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2025-01-14 14:25

特に理由もなく「停滞している」と感じるとき


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こんにちは、いわみです。
1月14日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
火曜日ですけど、まあ今日は週の始めっていう人も多いと思いますが、
昨日はあれですね、夜ちょっと地震があったんですよ。
確か震源地が九州だったので、九州四国、西の方の端っこの人だけは感じたかもしれませんけど、
マグニチュード6ぐらいで、九州の震源地近くは震度5ぐらいになってたので、
割と大きな地震だったと思うんですが、僕の住んでる高地はそんなに揺れなかったけど、
夜9時ぐらいしたかね、ぐらーっとね、夜本を一人で読んでたらぐらーっと揺れてね、
ちょっと嫌な感じがしたんですが、特に影響はなかったです。
ちょうど1年ぐらい前にもあれですよね、野党の地震の時に、やっぱり四国がちょっと揺れたんですよね。
野党の時はあれなんですかね、もしかしたら関東の人も揺れを感じるぐらいの強さがあったのかもしれませんが、
それでその時も思ったんですけど、四国で揺れる感じがね、ちょっと関東と違うなっていうのを、
どう違うのかっていうと揺れがね、ちょっと大きい気がするんですよ。
地震の頻度自体はね、僕四国に越してきて2年ぐらいですけど、そんなに頻発には起きていないんだけど、
何度かそのね、昨日の地震とか1年前の野党のやつとか、あともう何回か多分ね、
体に揺れを感じるぐらいの地震がありましたけど、地震の大きさに比べて、
揺れの幅が大きいなっていうか、ゆらりとグラーリと揺れる感じがね、ちょっと気持ち悪いなっていう感じがしてますが、
多分これは土地の特性みたいなのがあるんでしょうね。
もしかしたら地盤というかプレートみたいなやつの違いで揺れ方が違いが出るっていうのかもしれませんが、
これは別に特に根拠があるわけじゃなくて、自分の実感としてそう思ったっていう話ですね。
今日話してみたいことは、停滞しているって感じた時にね、その時の考え方みたいな、
自分がなんかそのね、人生というか自分の生活というかその長い目で見て、
なんか今動けてないなというか、停滞感があるなって思う時って誰でもあると思うんですけど、
その時にね、僕はこういうふうに考えるようにしていますっていうのをね、紹介してみようかなと思います。
なぜこんな話をしてみようのかっていうと、いくつか理由があって、
一つはね、なんとなく自分自身がちょっと停滞している感をね、年明けぐらいに覚えているっていうのもあるし、
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それで同時に思うのが、こういうね、停滞している感じを覚えるのって年明けは結構ね、あるあるなんじゃないかなって思ったんですよね。
5月病ってね、4月に新しい新学期とか新生活が始まって、1ヶ月ぐらい経つとなんかみんなね、病んでくるみたいな言葉がありますけど、
それと似たような感じで、1月のその休み明けっていうのもちょっと似たような感じが起こるんじゃないかなと思うんですよね。
なんとなく僕の周りを見ていても、その本人がね、停滞感を感じているかどうかってそんなことは別に聞かないのでわかりませんけど、
でもなんとなくその本聴手じゃないなっていう人は多そうな気がするので、もしかしたらね、似たような感じを受けている人も多いんじゃないかと思って話してみようと思った理由の一つです。
それでまず、停滞している感とは、感じとは何ぞやっていう話をすると正確に定義できるものではないんですけど、
なんとなくね、人生で停滞感を感じたことがない人って、僕はいないと思いますけど、そんな話をすると話がきりがなくなるので、
言ってみると何ですかね、同じことがずっと続いているような感じがするとか、なんか成長できていない気がするとか、むしろあれですよね、ちょっと逆戻りしている感じがするとか、
どっちにしてもあんまり楽しい感じではない感覚。僕も年明けね、先週1週間ぐらい体調を崩してたっていうのもあるんですけど、
なんかね、優れないなっていう感じがあって、ようやくそれを出してきたので、それを振り返りながらですね、先週の僕に何か問いかけるようなね、話しかけるような感じで喋ってみたいと思うんですけど、
まずそもそもの結論みたいなこととして、大体の停滞感みたいのは錯覚であることが多いっていうね、これは通り過ぎてみるとわかるんですけど、
別に停滞してなかったよねっていうことでもあるし、別に本来は起こってないというか、ないものっていう考え方もできるから、
そうは言ってもそのね、ただ中にいるとなんかね、動いてないなって思うんだけど、これは別に言い方を変えてみると、
ただなんかちょっとつまんないっていうか、変化がない状態のことを自分でね、その停滞してるっていう、感じるっていうことなのかもしれません。
さっき5月病の話をしましたけど、長い休みの後っていうのは、そのリズムを取り戻すのに、一旦下がってからもう一回上がるみたいな曲線で言うと、そういう動きをすると思うので、
ただ中にいる人の感覚としては、なんとなくそのね、上がりきってないなっていう感じがするものだと思うんですよね。
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長い休みの後はそういうふうに感じるってことをわかっていると、客観的にね、自分の体調みたいなのを捉えられるっていうこともあると思うんですよ。
それでもう一つね、対処法というか、そういう時に有効なね、方法として、その昔と今を比べてみるっていうのは、僕はたまにやるようにしてるんですよ。
昔ってのはその1年前とか3年前とか5年前とか、そういう時とね、今の自分を比べてみると、やっぱり変化があるじゃないですか。
何かしらのね、1年も2年も生きていれば何かしらの変化があるわけですけど、でも僕はその変化があるっていうことは好ましいものだと思うし、そこにどういう意味付けをするかみたいなことだと思うんですよね。
だからそういう時に記録をつけておくといいなって思ってですね、日記とか日誌をつけるのもそういう意味があると思うんですが、日々の記録をつけておくと、何年後かに見返してその変化を感じることで、
こういう停滞感を感じた時に慰めになるというか、変化を感じられるだけでも、別にそんなにずっと1年も2年も同じことをしているわけじゃないんだなっていうのが、その数値とか文字としてわかると、まあいいかみたいな気持ちになれると思うんですよ。
それで人によってはね、何かその数値とか記録をつけていたとしても、そこに変化をあんまり感じられない人っていうのも中にはいるんじゃないかなと思って、例えばずっと同じ仕事をしていて、毎日同じような生活をしていたら、やっぱり変わり映えそんなにないですよね。
1年前と今日でやってる仕事もね、起きる時間も食べるものも趣味とかもそんなに変わらないこともあると思うんですけど、それだってそんなに悪いことじゃないというか、捉え方によってはずっとね、その同じ暮らしが安定してできているっていうのは、これはこれで一つの達成だと思うんですよね。
世の中にはね、安定して生活をしたくてもそれができない人だっているわけですから、それと比べたらずっと安定して暮らしができているっていうのは、それはある意味では一つの達成だと思うんですよね。
ただ、やっぱり変化がないと人は飽きちゃうし、ちょっとその元気がない時にね、その変化の無さみたいなのを目の当たりにすると、やっぱりちょっと落ち込んだりとか元気がなくなってしまうこともあるから、やっぱり小さい変化をね、起こしていくっていうのは大事なのかもしれないですよね。
別に何だっていいと思うんですよね。生活習慣を変えるとか、そんな大きいことじゃなくても、読みたかった本を読むとか、気になっている映画を見るとかね、小さい買い物をしてみるとか、そういうことでもね、日々の変化じゃないですか。
そういうのって割とすぐ忘れちゃうもんだと思うんですよ。なんか買いたかったものを買ったりとかしても、その時はね、覚えているけど、それが当たり前になるとすぐにね、どけ込んでしまうというか、日常に忘れてしまうと思うので、やっぱりそういう時にね、その記録をつけておくといいなって思うんですよね。
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別に大したね、例えばノートを買ったとか、ボールペンを買ったとかね、そういうことでもいいと思うんですけど、そういうのをつけておくと、やっぱりちょっとずつ変化があるっていうのは、後で見返すことができるっていうのは、その視覚としてね、忘れたとしても記録に残っていると、後で取り出すことができるっていうのは、日とか記録をつけることのいい点だなと思っています。
あと、子供がいるっていうのは、ひとつの変化を感じられるポイントだなと思っていて、子供はやっぱり1年前と今でね、結構変わるので、成長もしてるし、やれることもできることも変わるし、学校の行事とかもあるから変化を感じやすいと思うんですけど、子供が無事にね、健康に一年大きくなったっていうのも、なかなかね、それはひとつのポイントだなと思っています。
あとは、僕の個人的なことで言うと、仕事がだんだんと基礎に乗ってきて、ライティングの仕事が増えてきたとか、数字でもそれが出るようになってきたとか、あとは移住して2年経って、徐々にね、コミュニティというか、ちょっとずつね、知り合いの数が増えてきたみたいなのもありますし、
でもやっぱり一番大きいのはね、住む場所と働き方が変わったっていうのはね、これは別に数値化できるとかそういう問題じゃなくて、なんだかもっと根本的な変化なので、それが起きてまだ2年ぐらいなものですから、まだその変化のただ中にいると言ってもいいと思うんですけど、やっぱり2年もするとだんだんその当たり前になってきて、それが日常になるんですけど、
でも1回ね、立ち止まってみて、まだ2年しか経っていないんだなって思ったりとか、例えば3年前の自分のことを思い出してみて、今とは結構違う生活をしていたよなとか、そういうことを思うとですね、全然停滞なんかしていないなって思うんですよ。
この話はその年明けとかそういう休み明けとかに結構その停滞感とかを感じたときに、客観的にその自分をね納得させる方法みたいのを自分なりに喋っているわけですが、汎用性というか他の人が使えるような方法ではなかったかもしれないけど、でも共通点みたいのがあるとしたら、
誰しもそういう停滞感っていうのは感じるものだし、それはその休み明けとか年明けとかね、体調を崩した後とかには感じやすいっていうのは、まず構造があるっていうのを知っておくと客観的に見れるっていうのと、
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だいたいそういうのは1週間とか2週間で過ぎ去って、また日常に戻っていくっていうね、というかその傾向があるっていうのを知っておくと、やり過ごせますよね。ちょっとなんかきついなって思うときがあっても。
それでその時に大事だと思うのが、何となくその感覚では停滞しているなっていう感じだとしても、1回それをね脇に置いといて地道にねコツコツ続けるっていう、その歩みみたいのは止めない方がいいなと思いますよね。
別に絶対止めちゃいけないっていうことではないんですけど、今までやってきたことが意味がなかったのかなって思っちゃう時って誰しもあると思うんですけど、後々振り返ってみると、一旦ねそのちょっと停滞感を感じていたけど、長い目で見たらですね、ちょっとずつちょっとずつ上向きになっている中にいて、
その中のちょっとした揺らぎというか下がっている最中にそれを感じていたんだなってことがわかると思うので、あんまりそのね短期的な上げ下げには気を取られずに日々コツコツとやっていくのがいいなぁと思っています。
そういう時に役立つのはさっきも言いましたけど、記録につけておくとか、また発信もやっぱり大事ですよね。文字で書いてもいいし、こうやって音声でね日々考えたことを話しておくと、ふとした時に聞き返したりとかして、あの時こういうことを考えていたとかね、またこういうことをね今思っているなっていう気づきみたいなことにもなるので、
言葉とかねその数値とかにしてとっておくっていうのは後で振り返るようにとってもいいことだなと思っています。
まあ誰が見てもね文句のつけようのない上り上司っていう人も世の中にはいるかもしれないけど、そういう人はあの少数派というかね本当にそうなってるかわかんないっていう面もあるし、ほとんどの人はねその上がったり下がったりしながらぼちぼちとやっていくものだと思うので、あまりにその周りを気にせずに日々コツコツと生きていこうと思っているというそんな話でした。
はい、今日は終わりにします。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。
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