1. いろはにマネーの「ながら学習」
  2. #110 【特別編】「今後の注目..
2021-11-01 24:20

#110 【特別編】「今後の注目業種・投資戦略を語るⅠ」ゲスト:Fund Garage 大島様(10月16日セミナー前編)

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\毎週 月・水・金・土 更新/

10月16日開催IRセミナー「プレミアムブリッジサロン」のBridge Live Seminarの音声をお届け。

Fund Garage 大島様の講演です。

★参考記事★

ブリッジサロン⇒
https://www.bridge-salon.jp/?utm_source=podcast&utm_medium=referral&utm_campaign=110

いろはに投資⇒
https://www.bridge-salon.jp/toushi/?utm_source=podcast&utm_medium=referral&utm_campaign=110

株式会社インベストメントブリッジ作成

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株式会社インベストメントブリッジがお届けする、いろはに投資のながら学習。
こんにちは、新しく入ったインターン生の金です。
このポッドキャストでは、スマホ時代の投資、企業分析メディア、いろはに投資の記事をもとに、
投資の基礎知識から最近のトレンドまで幅広くご紹介いたします。
通勤時間などの隙間時間でながら学習をして、さまざまな知識をつけていきましょう。
本日から2回に分けて、10月16日に開催した投資家向けIRセミナー
プレミアムブリッジサロンからブリッジライブセミナー
今後の注目業種・投資戦略を語るⅠの音声を配信いたします。
元楽天東進投資顧問の社長兼チーフインベストメントオフィサーで、
現在ファンドガレージを主催されている大島様のお話から投資の知識をつけていきましょう。
今ご紹介に預かりました大島でございます。
今はファンドガレージというインターネットを中心として投資教育をさせていただく
そういうサービスを展開させていただいておりますが、
企業様への投資の研修、保険会社の代理店さん向けの研修とか、
こういうのも引き受けさせていただいているんですが、
もともとは私ファンドマネージャーなんですね。
そもそもはさらに遡ると普通に銀行員からキャリアをスタートしたんですが、
2年半銀行員をやった後、
普通に人事異動で、いわゆるバブルの在宅の時代、
まだ世の中に投資顧問会社は何やってるんだって誰も分からないような頃に、
そこにもう出向しろと言われてファンドマネージャーを始めたというのが、
キャリアのスタートでございまして、
88年の1月からずっと一貫して資産運用業務に携わってまいりました。
2005年までは、いわゆる三井住友銀行グループのアセットマネジメントで、
投資の運用などをやってたんですけども、
その後は自分で一旦ヘッジファンド会社を設立しまして、
今ヘッジファンドって言うと割と悪さをする人たちだと、
マーケットを荒らすと思われてるところも多いかと思うんですけども、
私は純粋にロング&ショートという形で、
例えば日本株のA自動車メーカーを買って、
アメリカのB自動車部品メーカーをその分だけ売って、
ペアトレードというのをやるというような形で、
そんなヘッジファンドもやっておりました。
03:02
その後は楽天投信という会社の社長を務めまして、
ここのときよく4年間過ごしております。
代わり種のキャリアとしては、
それまでずっといわゆるバイサイド、投資家側にいたんですけども、
最後の5年間は、外資系というかバークレーズのプライベートバンクが、
撤退しちゃったのでなくなったんですけども、
そこで投資家さん向けへの、
調布郵送向けへの投資提案、
どういうふうなポートフォリオを作りましょうかとか、
どういう金融商品をやりましょうかと、
こういうようなことの提案、
プライベートバンクがお客様とは対峙して、
ご案内するんですけども、
私がさせていただいたのは、
それのネタを作る、台本を書く、
そういうような専門チーム、グローバルにあるんですけども、
そこの日本のヘッドを5年間ほどさせていただいたということで、
平たく言うとですね、
もの、金融商品を作って運用するところと、
それを販売する側、両方を見てきたこの30数年ということで、
金融業界の表と裏、一通り見ましたということで、
今は私、投資教育、裏も表も見ましたし、
この資産運用業界というところで私は育っていただいたので、
投資家の皆様に何らかの形でのお返しができればなということで、
投資家向けの教育でファンドガレージというのをさせていただいているという感じです。
大島さん、せっかくなんで、ちょっと経歴のところ、
いわゆるPPTのところですね、ちょっと経歴のところを映していただけますか。
そうですね。
ちょっと今、口頭でご説明したところがこんな感じであります。
ちょっとあそこに写真があるんですけど、
実は私、1998年の番組スタートから、
モーニングサテライトのレギュラーコメンテーターを2011年までやっておりまして、
その時、私の運用スタイル、
ファンドマネージャーとしての運用スタイルを象徴しているんですが、
番組内で私がインテルの300ミリウエアというものを、
日本で最初に全ての報道機関を合わせて、
一番最初に私が皆さんにお見せした、その記念的なシーンなんですね。
これが自分の考え方、運用の一番の根っこになっているんです。
なぜこれが日本で一番最初かというと、
インテルから時間に借りたので、インテルが貸してくれたのが私が初めてだったので、
私以上に早めに見ている人はいないというところなんですね。
こんなことにたどり着くまでに、私は何をやってきたのかということなんですけど、
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ファンドマネージャーとしてのキャリアは、私は20年、
いわゆる機関投資家の運用者としてやってまいりました。
もともとは私、銀行員ですから、
株のことなんて一切わかんないんですね。
株の投資、ファンドマネージャーがやれと言われて、
当時は普通に年功序列です。
肩書きが上な人ほど、支店長上がりの人ほどチーフファンドマネージャー。
私みたいなのは、もてちぼうこのファンドマネージャーのところから始まるんですが、
少なくとも私、日経新聞を読み始めるのも3年ぐらいの立場でしたから、
企業の株のことなんて全くわかんない。
そんな人間がファンドマネージャーやれよと言われて、
どうやって株買おうかということで、
最初にたどり着いたのが、クォンツ運用というアイデアなんですね。
今、皆さんこうやってここに集まられて、
いろんな企業のお話なんかを伺われたり、
リサーチの話なんかを聞かれたりしてるんだと思うんですけども、
いきなりお金ドーンと渡されて運用しろって言われて、
株なんて買えないよねと。
こういうところでどうしましょうと。
考えたのが、全部数学的なことでデータ分析をして、
答えを出す方法はないかと。
こういうことで、そういうアプローチから始めて、
クォンツ運用というのをやりました。
もともと私、理科系、高校までが理科系のところにおりまして、
数算とか統計学っていうのはあらかじめ勉強してたんですけども、
これを始めてから再度自分で数学の本を開いて、
いろいろ数学の勉強もしましたし、
コンピューターのプログラムも勉強したという中で、
クォンツ運用というのをやりました。
これ何やったかっていうと、株そのもののことって分かんない。
でも世の中に、例えば為替の動きだとか金利の動きだとか、
いうことは発表になってる。
あとは経済データで高校行政さんだとか、
これだって発表になるじゃないですか。
そういうのを使って日経平均の先々って予想することができないかな
っていうモデル開発なんかをやりました。
あと、いわゆるインデックス運用、こういうのをやってました。
それを始めてから2年後ぐらいに先ものが上場されたり、
オプションが出てきたりということになりまして、
私、94年に最初に投資新宅を設定した、開発したのは、
転換社債とオプションを使ったヘッジファンドみたいな運用の仕方のファンドということなんですね。
ここまでも私、まだ銘柄というものになかなかたどり着けてないんです。
ただ、門前の小僧、いろんなことを覚えっていうのはありますけども、
88年から94年まで既に6年間、大バブルの中にもおりましたし、
いろんな話も耳がくもしてますんで、だいぶ銘柄の着眼点だとか、
当然、証券アナリストなんかもこの頃でも撮ってますので、
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分析の仕方っていうのも覚えてきてて。
個別銘柄の発掘にも関わってみようかなと思いつつも、
最初に設定しました株の運用ファンド投資新宅っていうのは、
アセットアロケーションを大きく動かしましょう、
大きく動かしましょうというような、
アセットアロケーションというのはもっともらしいんですが、
要は組入れ比率ですね。
株を何%ファンドの中で持ってましょうかっていうのを大胆に動かす。
それをお金の向きによって、
お金がどこに今投資資金が向かっているかっていうのを分析するモデルを
やっぱり自分で作りまして、それで運用をしたというところから、
株の世界にどっぷりはまり始めるという感じなんですね。
だんだんここから株の運用、個別の銘柄の発掘に関わるようになるんですが、
一つ自分の中で大きな閃きがあったのは、
90年代の日本の自動車メーカー、どこで一番売ってたか。
アメリカなんですよね。
でも日本株ということで、トヨタ、日産、ホンダ、
例えばこういうのを見るとしたときに、
日本にだけこだわって見てても、主戦場は日本じゃないじゃないですか。
アメリカなんですね。北米。
だったら北米に行って、どうやって当時のビッグスリー、GM、クライスラー、フォード、
これと戦っているのかを見なきゃわからない。
あいつらが何を考えているかを調べようということで、
アメリカにも渡るようになって、
投資をするように、個別の分析をするようになったと。
そうすると、ハイテクなんかも私は非常に好きでやってたんですけども、
当時、京セラがセダミックパッケージというのを握張った時代があります。
最近でもサブストレートということで日経新聞に出てきて、
イビデンタとかそういうような会社の名前が上がったりもしてるんですけども、
そのパッケージは誰が一番先頭を走ったかというと、
当時インテルなんですよね。
インテルが何かをやるから、
日本の電子部品メーカーが右向いたり左向いたり、
じゃあインテルが何を考えているか、
どういう技術を持っているのかというのを追っかけるのが一番面白いだろうと。
そういうのは、私自分でパソコンを作るようになりましたので、
非常に面白く馴染んでいくと。
インテルとしては信じている中で、
先ほどの新しい半導体のウェハを日本に持ってきて、
テレビでご紹介することができたというような経緯なんですね。
なので、私自分がファンドマネージャーとしてこだわってきたことの一つというのは、
どういう世の中の流れがビジネスの中にあるのか、
ということを追いかけるというのが主たるところでやってきました。
ちょっと話、先に行かせていただくと、
例えば、1989年に皆さま携帯電話が出てきたとき、
12:00
右側ぐらいのこんなものだったと思うんですけども、
最初の携帯電話って、スポーツジムで持っているバーレル、
鉄割れぐらいの重さがあったんですね、640グラム。
これが、みんな何を考えたか。
こんな重いもので長電話できないでしょう。
軽くなってよということで、
とにかく携帯電話って一旦軽くなる方向に走ったんですね。
ご記憶あるかと思うんです。
どんどん軽くなっていったと思うんです。
一番軽くなったときってドコモが使ったのが54グラムまで、
10分の1以下まで軽くしたんです。
この間に、いろんな中の部品とかが精度が上がったり、
小さくしたり、技術進歩というのは起こった。
この背景にあるのは人間の欲望だということになるんですが、
そこにiモードというちょっと付加機能が乗ってくる。
ちょっとショートメールみたいなものが送れるような機能ですよね。
そしたら57グラムから40グラムくらい乗っけることをみんな許したんですね。
92グラムくらいまで増えてた。
それから今度GPSが乗ってきたんです。
GPS、位置が分かるやつですね。
こういうのが乗ってくるようになってきて、
133グラムくらいになりました。
これ2005年くらいですね。
どんどんどんどん携帯電話が便利になってきて、
最後2008年にスマホが初めて日本でも投入されると。
iPhoneですね。
この時には、いっぺん57グラムまで縮めたものを
135グラムまで増やしたんですよね。
それでもみんな飛びつくように買った。
スマホというのが非常に便利だと。
今のスマホ、2018年の時のもので177グラムまで重くなりました。
一番軽くなった時の3倍までなった。
でも機能がものすごく増えている。
その間に何が行われたかというのは、
ご存知の通り、人間の欲望と技術提供がずっとかみ合ってきて、
そこでAppleが勝者になって、ガーファの一文字になったわけですよね。
今5Gが来ていると。
こういう大きな流れを追っていけば、
それのメインプレイヤーを探していくことが、
投資の一番重要なポイントだなというのが、
私の考え方の原点になって、
それをずっと追いかけてきたという流れであります。
ちょっと端折りましたけど。
あれですよね。
要するに将来のトレンドといいますかね、
流れというところ、ここをやっぱり知るというのはとても重要ですよね。
というところですよね。
それとあてばトヨタを知るためには、
先ほど販売があったというところで言うと、
アメリカが北米が一番だったよね。
そこの時に戦う相手というのがクライスラーであり、
米国の自動産業です。
というところで、当時のファンドマネージャーというのは訪問をする、
特に海外のトレンドを読むというのがあまりいなかったんですよね。
大島さんなんかしょっちゅうアメリカに行っていると、
じゃあ一体何を見に行っているのと。
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将来的にこういうことを仮説として見るためには、
まずやっぱりアメリカを見ておかないと、
世の中の流れというのがなかなかこれは取れないと。
ソフトバンクの孫さんがタイムマシン経営じゃないけども、
向こうで流行っていることも含めてなんだけども、
日本のトレンドになっていくよねと。
含めて、これはざっくりのイメージでお話をしていますけれども、
そういう形をファンドマネージャーとして行ったのが、
僕の中でいうと大島さんが一番最初だったのかなというところ。
皆様方にこのインベストメントブリッジのブリッジサロンを通して、
いろんな企業を見てもらっていますよね。
そこに至る過程というところは、情報の格差、
これをなくしていこうというところがありました。
個人投資家の方々がそういう企業を、
まず知ることってなかなかできないし、
株主総会なんか行けばお話もできるんですけれども、
まずファンドマネージャーの方もですね、
まず来るものは拒ますね。
実際に来るのは受けるけれども、
自分で自ら行ってというのはなかなかなかった。
その中でちょっと一つこれになりますけれども、
日本電さんの中森さんのちょっとお話のところです。
ちょっとお話いいですかね。
銀行におりましたので、
会社の偉い人というのはどういう立場か。
要は東通りの姿を見ているとですね、
必ず周りに取り巻きがいっぱいついて、
ゾロゾロと大名業でそうするじゃないですか。
で、日本電さんが、今の本社の前の川の近くに立っていた、
後期の日本電さんだったんですけど、
中森社長がすごいなと思ったのは、
すごいなと思ったのは、
私アポイントを取ってて、
1階のロビーで座って待ってたんですね。
そしたら、中森会長がお一人でお客様をエレベーターで送ってこられて、
腰を45度に曲げてご挨拶をして見送られると。
ああ、身近な人なんだなと思って入ってきたら、
いつもの中森節でですね、
お、兄ちゃん、いつもテレビ届で喋ってるやつから
当たらん予想ばっかしよって笑いながら声かけていただいたんですよ。
そのフレンドリーさ、
でも、私がテレビで喋ってる人間だっていうことまでも把握をされてて、
声をかけていただけるっていうのはですね、
やっぱすごい人なんだなというのが直感的にいい感じなんですね。
その直感的なものっていうのは、
例えばアメリカに行った時も、
今じゃもう伝説になってしまったような大きな会社ですけど、
シスコってあるじゃないですか、
通信ネットワーク機器ですね。
あそこの会社に訪れた時も、
入り口で扉を開けてくれた人が、
ジョン・チェンバースだったんですね。
例えばそのビルの入り口のところに入ろうと思った時に、
どうぞって言って開けてくれたのが、
ジョン・チェンバースだったとかですね。
インテルの有名な創業者が、
私が訪ねた時に、
ロビーのところのショールームのパソコンで何か作業をしてたとかですね、
そういう身近なところに現場の匂いを嗅ぎに来ているっていうのを見るって、
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すごく私は大事だなと。
機関投資家のファンドマネージャー、
よく企業のボトムアップアプローチありますって言ってるんですけども、
ほとんど今、実情はどうなってるかというと、
会社に呼んでるんです。
会社見に行かないんですよ。
会社見に行って、
その会社の中でお偉い方がどういうふうに社内で扱われているか、
一番いいのは、
本当は社食に潜り込ませてもらうのが一番いいんですね。
社食でしばらくご飯食べてると、
会社の裏口、従業員は普通に言うじゃないですか。
そういうのが聞こえてくる。
そういうのも聞くと、
非常に会社の雰囲気にわかる。
だから私は、
ろうせずに会社まで行くというようなことをしてました。
ただ立場的に、
機関投資家を離れるとそれは簡単ではないので、
こういった機会で少なくとも、
社長さんのお話を聞くとかっていうのは、
非常に意味のある、
ああいう感じの人なのねっていうのは、
なんとなくわかるじゃないですか。
それは投資をされる上で、
株主になる上では非常に大事な行為だと私は思っております。
すみません、最初ちょっと言い忘れたんですけども、
これあくまでも、
例えばどことこの市場はどうだとかですね、
ちょっと個別の名前があります。
これあくまでもインベストメントブリッジ、
それからファンドガレージの主催の大島さんが
推奨しているというわけじゃないので、
そこだけのほうはですね、
ちょっと、
まあ顧客に言っていいますかね、
そこのところは徹底をしていただければなというふうに思います。
あともう一つですね、
僕が非常に大島さんと話をしていて、
なるほどねと、
やっぱり将来のビジネストレンドというところを
見ていくから、
世の中の流れを見るというところで、
ちょっとYahooの創業者との遭遇と言いますかね、
その話ちょっと聞きたいなと思うんですけど、
ちょっと大島さんいいですか。
えっと、
1998年、
7年ぐらいだったと思うんですけども、
Yahoo、
まだ日本ではYahooが、
Yahooとかって、
なに、
Y-A-H-O-O、
ビックリマークって書くんで、
読むことができない人の方が多い、
というような時代に、
Yahooを訪問したことがあります。
Yahooっていうのはですね、
ちょっとごめんなさいね、
漫才師が今言ってますけどね。
そんなような時代だったので、
当時のYahooは、
まだベンチャー企業がスタートアップで使っているような、
2階建てのビルの中を何頭か借りてやっているような時代だったんですね。
で、
その時に、
いろいろなビジネスモデルを、
創業者のJerry Yangさんから、
次回にお伺いすることができて、
で、
要は何がすごいのかって言ったら、
パソコンで検索して、
何かを調べたら、
そこに必ずみんな足跡を残していくんだよ、と。
21:00
どっから来てどこに出てったかっていうのを、
足跡を残していくと。
なおかつ、
簡単な登録談だけども、
男が女かとか、
年齢がどんなのかっていうぐらいのことを登録してもらうことも可能になってきていると。
そうすると、
ターゲットマーケティングというのができる。
ブロードキャスティングって、
電波垂れ流し、広告垂れ流しのビジネスじゃなくて、
30代の男性とかっていうことに、
ターゲットしたマーケティングができるんだよっていうのを、
その当時に言ったんですね。
その当時ですから、そんなこと一切ないわけですから。
すっごいな、このネットワークのビジネスと。
本当に目から一気に鱗が落ちるような感じだったんですけど、
それを見てたJDNさんが、
日本人でもこの話に感動してくれたのはもう一人いる。
孫正義って知ってるかって言われたんですね。
ソフトバンクの人だよなと思ったんですけど、
当時、調べていただければわかるんですが、
ソフトバンクのレポートを書いている日本のアナリスト、
誰もいません。
そんなような時代です。
日本に帰ってきて、ソフトバンクってどんな会社って、
私、知り合いのアナリストたちにも聞いたら、
出版社の潰れそうな会社だろうっていうのが、
大型のコメントだったんです。
で、調べてみると、そんなものじゃ全くないっていうことがわかって、
当初のきっかけになったっていうのがあるんですけども、
その後もですね、孫さんの話を聞くと、
毎回私がJDNの話を聞いて興奮したときのことを、
今でも思い出すという感じです。
ただ、時々極端に熱狂的な方が株価を吹き上げるので、
あのときも、2000年のITバブルのときも、
そこまではありえないだろうって値段まで、
一旦株価が上がっていったと、
こういうような歴史はありますけども、
大きな流れを見ていくと、面白いものがいろいろ見えてくるなっていうのが、
あのときに感じたところです。
まあ、あれですね。そこで、へえ、そうですかね。
普通終わるのが、そうではないというところで、
そこから先のことを自分で描けるっていうことですよね。
ここはとても重要です。
今日はイントロダクションに終わると思うんですけども、
大島さんがものを見る目を含めてですね、
株式投資というのは、ある意味ですね、
経済を良くする一つの原点でもあるというところなので、
そこのところも含めてですね、
ちょっと大島さんの話を今後も聞いてほしいと思います。
いかがだったでしょうか。
次回、水曜日のエピソードでは、
セミナーの続きを配信いたしますので、お楽しみに。
本日も最後までご視聴いただきありがとうございました。
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また株式会社インベストメントブリッジは、
24:00
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こちらも説明欄記載のURLよりぜひご覧ください。
24:20

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