現実の戦争ってそうじゃなくて、戦争が終わった後も苦難は続いていくし、女性兵士というものが剥がしされる時代が来たりだとか、戦後パートがあって初めて戦争というものが語りきったことになる。
さあ、今日は小説家の愛坂冬馬さんにいろいろお話を伺いたいと思います。愛坂さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
さあ、今日はですね、このやはりね、「同志少女よ、敵を撃て!」これを中心にいろいろお話を伺いたいんですけども、
Twitter拝見していたらですね、ちょうど6月3日頃ですかね、書店の全国巡り、案件をされていて、それがちょうど終了したというふうに拝見したんですけど、
結局全国回ったんですか?
そうですね、確か最初に書店巡りが始まったのは発売直後の福岡からだったんですけれども、北は北海道から南は沖縄までっていう感じで、
全国あちこちを。
飛び回っておりました。
実際ね、この同志少女よ、敵を撃て!にいよいよ入っていきたいんですけども、ズバリ僕なりにちょっと感じたのが、当然この同志少女よ、敵を撃て!っていうのは、
愛坂さんにとって体験していないことを2つ書いていると思うんですよ。
1つは当然ですけど、戦争。もう1つは女性っていうことだと思うんですけど、それぞれにおいて、なんて言うんでしょう、一番こだわったことっていうのを挙げるとしたら何でしょうね。
これは難しいんですけども、戦争については体験していない世代しかいないんですよね。はっきり言って現在の世代で言えば、日本人の錯覚に関して言えば。
戦闘を描くときにどうしても絵空ごとになりがちになってしまう。
なんでかっていうと、一番安易なのが映画から参照してしまったり、あるいは先行する小説から参照してしまうということなんですけども、
でもそれだとやっぱり今一つ追体験にはならない。結局自分が体験していないものを小説としてどう展開するかといったら追体験するのが一番いいんですけれども、
追体験するときに、
追体験するもとっていうのは多分フィクションではなし得ないというふうに思ったんですね。
オーラルヒストリーっていうものがそこで重要になってくる。だからこそ戦争は女の顔をしていないもそうなんですけども、
その他にもいろいろありがたいことに、今は日本語で読めるものもありますので、
赤軍兵士がどういうふうに戦ってたかっていうことであるとか、逆にドイツの兵士たちがどういう手紙書いてたとか、
捕虜になってどういう会話してたとか、そういうこともわかるようになってきたので、
そういったものから戦場にいる感覚ってどういうことなのか、
っていうことを少しずつ学び取って、それを小説に展開したらどうなるかっていうことを考えていった。
例えば、自分たちが戦っている局面がよくわからなかったりするっていう、
どういう局面で今対局を見ると戦っているのかわからないままとりあえず突っ込めって言われたりするのが結構実情だったりとか、
あとはこれはそんなに強調しなかったけど、
とにかく移動する、待ってるっていうことがすごく重要だったりするとか、
そういうふうにやっていくと本当に臨場感に優れてるっていうふうにいろんなことにおっしゃっていただいて、
それがやっぱり人に資料を読み込んで、そこに戦争のリアルというものに自分なりに想像力を働かせる。
そこに自分がいたらどう感じるんだろうっていうことを考えてから五感にまで訴えていくっていう、そういう手法でしたね。
もう一つ、やっぱり女性っていうところではどうこだわったというか、書けたんでしょうね。
これも悩みました。
一つ大きな問題として、一体これ何を描こうとしている小説なのかっていうことが問題としてあったんです。
モチーフとしては、
普通にやると、下手するとこれフェティッシュになっちゃうっていう、男性にとってのフェティッシュになっちゃう。
若い女の子が銃持って戦うのがフェティッシュになってるって割とよくあるもんになっちゃう。
それを回避しつつ、ではどうしたらいいかって言ったら、女性が戦場に行ったときにその視点からしか見えなかったものを描く。
それをやってみたいと思ったんです。
戦争小説の質を高めるだけじゃなくて、どうしてもやっぱり戦争小説って、現実がそうだったこともあって、
主人公も、戦争小説の質を高めるだけじゃなくて、
同僚もみんな男で、男たちの物語で完結してることが多かった。
っていうことは、史実に依拠して女性兵士の立場から独創性を描けば、戦争小説としてもなかなか新しいものが描けるんではないのかなって思ったんです。
であるからには、戦争とジェンダーっていう大テーマを持ってきて、これから逃げないで描いてみようと思った。
ところが、やっぱり描いてる自分が男性だっていうことからは逃れられないですし、果たしてそれって描けるものなのかしらっていう疑問はあったんです。
ただ、すいません、私男性なんで、戦争とジェンダーについては、
女性の視点からは描けないですって宣言しちゃったら、多分テーマからだいぶ後退してしまう。
いや、描ける。戦争において一番露骨に出るのが性犯罪なんだけど、それだけじゃなくて、
当時の実際の女性兵士が味わっていたどことなく屈辱的な扱い、二戦級の扱いされたりとか、
そういったのは戦争は女の顔してない、繰り返し登場するんですけど、
いや、自分たちは戦えるっていう気持ちであるとか、
そういったものをきちんと汲み取って、
で、今の、
この世に問うに、恥ずかしくない小説にできるはずだと思ったんです。
ありがたいことに、現代的な小説だっていうふうに言っていただいたこともありました、その結果として。
だから、そこはもう本当に、世に出すまでは、それでもこれで合ってますかっていう気持ちがすごくあったんですね。
ただ、ありがたい反応として、戦争小説としては、
かなり入れなほど女性の読者からの支持が強いというお声をいただきまして、
そもそもそうですね。
間違ってなかったかっていうふうな気持ちでいます。
そういう意味では、こう、なんて言うんでしょう、
まあ、手法的な話なのか、それこそ編集者の方との何度もの遂行を通してのかわかんないですけど、
いわゆるその、女性的な目線とか視点できちんと書けてるかっていう、
まあ、出すまでの段階の時の検証というか、
なんかそういうのって結構やられたのか、
まあ、結構それはもう普通に書き切ったのか。
これに関しては、新人賞受賞作なので、
あの、途中でアドバイスもらえなかったわけですね。
あ、そうか、そうですね、そうか。
だから、とりあえずやりきるしかないっていう。
800字一気に書き切って、
はい。
ディティールに関しては、
たまにまあ、あの、出すまでの間で直していくっていう、
はい。
セリフなんかおかしくない?みたいなのがたまにあったんで、
そこはもう自分の信じたい方法でやり切ったっていう感じですね、
この小説に関していえば。
うん。
今、改めて、そうか、
なんか僕の中で勝手にもう1年以上ね、
ほんと出版されてる感じですけど、
はい。
まだ全然、今日の時点でも半年ちょっとだと思いますけど、
はい。
改めて、
はい。
執筆において、
はい。
後から振り返ったら、
まあ、ティッピングポイントというか、
ターニングポイントだったなと思う、
はい。
具体的なその創作に関する、
この、例えばよく2割8割の法則ありますけど、
なんていうの、
この2割とか2%があったから、
これがこうなったんだな、
うん。
ちょっと抽象的で恐縮ですけど、伝わってますかね、
もし、あれば教えていただきたいなと。
うん。まあ、あの、書いてた時に、
いくつも意識したポイントがあったんですけども、
はい。
その中に、小説として戦争を語る時に、
うん。
あの、現代の読者から切り離せない構造にしようって思ったんですね。
はい。
それはあの、ジェンダーもそうなんですけども、
もう一つの問題に、戦争っていうところもそうなんですね。
過去を語って、昔々こういう話がありましたっていう風な構造にならないようにしようと。
戦争とジェンダーの問題にするならば、
ジェンダーについても、あの、現代に何かを語りかける構造にし、
そして、戦争も何かを語りかける構造にしようと思ったんですね。
では、その、あの、独創戦を現代の日本人に提示する意味は何かって考えた時に、
うん。
今も続いていく何かっていうものを、あの、戦争で提示しなければならなかった。
はい。
それがウクライナだったんですね、僕にとっては。
うん。
2014年に、あの、クリミア半島の、あの、併合がありまして、
ドンバス紛争、まああれも実態としては内戦というよりは、あの、ロシアの介入戦争でしたけども、
あの、あれがあった、外交的にほぼ破綻に等しい関係になったわけですね。
うん。
で、2020年の段階で意識したかったのは、
はい。
独創戦を通じて勝ち出た、その、ソ連内部でのロシアとウクライナの友好っていう、
うん。
で、それはソ連が崩壊してからも、実はずっと友好国としての時代の方が長かったんですけども、
はい。
それを強調していくことによって、ラスト、特にラストについては、
ラストですね。ありました。
はい。あの、それらが、あの、失われていく現代に対しての、ある種の何かメッセージを放ちたい。
うん。
戦争を通じて勝ち取られた、あの、過労死で勝ち取られた2国家の友好ですらも、
今、崩れていってるっていうことを言いたかったし、
うん。
あの、ウクライナとロシアの関係、あの、単純に友好国であったと、
はい。
いや、もう言い切れない、何度も言い渡る関係というのは、現代に連綿と続いていくんですよってことを言いたかった。
うん。
それ、2014年から2020年までの関係を念頭に言いたかったわけですね。
はい。
ところが、それが、あの、結果的に、
はい。
非常に、あの、繰り返し引用されるのが、その、一番最後のロシア、ウクライナの、あの、友情は永遠に続くのだろうかっていう一文は、
ものすごく引用されるようになっちゃったんですね。
僕は別に、戦争を予期したわけじゃないというか、むしろ書いてるときに、いきな、いくらなんでも、全面戦争はないだろうけども、
あの、2014年からの、その、友情が破綻していくことを、念頭において読者が読んだときに、
あの、戦争の無情さと世の無情さっていうものを感じてほしいというふうに思ってたんですよ。
はい。
それがもう、今では全然違う意味合いで読まれてしまう。
うん。
多分、ここで、あの、現代、戦争というテーマを現代に接続するために、ウクライナの、あの、出身の、コサクのオリガっていう子を、
イリーナなんかは、もう、最初からもう、完全に戦勝に適合した状態で出てくるんで、完成された兵士なんだけど、人間としては破綻しきった人として出てくる。
その周辺は、まあ、いろいろ考えましたけどね。
基本的には、ソ連における立場っていうものから作っている。
旧貴族。
娘だったりとか、カザフ人、ウクライナー、ジューナーウクライナーとか、その中でもちろん、それではない、失われた母性を求めている人だったり、看護師のターニャーっていうのは、実はすごく好きな登場人物なんですけど。
そういったところから、主題から発展して、描くべき人間を導き出したときに、必ずその人たちが体現する価値観っていうものがある。
で、問題はあまり独創戦というのは、なじみ深いとは言い難いもの。
で、問題はあまり独創戦というものを提示するのに、これはなるべくキャラクターは分かりやすく提示していこうっていう、やりすぎなくらいちょっとポップに明るく出していく。
特に最初に出てくるとき。
そこから変化していくところっていうのを見届けてほしいし、その方が読みやすくなる。
当然、これ、手法っていうのは賛否両論あって叱るべきだと思ったんですけど、幅広く読まれるならその方がいいと思った。
それは実際出したら本当にその通りだった。
個人的にはやっぱりターニャーがすごく、
自信だったというか、やっぱり戦争って言うと、僕も戦争体験者の方の話聞いてると、戦争するか、要は直で関わるか、姿勢の人で普通に関わってないかっていう、そのどっちか。
やっぱりややもすると、今世の中でも100か0かみたいなものが多いじゃないですか。
なので、ああいう形で当然関わるってあるんだって、いろんな意味でちょっと考えさせられましたね。
そうですね。戦争における衛生兵のモラル、看護師のモラルって果たしてどういうところにあるんだろう。
っていうのが悩むところなんですけども、実際ああいう悩み方する人っているんですよね。
超有名なところでは、あの名誉勲章をもらった人が、アメリカに一人いて、
イオジマの戦いに参加した、白草リッチっていう映画にもらった人ですけども、
あの人は宗教的な信念が理由で、銃を軍隊に行って協力することはできるけど、銃を撃つことはできませんって言われていて、
それは散々否定されるんですけど、最初。
結局衛生兵として、戦い抜くことを決めて、
ひたすら人命救助をして、名誉勲章をまでもらったっていう。
ただそれとはまたちょっと違う考え方なんですけども、この人の場合って。
ただあのターニアを配置しないと、多分この小説って、
かなり配慮しても、序盤で言ったらリーナの戦うのか死ぬのかっていうところから逃れられないと思ったんです。
確かに。
だからもう敵が来たら武器取って戦うっていう、それが正しいんだって。
だからもうその覇行しかなかったですよね。
なかったっていう。
だからそこを最後に、
スポンと誰かが打ち砕いてもらえないと困るんですね。
実はどっちでもない人がいましたっていう。
だから常にあの人が出てると、主人公たちが維持してる価値観みたいなものも、ちょっと外で行動してるから。