なんですけど、
ちょうど東京オリンピック、パラリンピックの時に 尾山田恵子さんの過去の何て言うんだろう、
雑誌のインタビューで話していた、いじめ問題みたいなのが もう一回再現して、それによっていろいろ
辞任とかに追い込まれたっていうね。 確かオリンピックの音楽監督なのか、音楽の担当をしていたんだけど、
オリンピックが始まる直前になってその問題が炎上して、 結局尾山田恵子さんはそれをやめざるを得なかったっていうことですね。
改めて経緯をね、別に説明するまでもないと思うんですけど、 でもいきなり感想を言ってもあれなので、なんとなくその
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大まかな流れを、頭を整理する意味でも聞いている方の、 知らない方もいると思うんで、ざっと説明を短くできたらと思うんですけど、
多分学生時代、尾山田恵子さんが高校生ぐらいの時に いじめに加担していたっていう。
それが、しかも身体障害者の人に集団で結構 残酷ないじめをしていて、さらにそれをその
雑誌のインタビューで面白おかしく語っていたっていう。 確か2年ぐらい前ですよ、2021年だからオリンピック。
2年前ですかね。2年半ぐらい前。 当時僕もそれを読みましたけど、
ロッキングオンの記事は見てないですね。 それがなんか転載されたような、その sns で流れてきたのを見て、僕はその時にその記事を初めて知ったんですけど、
確かにこれはひどいなっていう内容でした。 でもそれによってその炎上とかしてすごい追い詰められたわけですけど、
これはこの2年経った今、それをもう1回ひっくり返してどうするんだって思うかもしれませんけど、
この記事はすごい考えさせられるし、 とっても大事なことだなって僕は思ったんですよね。
いきなり結論から言っちゃいますけど、 他人を裁く権利が知らない人にあるのかって、僕はそういうことだと思うんですよね。
突き詰めて考えると。 だいたいそのこのニュースとか、この記事、2年前の事件を知った時にも、
多くの人はですね、多分その小山田慶吾さんが何をやってどの程度加担していたのかっていうことを知りたがると思うんですよね。
まあ週刊誌とかで多分そういうことをやるメディアだと思うんですけど、結局真実はわからないわけですが、
雑誌ではその小山田慶吾さんは、高高高に同級生である身体障害者の、結構柔道なのかわからないけど、
に対していじめをしていたっていう。 この記事にも書いてあったんだけど、その小山田慶吾さんが通っていた高校は、
そういう多様性みたいなものをその当時からおもんじる学校で、 クラスに必ず一人とかそういう障害者の人を入れるような方針だったそうなんですね。
当時からすると結構新しい学校で、多分私立とかそういうことだったのかなと想像しましたけど、
その中でいじめが行われていたという。 本人がやってないことまでもその本人がやったように、
当時の時代的なものもあるかもしれませんけど、 あと雑誌を面白くするために編集が入った部分をね、
本人が語ったこと、自分がやってないことも自分がやったように見せかけられたみたいな、そういう話もありましたし。
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でもね、僕は本質的なところはそこじゃないと思う。 どれを自分本人がやって、どれを他人がやったのかっていうと、
それは突き詰めて考えると、ひどいこと、これ以上ひどいことをやっていたら許されるべきじゃないし、
これをやってないんだかったら、そんなにひどいことをされるべきじゃない、炎上するべきじゃないっていう、
せんびきを勝手に無意識にしようとしているなっていうことにですね、 僕はその記事を読みながら思ったんですよね。
その当時のロッキングオンのインタビューで書かれていたそのいじめの内容っていうのは、
かなり本当に不快感を思わせる内容が書かれていたのを、
僕はね、それも天才ですけど、まあ多分それは雑誌に書かれていたっていうのは間違いないですよね。
それだから本人がどこまでやったのかっていうことをですね、やっぱりどうしてもみんな気になると思うんですよ。
みんなというか、僕は気になったわけですよ。 本当に本人がやったのか、それとも雑誌でたら答えているだけで、
実は別の人がやっているのかっていう。 でも繰り返しになりますけど、そこは問題じゃなくて、
知らない人が裁く権利があるのかっていう、そういう問いだと思うんですよね。
すごいひどいいじめをね、本人が本当にやっていたとしたら、だったら別にいろいろひどいことされてもしょうがないじゃないかって、
思う心ってあるんですよね。 この雑誌の
インタビューにも書かれていましたけど、まずその電話が鳴り止まない。自宅とか、
あと事務所とか、あとその 音楽活動していたような施設とか、
あと関係ないところと、 障害者施設みたいなところからも
抗議の電話とかいっぱい来ていて、 ありとあらゆるところに、家族とかもそうですよね、にもすごい
誹謗中傷が飛んできたりとかして、まずそれが何でしょうね、 流れ玉みたいのが多すぎるっていうか、
それで 本人もそうだし、家族もだからメンタルをやられて、
場合によってはそれで 命を落としてしまうというか、自殺してしまうような人も
いるわけですから、それは絶対にいけないことですよね。 でも
想像すると、 僕はその2年前のこの事件が起きたときにも想像したんですけど、
SNSにですね、その
無数の何万個の自分の批判的な リプライみたいなのがあったらですね、
やっぱりどんな心が強い人でも 絶対やられちゃうと思うんですよね。
で、書かれていましたけどそこにも、 書いてる本人はですね、結構気軽にですね、
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スナック感覚というか、簡単な気持ちで批判の気持ちを書いていたりとか、中にはね、すごい
ひどいことを書いてくる人もいるかもしれませんけど、 でも問題なのは多分その数ですよね。
しかもその弁明の使用もないし、 これは別に
これに関しては自分はやってないんだとか、全然その尾ひれがついているみたいな、
言えないし、まあ言ったら言ったでもっと広がるからもう、 見ないしか方法ないわけですね。
でもそれでもやっぱりね、家になんか庭に人がね、知らない人が庭に忍び込んできたとか、なんか
その家族にもね、電話が鳴り止まなかったみたいな、そういう話が、それはね、
もうメンタルがやられますよね。多分結構だから、今も尾山田さんは割とそれで、
心も体も結構ダメージを食らっているそうなんですけど、 そういうことを知った時に、
ひどいことをやったんだから、まあ10年前だろうが20年前だろうが、しょうがないじゃないかって、
ね、いう人も多分いると思うんですよ。 僕はそう思わないというか、
でもここもね、難しいところで、 何年経ったからもういいじゃないかとか、
ここまでやってないんだからいいじゃないかとか、これ以上やってんだったらしょうがないとか、
そういうね、線引きをね、やっぱりね、無意識のうちにしようとしているなっていうことに気づいて、
僕はここが一番なんて言うんだろう、 問題というか、
怖い部分だなって思ったんですよ。 それが何で怖いのかっていうと、
そのネットメディアだけで事実を知ることはできないし、
そこにね、特に昔のことだし、 全く知らない人のやってることだし、
それにね、それを読むだけで何か自分に判断できると思っているところ自体がですね、
結構恐ろしいことを自分は考えているなって、 だからめちゃくちゃ一気にその身近な例とかに置き換えてみると、
例えば家族とかの、家族と何か口喧嘩とかね、何か口論とかしたりしますよね。
それを内容を文字起こしして、 ネットに上げて、皆さんどっちが悪いと思いますかって、
聞いているようなもの、それよりもっと酷いと思うんですけど、 でもそれってその書き様によっては全然その内容がね、
変わるし、 そこに至るまでの経緯とか、
他の人が絡んでくる背景とか、 本人の性格とか色々あるじゃないですか。
そういうのを全部すっ飛ばして、 イジメをやったとか、こんなに酷いことをやったみたいなことを書いて、
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多分あそこで騒いでた人っていうのはほとんど小山田圭吾さんというの、 名前は知っているけどみたいなぐらいの人がほとんどだと思うんですよね。
僕は時代的にも、 あと音楽をやっていたっていうのもせいもあって、
コーネリアスっていうね、一人だけどコーネリアスっていう、 ユニット名なのかな?
好きなアルバムもあったから、割と好意的には見てた部分があって、 だからこそこのニュースに興味を持っていたわけですけど、
でも多くの人はその全く知らない人がやった、 初めて聞いたその何行かの文字を読んで、
これは酷い脊髄反射みたいな反応をして、 たぶんね家に押しかけたりとか電話かけてる人もほとんどその小山田さんのことを知らないでやっているわけですよね。
それはね、本当に恐ろしい状態、状況だなって 思うのと同時に、
でも世の中に起きている炎上騒ぎとか、そういう誹謗中傷みたいな、 ほとんどがこの構造なんだなっていうのも思ったんですよね。
相手のことをよく知らない人がやった、 というふうに書かれていたり言われていたりすることだけをね、
短い文章を読んで、もしくはその話を聞いてとかですね。 人によってその人伝に聞いただけみたいな、そういう時もありましたね。
そこでその無意識で判断して、多分これだから、 なんか本能的なもんですよね。
この人とこの人がこういうことを言ったりやったりして、 人間はそこで無意識のうちに判断というか、
ジャッジをしようとするわけですよね。 それでその自分が下したジャッジに相手がどういうダメージを受けるかっていうのは、
そんなに考えていないというか。 友達同士とか家族同士でそれを一言二言言ったり話し合ったりするぐらいだったら、
あれだけど、今はそれがSNSで本人にも届いちゃって、 それがものすごい何万とかいう石つぶてというか、
矢みたいになって飛んできて、それで精神がやられちゃうっていうのは、 やっぱり良くないし恐ろしいことだなと思います。
記事の内容もあれだし、インタビューしている人が小木上知紀さんって、 この人はジャーナリストというか、
TBSで今もラジオやってますよね。小木上知紀のセッションっていう。 僕はよく車に乗っていた時期に、ちょうど4時ぐらいだったかな。
毎日平日配信している報道番組だったんで、よく聞いてたんですよね。 多分僕と同い年ぐらいの人だと思うんですけど、
すごい鋭いっていうか、優秀なジャーナリストだって思うんですね。 それをこのインタビューでも感じたっていう。
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普通だったら、こういう炎上した時に2年経ったとはいえ、 インタビューさせてくださいって言われて、あんまりはいって言わないんですよね。
しかもそれが、どこぞの誰だかわからないのが人のインタビューだったら、 だいたい断ると思うんだけど、
これがインタビューが小木上知紀さんだったからっていうのもあるだろうし、 あとこの記事の中で小山田さんも言ってましたけど、
なんていうか、食材と思われるのが嫌だというか、受け止められたくないというか、
難しいですよね。だから大炎上した人っていうのは、何年後かにそういう奉仕活動とか何かをしようとすることって結構あると思うんですけど、
中には償いみたいな気持ちでやることもあるけど、小山田さんの場合は、これはだから人生の新しい目標みたいなことを言ってましたけど、
障害者とか社会貢献をすることが。でもこの記事を読む限り、僕はそれは綺麗ごとには聞こえなかったというか、
過去にやったこととはいえ、やってないこともあったとはいえ、
ものすごい自分の人生が変わっちゃうほどの大炎上を経験して、それをきっかけに
別にそれを許してもらおうとするんじゃなくて、自分の人生の目標みたいな、やるべきことみたいなのを新たに設定し直すみたいなのは、
説得力があるというか、思ったんですよね。
それでもう一つ思ったのは、インタビューしている方の小木上知紀さんの姿勢というか、
やっぱり基本的にその相手の見方というか、相手に寄り添う姿勢というのを見せないと、
インタビューされる方というのは正直に答えてくれないですよね。
インタビューのテクニックという面もあるかもしれないけど、基本的にそのなんでしょうね、
別に平等な視点でというか、どっちかというとその場においてはその人、インタビューする人の完全な味方であるという状態で接しないと、
相手は本音を答えてくれないし、心を閉ざしちゃいますから、インタビューだけじゃなくてこれはコミュニケーションの前提条件だなと思ったんですよね。
一番最初に、この記事の中の一番最初ですけど、小山田さんに対して小木上さんは最初にお彼らの調子はいかがでしょうかというところから始まるんですよね。
当時は非常に多くの報道がありましたし、相当な精細的な反応もあったと思うんですがっていうところに入って、
挨拶といえば挨拶ですけど、でもなんか僕はですね、相手のことを本当に分かってないとこの質問は出てこないなって、
真実とか本当の状況っていうのはよく分からないけど、とにかくその相手の方に寄り添って話を聞くっていう。
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さらに言うと、だからその真実がどうあれ相手に寄り添うっていう。これは家族でもそうですけど、ちょっと今言い方が違いましたね。
家族だったら別に家族が例えばね、自分の子供がどんな悪いことをしたりしても基本的にはその許すっていうスタンスの人間が
多数だと思うんですよね。親の場合は特に。 単人になるとそれが
メモリの上下でジャッジが変わるっていう現象が起きるなって思って。 これは僕はなんて言うんでしょうね。
やっぱり傲慢だよなって思ったんですよね。 なかなかうまく言えないですけど、これについていろいろ
この先も考えてみたいなと思わせるとても良い記事だったので、皆さんもそんなに長くないので
weji.comの今一番新しい記事ですね。 リンクを貼っておこうと思いますので、よかったら読んでみてはいかがでしょうか。
それでは終わりにしたいと思います。 ご聞きいただいてありがとうございました。良い一日を
良い週末を過ごしてください。 さよなら。