中途半端なんですけど。
いやいやいや、とんでもなくすごい成績だと思うんですけど。
自分はやっぱりサーフィンが一番好きで、
波があると海に行って、
波がなければスケートボードをしているっていう、
そういう生活を長年ずっとしてきたんですけども。
海部のこの地域の海とかっていうのは関東の海と比べてまた違った特徴があるんですかね。
そうですね。まず僕、海部病院で生まれたんですけど、実は。
そうなんですか。
そうなんですね。父親が成形以下でその時に、
徳島大学からの教授の指示で勤務してましたので、そこで生まれまして。
サーフィンを始めて自分が生まれた海部が、
すごい世界的に有名な波が来るというポイントっていうのを知って、
いつか自分が生まれた場所でサーフィンをしたいなと、
名古屋に住んでいる時から思ってたんですけども。
10年前に徳島に戻ってきて、それが叶って最高です。
波もやっぱりワールドクラスの波が来るので、
やっぱりそれは自分が長年いた名古屋とか湘南でも見たことないような本当にいい波だったので。
もう世界レベルワールドクラスなんですね。
間違いなくそうですね。
海外の有名なプロサーファーもお忍びで来てますので。
じゃあ実はもしかしたらフラッと来たらすごい世界的に有名な選手が練習してたりみたいなのもあるってことですね。
そうですね。そういうシチュエーションもあるかもしれないですね。
そんなにいい海だとは全然知りませんでした。
やっぱり徳島のサーフィンのレベルっていうのは日本でもかなり高いですので、
トッププロの選手もいっぱいいますし、若手の育成もしっかりしてますし、
短期間でサーフィンをうまくなるにはもってこいの場所なんじゃないかなと僕は思いますね。
なるほど。育成っていうときちょっと話が出たんですけど、
石井先生ご自身はお友達に勧められて始めたってことだったんですけど、
そのお友達からいろいろ教えていただいたり、
今までサーフィン最初はそういうふうにやられてたんですかね。
僕は18で大学に入ったんですけど、同級生にろくろうした同級生がいまして。
結構年齢がそうしたら上になりそうですね。
その友達が大学入学したときにすでに何年かサーフィンをしてたので、
その友達にも誘われ、もう一人の同級生も一緒に始めて、
最初は教えてもらったんですけど、やっぱりほぼ独学ですので、
独学でここまでやられて。
でもやっぱり徳島ですとそういううまくなれるような環境がありますし、
ちゃんとコーチングも受けることができますし、
やっぱりそこが徳島のサーフィンのレベルが高い理由の一つではないかなと思います。
わかりました。
今回のような大会にも参加者としてだけでなく、
意思としての立場でも関わってこられたというふうに前回もお話をお伺いしたんですが、
その中で信頼をいろんな方から得て、
Dr.Aという異名で呼ばれているということだったんですが、
その辺のお話も聞いてもいいですか。
僕は湘南でサーフィンとスケートボード両方競技をして、
総合優勝を決めるという大会、2日間あるんですけど、
それに最初選手としてエントリーしてたんですけど、
やっぱり毎回怪我人が出るので、
自分がその時もちろん整形外であったので、
自分でいろいろ医療物資を使って対応するようになったら、
オフィシャルドクターに任命されたんですけど、
その時僕の名前が騎士アキラっていうんですけど、
大会にアキラっていう名前が先輩も含めて何人もいたので、
これ以上アキラが駆動すぎるということで、
ドクターやってるので、お前もドクターAでいいだろうと。
そんな感じで決まったんですね。
他のアキラが多いがいい。
ただそれだけの先輩の、アキラっていう名前もううざいくらいいるから、
お前もドクターAでって言われたのがきっかけです。
その先輩が発信かもしれないですけど、
いろんなところでドクターAって呼ばれるってことは、
騎士先生自身いろんな大会に出られて有名だったってことですよね。
やっぱりサーフィンの世界大会、スケートボードの世界大会、
世界選手権ですね。
何年も対応していると、自分の名前を覚えてくれて、
オリンピック選手からもそう呼ばれて。
オリンピック選手からも覚えられたんですね。
ドクターAという名前で。
そうですね。勝手に名前を付けられた名前が浸透していますので、
それで行こうというような感じですね。
僕ももう忘れられないですもん。完全にインプットされました、ドクターAが。
あとスケートボードの話が出たので聞いちゃうんですけど、
実はこの収録をする前に騎士先生の元にご挨拶というか、
伺わせていただいたんですけどね。
来ていただいてありがとうございました。
とんでもないです。本当に来ていただいてありがとうございますなんですけど、
その時に見せていただいたクリニックの2階の部分を自分で改良されて、
スケートボード場みたいなのを作られていたと思うんですけど。
そうなんですね。
びっくりしたんですけど、あの辺の話も聞いていいですか。
そうなんですね。
徳島ってすごいいい波があるところが多いんですけど、
ただやっぱり自分は吉野川市なので、この海風付近まで来るのに、
車で2時間くらいかかってしまうので、
毎日サーフィンをすることがどうしてもできないんです。
そうですよね。
自分は18から波がない日はスケートボードをするっていうのが定番で、
名古屋にはスケートボードのパークがいっぱいあったんですけど、
10年前帰った時にスケートボードの練習するパークがほとんどなかったような状況なので、
そこがやっぱり一番困って、困った挙句にこうなったら病院の院内に
自分が滑れる場を作ってみようと考えて、
自分の病院は1階が診療室で、2階が入院のフロアなんですけど、
自分が徳島に帰った時にはもう入院の対応をやめてたので、
2階が完全に空いてるわけなんですね。
そこに目をつけて、親に黙って半年をかけて
スケートボードのできるランプを一人で設計図を描いて建設したんですけど、
全部ご自身で?
そうですね。診療が終わった後、夜な夜な木を切って少しずつ組み立ててたんですけど、
半分ぐらいできた時に夜中、木を切っていろいろ組み立ててたら、
散歩に出かけた父親に不審な音がするということで。
お父さんびっくりですよね、確かに。夜中ですもんね。
夜中1時ぐらいで、自分が入院患者さんの大部屋にスケートボードのランプを作ってたところを見つかってしまって、
立ち尽くしてましたね。
もうそうですよね。
一言、お前はなんてことをしてくれたんだと。
もうその時は委員長は木先生だったんですか?
そうなんですね。やっぱりその時はまだスケートボードもオリンピック競技ではなかったので、
やっぱり一般の方には認知度が少なかったので、何をしてるんだという形だったんですけど、
その後オリンピック競技にもなって、XGAMESという世界最高峰のスケートボードとBMXの医療責任者を任されたり、
スケートボードの世界選手権の医療責任者として任命された付近から認めてもらうようになって、
今では全く言われなく勝手に滑ってます。
でも夜中一時に散歩されてるお父さんもびっくりしますね。
そうですね。父親もトライアスロンで世界選手権に行ってましたので、
徳島から県外の試合、海外の試合も含めて出てたアスリートです。
あれですね、ここ南町、ここからちょっと北に行ったところでもトライアスロンの大会毎年してますよね。
はい、そうなんですよ。
ウニガメトライアスロンでしたっけ?
ちょっと名前忘れたんですけど、うちの父親がオフィシャルドクターやってます。
そうなんですか。
はい、そうなんです。
親子でそういう世界大会とかの医療責任者とかをされて、
徳島のトライアスロンの救護を毎年担当してやっておりますね。
とんでもない親子ですね、すごいな。
わかりました、ありがとうございます。
趣味として始めたサーフィンだったりスケートボードが、
意思としてのスキルとかと交流関係とか結びついて社会にも広がっていったという実例なのかなと思うんですけど、
今回のようなサーフィン大会でのご経験も含めて、
今後徳島という地域でどのような形、医療とライフスタイルを結びつけていきたいと考えていますでしょうか。
やっぱり自分が今まで活動してきたことって、やっぱり一人でやってきたことなので、
やっぱりこういう今日みたいなサーフィンの医療従事者の大会を通じて新しく知り合った医療従事者と仲間になって、
できたら県内のイベントの救護を担当したり、
僕がやっている世界大会を一緒に手伝っていただけたりとか、ゆくゆくしていくといいなと思いますし、
やっぱりこんだけいい波が来る県なので、できれば海の近くにカリフォルニアのようにスケートボードパークも県内にも充実していくと、
サーフィンのレベルもさらに上がっていくんじゃないかなと僕は思っておりますので、
そういうのが実現するように自分も頑張っていきたいと思っています。
分かりました。ありがとうございます。
医師としての経験やスキルを生かしながらやりたいことにも挑戦できる、そんな柔軟な働き方が徳島にはあるということで、
今日のお話からしっかりと伝わってきました。
最後に今回のオールジャパン南阿波サーフホスピダルカップ2025を通じて感じられたこととか、
また今後このような大会や小売りの場がどんな広がりを持つといいなと思われますか。
やっぱり今回も県外から、いろんな地域からこの大会に参加されて、徳島の良さを気づいていただいて、
一人でも多くサーフィンを通じていろんな職種の医療従事者が一致団結して、
県内もちろん県の西部もそうですけども、医療が発展していくことを自分は願っております。
今日来ていただいて、参加していただいてた皆さんもすごく楽しそうに交流もされていたので、
この繋がりを活かして徳島県でも活動とかもしてもらえたらなと思いますね。
そうですね。こういうイベントが毎年恒例のように続いていって、
どんどん大きな大会に発展して、それがきっかけで発展していくといいなと思っております。
日先生、本日はありがとうございました。
ありがとうございます。
最後にお知らせです。徳島県では医師、看護師など医療従事者がまだまだ足りていません。
移住して常勤で働くのはもちろん、週1日の非常勤や短期の応援といった関わり方でも大歓迎です。
少し興味がある、まずは話を聞いてみたいという方は、番組概要欄の問い合わせ先までお気軽にご連絡ください。
あなたの経験とスキルを徳島の医療現場で活かしてみませんか。
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それでは次回のエピソードでお会いしましょう。
お相手は大野耕介でした。さようなら。
さようなら。