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2024-02-12 15:46

コミュニケーションは「趣味を介在」させると円滑になる。推し活や読書会について。


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00:05
こんにちは、いわみです。
2月12日の月曜日いかがお過ごしでしょうか。
今日月曜日ですけど、振替休日ですね。建国記念日。
僕住んでいるのは四国なので、建国っていうのはどの建国にあたるのか、恥ずかしながら知りませんけど。
もともとのね、その日本が生まれたきっかけって多分島根とかあっちの出雲とかですよね。
子供の絵本をきっかけで、そういう日本神話とかよく読むようになったんですけど。
大名持とか、あれは大国主ですかね。の別名ですけど。
多分出雲で生まれて、すごい大人数の兄弟の末っ子的な役割で、初めはすごいいじめられてたんだけど、いろいろ認められて。
結局ね、スサノオの元に行って、スサノオの娘を妻にして、大国主になるっていうね。
いきなり話がね、わけわかんない方にいってますけど。
日本神話ってね、神話って日本に限らず、結構読んでみると面白いものが多いですよね。
基本的には物語で、多分発生の原理としては、その当時の国の権力者たちが自分の権力を正当化するためにね。
私たちはこういう人たちの先祖なんです。子孫なんですよってことを言うための物語として作られたという説があるみたいですけど。
それは抜きにして考えると、なかなか面白いなと思ってますが。
建国記念日ですね。2月11日の建国記念日は、多分もっと後の話なんじゃないかなと。
どうなんだろう。言っててわかんなくなってきましたけど、これは深く追求せずに言ってみたいと思います。
昨日肉離れをしたっていう話をしたんですけど、しばらく治りそうになくてですね。
普通にしている分には痛みとかはないんですけど、やっぱりいかんせん足なので、移動に困難があって、結構不便だなと感じています。
歩けないことはないんですけど、自由に歩けないのはこんなに不便なんだって思ってますね。
ちょっと不適切かもしれませんけど、身体が不自由な人っていうのはこういう感じなんだなっていうの。
手すりがあるのはこんなに助かるんだって思ったりとか、段差がきついなと思ったりとかそういうことがありますが、
まだしばらく治るには時間がかかりそうです。
動けないとあんまり外にも出られないので、気分がうつうつとしてくる兆候があったので、
せめて何かしゃべっておこうと思ってそんな配信になるんですが、
特に話題もありませんが、思っていることを思いついたままにしゃべってみますと、
コミュニケーションについてよく考えるんですけど、
03:00
趣味を介在させたコミュニケーションっていうのは便利というか円滑になるなって思った話をしてみたいんですが、
コミュニケーションを2つのタイプに分けて考えてみたいと思います最初に。
まずは近い家族とかそういう近い人たちとのコミュニケーション。
これは生活に根差したコミュニケーションみたいなものですけど、
もう一つはあまりよく知らない人というか他人というか初めて会った人も含める人たちのコミュニケーションで、
さっき言った趣味を介在させるコミュニケーションというのはどっちかというと後者ですね。
新しい人たちと触れ合うときのコミュニケーションツールとしての趣味というのはすごい役に立つというか、
むしろ趣味というのはそういうもののためにあるんじゃないかと思ってきたという話なんですが、
全くその趣味で合わない人たちと会話をするというのは話題もないし、
それ以前に触れ合う機会がない。
僕は音楽が好きだったりとか読書が好きだったりしますけど、
それをきっかけで触れ合う何かしらの突破口があったりとか、
もっと大きいというか重要なこととして、
趣味のことについて語っている間は自分を開示する必要がないというのは、
これが僕は大きいなと思っていて、
どういうことかというと、
コミュニケーションというとつい自分のことを自己紹介とか、
自分の意見みたいなのを言わなければいけないような気がして、
いきなりそれをするのってハードルが高いと思うんですよね。
いきなり初対面の相手に自己開示をするって、
特に日本人とかだとハードルを高く感じる人がいると思うんですけど、
そのときに自分と距離があるものについてお互いに話しながらコミュニケーションをすると、
自分そのものを別に語らなくてもコミュニケーションができるっていうね。
僕はやらないんですけど、ゲームとかでコミュニケーションする人って、
若い人とかが増えているっていう話を何かで聞いたことがあるんですけど、
メタバースとか言われるような、あれは何て言いましたっけ、
フォートナイトとかだと、
友達とかと、リアルの友達とゲーム上で放課後に集まって、
作戦をしたりとか、敵をやっつけたりとか、何かを建築したりとか、
そういうことをするらしいんですけど、
そこには音声通話がついている。
今のディスコードとか使って音声で通話しながらゲームをやるっていうのは、
結構一般的になっているらしいんですよね。
それで基本的にはゲームのことについて話すわけだと思うんですよ。
次はこういう作戦で行こうぜとか、
俺はこっちに行くから、お前はあっちから行ってくれみたいなね、
そういうゲームの作戦みたいなことを話す中で、
06:00
でも僕は想像するんですけど、
そういう常に張り詰めたゲームの話をするんじゃなくて、
たまに多分空き時間みたいなのができる気がするんですよ。
時間待ちとか、労働を待っているとか、
もしくはゲームオーバーになっちゃってやることがないとか、
そういう時間があるんだとして、
その時も音声が通じているとしたら、
多分その時に割とふと出た言葉が、
割と深い話に展開していったりするっていうのはあるような気がしていて、
これ完全に僕の想像ですけど、
今はゲームの中の友達とのコミュニケーションで、
僕らの時代で言ったら何でしょうね。
僕は高校の帰りに近くに公園があったんで、
友達とコンビニに寄ってお菓子とかジュースとか買いながら、
友達と喋ってたりしましたけど、
あとはあれですね、
麻雀が好きだったんで、
友達の家に集まって徹夜で麻雀とか、
でもあれは高校生終わったとか、
仲間と高校生、高校出た後に集まって、
結構定期的にやってたことがありますけど、
例えば麻雀をしながらですね、
基本的にはゲームをやってるわけだけど、
でもお互いの近況とか、
もしくは今流行っているテレビとか、
ゲームとか漫画とかについて話したりしますよね、
全く麻雀とは関係ないことの話。
何気なく出た会話っていうのが結構コミュニケーションとしては重要だし、
目的は麻雀なんですけど、
でもどっちかというとコミュニケーションで一緒にいて何かをするって方が、
多分楽しいというか、
会社とかでミーティングをするときに、
ミーティングをしようみたいなことを言って、
集めるとあんまりその場が盛り上がらないんだけど、
寄せ鍋をしようって言って集めると、
むしろその仕事の話が進むみたいな、
そんな話を、ちょっとニュアンスは違いますけど、
そんな話を聞いたことがあって、
割とこれも似たようなことなのかなと思います。
つまりその目的はですね、
目的というか名目、
お題目としては楽しいね、
ゲームとか寄せ鍋とか、
ご飯を食べるでもいいですよね、
そういうのをしておいて、
その裏に隠されていなくてもいいんですけど、
コミュニケーションを進む。
本来の目的としては本当はそこにね、
裏テーマみたいなのはコミュニケーションにあるみたいな、
そういうことですよね。
最近よく聞く言葉で、
推し勝つっていう言葉をネットでもよく聞くと思うんですけど、
推しってね、結構国際的に日本語として広まった言葉みたいですけど、
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推薦の推って書いて、
僕は何を推しているのか自分ではよく分からないですけど、
何かしらの推しがあるんでしょうね。
推し、もしくはファンダブっていう言葉もあるみたいですけど、
そういうのってアイドルとかアニメとかが分かりやすいと集って、
でも逆にそれはなんですよね、
僕らが古い人間かもしれませんけど、
思うようないわゆるオタク的な集まりっていうだけじゃなくて、
むしろ作品とかアイドルをコミュニケーションのプラットフォームみたいな風に
使っているんじゃないかなって僕は想像するんですよ。
それってね、趣味を開催させたコミュニケーションと同じことだと、
ファンアートとかそういうのも流行ってますよね。
人気の漫画とかアニメを自分たちで二次創作って言いますけど、
もともと二次創作って結構僕らの時のイメージだと、
人気のアニメのちょっとパクリというか、
割とドロドロした使い方をされていたような気がありますけど、
今むしろそれがファンアートありきの作品作りみたいなのが
結構そっちの方がメインに主流になってきているっていうらしいんですよ。
よく知らないんでこれも喋ってますけど、
なんとなく理解できるような気がしてきたんですね、最近。
要するにそれはみんなが受けてじゃなくなってきた。
受けてだけだとつまんないっていうことで、
漫画読んでるのは確かに楽しいですけど、それについて何か語りたいわけですよね。
もしくは語るのがもっといくと、それを二次創作として
自分で何か発信したいっていう風になるっていう。
その時にそこに同じような趣味を持った人たちが集まって、
そこにコミュニケーションが生まれたりとか、イベントが発生したりとか、
もしくはファンアートから有名になって、
自分がそういうクリエイターになる人っていうのは、
発信とかクリエイターのルートみたいなのが随分変わってきているというか、
自然の流れだとは思いますけど、
僕はあまりそういうのを今まで追っかけてこなかったんで、
理解できないところもありますけど、
ちょっとここはギャッチアップしていきたいなと最近は思っています。
僕がやっていることとしては、ファンアートとはだいぶ違いますけど、
最近、読書会っていうやつに何回か参加したんですよ。
オンラインの読書会があるんですけど、
僕が出たのは割と大手というか、
猫マチクラブっていう読書会の方があって、
結構毎日、大体Zoomでやっているんですけど、
12:00
この猫マチクラブって多分10年ぐらい前から、もっとやっているのかな。
僕は都内に住んでいるときに、
偶然読書会に行ってみたいなと思って、
参加したことがあるんですよね。
そのときはオンラインじゃなくて、本当にリアルの場として、
確か斉藤玉樹さんのラカンについての本だったんですけど、
その読書会に行ったときは、
本人も、著者の本人も来られて、
何グループかに分かれてディスカッションみたいなのをして、
なかなか興味深い体験だったんですけど、
それもあれですよね、言ってみれば。
ファンアートとは違いますけど、ファンダムとは違いますけど、
一つのコンテンツをプラットフォームとして、
受け手側がいろいろと考えを発信し合うっていう、
なかなか読書会っていうのも、
割と最近は一般的とか読書好きの人の中では、
当たり前と言えばないけど、
出てる人も結構多いんじゃないかなと思いますが、
やろうと思ったら自分でも主催できますよね。
この本について1時間なり2時間なり、
いろいろ話すんでっていうことですよね。
もともと読書会って最初に聞いて、
僕は本をみんなで読むのかなと思ったんですよ。
長い本を一段落ごとみたいに
朗読する会なのかなと思ったら、
そこではなくて、
だいたい読んだことを前提として思ったことを話す。
学校の授業みたいに本当に難しいテキストの場合は、
学校の授業みたいに読んで段落に区切って読んで、
先生が解説したりとか、
みんなで問題を出し合ってみたいな、
そういう読書会もありますけど、
もう少しライトというか、
読書を本を題材にした、
ちょっとしたビデオ会議というか、
そういう読書会が今結構あって、
なかなか面白いなとやってて思います。
割と取り留めなく喋りましたが、
そんな話でした。
コミュニケーションというのは、
趣味を改善させると円滑になって、
何かしらその共通テーマみたいなのがあると、
そのテーマというのははっきり言って何でもよくて、
属性みたいなことでみんな集まって、
本来の目的は公にはされていないけど、
それぞれが自分の思っていることを喋ったりとか、
コミュニケーションすることが、
実は目的なんじゃないかなと。
読書会とかもそういう同じような構造があって、
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ファンアートとか推し活みたいなコミュニティも、
作品のコミュニケーションのプラットフォームとして、
使っているような、
そういう活動なんじゃないかなと思っていると。
そんな話でした。
明日からまた平日になりますが、
お仕事ですね。
お仕事、介護、子育て、家事。
これ何かのマネなんですけど、まあいいや。
そういうのに頑張っていきましょう。
それでは、お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。
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