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2023-02-22 18:48

#125 気まぐれ読書感想?回『共感という病』と、〜共感にあらがえ

Mo
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『共感という病』と、〜共感にあらがえという記事を読みました / 難しいモンなので、いつも以上にぐずぐずですが、、💦 / ポッドキャストでは違うBGMでお楽しみいただけます♪ https://anchor.fm/mo427/episodes/205-e1uuirv /
共感にあらがえ 
https://www.asahi.com/and/article/20211015/410030231/
えみゅうさんのツイート
https://twitter.com/moanthropology/status/1626240640840523779?s=46&t=sNZla2m2aGRSBM8ztMlVAA
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00:01
おはようございます、Moです。こんにちは、こんばんは。皆さんお元気ですか?
私おかげさまで元気です。いつもありがとうございますね。本当に毎日お祝いしよう。聞きに来ていただいてありがとうございます。
ちょっとね、また残しておきたいものがちょっとあったので、お急ぎでと思ったら、よく考えたら、もしかしたらちょっと感想会?
本の感想会という風にもなるかなと思ったんだけれども、感想って前も言ったかもしれないけど、感想っていうよりは
もうそこから学んだことって自分がどう思ったかとか、えっと、そうだな、自分の意見だよね。
そういう、学んで自分はじゃあこれからどうしたいかと思うかとか、共感、共感というか同感したとか、そういったことを言う感じになっちゃうので、
日本で言うね、感想文を書きなさいみたいなのとはまたちょっと違う意味になるのかなとかって、ちょっと感想文っていうもののね、定義がよく分からないなっていうのがまだ、それをね、またちゃんと調べたりとかしたいわけなんですけど、
そうだな、その辺ちょっと難しいけど、これがだから感想会になるのかどうか分からないんだけど、といういろいろ言い訳もしながら、
何を読んだかというと、読んでないんですよね、オーディブルでちょっと聞き聞きをしたんですが、これもね、またツイッターでスタイフとか、あとポッドキャストも配信されているね、
エミューさんがツイートされていてね、それがペン州の情熱大陸で、長井洋介さんっていう方の紹介されていて、それとそれを見たきっかけというか、
長井さんが書いた共感という病っていうね、そういう本のことがあるんですっていうことをツイートされててね、それを見て私ね、本当に共感という言葉、共感とか、あとは同感する、
エンパシーとか、シンパシーとか、そういうものに対してちょっとなんか、自分がすごく感じてしまう方なので、いつか知りたいなとか思ってたんですよ。
で、その辺の解像度が低いせいで、私も結構その辺すごい苦しむっていうか、どうしてこういう風に感じちゃうんだろうみたいなことを思って、
それで自分が感じちゃうことを人に説明して分かってくれてるかどうかも分からないし、分かってくれてる時はすごく嬉しいけど、分かってくれてない時のこう、自分の落胆ぶりがすごい疲れるんですよ。
で、だからそういうのがすごい興味があったので、すぐその情熱大陸も見て、もしかしたらちょっともうね、あのTVerで見れてたんですけど、それがそちらで見れるかどうか分からないんですが、
で、それ見たんですけど、一番ね、その永井さんとかがテロレストとかね、あと紛争を解決するっていうことに従事されてるんですけど、
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なんでそこに行くのかっていうのがちょっと情熱大陸一回見たぐらいでは分からなかったんですよ。
それでお急ぎで永井さんが紹介されていた本をオーディブルしたわけなんですけど、昔からそうなんですけど、ジャーナリストの方とかそういった戦争の本当に真っ只中に行かれるジャーナリストの方とか、
命がけで行く方とかの話とかを聞くたびに、絶対自分にはできないからごめんなさいっていう気持ちがあったんですよね。
でもそういった方たちのおかげでいろんなことを私たちが知れるっていう気持ちがいつもあって、
それはね、やっぱりうちの母とかがそういうことをこういう方たちが言ってくれるから、私たちはテレビとかで見れるからありがたいねっていうのを小さい頃から言われてたような気もするんですけど、
でも本当だけど、これで亡くなっちゃう人とかもいるわけだから、なんでそこまでできるんだろうっていうのがいつもあったんですよね。
この長居さんのこともまだお若いし、しかも一番誰も行こうとしないソマリアに行って、
しかもテロリストと言われている人たちの中から自分はそうじゃないんだっていう人たちを助け出して、
そして社会復旧をさせるっていう活動をされているということで、
いやもうこれ尋常じゃないでしょ、これが普通だよみたいに思える人ってなかなかいないよね。
私もすごいその辺すごい知りたくて本を読んだんですよね。
あとやっぱりその共感とか同調する同情とかそういう気持ちとかもどういうふうに考えていったらいいのかっていうことがあったので、
読んでみたというか聞いてみました。
で、その後にね最後まで聞いてみたら、わかったのがこの本は実は朝日新聞のデジタルマガジン、
今も無料で全部見れるんですけど、その13回分かな、もしかしたら12回分のそれが元になっているということだったので、
本を買わなくても結構な量見れるんですね、その中身にね。
それでもう一回見直してみて、その記事も見てみたんですけど、
今日ね言いたいのは、気づいたことね。
いっぱいいろんなこと気づいたのでこれからまたボロボロと思い出しては言っていくかもしれないんだけど、
内田達郎さんっていう哲学者の方と対談されているの中に、
私が今なんかねツイッターの中でオンラインご近所さんとかを推進しているとかいうことの、
ちょっと元になるかなっていう話があったので、
それをねちょっとご紹介っていうかしたいかなっていうのがあって、
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それはね長居さんが、
例えばね教室の中、みんなが自由にしていいよって言った時に、
教室からみんな楽しく、なんかそれぞれ好きなグループでお休み時間にね遊びに出ちゃうと。
そうすると一人ポツンと残ってた人がいますと。
他の人がみんな自由にしたからといって一人ポツンと残った人がいた場合にどうしたらいいんですかっていう話。
その子に対して、他の人が自由にしたから一人ポツンとするんじゃないっていう話をされてるんですが、
それにちょっと記事のリンクを貼っておくので読んでいただきたいんですけど、
私ねそこから考えたのは、
じゃあ周りの人は自由にしないでその子をね、
入れてあげようって思う気持ちもあるし、
その辺どうなのかなって、もしかしてあるけど、
でもその子とはなんて気が合わないかもしれないじゃない、子供の時だったりとかすると。
だから入れてあげたとしても、もしかしたらその子は入りたくないのかもしれない。
私ねちっちゃい時と思い出してたら、すごく低学年の時ね、
もう自分たちがめちゃくちゃ楽しいから、
そういうふうに一人ぼっちだった子を、
まあ誘うのは私だったんですよね。おいでおいでみたいな。
だけど来ないですよ。
でもまだちっちゃいから私とかも、その子が恥ずかしくて来れないのか、
すごいしかも表情とかもむすっとして、
こっちからしてみればせっかく誘ってるのに、
何むすっとしてんのよってむかつくじゃないですか。
そうするとそれがずっと私とその子のわだかまりとなって、
結局仲良くできないっていうことが多分あったんですよ。
多分っていうかね、思い出せそうとすればするほどそういうことが何回かあって、
結局仲良くなれないんですよね。
でも大人になってそりゃ振り返れば、その子にだってその事情があるよね。
私も仲良くない人が近くにいるのってすごく嫌なんですよ。
だけどこっちは楽しいけど、そういう気分じゃない場合だってあるわけだから、
もし誘うのであれば、その彼女とか彼の状態をとっても知っておいてあげないといけないということは、
なんとなく潜在的に学んできてるんですよね、私もね。
それででもちっちゃい時ってそういうことがわからないから、
でもそういうことがわからないからついつい強く誘っちゃうわけじゃないですか。
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そうすると向こうはすごい誘われて、私はただ一歩踏み出せないだけなのに。
そこも子供だから言語化できてるかわかんないんだけど、
ただ嫌なのよねみたいな、そっちに行きたい感じじゃないのよねみたいな感じ。
でもそれは一つのうまくいかなかった場合はあるんですけど、
そういう子でも、そういう何人かいる中の一人とかだと、
帰りに二人きりになると話せたりするんですよ。
いろんなことをだから私はその子のご家族の事情とかもいろいろ知っちゃうわけなんですけど、
だからといって二人でお家帰る時は話すんだけど、
学校に戻るとまたなんかムスッとしてるんですよ。
だから誘わないくなるでしょ。
でもそれをするのは私だけだった覚えがあるんだよね。
結局ね、例えばその一緒に帰ってた子とかも、
その後中学校が変わっちゃったりとか高校が変わっちゃったりとかって言って全然会ってないんだけど、
結局ね、後で聞いたらすごい大変な暮らしをされてるとかっていうのを聞いたりとかしてね、
あの時ね、もっといろんな話をしたりとか、もっと近づいてたらよかったのかなとかね、
いろんな話をしたらよかったのかなとかね、思ったりするのを、
すごい今ね、その本を読んでね、本とあとこの記事を読んでね、思い出してたんですけど、
でもこの内田達郎さん曰く、なんでじゃあ私だけがこんな、なんか気づいちゃうんだろうみたいな、
でもそれはなんか感情の器っていうものがもうね、
本当身体の大きさを変えられないのと同じように、大きさとか長さとかね、
私たちの顔の形とかそういうのを変えられないのと同じように、
もう決まってるものだからってね、
偉い学者さんに言われると、
そうかって、もうしょうがないのかって今思ってるんですけど、
だからね、そうだな、何を言いたいかというと、
それぞれの人が、
例えばこっちの楽しいよって思ってる方に来るか来ないかなんていうのは、
その人が決めればいいことなんだけど、
もしね、ちょっとでも、
なんかそっちのガヤガヤしてる方がいいなって思う気持ちとかあったりとかしたら、
僕とか私はそっちに行くような人間じゃないとか思わないでほしいとか思うし、
私もね、結構本当わがままだから、
ああいうところには入れない、こういうところには入れないって全部に入れるわけじゃないんですよ。
これが同調できないっていうものなんだと思うんだけど、
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でも同調する必要ないよね。
その人たちはその人たちで楽しんでるけど、
自分はそこに入ったら楽しめないっていうのを分かってるのは、
別にそれは悪いことじゃないよね。
で、皆さんが楽しんでる様子とかを見て、
すごいこっちは楽しそうでいいなって思うわけだし、
でも私がそこに皆さんに合わせて好きでもないことを好きですって言ってみたりとか、
する必要は全くないわけで、
っていう風に私とかちょっと考えちゃうんだけど、
この共感という病っていうのを聞いて、
本当にね、その辺のところ、
日本人だからなのかとか、分かんないですけど、
気を使って合わせる必要はないと思ったりするんだよね。
だから、いろんなことは今は全然まとまらないんですけど、
とにかくその自分が、
これ本当繋がるんだと思うんだけどね、
他の人が決めた価値観に縛られているっていうこととか、
そういうのってもう本当にね、フラットな状態、
もう本当に白紙から考え直す時間とかがあった方がいいよなっていう風に思うんですよね。
いろんな人が、これ聞いてくださっている方がどういう立場で、
どこにいるのかわからないので、
どこっていうのはご自身のね、その人生の中のどういう局面にいる時にこれを聞いてくださっているかわからないので、
一概には一個も言えないんですけど、
私が感覚的に思っていることで、
とにかく、
共感っていうことをしなければいけない世界みたいになってるんだけど、
本当に共感って重要ですみたいなこといろんなところで書かれているのは、
私は読書をしないですけど、
ツイッターとかの記事とか、
短い記事とかだったら読めるので読むじゃないですか。
取り沙汰されているのは共感とかね、
多様性を受け入れるためには共感が必要だみたいな書かれているのは多分ある。
結構あると思うんだけど、
このね、共感っていうのはね、やっぱちょっと違うんだなっていうふうに思うんですよね。
共感して、違う、違うんじゃなくて、
共感して一緒になってその人と同じことをしなければいけないとか、
するのが違うことなんだよね。
本当はじゃあ自分はどう思っているのか、
どういう立場の時にその相手の立場になって考えた方がいいのかとかっていうのは、
その場所はその状況で違うはずなのに、
なんとなくその、それだから島国根性なのかなって簡単に言うか、
雑々な言い方で言うと思うんだけど、
でも自分がいいと思ったことを貫いた時に、
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すごい極端な拒否をされたりとかした経験がある人は、
なんとなくその自分がいいと思うことを堂々とプレゼンテーションできないっていうことはあるかなとも思うし、
いろんな問題がはらんでいると思うんですよ。
でも自分が本当にね、
コテンラジオの深井さんも言ってましたけど、
やっぱりこういう世の中っていうか、
これからね、この世界とか社会が一歩進んでいくにはね、
みんな理性を働かせる。
それで視点を、あらゆる視点をね、
しかも深井さんが言ってた平たい視点じゃなくて、
いろいろね、何十層にも重なるそういう視点をね、
レイヤーも何十層にもなって、
しかも広がりもあるそういう視点をね、
持てるようにならないといけないとかっていうことをおっしゃってたと思うんですけど、
どういうふうにこの言葉すごい、
言語化がお上手だからそう言ってたと思うんだけど、
で、もっとね、短い言葉でね。
で、それとかと同じで、
長井さんもやっぱりその理性を持ってね、
その好き嫌いとかっていう感情ではなくて、
人を見つめる、人権。
人権とかっていう言葉を使ってらっしゃったんだけど、
それぞれの人が人権を尊重できる。
できるというか、お互いに尊重しあえるっていうことが重要で、
だから共感っていうのはついつい、
こっちの人がいいなって思うと、
それ以外の人っていうのができちゃう。
そこがね、私もすっごく難しい。
自分も人間なので、何回かツイートでもしたんですけど、
好き嫌いが出ちゃう。
だって推しがあるっていうことは推しじゃない人がいるってことでしょ?
だから推しがあるっていうことはすごく、
とっても楽しいことなんだけど、
推しがいるってことはそうじゃない裏もあるわけじゃない?
こっちは嫌だっていうのがないはずないもんね。
だけどそこと折り合いをつけるためには、
別に嫌いだから見ませんとかいうことではなくて、
そこにもう存在するっていうことを、
お互いに認め合うっていうことなんだよね。
でもそこに使うのは共感じゃないよっていうことなんだなっていうことを、
学んだなということで、
これもね、
私のいろんなことを吸収してね、
アウトプットしたいののアウトプットしたいのの一つなんですけど、
だからこれで、
私のね、この共感に対しての考えがまとまったわけじゃないんですけど、
ちょっと皆さんももし何か、
これ私が言ってることに対して何か思いがあったら教えていただきたいし、
18:02
ちょっとほんと全然まとまってないけど、
ダラダラと話してみました。
これにね付き合ってくださる方、
しかももしかしてこれを倍速にしないで聞いてらっしゃる方がいたら、
もうほんと、
一緒にまたゆっくりお話ししたいですって思います。
はい、では最後まで聞いていただいてありがとうございます。
えっとね、この考えている間のことをね、
ついつい消したくなるんですけど、
今回消さないでまた流したいと思いますので、
ほんとお付き合いいただいてありがとうございます。
じゃあ今日もね、良い一日をお過ごしくださいませ。
じゃあね、バイバイ。
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