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こんにちは、いわみです。
2月7日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
音声配信ずいぶん久しぶりになった気がします。
2月に入ってから初めてだし、たぶん10日か2週間ぐらい空いたと思うんですが、
別に特に意味があったわけじゃなくて、なんとなく手がつかなかったっていうだけです。
普通に元気にしてはいますけど、そうですね、ちょっと風邪ひいてましたね。
今もまだちょっと鼻声ですけど。
今回は家族全員で、特にインフルエンザとかそういうのじゃないと思いますけど、みんなやられてましたね。
特に今回は妻が熱を出したりとか、仕事休んだりとか、結構大変でしたが、そろそろ平常モードになっているのかなと思います。
久々の配信ということで、僕のジンクスに従ってですね、なるべくどうでもいい話をしてみようと思うんですが、
ちょっと思ったことを話してみたいと思います。
何の話をしようかと思ってですね、またこれツイッターを見つけた話なんですけど、ドラえもんの話が出てたんですよ。
ドラえもんってね、うちの子供が小学校1年生なんですけど、最近ハマってるというか、コミックスを読んでるんですよね。
一回プレゼントで最初の3巻とかをもらって、なんか楽しそうに読んでたんですけど、
今図書館とかでもああいう漫画はあるんで、たまに借りてきたりすると、自分で分かるところもあるし、
読んでって言われて読み聞かせですね。絵本の読み聞かせの次はドラえもんの読み聞かせになるってね。
これどこまで読み聞かせが発生するのかわかんないですけどね。
ドラゴンボールとかまで読み聞かせになったらちょっと面白いなって思ったりもしますが、
とにかくそのドラえもんのことで、ツイッターで話題というか流れてきたのが、
テレビアニメのドラえもんが始まった経緯みたいなことについて発信してる人がいて、
ドラえもんってニッテリで始まったそうなんですよね、アニメが。
その時はすぐ終わっちゃって、原作の雰囲気は全く残ってなくて、
作者である藤代藤代先生、藤代藤代Fさんですかね、FとAがいますよね。
たぶんドラえもんを描いてるのは藤代藤代さんFの方だと思いますけど、
その方が結構がっかりして、すぐ辞めちゃったと。
それでその後で、テレビ朝日が脱信をした時もあんまり乗り気じゃなかったらしいんですよ、F先生は。
でもその時の担当だか、ディレクターだかが、高畑勲さん?
今っていうかもうなくなっちゃったのかな?ジブリでやって、有名な方ですけど、スタジオジブリで。
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その方が企画書が何かを書いて、それを見て藤代先生はOKを出したっていう。
その企画書の簡単な内容みたいのが添付してあったんですね。
簡単に言うと何が書いてあったのかっていうと、第1話を飛ばすって書いてあったんですよ、漫画の中の。
僕ん家にちょうど第1話があったんで、それ読んでみたんですけど、第1話ってつまりドラえもんが未来から来る場面ですよね。
お正月かなんかでのび太くんが家でゴロゴロしてて、結局外に出ていったんだけど、全然冴えなくていいことがなくて、
もう嫌だってなってるときに机の引き出しからドラえもんが飛び出してくるわけですけど。
つまりそもそもの大前提のところを第1話でやるわけですけど、アニメ版ではそれをやらないっていうのをまず主張してるっていうか、
そういう企画書が内容になってて、なぜかっていうと、それをやるとそれは別に大事じゃないっていうことを書いてあったわけですね、簡単に言うと。
ドラえもんの何が大事なのかっていうのは、ドラえもんが不思議な道具を出して、
のび太くんとか他の登場人物がすごい楽しくなるっていうか、そこに面白さがあるっていうことで。
だからアニメにするときには最初の第1話はなくていいっていう。
それはそのうち折り混ぜていくのか、別に結局それはいらないと思ってるのか、そこまでは書いてなかったですけど、
今の時代、何十年か経った今から見ると、その選択が正しかったっていうことは僕らにはわかると思うんですよね。
ドラえもんというものを知って、その後漫画読んだりするから、そういう大元のこととか知ってますけど、
そもそもの始まりの話は多分、映画のドラえもんとかにも出てきますよね。
そういうところにいろいろ折り混ぜられているわけですけど、
1回の30分番組のテレビのアニメ放送ではそれをやらないっていうのを一番最初に歌っているっていうのは、
それによって藤代さんが1回はやめようと思ってたアニメを許したっていうのは、なかなか興味深いというか、
多分僕のこれは勝手な想像ですけど、このディレクターはよくわかっているなって思ったから多分任せたと思うんですよね。
言い方を変えるとこれは結構編集みたいなことだなって僕は思ったんですよ。
僕は最近文章を書くライティングですけど、この編集みたいなことにちょっと興味があって、いろいろ自分でやっていたりするんですけど、
編集って言葉だけ聞くと材料があってそれを並べ書いたりとか、ディレクションするっていうね。
テレビのディレクターとかも多分構成を考えたりとかそういう仕事だと僕も思っていたんですけど、
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実際はもっといろんなレイヤーというかいろんな段階の層の仕事が編集としてあって、
多分この今話したドラえもんの話はそれの結構一番上の層の話だなって僕は思ったんですよ。
それはどういうことかというと、つまりこの話は誰に向かって何を伝えたいのかっていうのをわかっていないとこの発想は出てこないっていうか。
もっとその下の層から考えてしまうと、ドラえもんのどの話を最初に持ってくるかとか、
どういう割り振りにするとか声は誰にするとか、もちろんそういうのも大事なんですけど、
そもそもの設定として、もちろん原作の世界観みたいなのを残すみたいなのもそうだけど、
原作の世界観をテレビに残すために、テレビで伝えるためにどうするかっていうときの一番最初の主張というか、
こうしますっていうテレビ側の主張が第一話をやらないっていうことを一見全然関係ないことを言ってるようで、
実はこれはかなりクリティカルな答えだったんじゃないかなって僕は思ったんですね。
僕は最近その一人でいろいろ仕事をしていく中で、自分の好き嫌いというか特性みたいなのに割と気づく場面がたくさんあって、
文章を書いたりとか物を考えることはもちろん好きなんですけど、それをもうちょっと解像度を上げていくと、
どんなことに頭を使って何を書くのが好きなのか。いくらライティングとか文章を書くのが好きだとしても、
別に何を書いても楽しいわけじゃなくて、全然興味がないことだったら全く楽しくないじゃないですか。
例えば化粧品について書いてくれって言われたら、僕本当に途方にくれてしまうと思うんですよね。
だから自分が何について興味があって何を書いてるときに楽しいのかっていうのは、前々からだいたいわかっていたつもりなんですけど、
それがさっき言ったようなもう一個抽象度を上げてみると、書いている対象物はそんなに問題じゃないんだなってことが、
抽象度の高いものを結び合わせるのを考えているときは結構楽しいなっていうのを気づいて、要するにそれは編集みたいなことだし、
編集っていうのは平面にある材料を並び替えるだけじゃなくて、
それをもう一個上の次元から見て何を求めているコンテンツなのかっていうのを自分なりに理解して、
それにのっとって配置だとか何を引いて何を加えるみたいなのを考えるっていうのは楽しいなって思ったんですよ。
何が楽しくてなぜ楽しいのかっていうのは、いまいちよくわかってないんですけど、
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なんとなくわかってるけどまだそれは原稿ができてないっていう、僕が気になっていて、
いつか年をとって時間がめちゃくちゃ余って余裕があるときに勉強したいと思っている学問の分野みたいなのがあるんですけど、
それは記号論なんのこっちゃっていう話ですけど、ソシュールっていう言語学者がいるんですよ。
名前ぐらい聞いたことあるかもしれませんけど、何ソシュールだかちょっと忘れちゃい、出てこないですけど今、ど忘れしてしまいましたけど、
その言語学っていうものを作ったと言われるスイスか何かの学者さんですよね。
僕も本当にだから触りしか知らなくて、実際の著書を読んだわけじゃなくて、
それについて書かれている書物とかをいくつか読んで気になっていることですけど、
僕が気になったポイントだけをさらっと言ってみると、
言葉っていうのは単語とか言葉の一個一個には何の意味もないっていうことを言ってるんですよね。
じゃあ何に意味があるのかっていうと、それぞれの配置と相関関係で意味が成立しているっていう。
例えば犬っていう単語があって、もし日本語の中に犬っていう言葉しかなかったら、
そんなことは基本的にはあり得ないけど、もし例えばそういう状況があったとして、
犬っていう言葉しかなかったら、それは本当に何の意味もないっていう。
その他に猫とか馬とかネズミとかそういうのがいろいろあるから、
それが犬っていう言葉が犬という意味で成立するんだみたいな、そういう話をしていたんですよ。
これは本当に記号論の、しかもシニフィエシニフィアンっていう、
一つの概念の中のさらに一つだから本当にピンポイント中のピンポイントですけど、
僕は何かでそれを読んだときに、なんかすごいもっと知りたくなったんですよね。
その後もいろいろ本を読んでみたりしたことはあったんですけど、
正直あんまり理解できなかったんですよ。難しすぎて。
だからまだ僕には早いんだなと思って、そのうちやってみようと思って、
もう5年ぐらい経っているんですけど。
編集ってことが楽しいなっていう、その抽象的な入れ替えとか理解が楽しいなって思ったときに、
割とそれを思い出して、どこで繋がっているのかっていうと、それも難しいんですけど、
コンテンツ一個一個ですね、文章で言ったら単語よりももうちょっとセンテンスとか文章で考えてみると、
一個一個にはそれほどね、読みやすいとか読みにくいとか、文法が合ってる合ってないはあるけど、
それ単体だとですね、そんなに何ていうか価値はないというか意味が。
では何に意味があって価値があるのかっていうと、
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それをどういう配置で読ませていくかみたいなですね、見せていくかっていう。
それは言ってみればストーリーみたいなことなんですけど、
物語だけじゃなくてストーリーっていうのは前提が本質というか主張みたいなのがあって、
具体とかプレップ法とかいろいろ言いますけど、それも言ってみれば編集というか配置の問題なわけですね。
多分それも何かしらの根拠に基づいて何かを人に説明するときは、
まずその広い視野からの前提を説明して、そこからピンポイントで説明していくと相手の頭に入りやすいみたいな。
もっと長いコンテンツを作るときに、どこから入って何を次に出して何を出さないのかっていう、
何を見せないのかみたいなですね、そういうのを考えるにはなかなか深いし、
クリエイターっていうのはこういうことをやってるんだなっていうのを思った気がして。
ちょっと面白いなと思ったんですよね。
うまく言えないんですけど、自分のやっている仕事のちょっと1個深い面が知れた気がしてですね、
1個成長したかなと思ったという話なんですが、
まだ鼻声がちょっと直ってないんで結構お聞き苦しい声になっていたかもしれませんが、
そこはですね、マイクと編集の力で何とかしようかなと思っていますが、
今日の話はこんな感じで終わりにしたいと思います。
またこれからですね、平常モード戻ってくると思うんで、
毎日は、平日毎日に配信になるには多分もうちょっと間が空く気がしますけど、
ちょこちょこ気が向いたら話してみようかなと思いますので、よかったらまた聞いてください。
それではありがとうございました。
良い1日をお過ごしください。
さようなら。