AIの依存と脳の活動低下
みなさんこんにちは。ポッドキャスタ配信社のKEITHことKuwaharaです。
また久しぶりにちょっと思うことが出てきたので、喋りながら頭の整理をちょっとしようかなと思ってますけども、
タイトルに多分書いてると思いますが、AI、どういう時にAIを使うとか、AIとの距離感みたいな話をいろんなところでされていると思うんですけど、
僕自身も今日朝ですね、妻と話している機会があって、その話を今振り返りつつ、ちょっと脳内整理しようと思いました。
朝ですね、妻と話してて、どんな話になったかというと、KDDIさんの記事を見たんですね。
何の記事かというと、厳密に言うとKDDIリサーチというサイトで、研究員のコラムですけどもの話がありました。
タイトルは、生成AIに依存すると脳活動が低下したまま戻らない。
脳波測定から導かれたショッキングな観察結果とそれを回避するための方法というタイトルで、投稿日は今年の7月7日なんでちょっと前ですけども、
この記事に出会いまして、軽くザッと読みましたと。難しい話はよくわからんが、とにかくAIを使い続けることで脳活動が低下したと。
簡単に言うと脳を使わなくなってきてるからだというのはわかる?
筋肉と同じで、使わなかったら人間退化するのはそうだよなという感じですね。
で、この記事内で被験者がいて、結構実験をしてたんですけど、なんか小論文を書かせたらしいです。
で、3グループに分けて小論文を書かせましたと。
その書かせていくと、1本目2本目と進んで3本目の小論文を書く段階で、被験者の多くが生成AIに論文のお題を丸ごと入力して、その出力を待つだけになったと。
そのAIを作るグループはですね。
で、自分から積極的に文章を読んだりとか小論文の執筆に取り組む姿勢というのはほとんど見せなくなったっていうのが、インタビューによって確認できたという感じです。
まあ想像つくと思いますけど、その結果魂のない内容みたいな書き方をされていて、記事内では。
いわゆる独創性というものが本当に欠けていて、似たような表現とか発想が多分羅列されているというだけの文章になると。
これと対照的に自分の頭だけを使って小論文を書いたグループっていうのは、むしろ脳活脳が活発化されていたという感じで、結果的にこのグループが書いた小論文ではすごい独創的で質の高い内容になっていたということが確かめられています。
で、もう一つのグループが何だっけ。検索は確かして良いグループですね。検索エンジンを使って小論文を書いたグループですね。
まあやはりちょうど中間ら辺に位置していることが確かめられたという記事ですと。
面白いなあと思って、じゃあ僕らがし生活でいつAIを使えばいいのかなっていうのを妻と議論してて、妻としてはもうなんか自動化するときに使えば良いということを言ってました。
問いの重要性
まあそれも一つだと思いますけど、じゃあ僕だったらあの本を読んでいるときに全く知らん単語が出てきてたら、まあそれ一回ググろうかなと思うけど、まあググるんじゃなくて今だとAIに聞こうかなと思ったりしてます。
が、妻はそれに対して、いや待て待てという話をしてて、すぐに聞く、つまり思考停止で知らないものが出た、はい検索っていうのはもうその時点で脳が死に始めてるよって話を彼女はしていて、まあそれもまあ一理あると思いました。
文章とか記事を読んでて知らないものが出てきたときは、だいたいコンテキストがあるはずなんですよ。全く何も見てない状態からパッとその知らない単語を見せられて、それが分かんないとなったら、まあどうしようもないので検索するしかないですよね。
例えば省略語でABCとか言われて、文脈も何もないのにABCって言われて、これが何ですかって言われても、ん?ってなるじゃないですか。僕だったら真っ先に浮かぶのはABCクッキングって確か料理スタジオがあったはずなんで、まあその話かなって思ったりはしますけど。
はい、まあじゃないんであればある程度まず予想がつくはずなので、これは何だろうねっていうのを想像したり考えてから、検索するなりAIを使えという風な話を妻はしてましたと。
まあそれもまあ分からなくはないしそうだよなーって気はしますけど、とはいえ文脈がわからない人に対しては全然使っていいんじゃないのっていう話ですよね。
まあさっきも言ったようですけど、彼女はそれも何か否定してましたね。いやそんなわけねえだろっていうのは僕のあの反論で未だに、ここは平行線だったんですよね。
はい、コンテキストを理解できない、もしくはコンテキストがない人に対して知らない単語はもう普通にすぐ調べればいいじゃんっていう感じですね。
まあでも結論的に言うと、要は頭を使わないっていう話になる。頭を全く使わないでAIを使い続けた結果、どんどん自分が頭を使う機会っていうのをAIに奪われていくし、
奪われているというかAIに自分が依存をしている。そうなると脳が死んでいくっていうのもわかりやすいと思いますね。
たださっきの冒頭の記事ですけど、脳活動が低下したまま戻らないっていうところがすごい怖いですよ。
まあでもこれは、これ覚えなんですけど、おそらくAIに依存をしているからだっていうのが大事だと思ってて、だから依存をしなければある程度距離感を保ったり、
AIを使うっていうのが意思として自分がこういうタイミングにもう使うっていうのが決まってる、
そういうプロトコルが確定している人に対しては、ある程度低下するのは否めないと思います。極論これ言ってしまえばもうスマホもダメだと思うし、パソコンもインターネットがダメだと思うんですよね。
そうじゃないんだったら、ある程度は依存する、使うしかないし頼るとは思うんですけど、依存じゃなければ良い。
そうすると低下したとしても戻ることは全然できるとは思うんですよね。まだこの研究論文の結果を読んでないんでわかんないんですけど。
そこで気になったというか大事なのは何かというと、やはり問いの投げ方というか問いの作り方だと思っていて、
問いっていうのは人が作るしかないんですよね、概念として。動物が問いを作ることはまずあり得ない。機械が問いを作ることも
指示を出せばできるんでしょうけど、機械が自発的に作ることは今のところまだないはず。
なった時に問いは人間が作る。その問いに対して解決策を考える。つまりそこで頭の活動がスタートするということなので、
いかに問いをうまく作れるかっていうのが今後の課題というか、差別化要因の一つなのかなと思いますね。
そのために結局脳を使うので。もちろんその問いに対してのアンサーを出すのも頭は使えますけど、スタートとしては問いだと思うので、
この問いかけ方というか、問いの作り方、デザインができる人っていうのがよりAIをうまく活用できるんじゃないかなみたいなのを
この記事を読んだり、朝の会話を話しながらちょっと感じたというところですね。他にもいろんな考え方あると思いますけど、また頭の使い方と言っても計算処理能力であったり
AI活用の指針
判断能力であったり、記憶力であったり、回転力とかいろんなありますけどね、脳っていうのは。
僕らは思っている以上に複雑なことを頭でやっている。それをちょっとちゃんとパターン化で考えていくといろんなパターンがあるし、
ある程度のことはもう捨ててこっちの方、例えば計算処理能力に脳のリソースをプルベットして、記憶力に関してはもう犠牲にしましょうみたいなのを決めてる人はそれはそれで一つだと思います。
いいか悪いか別ですけど、その人はそれでいいんであればいいんじゃないかなって気はします。
はい、さておきそんなことをちょっと思っていたので、AIを活用するときはちゃんと意思を持ったり目的を持ったり基準があった上で使う。
そのためにはどういう問いを自分の中で立てていくかっていうのが大事なんだろうなっていう話でした。
はい、参考になれば幸いです。ではではまた次回の主力でお会いしましょう。
バイバイ。