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こんにちは、いわみです。
5月27日の月曜日、いかがお過ごしでしょうか。
いよいよ5月ももう終わりそうで、ついこの間もこんなこと言いましたけど。
四国ではもう、梅雨入りしそうな天気ですね。
今日はさっきまで雨が降ってて、気温25℃ぐらいなんですけど、湿度が多分80%超えてますね。
むし暑いというか、もう完全にね、流されの出番はないなっていう感じがしていますが、皆さんのところはいかがでしょうか。
短く思っていることを話していきたいと思います。
何の話をしようかなと思って、思考停止ということについて考えてみようと思います。
思考を停止することについて、思考するってね。
いちいちこんなわざわざややこしく言う必要ないんですけど、
簡単に言ってみると、思考を停止してやるといいことがある、みたいなね、たまにそういうのを聞くと思うんですけど、
表現としては言っていることはわかるんだけど、なかなかそうもいかないよなっていうことをよく思ったので、それについて考えてみたいと思うんですが、
思考停止とは何ぞやっていう話ですけど、これは言葉のあやみたいなもんで、本当に思考停止して何も考えないってことは多分人間には不可能なので、
要するにこれをもう少し解きほぐしていくと、つべこべ言わずにとにかくやれっていうことだと思うんですけど、
このつべこべ言う思考っていうのは、これをもっと掘り下げて考えると、何か言い訳をしちゃうところってあると思うんですよ。
例えば何でしょうね、ジョギングとかわかりやすいと思うんですけど、
ジョギングをすると健康になったりとか、運動神経良くなったりとか、筋肉がついたりとか、いいことあるっていうのは多分それはほとんどの人がわかると思うんだけど、
じゃあみんなさんジョギングをやりますかっていうね、運動をやりますかって言ったら、
例えば時間がないだとか、怪我をしやすいとかなんでしょうね、きついから嫌とか、きついから嫌っていうのは結構正直なところだと思うんだけど、
でも何でしょうね、つべこべ言わずにやると逆バージョンで考えてみると、
要するにこれは何かしらの言い訳をこしらえてやらない言い訳をこしらえるっていうことをね、
ジョギングの例で出しましたけど、いろんなことに当てはまると思うんですよ。
仕事なんかもわかりやすいですよね。
いろんな仕事をやりたくないんだけど、そこは本当は正直なところなんだけど、
でも何かしらの言い訳をつけてね、この仕事はあまり意味がないんじゃないかとか、
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うまくいかないかもしれないからやらないとか、優先順位がどこのこのとかね、いろいろ言うと思うんですけど、
ほとんどの場合、僕はそれは言い訳だなっていうふうに思ったんですね。
なぜそう思ったのかというと、最近いろんな仕事をしているんですけど、
はために見たらですね、あんまり意味のある仕事ってやってないというか、
そもそも意味のある仕事って何かっていうふうにね、考えだすと本当に動けなくなるので、
思考停止してやっているようにね、見えるかもしれないんだけど、
やってる本人としてはね、めちゃめちゃ思考してるんですよね。
思考停止してとにかくやるっていうよりも、ちゃんと理論武装して、
これをやったほうがいいからと思ってやっているわけですけど、
一見ね、あまり役に立たなさそうな意味のないように思える仕事とか、
あと報酬がそんなに良くない仕事でも、やりようによっては意味があるし、
やる価値があるものも結構あるんですよね。
っていうか、そこに何を価値を出すっていうか、
自分にとってそれを意味のあるものにするのは自分次第なわけですけど、
これは音声配信で喋っているので、音声配信をベースにというか、
例にとって話すと伝わりやすいのかなと思って、ちょっと方向転換をしてみますけど、
音声配信とか発信でもいいですけど、続けようと思って、
なるべく頻繁に更新したいって思っている人は結構多いと思いますが、
なかなかそれができないこともありますよね。
僕もそういう時は同じようなことをしているのでよくわかるんですけど、
その時にとにかく別に意味とか考えずに、何でもいいから更新しとけば上手くなるし、
上手くなるとだんだんネタもできてきて、とにかく続けた方がいいんだっていう意見であると思うんですよ。
それはそれで正論なんだけど、人によっては思考停止でずっと続けることができない人っていうのはいるというか、
ほとんどの人にそれは無理なんじゃないかなと思うんですよね。
ツイッターとか見てると、悩んだらとにかくスクワットをしろみたいな超マッチョな人が叫んでる動画を見てね、
あれはちょっと面白いから僕は好きなんですけど、
でもね、つべこ言わずにやるんだっていうのは、
一時的にブーストをするには有効な考え方かもしれないけど、
長期的に続けるには思考停止っていうのはあまり役に立つ言葉じゃないなと思うんですよ。
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じゃあ思考停止がダメだったら何をすればいいのかと思うと、
やっぱり反対に思考しまくることだと思うんですね。
思考しまくるっていうのは、思考した結果そうやってやらない方向に進んでいくんじゃないかっていう人もいるかもしれませんけど、
僕に言わせればそれは多分思考回数が足りないと思うんですよね。
あともう一個は、思考した結果その答えが出て、
その答えによってやらないという結論を導き出したって人は思うと思うんですけど、
ほとんどの場合ね、さっきも言ったけど、それは言い訳というか順番が逆なんだと思うんですよ。
もともとあまりやりたくない理由があって、
それに言い訳を後から後付けで引っ付けてるっていうことが結構あると思って、
だったら別にもうやりたくないんだったらダメなのかって言うと、僕はそうじゃないと思っていて、
そのやりたくないっていうのは何かしらの自然現象の、そう思わざるを得ないというか、
自然な理由があると思うんですよ。
それでその理由について別にその客観的に色眼鏡をつけずに見てみるっていうのは、
やってみるべきというか、そこから始まるんじゃないかなと思うわけですよ。
こんなことを話して別に誰にも聞かれないから意味がないとか、
あんまりうまくしゃべれないから恥ずかしいとか、
あと何でしょうね、やること自体に意味があるのかっていろんな理由をつけて、
もしくはモチベーションみたいなのも言うかもしれないけど、
モチベーションっていうのはモチベーションが上がらないっていうのは正直な理由だと思うんだけど、
なんでモチベーションが上がらないのかなっていうことをよく考えると、
やっぱり生理的に不快なことがどこかのタイミングであったはずなんですよね。
それは多分意識して思考してできるものじゃない部分も結構あって、
やっぱり無理をしていると続かないっていうのと同じことで、
いくらアクセスが集まったりとか注目が得られるからといって、
自分のしゃべりたくないこととかあんまり興味のないことをばっかりしゃべっていると、
やっぱりしゃべっているときに楽しくないから、それは続かないなと思うんですよ。
それで無理しているっていうのも人によってはあまり気づきづらいというか、
その辺の感覚に蓋をしている人っていうのは特に社会人というか、
現代人じゃないな、社会人ですね。
もっと言わせてもらうと会社員の人はそういう思考に陥りがちなんじゃないかなって。
これは僕は会社員は今やらなくなったからあえてこうやって上から目線で言わせてもらっていますけど、
会社員のときってインセンティブがあるんですよね。
ちょっとした不快なことに耳を塞ぐというか目をつぶるというか、
その感覚を遮断することにすごい強いインセンティブがあるんですよ。
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むしろその感覚を遮断しないとやっていけないっていうところがあって。
でもそれを離れてみて思うのは、
それだとその感覚を遮断していること自体が継続を妨げているんじゃないかというか、
モチベーションが上がらないっていうのは別に理屈の通らないことじゃなくて、
もう一段上のほうからね、聴観図的に見てみたら、
それはモチベーションというかここで行き詰まるよなっていうことを、
そういう行動というかそういう生活パターンになっているからこそやらなくなるんじゃないかなと思うんですね。
じゃあどうすればいいのかっていうと、
これは人によって解決策というか対応は変わると思うんですけど、
でも僕の場合はってことで言わせてもらうと、
やっぱりその辺のところまで深く切り込んで考えるというか思考するっていう。
思考停止になるんじゃなくて、さらに踏み込んで思考するっていうことですね。
自分が本当に感覚を遮断していなかったかとか、
どんな感覚にどのタイミングで蓋をしているのかって、
ずっと考えているとそれがわかるようになるんですよ。
あ、俺今目を背けたなっていうね。
目を背けたっていうのは比喩的なことですけど、
パッと流れを反らすみたいなことを思考の中でやっているときがあるんですよね。
結構それもしょっちゅう頻繁にあって、
ほぼ無意識にやっているからそういう傾向を持っているんだけど、
その傾向に気づくと何ができるようになるかというと、
結果的に言うとその傾向を排除できるようになるわけですけど、
何で排除できるようになるのかというと、やっぱりこれは思考の回数の問題なんですよね。
川の流れってあるじゃないですか。
それっていろんな地形とか自然の現象でカーブしたり坂道になったりするわけですけど、
それはだんだんすごい細かい力の積み重ねで、
やがて大きなカーブとか流れの傾向になっていくわけですけど、
その流れを変えたいと思うときにね、川の流れを変えるのはめちゃめちゃ工事がいりますけど、
心の流れを変えるときはそこに気づくだけでいいというか、
気づいてそれを目にするようになると、ちょっとずつ変えていけるようになるというか、
今まで気がつかなかったところに目を行くようになるだけで、
そこに別の流れが生まれて、その流れがどっちに行くのかというのは、
結局は自分が行きたい方向なわけですけど、
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この両方の自分が行きたい方向を意識するのと、
そこに今までどんな流れがあって、どんな理由と原因があったのかみたいなことを意識すると、
そこが変えていけるっていうね。
考えようによっては結構気の遠くなる話かもしれないけど、
でもこの構造に気づけるとね、なんか楽しくなってくるというか、
いろいろ変えていけるなっていうのを、
人間の思考っていうのは多分ほぼ全てがと言っていいと思うんですが、
だいたい思い込みなんですよね。
思い込みっていうのは思考の傾向とか目を伏せる何かしらの原因によって生まれるもので、
ちょっと前に運動神経とか方向音痴の話をした回があるんですが、
そこで言ってるのも同じことかなと思ったんですよ。
運動ができるできないとか道を覚えるのが得意とか得意じゃないっていうのは、
別に生まれつきに決まっていることじゃなくて、
こなした回数というかそこに意識を向けている時間というか回数に比例して変化していくっていう。
その変化はほとんどは成長というかね、その向上というふうに人は捉えるわけですけど、
そういうことなのかなと思いました。
今日もまとめずに終わります。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。