AI使用に対する懸念
こんにちは、いわみです。7月22日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
ついに夏休みが始まってしまいましたが、今はうちの子供は妻とちょっとお出かけをしているので、その隙を塗って音声を軽く収録してみようと思います。
今日は、話したいことだけを短く話す、そっちのタイプでやってみようと思います。
いつもそうやって言っているんですが、前回はわざとだらだら喋ってみるという回もやってみたので、
基本的には喋りたいことをコンパクトに固めるという練習スタイルで、喋る練習スタイルでやりながら、
たまにはそれを窮屈だから、雑談みたいにだらだら喋っていくというのを織り混ぜながらやっていこうかなと思っていますが、
今日話してみたいことは、AIを使っていると頭を使わなくなるから、自分の頭を使わなくなるから、
AIをそんなに多用しない方がいいんじゃないか、みたいな考え方について、自分が考えていることを喋ってみようと思います。
今、AIがすごく進化していて、多くの人が使うようになってきていますが、
こういう新しいテクノロジーが出てくるときには、必ずネガティブな意見を言う人が出てくると思うんですよ。
ネットなんかを見ていると、たまに見かけることがあるんですが、ネガティブな意見はどんなものかというと、
最初言ったみたいな、AIばっかり使っていると自分の頭を使えなくなるから、私は使えません、みたいなことを言っている人がたまにいるんですよ。
少数派だとは思うけど、その意見自体はわかるし、それなりに説得力じゃないけど、言いたいことはわかるので、
それに対して僕は、もし自分がそれを言われたらどう答えるのかな、みたいな視点で考えてみようと思います。
結論から言うと、AIを使うと自分の頭を使わなくなるのかという問題ですが、
これはある意味においては正しいと思うんですよ。
ある意味においてはというのは、頭を使うといういろいろ幅広い意味があると思うんですけど、
AIで大体できるようなことに関しては、何かそういう問題が発生したときに、調べることが発生したときに、
AIを使うようになると、そのことに対しては自分の頭を使わなくなるという面は間違いなくあるので、
AIを対応するようになると自分の頭を使わなくなるというのは、その意味においては正しいと思うんですね。
歴史から学ぶ技術の受容
でも、だからAIを使わないようにするというのは、僕はそれは違うと思うんですよ。
なぜ違うのかというと、それは時間の問題だと思うからなんですね。
時間の問題というのは、結局避けていても、それは生活に溶け込んできて、
避けるのは不可能になると僕は思っているので、だから諦めて使っているわけじゃないけど、
それだったら別にそんな避けないで、バンバン使っておけばいいじゃないかというのが僕の考え方です。
例えば、過去の歴史みたいなものを例えてみると、
例えば車とかスマホが出てきたときも結構同じことを言っている人はいたと思うんですよ。
車の登場というのは本当に僕は生まれる前だから分からないけど、
例えば車が登場してみんなが車を乗り始めたときに、
自分の足を使わないと足腰が弱るから、私は車なんか使わないぞと言っているおじいちゃんがたぶんいたと思うんですよ。
果たしてそういう人がその後もずっと車を使わずに生きていったのかというと、
多くの場合は僕はそうじゃないと思うんですよ。
自分で運転するかどうかは別にして、バスとか電車もありますよね。
そういうものを全く使わないで、あるのに使わないということは不自然だし意味がないよなと思うわけですよ。
スマホのときもそうですよね。
スマホが出たときの否定的な意見というのは、
画面が小さいとか目が悪くなるとか首が曲がるとかストレートネックとかそういうことだと思うんですけど、
その議論は今でも行われていますし、スマホばっかり見ていると良くないというのは僕も思うんですけど、
今スマホの例を出したのはちょっと混乱するので、
スマホも結局おじいちゃんおばあちゃんもみんな使っているし、
それによってどういう頭を使うようになったとか使わないようになったとか、
変化が起きたかというのはもうちょっと時間が経ってみないと全部は検証できないと思うので、
AIの効果的な使用法
そういうことだと思います。
僕がここで言いたいのは、実際に不具合というかデメリット側面があるかどうかというのは時間が経ってみないとわからないけど、
もし例え不具合みたいなのがあるとしても、
スマホを使っているときに何か変化が起きるかどうか、
実際にその不具合というかデメリット側面があるかどうかというのは時間が経ってみないとわからないけど、
もし例え不具合みたいなのがあるとしても、
頭を使わなくなる悪い点があるとしても、
でも結局スマホで見てもみんな使うようになっているから、
それが出始めた頃に使うのか、10年とか20年経ってから使うようになるのかっていうのはそこに別にあんまり違いはないし、
それだったら早いうちに使っておいた方がいいんじゃないのって思っているということですよね。
そういう考えで僕は今AIをバリバリ使っているわけですけど、
それ早めに使っておいてよかったなと思っていることもいくつかあって、
その一つはAIの使いどころがわかってくるみたいなところがあるんですよ。
使いどころっていうのは、こういうときにAIを使うとすごく便利で、
こういうときにはあんまり使えないし、もしくはこういう場面では使わないほうがいいみたいなときもあるなと思って、
その選別というか見極めができるようになったなっていうね。
これは多分結構使い込まないとわからなかったから、
それがわかったのはいいことだと思っているんですよ。
例えば、何か調べ物をするときに、今までGoogleの検索とかを使って調べ物をすることが多かったんですけど、
いろんな記事を調べて、いろんなネットを調べて、それをまとめてね、
そこから何か情報を取っていくというかまとめていくみたいな作業をするときは、
これはもうAIを使わない手はないと思うんですよ。
それは圧倒的に効率が良くなるし、多くの意見を深くまで探れるようになるっていう面があるんで、
ここでAIを使わない手はないし、僕にとってはこれはAIの使いどころなわけですよね。
反対に使わない方がいい場面があるなと思ったのは、ちょっとうまくね、まだ言語ができていない部分もあるんですけど、
最終的な判断というか、その情報をドバーっとね、いっぱい収集してきて、
それの選別をするときの見極めみたいな、どれを使ってどれを落とすのかみたいな見極めは、
結局人間がやることになるわけですけど、そのときにね、このときでもAIをちょっと使ってみようかなって思うと、
逆にね、なんか疲れるというか混乱するんで、こういうときは僕の使い方としてはですけど、
とりあえず最終的に自分で判断するっていうことを前提に、それを判断しやすい形にね、
リストみたいな感じでずらーっと並べてくるっていうところまでをAIを使って、
どれを入れてどれを残す、使わないみたいのは、それはね、自分の頭でやるっていうね、
これが今のところの正解だと思っているんですよ。
だからこのときに自分がね、何を必要としていて、
何がゴールなのかみたいのをちゃんと分かっておくと、
そのAIの使いどころと使いどころじゃない場所はね、見分けがつくようになってくるわけですよね。
それが見極めがつくようになったのは、もうとりあえず何でもかんでもAIを使ってみて、
なんか逆にね、これ時間かかってるなとか、作業効率全然アップしてないぞっていう、
気づきがあって、じゃあどうすればAIを使ってね、作業の効率がアップしたりとか、
アウトプットが良くなったりするかなってことを考えていくと、
結局そのね、その人間の目で、人間の頭で判断しやすくなるところまでね、
AIの使用と思考の変化
どういうところまで持っていくと自分はそれを判断できるのか、
それが分かってくると、とりあえずそこに向かってまずはね、そのAIを使って作業をするわけですね。
もうその時は自分の頭を、頭も一応使ってますけど、何て言うんだろう、
でもやっぱりちょっと作業的な面が強いわけですよ。
ひたすらね、プロンプトを打って、
プロンプトを打って、
プロンプトを打って、
プロンプトを打って、
でもやっぱりちょっと作業的な面が強いわけですよ。
ひたすらね、プロンプトを打って、
プロンプトを打って、
出力を出して、どういう答えが出ると、
それは最終的な判断に使えるのかっていう部分をね、
考えながらというか、見極めながらそれを出していって、
最終的にそれを落とし込んでいくというか、
だからその最終的な落とし込みのフォーマットみたいのを作ってから、
そこに向けてAIを使うと結構効率がいいなっていうところをね、
最近やっとわかってきたんですよ。
そんなわけで、
AIの使いどころを見極めるには、
とりあえずたくさん使ってみるしかわからないっていうね、
僕の場合はそれが必要だったなと思っています。
最後に、
未来のAI世代
結局これからどうなるかみたいなことを考えてみたいんですけど、
ちょっと今日長くなりますね、結局。
それでこれからどうなっていくかって考えてみると、
最初に言ったように、
AIはもう使わないっていう選択肢はなくなってくるから、
だから使うっていうこともあるけど、
なんていうか、
AIありきで何ができるかっていうことを考えるようにした方がいいと思うんですよ。
最初に車の例を出しましたけど、
車が登場したことによって、
人間の行動範囲みたいなのが広がったじゃないですか。
今までは近くね、
半径10キロしか行けなかったようなものが、
車ができることによって、
10倍とか100倍とかに伸びるようになって、
それによって旅行をどこに行こうとか、
仕事はどこまで通勤できるとか、
いろいろ変わってくるわけですよね。
それでその時に、
車を使うと足腰が弱くなるとか、
怠けるみたいなね、
そういうことを言っていると、
その選択肢を逃してしまうことになるわけだから、
それと同じように、
AIもあることを前提に、
使うことを前提に、
どれだけうまく使えるかってことをとりあえずやっておいて、
それによって何ができるかってことが、
拡張されるわけですよね。
車によってその行動範囲が広がったみたいに、
AIを使えるようになったことで、
ここで拡張されるのは多分ね、
思考の幅というか考えられる範囲とか、
自分ができることの、
一人でできることの範囲が圧倒的に広がるわけですけど、
それを前提に仕事とか、
自分ができることを考えられる範囲とか、
それを前提に仕事とか考えるときのことを始めると、
始めるといいっていうか、
そうやって始めるしかないよなっていうことを思っています。
今回の話のテーマは、
最初の問いかけはですね、
自分の頭を使わなくなるんだったら、
AIは使わないほうがいいのかっていう問いかけですけど、
それの結論はもちろんというか、
最初に言ったように、
そんなことはないのなわけですけど、
その理由としては、
結局その流れには逆らえないから、
早めに使っておいたほうがいいっていうことと、
とりあえず使ってみないと見えてこないものもあるから、
そういう意味でも早めにたくさん使い込んでおいたほうがいいっていうのが、
僕なりの結論ですね。
みんながAIを使うことによって、
人間の頭自体、脳みそに変化が起きるのかみたいなね、
そこまで話を広げるつもりはないですけど、
多分ね、でもそれは起こると思うんですよ。
もうちょっと長い時間をかけて、
例えばね、僕の子供なんかは多分、
もうちょっとしたらAIを多分、
僕なんか以上にバレバレ使うようになるだろうから、
僕が当たり前って言ってるのもね、
全然違う次元でね、
AIがあって当たり前になる世代だと思うんですよ。
多分そういう世代と人たちっていうのは、
僕らその上の世代から見ると、
ここが全然育ってないみたいなね、
そういうことを言いたくなる場面もあるような気はするんですけど、
それはね、完全に自分が年を取ったね、
それは老害側の意見だなってことをね、
ちゃんと知っておきながら、
なるべく自分でもね、
若い人たちのね、
遅れを取らないようにね、
頑張っていきたいなと思っていますが、
はい、そんな感じで、
今日の話は終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
良い一日を過ごしてください。
さようなら。