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こんにちは、いわみです。
6月24日の月曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は珍しく、立って喋っているんですよ。スタンディングで。
いつもは椅子に座って、パソコンの画面に向かいながら喋っているんですけど、
それだと頭はよく動くというか、いろいろ情報が入るんですけど、
なんとなく声がこもるというか、あと息が続かなくなる傾向がある気がして、
今日は試しに立ちながら喋ってみようかなと思います。
それで何の話をしようかなと思って、書いたり話したりとか、
そういう発信の話をしようと思うんですが、
特にこれは何かを人に説明するときに、
頭がいい人が陥りがちな罠みたいなことについて話してみたいと思います。
人に何かを説明するときに、頭のいい人が陥りがちな罠ってあるんですけど、
何だと思いますかっていきなり聞いちゃいましたが、
どうしようかな、答えは別に言ってもいいんですけど、
あまり答えはありふれたものというか、なんとなく想像つくと思うので、
別の観点からいきなり話を差し込んでみると、
2つのポイントがあるとします。
2つの能力、人に説明をするときに2つの能力があるとして、
1つは対象の物事をどれだけ理解しているかという、
理解度の方、これを1として、
次の2を説明する力、分かりやすく説明する力とか、
相手の目線に立って説明する力ってね、
これどれが大事で、どっちの方が大事で、
どのくらい大事だと思いますかっていうね、
また質問とも言え取れない質問をしてしまうんですが、
これ僕の結論で言うと、圧倒的に2番なんですよ。
つまり、物事をどれだけ対象を説明するべき対象を
どれだけ理解しているかの理解度よりも、
相手の目線に立って分かりやすく説明できる能力の方が、
たぶん3倍くらい大事ですね。
3倍って大したことない気がしますけど、
そのくらいの感じを、
そのくらいの感じを持っています。
それで、頭のいい人、理解度とか読解力が優れた人、
頭がいいってね、理解力がある人は頭がいいって言われると思うんですけど、
ことね、人に何かを伝えるときにはね、
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この頭の良さみたいな、つまり言い換えると、
理解力、読解力みたいなのは、それほど役に立たないというか、
もっと言うとね、僕はね、その理解力が
ハンデになることすらあると思っているんですよ。
これは僕は自分で、人に物を伝えたりとか、
何かを説明する文章を書くことをね、最近やっているんですけど、
それをやりながら思ったことの大きな一つなんですね。
話を分かりやすくするために、極論というか、極論ですね、
を言ってみると、人に何かを伝えるために、
それを伝える、話している人、書いている人が、
必ずしもその対象、対象を理解しなくても、
理解していなくてもいい。
少なくともそれほど深く理解していなくても大丈夫。
そんなに極論じゃないな、これは。
だから極論として言ってしまうと、
その対象のことを全く分かっていない人でも、
ある程度の説明はね、できることですね。
これはさっきの理解力とか読解力が、
かえってハンデになるってことの表裏でもあるんですが、
よくね、テレビでも、ネットの記事でも、動画でも、
その物事に対して、色々説明とかね、
紹介をしている人っているじゃないですか。
そういう文章を読むこともあると思うんですけど、
その時にね、僕らはついつい無意識で、
これを書いている人は、すごくこの対象の物事について、
よく分かっている人なんだろうなと思うと思うんですよ。
物によってはね、大して知らずに書いているってこともあるかもしれないけど、
僕が何を言いたいのかというと、
もちろんその対象についてね、
深い知識を持っていたりすることは大切ではあるんだけど、
必要条件だけど、十分条件じゃないというか、
もっと言うとね、必要条件ですらないと思っているんですよ。
例えばね、料理をしたことがない人に、
料理の基礎みたいなのをね、教える時に、
教える料理の先生が、
必ずしもね、その料理のことをよく分かっている必要はないと思っていて、
それどころか、伝えるべきラインというか、
その合格点みたいなのが低い場合は、
必要条件を持っているんですよ。
その伝えるべきラインというか、
その合格点みたいなのが低い場合は、
むしろね、あんまりよく分かっていない人が教えた方が、
むしろね、分かりやすくなる場合が結構あるっていうのを、
僕は自分の仕事とかやっていることを通して、
身をもって学んだというか、分かってきたことがあるんですね。
今言っているのは、
程度の低いと言ってはあれですけど、
そんなに高いクオリティを求められていない場合のコンテンツというか、
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ある程度の、本当にね、ネット記事って言ってもいいんですけど、
ある程度の理解を得られればいいっていう、
その時に深い知識よりも、
読みやすさとか分かりやすさの方が圧倒的に大事なんですよね。
これを聞くとね、反感を持たれるというか、
あんまりそんなに意味がないんじゃないかって思う人はいるのは理解できるんですよ。
つまり、そんなね、はやふやな知識とか、
よく分かっていないのに、そうやって偉そうになるのか、
いろいろかき散らかすからネットのコンテンツはね、
質が下がるんだって言われたらね、
その一端を担っているかもしれない僕としてはね、
返す言葉もないんですけど、別に返す言葉はありますね。
何が悪いんだって言っちゃえばいいわけですが、
僕が言いたいのは、何て言うんだろうな、
さっき1と2を出しましたよね。
理解、理解する力、読解する力。
これを頭の良さとすると、1は頭の良さ。
2番を読解、説明する力。相手の目線に立つ力。
僕は2番の方が圧倒的に大事だと思っていると。
このことをもうちょっと具体的に考えてみると、
つまり1だけを持っている人と2だけを持っている人と、
それと1と2を持っている人の書いたとか話したコンテンツについて
考えてみると分かりやすいと思うんですよ。
言うまでもなく一番いいのは1と2両方を持っている人ですね。
理解もしていて説明力もあるという人。
その2番手と3番手を比べるのに、
1つをその対象についてすごく詳しいし、理解もしている。
だけどその人は相手の目線に立つことがあまりできなくて、
すごい頭が良くて理解力はあるんだけど、
結構小難しい言葉を使っちゃったりとか、
もっと言うと前提をすっ飛ばしてしまったりとか、
そもそもそれって何なんですかとか、
言葉の意味が分かりませんみたいなことが起こるね。
同じようにネットにはこういうタイプ、
そういう頭の良いだろうなという人が書いた、
多分本人の理解力はすごくあるんだけど、
でも読んでいるこっちからすると何のこっちゃよく分からない
という文章も結構見かけるんですね。
でも逆にそういう文章は最近はGoogleの検索では
上がらなくなってきた傾向があるので、
あまり見かけないかもしれませんが、
ノートとかそういうネット検索があまり関係ない
タイプの文章ではたまに見かけるかなという気はしますが、
大変偉そうな言い方になりますけど、
僕はそういう文章を見てしまったときにですね、
この人もったいないなって思っちゃうんですよ。
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物事をすごく理解しているし、詳しいんだろうけど、
でもそこから話したら普通の人は分からないし、
あなたと同じレベルの人だったら
その人にしか伝わらないよっていうことなんですよね。
よく分かっている人と同じレベルの人に伝えるんだったら、
その手段は多分ネットの文章とかじゃなくて、
もっと別の方法だと思うんですよね。
何だか分かりませんけど、それは直接会って話すのか、
サークル的なものなのか分かりませんけど、
少なくともそういうネットで検索をしたりとか、
よく分かっていない人も読むような場所に書くには、
前提をすっ飛ばして、すごく難しく書いてある、
文章っていうのは求められていない。
だから、いいねの数とか見てもよく分かりますけど、
そういう文章はほとんど読まれていないですね。
その時に別に僕は何を思うのかっていうのは、
もったいないなとか、気をつけなきゃなって思うこともありますけど、
そんな時に理解力よりも、
まず相手の目線に立って説明する力が必要ということですが、
この説明する力みたいなのがあると、
その対象のことをあまりよく分かっていない、
もしくは初めて知ったことを調べながら話したりとか書いたりしても、
それなりに自分と同じくらいの理解力には持っていくことが
わりとすぐできるんですよね。
ゼロの人を1にするための説明みたいなのが、
世の中には多く求められていると思うんですね。
それを5とか6まで持っていったり、
さらに8、9、10に持っていこうとすると、
もっと深い知識とか、また別のあれが必要になるわけですけど、
どちらにしても、
とにもかくにも必要なのは、
相手の目線に立って分かりやすく説明することだと思うんですね。
これは別に何もネットの文章とかライターとか、
もしくは発信をしている人だけに限ったことじゃないんじゃないかなと、
僕は思っていて、
例えば普段のコミュニケーションとか、
こういう音声配信とかでも、これは発信ですけど、
でも同じことが言えるんじゃないかなと。
どういう人が聞いたり読んだりしているか分からないから、
とりあえず分かりやすくするっていうことですよね。
対象がたった一人で、
その人が自分と同じくらい理解している人であれば、
そんなことを考える必要はないと思うんですね。
だからそんなことを考える必要はないのかもしれないけど、
でも実際にはそうじゃないじゃないですか。
いろんな人が聞いたり読んだりしているし、
その中には理解度とか、その対象に対する理解力みたいな、
理解度もいろいろグラデーションがあって、
そのどこをターゲットに弾を飛ばすかみたいな時に、
やっぱりなるべく低い方を狙っていく、
なるべく広く分かるように表現していくっていうことなんですが、
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その頭のいい人たちによく勘違いされているのは、
そういうふうに分かりやすくとか、
相手の目線に立つことがレベルを下げることっていうふうにね、
思っている人がいるように僕には思えるんですけど、
でも決してそんなことはないと思っていて、
それならその表現の手段の話で、
それで何を説明するかっていうのはまた別の話だと、
すごい簡単なことを説明するにしても、
すごい深いところまで難しいことをね、
専門的なことを説明するにしても、
どっちにしても、とりあえずその相手の目線に立って、
なるべく平易な言葉で、簡単な言葉で、
分かりやすく順を追って説明するっていうね、
それはね、すごく必要だし、
それがないとほぼ誰にも伝わらないっていうことが起こるわけですよ。
学校の先生なんかを考えると、分かりやすいかもしれないですね。
僕は子供が小学生なんですけど、
小学生の先生って、
特に低学年は全部の教科を一人の先生が教えるじゃない。
でそのね、先生が国語とか算数とか理科、社会ですか、
でその時に、その先生が全部、
すごくよく知っているかって言われたら、
たぶんそんなことはないし、
別にそんなことあまり求められていないと思うんですよね。
小学校の先生に求められているのは、
たぶんその子供の分かりやすいように、
子供のペースで、子供の分かる言葉で、
子供の気を逸らさないっていうか、退屈させないように、
伝える力、教える力みたいなね、
そういうことだと思うんですよ。
分かりやすく簡単に教える力っていうのは、
小学校の勉強だけじゃなくて、
それはたぶん中学校の勉強でも、
高校の勉強でも、
もしかしたら大学とか社会人の勉強でもですね、
分かりやすく伝える力っていうのは、
基本になる力なんじゃないかなと思います。
今日は、
人に何かを説明するときに、
頭のいい人から、
頭の良い人から、
人に何かを説明するときに、
頭のいい人が、
陥りがちな罠という話をしてみました。
頭が良いことっていうのは、
時にはね、
ハンデになることもあるっていう。
それはね、僕はあんまり頭が良くないんですけど、
これはね、ある意味では逆ハンデというか、
メリットになっていることもあって、
それは、
自分と同じ、よりちょっと下ぐらいの理解力の人を、
自分と同じ理解力に持っていくには、
相手の目線に立ちやすいっていうことですね。
自然とね、そんな難しい言葉とか使えないし、
使わないし、
その方がね、
多分ビジネスみたいなね、
ことをする上でも、
こっちの方がいいと思うんですよね。
簡単な説明ができる人の方が。
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それでビジネスだけじゃなくて、
普段のコミュニケーションとか、
子供に何かを教えたりとか、
そうするときでも、
なるべくそのね、
レベルを落とした、
言い方があるかもしれませんけど、
なるべく多くの人に分かるような、
簡単な言葉で、
分かりやすいロジックで、
話すっていうね。
僕は最近このことばっかりを考えているんで、
その一つの弊害としてね、
最後に脱線しちゃいますけど、
そうしていない人の喋り方を見ると、
ちょっとイラついてしまうっていうね、
これはちょっと職業病みたいなところがありますね。
頭のいい人が陥りがちな罠はそうだけど、
頭が良くないのに、
分かりやすく喋ることばっかりを考えている人の、
陥りがちな罠は、
それを意識していない人に対するね、
ちょっとムカつきみたいなことかもしれませんが、
この話最後いらなかったですね。
終わりにしたいと思います。
それではお聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。