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2025-10-02 23:20

#106 コーヒー片手にトンネルの20代をふりかえる

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2025/10/1

あの頃のわたしに感謝です。

歩みをとめなければ、光のさすところにたどりつくよ。

#ポッキャトークテーマ

 

サマリー

20代の自己振り返りの中で、特にドトールコーヒーでのアルバイト経験や海外での人道支援の仕事について話しています。過去の暗い時期を振り返りながら、現在の自分がいかに幸せであるかを伝えたいという思いが込められています。このエピソードでは、ゲストが20代の経験を振り返りつつ、自身のアイデンティティの探求や恋愛観の変化について話します。特に、日本語教師としてのキャリア選択やそれに伴う海外での経験が自分にどのように影響を与えたかについて深く掘り下げています。

20代の振り返り
こんにちは。10月1日、水曜日、午後16時40分、きょうの声日記です。
きょうは朝もお録音しましたが、2回目です。
そして、ポッキャートークテーマ、ヤングアダルト編、水城誠さんに立ち上げていただいたリッスンイベントに参加しています。
これ、もうすぐだなって、なんとなく分かってたんですけど、
あ、きょうじゃない、10月1日って、今思い出しました。つい30分ほど前に。
それで、今私イラクにいますので、日本とは時差が6時間ありますので、
私としてはまだ7時間半ぐらい、10月1日あるんですけど、
日本の10月1日にアップしたほうが、ちゃんと約束通りっていう感じがするので、
あ、これはあと1時間半以内にアップしなきゃって、ちょっと一瞬焦りました。
はい、ではですね、そしてですね、もう一個ですね、
これちょっとなんか申し込んでから、えいってイベントに申し込んでから少し悩んでたんです。
悩んでたのは結構ね、トンネルのようなというタイトルで申し込んだんですけど、
今から思い起こせばトンネルのような暗闇感もあった20代、
あの頃の自分に今の自分を見せたら安心するかもしれないっていう風に書いて申し込んだんですよ。
でもこれってなんかイベントの趣旨からして、結構暗すぎない?っていう風に思って悩んでたんですね。
このイベント欄に置いていただいている困った時の話題っていうのを、たくさんの話題例を置いていただいてるんですよ。
これイベント申し込む前にこうざっと見ていた時に、うっ、ぐっ、うっ、みたいな感じになるポイントが多かったんですよね。
で、うわー、なんか20代、18歳から30歳ぐらいというか20代って結構大変だったな私っていう風に。
思って、でその頃の大変だったっていうのはどういうことか今からちょっと話そうと思いますが、
あの、いや今ってすごいなんか幸せだなっていう風に思ったんですよね。
だから暗い話というよりは、あの今結構幸せだよってあの頃の私、
おかげさまで今あの幸せにやってるよって言いたいっていう話でもあるんだけど、
そのちょっとトンネル感みたいな暗闇感みたいなこともやっぱり話した方がいいのかなと思っていて。
で、でもいきなり冒頭からその話をするのも、もう今だいぶ話したので冒頭でもないかもしれませんが、
あのちょっとなんか楽しい思いではないのって思った時に、はい、
今日あのオフィスでコーヒーを飲んでいるよって、今オフィスなんですけど、
オフィスでコーヒーを飲んでいるこのコーヒーカップのあの写真をサムネイルで載せています。
で、私ドトールコーヒーでバイトしてたんですよね。
で、ドトールコーヒーで2回、20代にまず最初3年ぐらいバイトをしていて、
で、その後、あれはもう30になってからか、30代前半にも32歳ぐらいの時に、
はい、あのもうドトールコーヒーのバイトがあまりにも楽しかったからまたちょっと機会があったので1年ぐらい追加でバイトしたんですよ。
それでドトールコーヒーでバイトしたおかげで私はコーヒーに詳しくなりましたし、今でもコーヒーが好きです。
で、あのドトールコーヒーのバイトは楽しかったなって思うので、今でも実家の、実家というか仙台なんですけど出身が、
仙台に帰ると、そのお店がまだあるんですよ。私がバイトしていたドトールコーヒーのお店がまだあるので、
仙台の町に出ると、そうね、結構必ずと言っていいぐらいあのドトールに寄りたくなります。
それでなんかその寄るちょっと前は、あ、なんとか店長がいたらどうしようとか、あのバイトのなんとかさんまだいるかしらなんて一瞬思いまして、
それでいやいやいやちょっと待ってちょっと待って30年前だぞという形で、
あの自分をいましめたり、つまり自分の記憶の中ではついちょっと前っていう感じなんですけど、
ドトールコーヒーでバイトしていたのは30年前です。
20代を振り返るっていうのは30年前の話を振り返ることになります。
はい、という形でおもむろに自己紹介もさせていただきました。
高校生活と大学時代
はい、私は今イラクのドホークというところに住んでいて、ヨーロッパの団体で人道支援の仕事、NGOの仕事をしています。
そうですね、イラクにはもう6年くらい住んでいます。
その前にも結構いろんな日本の外に住んでいる経験が長かった人です。
20代の頃からそんなことを夢見てきた。
確かにそれもそうだ。
そんな感じの生活を今はできていますというところですね。
何が20代トンネルみたいだったかっていう話、入りますか?
入りましょう。
どういうふうに入ろうかな。
私は18歳くらいからヤングアダルトということなので、18歳までつまり高校生のことをまず思い出すと、
そのヤングアダルトになるちょっと前から順番に思い出します。
高校が本当に楽しかったんですよ、私。
高校、今でももし人生が終わるときにちょっと走馬灯のように思い出しましょうって言って場面を選べるんだったら、
高校時代を思い出したいな、思い出すだろうなっていうくらい高校のときは楽しくて、
地方都市の公立の女子校だったんですけど、そこがまた本当に自由で個性的な人のいっぱいいる高校で、
公立で女子校なんですけど私服なんですよ。
それでも本当にみんな個性的な人たちで、何というか独立独歩みたいな人たちがいっぱいいて、
それぞれ尊敬できる人たちがいっぱいいたので、友達もいたし、
部活とかも一生懸命やったし、勉強もすごい頑張ったし、高校がすごい良い思い出なんですね。
高校のときに一生懸命受験勉強して大学に入って、大学で本当にがっかりしたんですよ。
なんだこれはって言うとちょっと言い過ぎかな。
でもその18歳からってこのヤングアダルトっていう時代がトンネルだっていうのの大きな一つは、
正直言うと大学が良い思い出があんまりないというか、つまらなかったというか、
もうちょっとちゃんと選べばよかったというか、大学生時代に対してって言った方がいいかな。
なんとなく暗闇感ですね、トンネル感というものを抱いています。
その話を暗い話をしたいわけではないので、その時の自分に今こんなところにいるよって言ってあげるとしたらってことですよね。
また中学生高校生の頃に戻るんですけれども、私そもそも海外で働きたくて、
しかも海外って言った時にアメリカとかヨーロッパとかなんとなくみんながたくさん行くようなところではなくて、
あまり人の行かないようなところに行きたいという希望を持ったんですね。
中学生ぐらいの時にJICAの海外協力隊のポスターを見て、
多分アフリカの広い大地で井戸か何かがあって、そこを子どもと日本人の若者が一緒にいるみたいなポスターだった記憶があるんですけれども、
私はアフリカで井戸を掘るようなことがしたいっていう憧れを持ったんですよ。
その憧れから高校ぐらいから協力隊ってどんなふうにしたらなれるのかな、
どうやって申し込むのかなっていうようなことを調べ始めました。
それが高校の時で、そこで一つ目の失敗っていうか、
今思えば失敗じゃないんだけど、大学生の時に失敗だなと思っていたことは、
すごい単純に、その頃ちょうど地元の国立大学、自宅から通える大学に日本語教育学科ができましたっていうニュースが出ました。
それで協力隊の仕事のリストみたいな中にも日本語教育っていうのがありました。
なので、じゃあ私日本語教育になって協力隊に行ったらいいんだってパパッと結構簡単に決めたんですよね。
なので、自分がどんな仕事をしたいかということをあんまり真剣に考えずに、
地元の大学の文学部、日本語教育学科に入りました。
そこがだから文学部っていうのがちょっといまいち、
はっきり言ってしまうと友達になりたい、すごい大好きで面白いと思うような人があんまり周りにいなかったし、授業が本当につまらなかった。
日本語教育学科を出ると日本語教師の資格が取れるわけじゃなくて、資格試験を受ける条件の460時間だったかな、それが満たせるので、
日本語教師になる第一歩としては短縮コースではあるんですけど、そこで勉強したことも日本語教育の専門の勉強も含めて、
ちょっといまひとつ何が面白いんだかわからなかったんですよね。
だからその頃もうすでに考え直してもよかったかもしれない、協力隊に行くとしても別の仕事で行こうって言って考え直してもよかったんだけど、
考え直さずにとりあえず大学を辞めないように我慢するのが精一杯でした。
次卒業して協力隊に行きたいという目標があるから、なんとか大学は辞めないで、何とか単位を取ろうと言って、
本当に授業もつまらなかったし寝てばかりいたけれども、なんかギリギリの単位を取って卒業しました。
でも4年間の大学を5年間かけて卒業しました。
だから大学ですね、まずトンネルだったのは。
でもそこで26歳で私協力隊に行ったんですけど、シリアに行ったんです。
シリアでの経験
シリアってどこにあるんだろうということも知らないで、協力隊ってこの国に行きたいです、この仕事を。
この国に行きたいですと選んで受けることもできるんですけど、この仕事だけどどこでもいいですというふうに受験することもできるんですね。
なので私は国はどこでもいいと言って受験したら、第一選考みたいなのでシリアのポストに行ってくださいと来たので、
はいわかりましたと言ってシリアに行きました。
でも最初一番初めにシリアに行ってくださいというときに私はアフリカの地図を見ながらシリア、シリア、シリアってどこだろうと言って見たぐらい何もシリアのことを知らなかったんです。
26歳から28歳までシリアのダマスカスで2年間暮らしました。
ここはいい思い出です。
日本語を教えるという仕事がすごい楽しかったかというと、それはちょっと微妙だったりもするんだけど、
でも生活が楽しかったし周りに楽しい協力隊は他の職種の人とかも含めて友達だなと思える人もたくさんできたし、
シリアの人たちとの出会いもダマスカスでの生活もそこは充実してましたね。
だから初めての仕事、初めての仕事というか日本で1年間ぐらいバイトという形で日本語教師をしてからシリアに行ったので、
厳密に言えば初めての仕事は仙台に行って、
でもバイトだったからって考えると、初めてのフルタイムの仕事はシリアです。
それは楽しかった。
でもそれは楽しかったけど、どうして私は日本語教師という仕事を選んだんだろうなということは、
いつも自分の中で思っているんです。
他のいろんな仕事の人が協力隊にはいるし、
20代のアイデンティティの探求
他にもっとこういうことをやった方が役に立つのにとか、面白そうなのにというのはいくらでもあったので、
どうして私は日本語教師になろうって、あの時に思っていたのは、
日本語教師という仕事をやろうと思っていたんです。
何だったら周りの人に対してもどうして誰もアドバイスをしてくれなかったんだろうという風に、
結構長い間思っていましたね。
この今トピック例リストを見ながら話しているんですけど、
その他に
やっぱり日本語の学習とか、日本語の教育とかをやっている人が多いですよね、
その他に
うっぐっ てなったやつ
どこかっていうとですね
恋人との思い出とか
恋愛感の変化とか この辺りか
あんまり20代の恋愛に
あんまりいい思い出がないんです
でもこれ相手がいる話だから
そんなこれをあんまり話す
気はないが 私は
恋愛史上主義でした結構
それはでも20代じゃなくて30代まで
恋愛というか
もともともっとさらに だから子供の頃の価値観から言うと
自分の価値観が分かんなかったんですよね
で周りにいる人を喜ばせようとか褒められようとか
その身近にいる人から褒められたい
認められたいという価値観で
20代なんだったら30代も含めて
いた人なんです
これが自分だっていう自分の軸が持てるようになったのって
もう40半ば45で結構
私生活をいろいろ変えてるんですけど
離婚してモロッコに移住して
仕事を10年勤めた仕事を辞めて
これもまた20代の話じゃないので
あんまり話しませんが
20代では自分は私はこういう人って
言うことが難しかったです
私がどういう人だか分からなかったし
自分に対して自信がなかった
で自分が
例えば自分がすごく美人ではないこととかに対して
すごいコンプレックスを持っていました
見かけも良くない自分なので
なんかすごい役に立つことで
価値を出さなければならないという思い込みがありました
だから何でもその人に役立つことで
喜ばせようという価値観で生きていました
なので私は自分の軸もなければ
理想も持ちにくく
何だったら理想というのは美しい人というのは
価値があるというか美しい人は偉いみたいな
価値観を持っているぐらいだったかもしれない
それもあったから多分恋愛もなかなか
うまくいかなかったんだと思います
人間としての魅力というのは何かということとか
全然分かってなかったですね
その自分らしく生きるっていうことの大切さ
だからそれは今話してみると
高校の時は分かってたんですよ
でもそれが女子校だったからね
だから女子校だったから女の子だけいれば
こんなにその生き生きと自分らしく自由にしているっていう人が
こんなに魅力的なんだっていうことを
女子校という文脈の中ではすごい分かって
味わったことがあったのに
その後大学に行って男性も女性もいるみたいな
そのヤングアダルトの世界の中で
美しさこそ正義みたいな感じの
価値観の人も周りにはいるじゃないですか
それによって私もちょっと影響されて
それで自分の自信を失うということにもつながりましたかね
そのあたりが多分このリストを見て
一番グーってなるって言ってたところです
20代って結構大変じゃないんですか皆さん
なので私は最近キャリアコンサルタントの勉強をして
資格を取ったんですってまだ言えないのが残念なんですけど
資格試験には合格したんですけれど
まだ登録が完了してないので
キャリアコンサルタント勉強したんです
そこで私すごく若い人
高校生から大学生そして社会人になったばっかりの人などに
対して特に海外で働きたい
国際協力の仕事をしたいって思っているような人に対して
キャリアコンサルタントのお手伝いをできればな
というふうにすごく思っているんです
そういう思っているっていうのは
自分の20代の時もしくは高校の時まで遡っても
まず情報も本当になかったし
それから誰かが本当に
あなたが本当にやりたいのってどういうことだろうね
向き合って一緒に探るみたいなことをしてもらった経験がないんですよね
なのでそういうことを
これから私はできたらいいなというふうに思っています
それも含めて20代のトンネルだったなっていう記憶があるからこそ
その苦しみがわかっているからこそできるっていう面もあると思いますので
そういう意味では多分良い経験だったのでしょう
まとめに入ります
だから私が最初に言ったこのイベントに申し込んだ時の気持ちですね
あの頃の自分に今の自分を見せたら安心するかもしれないっていうのは
やっと私はなんか自分を取り戻して自分らしく生きるっていうことを
自信を持ってできるようになったような気がしていますね
今になって
なので20代本当にどう生きたらいいかいまいちわからなかったし
自分の選択に失望したりしたこともあったし
それから他の人の価値観に惑わされたりしたこともあった
それから恋愛に振り回されたこともあった
でもそういう20代ではたくさんの迷いがあっても
歩みを止めないでくれてありがとうということを私はまず言いたいですね
大学を卒業してくれたこともありがたいと思いますし
あんなにつまんなかったのによく頑張って卒業しました
それからシリアに行ってくれて本当にありがとう
20代の私
今でもシリアに関わっています
あの頃の出会いがきっかけに
それは本当にありがとう
だからシリアに行ってくれてありがとう
ありがとう私
なのでそう考えると日本語教師というキャリアを選んでくれて
ありがとう私ということになるんです
日本語教師にならなければたぶんシリアに行ってなかったから
そうですね
だから20代の選択は決して
あの頃間違いだなと思っていた選択も
決して間違いではなかったよ
暗闇の中という感じがありながらも
手探りで歩みを続けてくれて本当にどうもありがとうというふうに
20代の私には言いたいと思います
キャリアと海外経験
はい
では以上にします
皆さんの20代の話も大変楽しみにしています
はい
そして水城真琴さん
イベントを企画いただいて本当にどうもありがとうございました
23:20

コメント

貴重なお話、ありがとうございました。 LISTEN声日記は自己受容の練習、それを非常に感じられる配信でした。

AKIKO AKIKO AKIKO

AKIKOさんこの度は企画参加ありがとうございました!✨️ 時差6時間あったんですね! 20代の時にトンネルの暗闇を走ってたような感覚。思い悩んだ大学時代... 当時の自分へのメッセージ良いなって思いました! あの自分もいたから今ここにいる感覚って大切ですよね。 キャリアコンサルタントの資格すごい!!👏✨️ 20代の悩める子を救ってあげてください☺️

AKIKO AKIKO AKIKO

水城真琴さん!イベントのおかげで良い振り返りとあの頃の自分に感謝するきっかけをいただきました。どうもありがとうございます😊

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