感想 1
サマリー
スピーカーは、朝の散歩中にシリアに関する複雑な思いを語ります。30年前にシリアに住んでいた経験から、当時のシリアを「良い国だった」と記憶していますが、内戦中に革命家たちからその発言を控えるよう求められた経験があります。しかし、現在の観察を通じて、革命家たちもまた、かつてのシリアに良い思い出を持っているからこそ、内戦の泥沼化に苦しんだのではないかと想像します。内戦は民主化運動を起こした人々のせいではない。平和と国の再建を願うシリアの人々の思いに寄り添う気持ちを表明します。
朝の散歩と今日のテーマ
おはようございます。 5月8日、金曜日、朝の10時40分。
声日記です。朝の散歩です。 今、大きい公園の
隣を通っています。 今日は東に
向かって歩いています。昨日から引き続き、 頭の中の地図を
更新する、 カリブレーションをしています。
これ東でいいんだよね。いや、東南ですね。 太陽の位置を見ながら歩けば、
たぶん、 方角が、
方向音痴が治るだろう。 金曜日の朝なんで、街空いてます。
10時40分ですけど、まだ 朝早いっていう感じの雰囲気です。
この公園はかなり大きい木がいっぱいあって、 森ですね。森林公園みたいな感じですよ。
本当に大きい木がいっぱいありますね。 なので日陰もいっぱいあって、
今、長袖着てて、ちょっと歩いたらもう暑いんですけど、 長袖の薄いトレーナー1枚ぐらいでも、
歩いたら暑い。 でも日陰だから、
気持ちいいです。
えーとねー、 今日はねー、
まあ、あんまり行くあてもなく歩いてるんですけど、 休みの日だからちょっと散歩しようと思って、
やっぱり、 というか、いろいろ考えるんですよね。
この街のこと、この国のこと、 それをちょっと話します。
これ難しすぎて、 今まで話したくても話さないでいたんだけど、
なんとなくやっと話せるかなっていう感じになってきたんで、 話します。
30年前のシリアと日本人ネットワーク
もうね、たぶん、
3、4年、 もしかし5年前のことなんですけど、
その頃ね、 こういう話を聞いたことがありました。
シリアその頃はまだ結構内戦が激しくて、 難民の人とかもいっぱいいて、
その頃に、 私たちっていうのは、
私は30年前にシリアに住んでて、 その頃、協力隊の人とかね、
ジャイカの協力隊の人たち、
いつも常にシリアに30人ぐらいはいたんですよ。
私、日本語教師、幼稚園の先生とか、 新体操の先生とか、
レスリング、スポーツのコーチとかも多いし、 もしくは理学療法士とかね、
科学みたいな、
政府系の研究所みたいなところに 派遣になっている人とか、
他に何がいたかなぁ。 私と一緒に
来てた人たちは、電気みたいな、
技術を教えるお仕事とかですかね。 そういう人たちね、
いっぱいお友達で、一緒に
2年間暮らすので、 その後も交流があったりするんです。
そういうネットワーク、昔シリアに 住んでいた
日本人の、まあ緩やかなネットワークというものは あるんですね。
ジャイカ協力隊、OB会みたいなもの。 それからまあそういう人たちが
NGOを始めたりもしていますね。 今でもありますけれども、
比較的、そんなに大手ではなくても、 シリア支援をしているNGO。
そういうシリアで2年間ぐらい暮らして、 その思い出があるので、
シリア内戦のために何か、
シリア内戦が起こった時に、自分がお世話になった 人々たちに何かできることはないかと思って、
難民支援をしたり、
国内での支援をシリア人のパートナーとしたり、 という人たちはいますね。
そういうネットワークの中でですね、
革命家からの「良い国だった」発言への非難
4,5年前ぐらいかな、 聞いていた話があります。
はい、シリアをより良い国にしようと思って、 その革命を起こした人たち。
革命を起こしたという感じでもなかったんですよね。 初め2011年、民主化運動です。
革命というよりは、本当に平和的な民主化運動が 初めに起こった時、
ジャスミン革命の時ですよね。 他の国でもアラブの春と言われる、
あのタイミングですから、 もともと起こったものは、
民主化運動ですよね。
その頃、そうやって、 自分たちの国をもっと良い国にしようと思って、
民主化運動を始め、次第に革命化、 革命活動家のようになっていった人たち。
つまり政府側が、その人たちを軍事で攻撃したので、
民主化運動をしていた人たちも、 武装化していったという動きがあるわけですけれども、
そういう人たちが、民主化を起こし、 革命化となった人たちが、
昔、シリアに住んでいた日本人が、
昔はシリアはすごく良い国だったよね。 あんなに平和で良い国だったよね。
こんな良い思い出があるね。 シリアは良い国だったって言うと、
悲しい気持ちになるから、そういうことを言うのは、 辞めてほしい、みたいな、
そういう声が聞こえてきたことがありました。
つまり革命化の方をより支援している NGOなどもありますので、
そういった人たちからですね、
辞めてほしいというよりは若干の非難の声、
日本人の中で、旧独裁アサド政権時代に、
シリアに住んでいた人たちが、内戦が起こっている中で、
昔のシリアは良い国だった、平和だった、良いところだった、
っていうのは、
まあ、おかしいんじゃないか、みたいな、
攻撃みたいな感じに近い声だったかもしれない。
個人の記憶とシリア人の共通認識
で、その頃、私はそれを聞いて、
そうだな、とも思い、
自分の発言としては、昔のシリアは良いところだったな、
っていうことを言うのを止めていました。
で、でも、
これは否定できない事実として、個人の体験として、
私が住んでいた1996年から98年のシリアのダマスカスの
生活は、とても素敵だったし、楽しかったし、
出会う人たちも素敵で、 政府で働いている人たちでしたけど、
みんな親切で優しくて、
あの頃のシリアが良いところだった、っていうのは、
否定できないんですよね。もう個人の思い出ですから。
そしておそらくですけども、多くのシリア人の人たちも、
その昔の独裁政権だったけれども、生活が安定していて、
発展していて、という時代のシリアに
良い思い出も持っているんですよ。
普通の一般の人にとっては、
政治に触れさえしなければ、
政治、反政府活動に携わったりしなければ、
生活が安定していて、国が美しくて、
っていうのも、
私、またこれもね、こういう
ことって人によって違うと思うから、
語るのが本当に難しいことであるんだけども、
私が出会っている身近にいる多くの人たちも、
シリア難民としてヨルダンで会ったような人たちも、
あの頃の生活は良かったね、美しかったね、懐かしいね、という
美しい思い出として、戦争前のシリアを語る人たちが、
たくさんたくさんたくさん、
実際に出会いました。
そして私にとっても美しい思い出、
素敵な国という思い出です。
アレッポでの現状と過去の遺産
で、それをね、だから、
内戦が起こって、泥の昔でから、
そしてその革命家の人たちが、
昔のシリアは良かったって、
日本人が言うのをやめてほしい、
という話を聞いてから、
言うのをやめていましたけども、
ただそれはそれでなんかこう、
居心地の悪い経験だったんですね。
なんか整理できない経験でしたね。
で、今になって、
私は今また
えー、
残っているもので美しいもの、
例えば今ここにある公園のすごく大きな木、
何だろう、直径、この木、
目の前にある木、例えば、
直径、直径1メートルはないけど60センチくらいある木とかね、
大きな大きな木がある公園なんですよ、高さも。
松の木も、この松の木も高さ何メートルあるかな、
30メートルくらいある松の木とか、
たくさんの木が生えている公園。
これなんていうのは、
こののどかで幸せで美しい公園にベンチもいっぱいあって、
人々がくつろいでいるこの姿、
っていうのは、これは30年前にあったもので、
革命以前に作られたもので、
独裁政権の下で作られてあったものなんですよ。
だから、難しいんだけど、独裁政権で、
それは本当にひどい政権だったと思います。
こんなにあれが倒れた時に、
みんなが喜んだっていうのは本当にひどい政権だったと思う。
ただ、国が発展した面っていうのは明らかにあるし、
こういう公園とか、そういう美しさっていうのは、
政治というのとはちょっと関係のないところで、
美しいものは本当にたくさんたくさんありました。
そして、その美しさ、安定、平和っていうのを享受している人たちもたくさん、
実際にいたっていうのも事実なんですよね。
なので、私が今この街に来て、あれっぽに来て、
うわー、これはひどいなとして悲しい気持ちになるものは、
もうほぼすべて戦争中に起こったことです。
戦争で破壊された建物、戦争により貧しくならざるを得なくて、
物語とか小物を売って暮らしているボロボロの服を着た子どもや若者、
それから古いまま放置されているたくさんのもの、
例えばホテルとか、建物も多くの建物も、
戦争で破壊されてなくても、本当に放置、建物の外観を美しくしようというアクションは、
戦争中はほとんど取れなかった。経済的に余裕がないからね。
最近になってリノベーションしているような建物もいくつか、たくさんではない、
いくつか見ますけど、ほとんどの建物は時計が止まったみたいな感じですよ。
30年前に覚えている景色と同じ感じ。
この公園とかもそういう感じ。
だから、本当に難しいんだけど、本当に美しい国だったんですよね。
それで平和で発展していたという面も本当にあるんですよ。
革命家の悲しみの理解と未来への願い
最近気づいたこととしては、
なんで革命家の人たちが、
日本人が、シリアは本当に美しい国だった、平和な国だった、
あの頃は本当にいい思い出がたくさんあるということを内戦中に、
日本人がそれを言うと、
なぜ彼らが悲しい気持ちになったのかな、
なぜ彼らは悲しい気持ちになるからやめてほしいって言ったのかなっていうことを今想像すると、
事実はわかりませんよ。私の想像です。
あくまでも私の想像としては、
彼らもそう思っている部分もあるからなんじゃないかなって思うんですよね。
だから自分たちは本当に美しい国で、
良い国だったけど、悪い面もあったからそれをもっと良くしたいと思って、
民主化運動、革命を起こしましたと。
でもそれが泥沼化してしまった。
武力化して軍事化して内戦になってしまった。
そして内戦ということだけじゃなくて、
外国もたくさん介入してひどい戦争になったり、
アイシスみたいな過激派の武装勢力が出てきたりということでも、
ちょっと泥沼化っていう一言で済ますのが済ましきれないほどのひどいことになった。
それは民主化運動をした人たちのせいではないし、
まずは独裁政権の方が平和的な民主化運動を武力で攻撃したからですよね。
そして独裁が由来だという隙を狙って、
たくさんの武装勢力が放棄したからであり、
たくさんの海外の軍事力が介入したから。
だから決して民主化運動を起こした人たちのせいではない。
内戦化したことも、内戦が泥沼化したことも、
国が破壊されて人々が苦しんだことも、
民主化運動を起こした人たちのせいではないんだけど、
たぶん外国人である日本人とかで昔のシリアを知っている人が、
昔のシリアは良い国だったねなんて無邪気に言うと、
それは彼らは辛い悲しい気持ちになっただろうなというのが痛いほど分かるんですよ。
それはあんたたちのせいだよって言われてるんじゃないけど、
自分も美しい国の思い出を持っているからこそ、
一層のことを辛かっただろうなって思うんですね。
だからその人たちのことを思うと、今本当に革命が成就した、
独裁政権が倒れたっていうことは本当に良かったねって思うし、
もう本当に絶対に戦争は起こさないようにして、
せっかくこの得られた平和を続けて、
そしてもう一度美しい国を再建して建て直すっていうことは、
本当にシリアの人たちにとって本当に大切なことだし、
本当にみんなが願っていることだよなっていうふうに思うんです。
まとめ
はい、18分。
そうですね、なんか難しい話ですけど、やっぱり話してみてよかったです。
はい、では以上にします。
すいません、こんな声日記を独白みたいな感じですけれども、
聞いていただいた方はありがとうございました。
はい、ではまた今度。
19:29
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