サマリー
彼は現地化の重要性について考え、上司とのミーティングや自分の関わり方について思索を巡らせています。ローカライゼーションの観点から、ボトムアップの価値観が浸透していないと現地化は機能しないことを述べています。
公園日記と個人的な思索
こんばんは、9月8日19時25分、今日の公園日記です。
はい、今日は歩いて帰る途中ですが、月がとても綺麗だったので、
ちょっと立ち止まって写真を撮って、公園日記を撮ろうかと思いました。
もう19時半ともなれば、真っ暗です。
はい、今日は、今日はね、まあなんとなく、いい感じの動きがあったかな。
いい感じの動きっていうのは、直続、上司の人とちょっと30分ぐらい話したいんだけどって急に言われて、話をしたんですよ。
で、そのミーティングっていうのは、今週多分水曜日か木曜日にやることになる、もうちょっと他の人も含めたミーティングの下準備みたいな、すり合わせみたいなミーティングだったんですけど、
ずっとしばらく、公園日記でも多分何回か話している、私がもう少しシリアの中のことに関わりたいんだけど、うまく関われなくて、他人の足を踏むみたいなことをやることになっちゃったり、
もしくはすごい大混乱しているところに入っていって、大して何の役にも立てない、みたいなふうになっちゃったり、なかなかうまい関わり方が見つからなかったんだけど、ようやくなんとなくこういうふうに、私が関わったらいいんじゃないかっていうのを、直続上司の人が
そうですね、ちょっと前の評価面談の時から考えてくれて、多分、私がやりたいっていう思う方向に他の人とも調整をしてくれて、下準備を進めてくれて、状況によっては今週のミーティングでそれが決まれば、やっとなんとなくクリアーな感じになって、
関われるようになりそうです。ありがたいことです。彼女はもうちょっと3級に入るので、多分その前にいろいろ進めようとしてくれてるんだと思うんですけど、本当にありがたいことです。
ちょっとまだ楽観しすぎはできないので、様子を見たいみたいな感じなんですけど、様子の見方次第では、まだまだ私が今の契約が11月末までなんですけどね、そこで契約終わったところでちょうどいい霧だからって言って、そこで今の団体は辞めるっていう
選択肢もあるなあっていう風に、まだちょっと思ってるところもあるので、様子を見たいと思います。
はい、なんとなく本当にまさにひととようの歌じゃないですけど、僕の我慢がいつか身を結び、果てない波がちゃんと止まりますようにっていうところです。月を見ながらまたそれを歌ってました。
ローカライゼーションの重要性
はい、それから、そのネタと合わせて、全然聞いている人には何の話かわかんないと思うんですけど、ローカライゼーション、現地化、ローカライゼーションっていうのを、私たちの団体みたいな国際NGOでは結構大切なキーワード、長く続けている団体では大切なキーワードなんですけど、
だんだん現地の人にどんどん任せていくっていう意味ですね。それについてずっと考えていて、もっと解像度を上げて考えたいと思っていて、それこそ本当にポッドキャストをやるとか、誰かローカライゼーションについて語り合える人と語りながら、もっと考えを深めるとか、
もしくはそれこそ大学院の研究テーマとかに選んで、徹底的にクラスメイトとか先生とディスカッションして、論文の一つぐらい書くとか、研修コースを作り上げるとか、ちょっとローカライゼーションのことをもうちょっと本当に腰を据えて解像度を上げていきたいなというふうに考えています。
それは要するにですね、もしトップダウンの構造、特に国際NGOとかだと、その本部で何かを決めて、現地のフロントラインの人はただそれを実行するための安い労働力みたいな、
もし元のところにそういうトップダウンのピラミッド構造があったとして、考え方がその団体のポリシーがトップダウンを容認しているとしたら、ローカライゼーションしたらその小さなピラミッドが増えるだけなんですよ、トップダウンの。
最初のトップダウンはまだ、それこそサダム・フセイン時代とかアサド政権みたいな、そのディクテータシップ、独裁主義者が統治していることによって、実は秩序が保たれているみたいな、
その状況を小さくして増やすことは混乱を呼ぶだけなんですよね。
なので、現地化っていうのは、小さなピラミッドをいっぱい作って、現地の人をその小さなピラミッドのトップに置くっていう話ではないよねっていうことです。
日本人は、そのボトムアップとか改善とか現場主義とか、そういった考え方が少なくとも戦後のその産業が発展してきた時代に、
その現場の価値っていうのを全面に出してきて、それが結構社会の中に浸透している社会だと思うんですよね。
それはヨーロッパ以上だと思うんです。
そうすると、現場にある情報が、現場のフロントラインにある意見や情報が何よりも尊いよ、そこからスタートしようよっていう考え方が、
まず、それがないことには、現地化しても、それこそその植民地時代みたいな感じで、
人に現地の奴隷を管理させるみたいな、そういう非常に趣味の悪いことにしかならないので、
現地化っていうことをする前に、まずそもそもそのボトムアップで、現場のフロントラインにあることが何よりも尊いっていうその価値観が浸透していないと、
現地化って何をしたいのか、つまりコストを削減はできると思うんですけど、
現地の人の労働力の方が安いからね、でもそういう話じゃないよねっていうことが、そんな当たり前のレベルからも、ちゃんと浸透していないような気がします。
それは私の今勤めている団体は、比較的民主主義を浸透するみたいなことを、若者や女性の声を拾い上げようとか、
そういうことを結構大切にしている団体なので、私の団体は比較的そのボトムアップの声、声なき人の声を拾うということが得意なはずなのに、
実際に自分の組織内のマネジメントに関しては、うまく現地化がスムーズに進んでいないなって思うところもあって、
現地化の複雑さ
そこにトップダウンの小さなピラミッドを増やしているだけなんじゃないかって思うようなところもあって、
その辺本当はもうちょっと何とかしたいなという気持ちもあります。
ただ、それは本当にめんどくさいことに巻き込まれることになるので、そんなことに関わり合いになりたくないなっていう気持ちも同時にあります。
なかなか難しいところです。
よくイラックの人が言うんですけど、サダム戦時代の方がまだ良かったと、なぜならサダムは一人だったからというふうに今の政治を批判する。
半分皮肉というか冗談ですけどね、特にサダムから迫害されていたクルド人の人がそんなことを言うことがありますね。
小さなボスがあっちこっちでディクテータシップ、その何て言うんでしたっけ、ディクテータシップって先制主義というか独裁主義を小さくコピペして増えている社会っていうのが意外と今のここの社会の状況だったりもします。
そういう側面もあります。
それが団体の中の部署ごとでそういうことが始まったりするとかなりの失望すべき状況ですね。
本来は人々に人道支援を届けるのが役割のはずの人道支援のNGOなのですから、そんな小さな政治家がいっぱいみたいなことになっている場合ではないのですが、
社会の中にそういうものがあちらこちらに散見される中に長く暮らしていくと、何となくちょっと部署の長とかっていうふうになるとそういう振る舞いをするようになってきたりとかっていう傾向もあって、
現地化っていう話をするときにそういうことも含めてやっぱりつながってくることなので考えておくことだよなぁなんていうふうに思っております。
はい、最初この冒頭で話した私の関わり方の話とどうつながってくるかは、今の時点では私の中でもクリアーに説明できる感じじゃないんですけど、つながっている話だよねっていうことに関しては強く思っています。
はい、うるさいねここ。以上です。今このうるさいのはエアコンの室外機の隣を通ったからうるさいのです。
はい、じゃあ今日はここまでにします。聞いていただいてありがとうございました。また今度。
14:02
コメント
仕事熱心!その情熱、すばらしい!すてき!
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